修道女のイルマは、朝から忙しく走り回っていた。
修道女といっても、実のところ、正式な物ではない。
もともと彼女は、ここより西の国の出であった。
あまり、人には言えぬ諸事情で、その地に居られなくなり、父と二人、この地の廃教会に流れてきた放浪者であった。
不誠実な二人、当然ろくに神など信じてはいない。
大陸でもっとも豊かなこの国には、様々な種族や人々が訪れ暮らしていた。
聖職者としてのボロが出ても、真面目な振りをしながら、私はどこどこの出身なので……そこでは、こうなんですよ。
それならば、後学の為、貴方の国の作法を教えていただいてもよろしいでしょうか。
そう言えば、訝しみながらも、そうなのか? と少なくとも、今までは誤魔化せてきた。
現在、イルマはインチキ神父をやっている父に言われ、教会の掃除をしていた。
今日はこれから、遊牧民の結婚式をするのだという。
料理や進行などはこっちでやるから、場所だけを貸してほしいという事らしい。
イルマとしては、楽でオイシイ話である。
遊牧民って野原で結婚じゃないの? というのはイルマの勝手な偏見である。
しかし、彼らも婚姻の際には、自らの神を前に婚姻の宣誓をするのだ。
ただ、他とは少し形が違っており、それを彼ら自身が深く理解している。
場所だけ貸してほしいというのは、そういう事だ。
粗方掃除を終えた頃、外がざわざわと騒がしくなってきた。
何とか間に合った。イルマはそう、安堵する。
「イルマ」
イルマを遠くで父が呼ぶ。
------大事な、大事な結婚式だ。汚い所でお招き出来ないだろう? だから掃除をしておくれよ。
そう言って、イルマに掃除を命じた後、自分は何をしていたのやら。
我が父ながら、まるで結婚式が失敗してほしいとでも思っていそうな、シニカルでいやらしい笑みが不快であった。
(そんなんだからママに逃げられるのよ……。)
イルマは、もはや顔も覚えていない母に共感を覚えた。
父、ポルスに言われてイルマは厩へと行った。
この辺りの周辺国では、婚姻も葬儀も大勢で行い、喜びと悲しみを共有する。
故に教会は大人数で利用されることを、予め想定され、かなりの大きな厩が併設されていた。
父曰く、そこへ行って挨拶をして来いというのだ。
(なにそれ……。)
どういう風の吹き回しか。
場所だけ貸してくれと言うのだから、掃除だけして綺麗にした後は、空気の様に徹していれば良いではないか。
イルマは内心でそんな事を、ぶつくさと言いながら厩へと入っていった。
沢山の人々がいる。
厩で荷を下ろし。彼らの正装だろうか、その場で着替えようとしている者もいた。
教会には着替えのための部屋も用意してある。
そういう者たちに、すっと近づくと、「本日はおめでとうございます。」と朗らかに挨拶し、控室の場所を案内して回った。
そうしているうちに、今日の主役なのだろうか。
イルマは、ひと際立派な衣装に身を包んだ青年と出会った。
赤く日焼けした肌に、短く刈り込んだ髪と、堀の深い精悍な顔に少し濃い目の眉からは、真面目さと意志の強さを感じられた。
何故だろうか。
イルマは、一目見て、彼から目を離せなくなった。
「あ……あの、えと。……私、この教会の修道女、イルマと申します。ほ、本日はおめでとうございます。」
心なしか、言葉がすんなり出て来ない。
それに対して、青年はイルマを真っすぐ見据え、静かに答えた。
「ありがとう。……ソル。……ソル・アーガストだ。」
薄暮の悪魔、産声の愛娘 了
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