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小欅 サムエ
小欅 サムエ

2-10

公開日時: 2020年12月25日(金) 11:08
更新日時: 2020年12月25日(金) 11:16
文字数:5,167

 午後九時、『カフェテラス・ボム』を出た僕たちは、予定通りに僕の部屋でこれまでの経緯を話し始めた。大島おおしまの事件に関する考察や、志摩丹しまたんでの事件……そして、今回の木村きむらの事件に関する情報のすべてを、西野にしのへと打ち明けたのである。


 警察の箱崎はこざき真中まなかからは、この件を口外するなと言われている。だが、それもつい先ほど、『建前』であるとはっきり聞いた。それならば、僕のことをこれだけ心配してくれる彼女に打ち明けないのは、あまりにも不親切であろう。


「……そういうわけで、僕は真中さんと学校に戻ってきた。その後のことについては、説明するまでも無いよな?」

「ええ、よく分かったわ。ありがとう、素直に打ち明けてくれて」


 思いの外、西野は僕の話をすんなりと受け入れてくれたようで、それ以上僕に何か言及することはなかった。拍子抜けした僕は、安堵と共に一抹の寂しさを覚える。


 実際、僕に質問したところで答えられる範囲など限られているし、そういう観点では彼女の判断は大いに正しい。だが、それでも少しくらい僕の意見を聞いてくれてもいいと思うのだ。何せ、僕は普通ではないのだから。


「でも、そうね……」


 ようやく口を開いた西野は、窓の外へと視線を移しながら、僕へと問いかける。


夏企なつきの話したことが、すべて本当のことだとすれば、よ? 夏企や金子かねこくんたちが、警察に対して貢献できるようなことはないと思うのだけど。大島さんの事件については推測の域を出ないし、真中さんの妹の件は、監視カメラだとか、そういうものを確認すれば結果が分かることじゃない。違うかしら」

「……」


 ぐうの音も出ないほどの正論を突き付けられ、完全に沈黙してしまう。むしろ、西野の話に納得できなければ、そいつは単なる馬鹿だ。


 西野の言う通りで、僕らには何の権力もないし、事件に関与する動機すらも希薄だ。起きたのが大島の事件だけであれば、あれは自殺ではなかったかも知れない、という趣旨の動画を制作してアップできただろう。


 だが、今日こうして木村が目の前で死んでしまった以上、深追いする方がおかしい。死体を連日のように目の当たりにして、凶悪事件に首を突っ込もうと思うほど、僕は愚かではない。


「でも」


 そう、でも。そうだとしても、先ほど『カフェテラス・ボム』で聞いた情報……木村の死因は失血死であったということ。それに加え、彼の胸ポケットにあったというポストカード……そんな話を聞いて、じっとしていられるはずがないのである。


 明らかに異常な行動をとっていた木村を撮影した映像がなくなった今、頼りになるのは僕の脳……つまり、僕の力なのだ。


「西野は木村先生が自殺だった、っていうのか? 真中さんは、先生の死因は失血死だと、確かに言った。それは絶対に有り得ない。西野だって、あのおかしな様子の先生の姿を見ただろ?」


 そう、あり得ないのだ。飛び降り自殺をした人間の死因が失血死、というのは明らかにおかしい。内臓破裂だとか、そういった物理的外傷由来の死因ならばともかく、木村の転落した周囲には血だまりどころか、血痕の一つもなかった。それは僕の記憶を掘り起こしても、確かな事実である。


 ならば、失血死をするはずがない。転落する前に、何らかの方法で血液が抜き取られていた、と考えるのが自然だろう。


 それに加え、屋上での異常な行動……カメラを通して顔を拡大していたからこそ、分かる。あれは、完全に生きている人間のそれではない。


「それに、さっき箱崎さんから、先生の胸ポケットにポストカードが入っていたって聞いたんだ」

「ポスト、カード?」

「そう、絵の描かれた小さなカードだよ。それには吸血鬼の絵……しかも、明らかに普通の絵じゃないってことがはっきりしたんだ。まだ警察が調べてる途中だけど、多分、西蓮寺さいれんじの絵だと思う」

「西蓮寺……」


 そう、僕がこの事件に対し最も興味を抱いた理由……それが、『絵』である。西蓮寺 真冬まふゆの絵に描かれた通りの死体が、次々に発見されている、という事実だ。それに気付いたのは僕と、出水でみずだけ……いや、あのネットニュースサイトのコメント欄に、『バートリー婦人』と記載した何者かも、恐らくは関連性に気付いていることだろう。


