ミコ・サルウェ

(ノベリズム版)
皆月夕祈
皆月夕祈

星降りの聖日1

公開日時: 2022年10月31日(月) 16:15
文字数:2,966

 ゼイリアとアモルは未だ、北の高壁に沿う一室に潜伏していた。

 

 夕闇に煌々と昇る不気味な天体に、何故か睾丸を切り取られた猟奇的な大量虐殺事件など、特に後者は軍関係者も多くが犠牲になっており、戦時に乗じたカルトなテロリズムではないかと多くの者は考えた。

 町は緊迫と警戒を強め、余計に脱出を行える状況では無くなってしまった。


 なお、先日の”アレ”以来、アモルの様子が変化することは無く、アモル自身、ゼイリアが訪ねても、その時の記憶は無いようであった。

 

 夜になれば、ティが出てくる。

------”アレ”は何だったのでしょうか?

 かわりに問うても、月の天使様は大層、面倒屋なのか。

 ゼイリアに渡した耳飾りをちらりと見つめ、「大丈夫、もう気付いたから。」

 そうとしか、応えてくれなかった。 


 実の所、あの後、ゼイリアは少しだけアモルの事が怖くなった。

 生き物としての、根源的な恐怖に負けたのだ。

 

 高壁を越えて都市から出た所で、不案内な土地に放り出すことになってしまう。

 故に、それまでは提案しなかった事。

 ゼイリアはアモルとティ、各々に、天使様だけならば、背中の羽で空から逃げられる旨を伝えた。

 

 しかし、その気持ちは伝わらず、アモルには今にも崩壊しそうな涙腺で睨まれて、ゼイリアと一緒でなくては嫌だと言われてしまった。

 ティに至っては、「厳戒態勢で兵士が警戒している。私だけならともかく、貴女と一緒では危険。」

 

 恐らく、一人で逃げるという、ゼイリアの意思は無視されたのだろうか、解りきっている言葉が反芻された。

 

 ゼイリアの中では、例え、恐れていても、天使を敬愛する気持ち、そこに一抹の変化も無い。

 故に、彼女は、彼女達に大切にされている事を改めて認識し、一時の不安に流された事を大いに恥じた。

 

------カツカツカツ……カリカリカリカリ……。

 部屋の壁を、外から指で叩いた後、爪でひっかく。

 そんな音がした。

 

 二人の肩が、ポンと反応した。


 これは、二人の元へ、一人の男が訪ねて来た合図だ。

 その男は二人の支援者だ。

 アモルには、彼が訪ねて来たときは必ず起こす様にゼイリアは告げていた。


 もっとも、追われる身の二人に対して、余り大っぴらには接触できない。


 訪ねるといっても、ここでのやり取りは、頭のおかしな男が、壁に見せかけられた扉に寄りかかり、ブツブツと小さく独り言を言うように行われた。

 

 男の名はオラクルと言った。

 ゼイリアと同じインデジネス派の、無頼漢である。

 オラクルは、北壁の有力者の一人であり、ゼイリアがここへ逃げ込む際に頼った者、その紹介で出会った。

 以降、彼はゼイリア達に様々な便宜を図ってくれていた。

 例え外では結構な騒ぎとなっていても、ゼイリア達は、それを知ることは出来ない。

 窓もない、隠し部屋の様な空間では、オラクルや、その仲間が時折持ってくる情報だけが頼りである。

 

 隠し部屋はそれ程、広い空間ではない。

 しかし、ゼイリアも念を入れて、アモルを奥側にかばうと、自身もボロを被り顔を隠した。

 

「あ~……。」

 オラクルは一瞬、薬でもやる様に、鼻に抜けた声を出した後、わざと少し、掠れたような声を出す。

「目的は……解らないがぁ……。」

 

 一時、オベリオンで秘密裏に流行しかけた薬物。

 それを行うと、快楽の代わりに頭と、そして喉をやられる。

 

 頭のおかしな者を演じるのであれば、掠れ声をだすというのは、ある意味では常套手段であった。


「東の空に……馬じゃない。良く分からんもんに……引かれた馬車が現れて。そのまま、オベリオンの壁を越えて来た。……天使様は何かご存じないか?」

 なお、この世界にも馬は存在していた。

 しかし、所謂アジア種の様な、足の短いどっしりとした馬であり、戦闘には用いられていなかった。

 

