アエテルヌムの南、イロンナの果樹林。
結局、闇燦師団全員は召集できなかった。
それどころか、軍団は当初の想定よりも方々に散っており、半数もいない人数である。
しかし、動ける者をかき集め、アーシャ達はアエテルヌムの南、イロンナの果樹林に到着し、戦いを始めていた。
「右に防衛線をはれ!! 火を消して、生存者をかくまえ!」
アーシャは左手に持つ大楯で敵を叩き潰しながら、声を張り上げた。
身の丈ほどに大きな大楯。
それ自体に、棘などの攻撃的な装飾は備わっていない。
しかし、叩きつければ、それ自体の質量、重さは十分な威力を発揮していた。
戦いは現状、圧倒的優位に進んでいるものの、アーシャ達、闇燦師団の顔色は優れない。
まるで、負け戦をしている様に見えた。
傍から見ればそれは、勿論、防衛警備を担当する師団でありながら、初動に遅れ、被害を拡大してしまったという自覚からもあった。
しかし、それは三つの理由の内の、一つでしかなかった。
三つのうちの、二つ目は敵の動きが妙に緩慢であること。
援軍の当て、でもあるのであれば話は別だが、大勢はほとんど決していた。
時間がたてば、ミコ・サルウェ側の援軍はどんどんと到着する。
引くなら引くで、もっと素早くできるはずであった。
しかし、何時までたっても、まるで足止めでもするように、その場に留まり、防御を固めているのは何故だ。
スカリオン軍は気味の悪い動きをしていた。
それが二つ目。
そして、三つ目、最後にして最大の理由、それは北の空が朱い事だ。
アエテルヌムにも、敵が攻め込んで来ている事は知っていた。
しかし、もう夜のとばりが訪れている中。
妙に北の空だけ朱く染まっており、チカチカと輝き、そのたびに太い光の筋が降り注ぎ、また空に向かって伸びていくさまが、イロンナからも頻繁に見て取れた。
どう見ても、此方よりも苛烈な戦いが行われている。
しかし、誰が?
自分たちはここにいる。
他の師団か?
確かめに行きたいが、ここを放棄する訳にもいかない。
だというのに、敵はノロノロとしている。
------イラつく。
そのイラつきは、無闇な不安を内側から呼び覚まし、師団全体へと伝播していく。
皆、おかしな感覚に身を焼きながら歯を食いしばってスカリオンを掃討したのだ。
そんな折りであった。
アニムからの通達がある。
------アエテルヌムの状況は絶望。すぐにエリアの浄化を行う。
全軍、アエテルヌムには決して近づかぬよう。
その報告は、アーシャ達に戦慄を齎した。
本来であれば、士気にかかわる。
命令だけだして、内容は伏せるべきであったのかも知れない。
しかし、すでに士気など有ってないような物だ。
近くで、何かが行われている事は明らかで、兵達が気散じている事も明らか。
ならば、いっそアエテルヌムに向かおうとする者を防ぐためにも、その情報は速やかに、厳命を伴って団員達に伝達された。
アエテルヌムの住人に、縁を持つ者もいた。
また、使命感から挫折や苦悩を感じ、戦場のさなかにも関わらず、膝から崩れ落ちる者もいた。
団員達に悲しみが広がり、それはすぐに巨大な怒りへと変わる。
そして、この怒りは、後に防衛に参加出来なかった者達にも伝播していく事になった。
闇燦師団によるスカリオン軍への攻撃は苛烈を極め、ついに彼らは撤退していくことになった。
そして、その直後、アニムによる浄化が始まった。
------ゴゴゴゴゴゴゴ
地響きと共に、アエテルヌムの空に、光の球体が産れる。
夜の闇に、美しく、強く輝く恒星。
それは、新しき太陽。
アエテルヌムの大地だけが切り取られ、浮かび上がる。
そして、太陽を中心として、大地が丸い球体を形作ろうとした。
見る者すべての肌が、粟立つ情景。
何が起きているのか解らない。
しかし、それを見る者は何故だかわからず、不思議と足を動かした。
