嫌な静寂が部屋中を包み込み、僕の鼓動がやたらと大きく耳に響く。それだけ、出水の口にした話が受け入れられなかったのだ。僕は少しだけ狼狽えながらも、呆れた口調で返す。
「バカなこと言うなよ。アイツが『新人類計画』に関わってたなんて、そんなこと有り得ない。嘘に決まってる」
「嘘じゃない、です。私だけじゃなくて、美琉加も知ってること、だから。あとで美琉加にも聞いてみれば、はっきりする。逆に、どうして先輩、知らないんですか? あんなに仲良かったのに」
「それ、は……」
はっきりと言い返され、閉口する。出水に反論されたという衝撃もあるが、それ以上に僕自身の不甲斐なさが露呈してしまったためだ。
実のところ、僕は金子 誠司という男のことを何も知らない。いや、知ろうとしなかった、というのが適切だろう。僕の能力を使って動画を制作し収益を得ようと画策しながらも、僕を一人の人間として扱ってくれる大事な友人。そうとしか理解していなかった。
存在を肯定してくれた嬉しさから、彼に対する興味よりも自分自身を知ってもらおうと精一杯だった。それと同時に、親しくなり過ぎないことにも警戒していた。西野と同じように、僕のせいで誰かが傷つくことだけは避けたかったのだ。
その結果が、この様だ。よりによって後輩の出水から親友の秘密を聞かされることになろうとは……僕という人間は、何と滑稽で愚かなのだろう。
しかし、まさか金子まで『新人類計画』に関わっていたとは思わなかった。金子からそういう雰囲気は微塵も感じ取れなかったし、そもそも彼に特殊な能力が備わっていたという話も聞いたことが無い。どういう経緯で、出水は金子からその話を聞いたのだろうか。
「その話は、本人から……?」
「はい。金子先輩、入学式のあと、突然声をかけてきたんです。変な人だな、って思ったけど、実験の話をされて。無視できなくて、そのまま……」
「なるほどな。特殊な能力を持っていると知っていた金子は、強引にお前をスカウトした……ってとこか?」
「ち、違います! もちろん勧誘はされた、けど……そこで水島先輩の話を聞いて、それでこの活動に参加した、です。美琉加は違うみたいだけど、私は先輩がいたから、一緒に活動しようって思った、です。脅されて無理やり入らされたんじゃなくて、自分で決めたんです」
「……」
なぜ僕がいたから参加しようと思ったのかは不明だが……いずれにせよ、金子が『新人類計画』の被験者を集めていた、という話は事実であるようだ。高城については、入学以前から活動をしていたらしいので、金子からの勧誘はまさに渡りに船だったのだろう。今さら彼女に聞く必要もあるまい。
問題は、どこで金子が『新人類計画』のことを知ったのか、だ。つい先日まで、記憶を失っていたとはいえ当事者である僕すらも忘れていた実験のことを、金子が知っているとは思い難い。
まあ、どうせ午後には金子と直接会う予定である。そこで確認すればいいだけの話だ。それに、金子が『新人類計画』のことを知っていたとしても、僕の大事な友人であることには変わりない。こんなことで、彼に対する信頼が薄れることは有り得ない。
それにしても、よくもまあ、こんな朝っぱらから次々と知らない情報が舞い込んでくるものだ。昨日も酷かったがこの調子では、今日は昨日のそれを優に超えてきそうである。
「はぁ……ホント、先が思いやられるよ。ま、何も知らなかった僕が悪いんだけどさ」
「あの、いえ……先輩は、別に悪くない、です。それより、ご飯食べよう? 先輩、きっとお腹空いてる。食べたら、少しは落ち着く、かも」
「飯、か。確かにな」
出水の言う通りで、僕は昨日、朝にカロリーブロックと昼にカフェで軽食を摂った以外、何も口にしていない。水分摂取すらもまともに出来ていなかったため、気付けば喉もカラカラであった。
まともな精神状態を維持するために必要なのは、第一に食事である。疲弊し切った脳にエネルギーを補給してやらねば、休息も意味をなさない。
「じゃあ、支度して食べに行くか。って言っても、まだ時間は九時半か……店はやってないだろうな。仕方ない、コンビニとかで何か買ってくるよ。何がいい?」
「え? あ、あの……作ります。私が」
「へ?」
思いがけない返答を受け、僕は咄嗟に聞き返す。
「えっと、出水が作るのか?」
「うん。夜とか一人のこと多くて、よく自分で作って食べる、ので。食材次第だけど」
「へぇー……」
正直なところ、とても意外だった。お世辞にも家庭的とは言えない彼女の口から、料理を作る、という言葉が飛び出したのだ。最近聞いた情報の中では、ある意味これが最も驚いた情報とも言えよう。
「一応言っておくけど、カップ麺にお湯を注ぐことは料理とは言わないからな?」
「むぅ。食べたくないなら、別にいい。機材の油でも舐めてれば?」
「ごめんごめん、冗談だよ! 作ってくれるなら、ありがたく頂くよ」
「もう。先輩、冗談がヘタ」
子どものように頬を膨らませ、出水はジロリと僕を睨む。学校では一度も見せなかった表情に少しだけ頬を緩めながらも、立ち上がって彼女の部屋から外を見下ろしつつ、話題を逸らす。
「でも、偉いよな。僕も基本的に夕食は一人だったけど、作ろうなんて思わなかったし。まぁキッチンが占領されてた、ってのもあるけどさ。どうしたって両親と顔を合わせるだろ? だからどうしても、な」
「え、えっと。それじゃあ、食事はどうしてたんですか?」