 

「少し待って下さい」と、ゼイリアの声が小さくオラクルの耳に届いた。

 オラクルは、痴れ人のふりなのか、茫洋とした腑抜けた表情をしたあと、「あい~」っと力を抜いた呻き返事をした。


 オラクルがそのままでいると、

「見てみないと解らないわ。」

 

 ゼイリアの物とは違う、澄んだ声がオラクルの耳を叩いた。

 てっきり、ゼイリアを介して、と考えていたオラクルは、咄嗟に飛び上がりそうになって、寸前、固まる。

 

 北壁の様な嫌世感の強い悪治であっても、いや、だからこそか、本物の天使の威光は、確かな権力となりえるほどに強力であった。

 当然、オラクルにもそれは言えた。

 


「アモル様!」

 直答はアモルの勝手である。

 ゼイリアの焦って窘める声がオラクルの耳に届いた。


 ゼイリアのその様な行為が、アモルの従者ぶっている様に思えて、気に食わなかった。

 オラクルは眉を顰めた。

 しかし、そのような表情はすぐに消し去る。

 

「ねえ、ゼイリア。私、その馬車が見たいわ。」

「アモル様……でも……しかし……ん……。」

 アモルの願いにゼイリアが言いよどみ、何かに迷う反応を示す。

 

「……。」

 オラクルは、ゼイリアのその様な様子に、少し留飲を下げた。


(とはいえな……。)  

 オラクルは、ミーミルの地下で行われている非人道的な行いに関して、良く知っていた。

 むしろ、知ったが故の北壁暮らしである。

 

 もし、再び捕まった場合、奴らはアモル自身の身体を実験台に使わない、とは到底言えない人間たちだとオラクルは考えていた。

 故に、オラクルのアモルに対する応えは否……。


 しかし、オラクルにも、ゼイリアの言いよどむ理由が良く理解できていた。

 

 現状、この都市を出してやるすべもなく、狭い部屋に閉じ込めている状態。

 

(連中と同じに思われるのは、心外だが……。)

 天使に対する扱いとして、胸を張れるかと問われれば。


(業腹だが、俺やゼイリアも断罪の炎に焼かれるべきか……。) 


 オラクルも、なんとか説得できないかと頭を巡らす。

 しかし、答えを見つけるよりも、アモルの方が早かった。

 

 扉が開いた。

 

 隠し部屋の扉は、外からの侵入を防ぐため、内側に開く作りになっていた。

 扉に寄りかかっていたオラクルは、一瞬倒れこみそうになって、慌てて立ち上がる。

 

 そして、振り向くと、ゼイリアの静止を振り切った、アモルが立っていた。

 アモルは、ゼイリアやオラクルを困らせたいわけでも、彼女たちを非道に思っているわけでもない。

 

 本来、聞き分けの良い素直な彼女は、ずっと我慢していた。

 ただし、彼女は強い意志をもった大人ではない。

 

 ましてや、彼女は日輪の天使。

 植物よりも陽光を浴びて、己が太陽が如く周りを照らす天使。

 そんな彼女が、陽の光を浴びることなく、そろそろ7日が過ぎようとしていた。

  

 頭ではわかっていても、相当に鬱積した思いが募り、眩暈すら起こしそうであった。

 ゼイリアだけでは心の拠り所として足りない。

 

 もし、その馬車が希望の縁《よすが》となるのであれば、早くそれを目にしたかった。


「ごめんなさい。許してもらえないかしら……。」

 

 その哀しい響きに二人は、自らが途方もない悪逆を働く怪物になってしまったかのような錯覚を覚えた。

 そして、アモルの悲痛な魂願は、冷たい銀の杭となって、二人の胸に突き刺さった。

 

「……ご用意します。今、暫くだけ、扉の中でお待ちください。」

 

 オラクルは痴れ人の真似も忘れて、なんとか、それだけ絞り出すと、頭を下げ、ゼイリアに扉を閉める様に促した。


 扉が完全に締まりきった後、辺りを見渡す。

 近くに配置していた仲間の見張りから返ってくる合図を見て、なんとか心を安堵させた。


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