ゆっくりと、大地を引き寄せ、最早、姿の見えない太陽。
それが、いまだに引力を発揮しているかのように、魂がひかれる。
やがて、一人、また一人と切り取られた大地の淵にたどり着いた。
そこには、常闇の奈落が広がっていた。
見る者は自らの足元が不意に、崩れていく錯覚を受けた。
自らの立つ大地の下は、この様な奈落が有るのか。
各々は余りに恐ろしい光景に怯えた。
やがて、大地の球体が降りてくる。
天上より開き、そして、それは奈落の穴にふたをした。
音もなく、揺れもなく。
豊かな農耕地帯であったアエテルヌムは、草木すら生えない、ひび割れた大地へと変貌していた。
全て、あの太陽に喰い尽くされた。
嫌が応にも、生きている者の気配を感じられない空間。
そこは、生命の砂漠であった。
誰かの頬に涙が流れた。
それは、ゾンビの巨人であったかもしれないし、警邏する人食いであったかもしれない。
一見、人の目から見れば、醜悪に見える子等。
しかし、彼等も等しくアニムの子。
兄弟の死、その哀惜や、虚無感に耐えられず誰もが涙した。
そして彼等の中で、もっとも感情を露わにした女がいた。
アーシャという女は、もともと、ただの村娘であった。
彼女の父母は牧場を経営していた。
小さな村で、乳飲み子の弟を背負い、父母を手伝って長閑に暮らしていたのだ。
しかし、彼女が13の歳。
不幸な事に隣国の領主が、彼女の住む領地に攻めてくるのだ。
父が、母が、まだ幼く、逃げ遅れた弟が、アーシャの愛する全てが殺されてしまった。
そして、床下にうまく逃がされた、アーシャ一人が助かってしまった。
恐怖、悲しみ、絶望。
それが、その後のアーシャという英傑を作り出してしまった。
夜中にこっそりと、床下より這いだしたアーシャは、村に泊まり込んだ迂闊で愚かな敵大将の首を、大鉈で切り落とした。
そして、牧場の動物たちを上手に操り、敵軍を混乱させると、油を撒いて、もはや、誰も使うことの無い村ごと敵を焼き払った。
炎から逃げ惑う敵を後ろから襲い、殺していった。
殺して、殺して、殺して……。
燃え盛る村を、火事の炎とみた自領の領主が、軍を率いて消火に駆けつけると、そこには、たった一人、立ち尽くすアーシャがいた。
彼女は敵大将の生首をぶら下げて、虚ろな目で村を見つめていたのだ。
アーシャはこの時、愛する者の仇を取りながら、愛する者と過ごしたこの村で、死ぬつもりであったのかも知れない。
常識的に考えれば、13の娘一人。
すぐに死ねるはずであったのだ。
しかし、また生き残ってしまった。
その後、哀れに思った領主は、その功績に報いるために、生活と身元の保護を約束した。
ただ、アーシャはそれを断ると、何故か、騎士として闘う道を希望し、領主はそれを許した。
そして、不死《しなず》のアーシャは、幾度の戦火を乗り越えた。
彼女は自ら命を断つような、無意な死は選ばない。
ひたすらに、誰かの前に立ち、誰かを守り、有意の死を望む。
自らを盾とし、誰かの家族を救う事で、自らの愛する者が救える様な気がして……そして、また意義のある死であれば、”自分は、死んだ家族が生かし続けているのだ”そんな妄執に対しての言い訳が得られる気がして。
早く家族の元へ逝きたい。
それが後に、サナトリアの英傑騎士、アーシャと呼ばれる女のありようであった。
故、常に何処よりも激しい戦場を求め続けた。
死ぬために。
ただ、同時に彼女は、常に死から見放されていた。
彼女の望むモノは何一つ手に入らない。
数多の人々を救い、ついぞ、最期まで自らを救えなかった哀しき英雄。
そんな彼女は今、血走った目でアエテルヌムの大地を睨みつけている。
食いしばった歯が折れて、口の隙間から紅い血がしたたり落ちていった。
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