 これがもし、この事件を繋げるものだとすれば。大島、真中、木村の三人は、西蓮寺の絵に描かれた通りに死んだとすれば……この事件は、すべて同一人物によるもの、もしくは何か関連があると考えて然るべきなのだ。


「偶然、でしょ。それに、先生の胸ポケットに入っていた、っていう絵がまだ西蓮寺さんの作品だ、って決まってないじゃない」

「偶然だと思うか? 自分の血を浴びて死んだ大島、ギロチンで切断されたように綺麗に刈り取られた首を持つ真中、それに、吸血鬼に血液を全部抜かれてしまったように死んだ木村先生……冷静に考えてみろよ、絶対に何かあるだろ!」


 少し感情的になってしまい、声が大きくなり始める。だが、それでも西野は怯みもせず僕を鋭く睨む。


「だったとしても! あなたが、これ以上事件に関わる必要なんてない! だって、そうでしょう? 心の優しい夏企が、もうあんなものを見るなんて。私に傷を負わせたくらいで心を閉ざしてしまうあなたを、私は……私は……!」


 その言葉を聞き、僕は何も言い返すことができなかった。そうだ、僕はこの女性に、一生消えないであろう、という傷をつけてしまっていた。それでも西野は、僕に優しく語りかけてくれた。叱ってくれていた。


 ろくでもない両親の代わりに、面倒を見てくれた。学校でも、家でも……そして今、こうして異常とも思える事件に首を突っ込もうとしている僕にすらも、愛想を尽かさずに、必死に。


 僕は、一体何をしていたのだろう。ムキになって西野に反発し、警察から能力を当てにされて舞い上がって……僕がいるべき世界は、ここだというのに。


 そうだ。僕には、この事件がどうなろうとも関係ない。木村の件はともかくとして、それ以上に警察へ捜査協力をしよう、だなんて間違っている。


「……ごめん、西野。僕が間違っていたよ」

「夏企……」


 少し涙を滲ませる西野へ、優しく微笑みかける。そしてゆっくりと立ち上がり、はあ、と大きく息を吐く。


「箱崎さんたちには、あとで断っておくよ。いろいろと言われるかも知れないけど、僕にはもう関係のないことだし」

「夏企……じゃあ、約束。いい? 絶対に、危険なことはしないで」

「ああ、分かったよ」


 そして、西野から差し出された小指に僕の小指を絡める。非常に子どもっぽい契りではあるが、どこか懐かしく温かさを感じるのであった。


 小指から僕の意思が伝わったようで、心から安堵した様子の西野は今まで一度も見たことのないような、とても気の抜けた表情を浮かべた。それほど、僕は彼女に心配をかけていたのだと気付き、改めて罪悪感と反省の念が心を支配してゆく。


 やはり、僕は愚かなのだ。ちょっと他の人よりも優れた能力を持っているだけの、ただの高校生……それだけだ。


「あ、そろそろ帰らないと。もうこんな時間だし、明日も休みだけれど……この格好だし」

「そう、だな」


 時計はすでに午後十時を指し示していた。撮影のため制服姿のままであった西野を、これ以上遅い時間に返すわけにいかない。最悪の場合、警察に補導されてしまう恐れもある。


「じゃあ、気を付けて」

「うん……でも、良かったわ。夏企がちゃんと、私のことも考えてくれて。これからも、素直なままでいてくれたら嬉しいな」

「それは……時と場合によるな。それにまだ、活動自体は諦めてないからな」

「ま、そう言うと思ったわ。とりあえず活動停止の件は保留にしておくから、くれぐれも馬鹿な真似はしないこと。いいわね?」


 そう言うと、西野は少し気分が良さそうに家を出ていった。最後まで僕のことを子ども扱いして、少し腹立たしくもあるが……これで一つ、大きな区切りはついた。事件に関しては僅かに心残りではあるものの、今の生活を失ってでも得たい真実なんて無い。


 あとは、警察に連絡をして……木村の葬儀が行われるのならば、その日程も確認せねばなるまい。


 そう思い、ポケットからスマートフォンを取り出した時……手に持っていたスマートフォンが、急に振動を始めたのである。


「うわっ!」


 驚き危うく落としそうになったスマートフォンを握り直し、バイブレーションよりも大きな音で鳴り響く心臓を鎮めつつ、画面へと視線を移す。着信、であるようだ。しかも、その相手は————


