しばし、その場を沈黙が支配した。
そして、その沈黙は、赤武のロレーヌによって破られた。
「赤武はアーシャを支持するわ。」
プロセンは、深い皴を眉間に刻み付け、ユリンは、眉を上げて驚いたような表情をした。
「プロセン。相手は突然現れて此方を虐殺するような奴らよ? 勝てるとか、勝てないとか、そんな事は問題じゃないわ。」
一瞬、あっけにとられていたユリンであったが、慌てて反論した。
「ですが、何か行き違いが合ったかもしれませんし……。」
しかし、ロレーヌは冷ややかな空気をその身に纏い、ユリンを見えぬ目で見つめた。
「貴女、陛下の話を聞いてたの? 話し合いって……無辜の民が何十人死んだと思っているの? どんな落とし所なら、国民が納得するの? どうなの?」
責める様に言い放つ。
そして、予想外にも、インペルがそれに追随した。
「まあ……無理、でしょうな。」
「え?」
「今回の戦いだけで、全人口の2%が犠牲になったそうです。土地も焼け、被害は甚大です。プロセンや、ユリンの言っている事も……理解はします。……が、」
そこまで言うと、アーシャをチラリと見やるインペル。
「血の気の多い者が多い我が国で、もはや一戦も鉾を交えずに済ます、その理由を、私では用意できません。」
そういって、インペルは掌を上に向け、首を振った。
再びの長い沈黙が産まれた。
ユリンは、その大きな体を小さく縮め、悲しそうに顔を伏せていた。
性格もある、しかし、損な役回りである。
平時には類まれなる知識と、バランス感覚で非常に有能な活躍を見せ、国民からの人気も高いユリン。
しかし、それを、愉悦とする様では困るが、いざと言う時、戦えなくては、国民は守れない。
人は人が思っているより、残酷であった。
戦災の有事に話が及ぶと、頼りなさが、どうしても際立ってしまった。
「……そうか……。では、具体的な布陣の話へと移ろうかと思う。私や、ユリンの他、兄《けい》らの中に反対の物はいるか?」
プロセンが口火を切った。
恐らく、彼の中では和平から、戦争へと頭を切り替え始めている。
ユリンは伏したまま、何も言わない。
また、他のモノも同様に。
「いないようだな。」
プロセンは念押しする様に、周囲を見渡す。
プロセンは己の意見を主張し、戦った。
しかし、そこに固執することは無かった。
プロセンは、アニムへと身体を向け、起立する。
そして、静かに頭を下げた。
「陛下。我らの結論はこのように成りました。兵士もまた、国民。より多くを救う為、また、陛下の民。その命が失われる事、どうかお許しください。」
アニムは、静かにプロセン、そして、皆の顔を見据え、目を瞑る。
ふっ、と一つ息を吐いた。
この時、真実そのままを述べれば、アニムは嬉しかった。
内心は、確かにアニムの心は戦争へと向いている。
しかし、国民や兵たちが死ぬ事を、心痛めずにいる訳ではないのだ。
そのことが、彼等に伝わっているのだな。と
アニムは、彼等に決断を委ねた事を安堵した。
最終的に、全ての決定はアニムの責。
故に国民を殺すも、生かすも、アニムの決定。
(ならば、是非も無しとは言うまい。私は、私の出来る事をしよう。)
アニムは再び目を開けると、ただ、
「相分かった。」
それだけ力強く答え、余計な事は何一つ口にしなかった。
プロセンが顔をあげ、また、正面へと向き直った。
「では、現状の戦力を整理いたす。」
「ああ……。」
しかし、ここで、ゼラスが言いずらそうに声を上げた。
ゼラスは、鳥頭人身の鳥人《ネローズ》という種族。
鳥人や天使は、背に翼を背負っている事から、雄体は上裸、雌体は上体の全面を隠した姿が一般的だ。
ゼラスは雄体であった。
神に仕える天使の方が、見た目には美しく見える事もある。
そして、頭の形が鳥故に、彼等、鳥人の事を天使の成り損ない等と揶揄する愚か者もいた。
しかし、それは、ハッキリと馬鹿である。
実際の所は、彼等の身体は非常に筋肉質で、重く堅く、強靭であった。
翼は空中機動時の補佐的な物であり、その身体を浮かせる魔力との親和性も高い。
その鳥人の中でも、特に強力な存在。
強大な魔法を放ちながら、高速で上空を飛び回る鉄壁《てつかべ》の様な男。
それが、天白師団 師団長 上昇する光・ゼラスである。
しかし、今、彼の喉は、非常に物憂い声音を響かせていた。
「正直に言って、私の所の部隊は、方々に散っていて、帰還命令が全軍に届くまでに、恐らく……一週間はかかる。そこから、集結までには、また暫くかかるはずだ。……すまないが、出来る事は、限定的になる。」
天白は航空師部隊であり、機動力は高い。
それが、今回は災いした。
他の師団よりも、広範囲に散っており、軍団規模まで集結するには時間がかかる。
鳥頭故、年齢と言うのは解り難い。
しかし、存外若い声が申し訳なさそうに発言し、アーシャにチラリと視線をやった。
「闇燦は一部を除き、即応態勢だ。その一部も、明後日には合流出来る。」
聞かれてもいないのに、アーシャは憮然と、厳めしい表情で応えた。
ゼラスは肩を落とした。
その姿を哀れに思い、アニムが口を挟む。
「お前たちの有能さに甘え、補給もままならない中、無理をさせて来たのは私だ。あまり気に病むな。」
「申し訳ありません。」
「ん?待って。」
慌てたようにロレーヌが言う。
「私の所だって、そんなに早くは無理よ? 今は殆どが、東部の演習に出ているし……そこから集めて、指揮系統を再編して……1週間という所かしら……?」