「適当にカロリーブロックで済ませたりとか、外で食べたりとか。食べないこともザラにあったかな。朝は基本食べないから、一日一食ってのが結構あった気がするよ」
「ええ……?」
中学までは両親の言いなりだったため、食事も母親の作った完璧な栄養バランスのものを食べさせられていた。だが高校生になってからは、ほぼ毎日そういう生活だった。僕としては気楽で良かったものの、他人の目から見ると酷いものであったらしい。睨んでいたはずの出水は、一転して憐れむような視線を僕に向けて声のトーンを落とす。
「それじゃあ、なるべく栄養のあるもの、作ります。先輩、とっても可哀そう」
「自分で選んだ道だからな。これくらいは別に、どうってことは無いよ。でもまぁ、ありがとうな。でも、無理だけはするなよ? 出水も、昨日の疲れが取れてないんだろうし、指を切ったりしたら大変だからな」
「大丈夫、です。切ったことないし、血だったら食べちゃえば栄養になる」
「おいやめろ」
「冗談、です」
「お前……僕より冗談がヘタなんじゃないか?」
「ふふ」
僕の引き攣った顔を見て、出水は何故か微笑みながら立ち上がり、部屋を後にしていった。イジリとしてはとても悪質、というより悪趣味な発言だ。こういう面も、高城や西野あたりから学んで欲しいものである。まぁ冗談が一切通じなかった頃よりはマシ、と考えておこう。こうして少しずつ成長してくれれば、先輩の僕としても嬉しい。
だが、自分の部屋に僕を置き去りにしたという点はいただけない。僕に下心があったならば、部屋の物色を始めていたことだろう。この不用心さは相変わらずらしい。
「まったく、褒めて良いんだか、叱った方が良いんだか」
小さく溜息を吐きつつ、再び窓の外へと視線を移す。梅雨を目前とした強い陽ざしが照り付け、朝だというのにとても暑そうだ。学校へ向かう頃には、恐らく気温も三十度近くに到達していることだろう。
「はぁ、気が滅入るな。……ん?」
青空から路地へと目を向けた時、ふと一つの影が目に留まった。暑さと時間帯の影響で、通行人が誰一人としていなかったため、その人物は存在感を放っていたのである。
しかし、その影が僕の目に留まったのは、単に人がいなかったからではない。
「あの人、様子がおかしい……!」
すでに外気は二十度を超えているというのに、ロングコートを羽織っていたのだ。その上フードまで被っており、完全に不審者の装いである。この時点で通報されても、文句は言えないレベルで異常だった。
それだけではない。あの影は、恐らくこの家の方をじっと見つめている。顔が見えないため、実際にどこを見ているのか定かではない。だが、フードの形状や角度からして、この家を見ていることは間違いなかった。
「っ!」
咄嗟に窓から離れ壁を背中にし、呼吸を整える。一気に汗も吹き出し、首筋にまで伝っていく。虫の這うようなむず痒さに耐えかね軽く汗を拭いつつ、目を瞑り天井を仰いで自らに言い聞かせる。
「落ち着け、落ち着け……」
そうだ、まずは落ち着くことが先決だ。この暑い日に、あのような出で立ちの人間がいるとは思えない。黒いゴミ袋か何かの塊を、『パレイドリア現象』により人間と見間違えてしまったのであれば納得できる。
恐らく、過去に部室をじっと眺める西蓮寺の姿を見た記憶があるからこそ、こうした錯覚を引き起こしてしまったのだろう。あの時は完全に気が動転してしまったが、今回は落ち着いて、しっかりと正体を見定めよう。本当に不審者ならば、即刻通報すれば良いだけの話なのだ。
しかし、もしあの人間が一連の事件の犯人だとすれば。『新人類計画』に関係する人物を殺害している凶悪な殺人鬼だとすれば、話は大きく変わってくる。
「僕を狙ってるのかも……」
そう、『新人類計画』の首謀者である水島 龍太郎の息子で、被験者の一人でもある僕が狙われていても不思議ではない。事実、『新人類計画』に関係していた真中 善久の娘である優佳が、無残にも殺害されているのだ。そうなれば当然、僕も標的の一人となり得る。
偶然にも家にいなかった僕を、犯人は血眼になって探していたのだとすれば……。
「ここで見つかったら、殺される……!」
飛び出そうになる心臓をどうにか押さえ込み、今度は壁に体をピッタリ付けつつ、ゆっくりと窓の外を見下ろす。全神経を視覚へと集中させ、先ほど不審者がいた場所へと視線を向けた。
すると————
「あ、あれ? いない……」
先ほど目にした影は、雲の如く消え去っていた。それも、少なくともこの部屋から見える範囲から、完全に姿を消したようである。僕が隠れるまで動く気配は無かったというのに、まるで僕の動きを察したかのようで、とても薄気味悪い。
「はぁ……何だったんだ、一体……」
とりあえず、命の危機を脱した僕は大きく安堵し、力なく床に座り込む。そういえば昨夜、出水の父親は「変な人がこの家を見ていた」と言っていたし、あれはその不審者だった可能性が高い。それはそれで危険なのだが、僕一人が狙われている訳では無いのだ。精神的な負担は大きく違う。
とはいえ、午後になるまでこの家でじっとしていた方が無難だろう。いろいろと情報も整理しておきたいし、休んでおくいい機会だ。
まだ滴り続ける汗を強引に拭い取り、一階のキッチンへと向かう。出水に不安を与えないよう、平静を装いながら。
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