「……警察、か」


 先ほど登録したばかりの、真中からの着信であるようだ。これは好都合だ、相手が真中であると少し気は重いのだが、さっきの話に断りを入れるいい機会である。多量の苦言を呈されるだろうが、もう関係ない。


 しかし、この時間に連絡とは……例のポストカードの出所が分かった、という話かも知れない。まあ、その答えは何となく察しているものの、とりあえず応対するとしよう。


「もしもし」

「……なんだ、妙に暗いじゃないか。私からの着信は不満か?」


 やはり、真中であった。予想通り、僕との通話を非常に嫌がっている雰囲気で、早々に苛立つ雰囲気をこちらにも伝えてくる。


「そういう訳では……それで、何の御用ですか?」

「……要件は二つだ。一つ目。捜査協力する以上、明日こちらの署に来てもらう。そこで色々と聞いておきたいんだそうだ。言っておくが、それは私じゃないからな」

「あ、えっと……その件なんですけど」


 都合よく、向こうから捜査協力の話を切り出してくれた。この流れならば、協力を断りたい、という意思を伝えることも容易だろう。そう思ったのだが、真中は相変わらずこちらの話を聞く様子もなく、淡々と要件を述べていく。


「明日、午前九時に新宿署の付近にある『ムーンバックスカフェ』まで来い。無論、私服でな」

「あの、ですから!」


 真中の声を遮ろうとしても、話に間が一切なく止められる気配がない。こうなったら、力づくで止めるしかないか。


「二つ目。木村氏に関してだが、妙なことが判明した」

「だから聞いてもらって! ……妙?」

「……なんだ、聞きたいことでもあるのか?」

「え、えっと……」


 話を止めようとした矢先、妙なことが判明した、などという興味深いフレーズを聞いてしまった。こんな時に限り、真中は話を止めて僕の話を聞こうとしている。なんて間が悪いのだろう。


 しかし、妙なこと、と聞いてしまっては、さすがに聞き流すことなどできない。一度話を真中へ返し、それからこちらの要件を伝えよう。


「すみません、続けてください」

「チッ……木村の頭部には、あの気色の悪いポストカードと同じ咬傷が認められた。だが、出血の元はそこではなく、鼠径部そけいぶだったそうだ」

「鼠径部……? 鼠径部って、あの?」

「そこ以外に何がある」


 鼠径部とは、脚と体を繋ぐ部分を指す。いわゆる股間と呼ばれる部分とほぼ同じ、と考えていい。そんなところに傷があるとは、確かに妙な話ではある。


「はぁ……そして、学校の空き教室に小さめのバケツが置かれていて、その中に多量の血液が入っていたそうだ。当然、その血液は」

「……木村先生のものだった、と」

「そうだ」


 異常どころの騒ぎではない。バケツ一杯になるほど、ということは恐らく人体に流れる血液量のほとんどが、その器に詰まっていた、ということになる。


 自殺をする直前の人間による行動ではない。木村は、明らかに誰かにより殺されたのだ。


「それで……例のポストカードについては?」

「ああ、もちろん西蓮寺の作品だったようだな。題名は、確か……『エンプーサ』、だったか」

「『エンプーサ』……」


 エンプーサとは、男を喰ったり血を啜ったりするギリシャ神話の化物、だったはずだ。やはり木村の事件も他の二件と同様に、西蓮寺の作品を題材としたモチーフ殺人である可能性が高い。


 そう考えると、やはり箱崎たちに僕の推理を話しておく必要性があるだろう。つい先ほど、西野には捜査協力をしない、と約束してしまったばかりではある。だが、あくまでもこれは僕の推理を彼らに披露するだけの話だ。捜査に協力する訳ではない。


「分かりました、貴重な情報をありがとうございます」

「……明日の午前九時。忘れるなよ」


 それだけ告げると、真中は一方的に電話を切ったようで、僕の耳にはビジートーンのみが響く。


 仕方がない。そうだ、これは仕方のないことなのだ。僕はそう心に言い聞かせ、スマートフォンを再びポケットへとしまい込んだ。捜査協力ではなく、ただの情報提供。恐ろしい事件、奇妙な写真、そして『赤い部屋』……それら全てに関する私見を、ただ僕の能力を使って述べるだけである。


 『赤い部屋』……?


「そういえば……」


 ふと僕はそのフレーズを思い出し、おもむろに机へと向かう。すっかり忘れていたが、『赤い部屋』とは何のことだろうか。少し調べてみることにしよう。

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