「な!? そんなに待てるか!?」
アーシャが声を荒げるが、ロレーヌは眉を顰め、ため息を吐いた。
「はあ……。呆れた。相手の戦力が、解らない事に変わりは無いわ。なら、せめて念入りに準備するべきでしょう?」
ロレーヌの言い分はもっとも。
なれど、これに対して、インペルが応えた。
「いや、今回はそうとも限らない。」
ロレーヌが、顰めた眉を持ち上げた。
「準備に時間を掛けたいのは山々……だけど、動ける奴から動いていかないと……敵国の攻撃が”アレ”で終わりとは限らない。拉致されている国民も、何時まで無事か解らないしね。」
「でも、それだと、蒼海は海軍だし、殆ど、闇燦と群緑だけで当たる事になるわよ?」
「今回、闇燦師団には、ほぼ、被害はない上で、相手には大きな打撃を与えている。闇燦師団が万全なら十分戦えるかも知れないよ? もしかしたら、準備に時間が必要なのは、向こうさんも同じかもしれないし。」
そこで、蒼海のリムリエルが話す。
「東部であれば、アニス河があります。急流ですが、私たちには関係ありません。その流域まで来ていただければ、そこから、フェルム河へと乗り換えて、移動だけなら二日で運ぶことが出来ます。」
「最悪を想定しながらも、思っていたよりも良かった時の事も想定しておくが、過不足無い。……確か、そういっていたのはアーレスだったかな?ロレーヌ……君はどう見る?」
「ん……。」
ロレーヌは鼻白んだ。
そして、インペルを白眼で睨みつけると、何も言わず額に手を当てた。
ロレーヌに限った話ではない。
彼女の所属する赤武師団は、ユニットタイプ:兵士等、規律の取れた集団行動を得意とする、職業軍人を多く抱え、かつ、その軍団規模はもっとも大きい。
故に我等こそ、ミコ・サルウェ軍の主力であり、最強であるという自負、誇りを持っており、その実力も確かだ。
ロレーヌも内心では、全力ですらない闇燦に蹴散らされるような、凡百如き、いくら数が居ようが、負けは無いと考えている。
後は、自分たちの初陣の価値をどう上げるか。
その為に、政治の出来ぬ団長を差し置いて、この会議に参加したと言っても嘘にはならない。
だというのに、まさか参戦できるかどうかすら怪しい事になるとは……。
ロレーヌは白い頬を紅潮させ、己が無様を恥じた。
プロセン、ユリン、ゼラス、リムリエル、味方に使えそうな者はない。
ロレーヌは、瞬時に頭を巡らせた。
そして、再度、インペルの方を睨みつけた。
しかし、その誇り故、この場で我を通すような無様を、彼女は重ねない。
「わかったわ。こうしましょう……。」
そう言って、気を取り直すため、自らの頬を小さくパチリと叩いた。
「闇燦師団を正面にして、群緑は規模が小さいから……遊撃として、おかしな動きをしている敵を潰してもらいましょう。これを第一陣として、蒼海には悪いけど、急ぎ迎えにいって頂戴。……あと、考えたくないけど、闇燦がごっそり抜けて国内の治安が落ち込む可能性があるわ。広範囲になるけど、動ける天白には、そこを任せたい……これが、最良かしら?」
ベスティアがこの場に居れば、彼女はこの中で一番の被害者。
小さいからなんだ、舐めるなよと、間違いなく人揉めあっただろう。
しかし、3倍以上の人数を抱える闇燦師団を控えに、遊撃を得意とする200程度の規模しかない群緑を前線に立たせる選択は流石に無かった。
ゼラスとリムリエルが快諾した。
アーシャは自分たちだけでも、打倒《うちたお》す覚悟だと吼えた。
「赤武(うち)にも、意地があるの。2日で移動できるというのなら、3日で全力を出せる状態までもっていくわ。……だから、最悪の場合でも、何とか……それまで耐えて頂戴。」
息まくアーシャの様子を、ロレーヌは何とも言えぬ顔で見つめ、そう、告げた。
そして、決意を決めた様に、顔を再度引き締めた。
「ふん。」
アーシャは余計なお世話とでもいうように、鼻を鳴らす。
しかし、この女は、こういう女だと、皆が理解している。
今更、それで、ロレーヌの嫌気を刺激することは無かった。
ただし、一人。
アニムが、すっと立ち上がると、アーシャへと近づいていった。
此れには、流石のアーシャも泡を食った様に慌てた。
椅子に座ったままで迎える訳にも行かず、すぐに立ち上がる。
そして、床に片膝付いて、頭《こうべ》を垂れ、待ち構えた。
アニムが、アーシャの目の前で立ち止まる。
「アーシャ」
アーシャの頭上より、アニムの声が降って来た。
「は!」
------チャッ
音がした。
剣《つるぎ》を鳴らすような音。
アーシャの背中に冷汗が一つ、流れた。
「顔を上げよ」
アーシャが恐る恐る顔を上げる。
アニムは一本の、妙に反りのある、少し変わった形をした剣をアーシャに向かって突き出していた。
それは、炎鍛冶の剣。
いずれは宝物庫へと送るつもりが、ついぞ、果たされる事の無かった”それ”。
大会優勝者の造った剣、という以上に、アニムにとっての宝刀である。
アーシャはそれを、押し頂くように受け取った。
アニムは剣を渡すと、振り返り、椅子へと歩き戻って行った。
「そうだ、ゼラス。先の今で、人使いが荒くてすまないが、出来る範囲で良い。一度、西の空を飛んでくれ。」
それだけ言うと、以降、アニムは何も言わなかった。
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