あの不審な影が姿を消してから、およそ三時間後。僕と出水は学校に向かうため、電車に揺られていた。
「……」
「……」
時刻は十二時前後ということもあり、車内には空席が目立っている。とはいえ、僕と出水は雑談が出来るほどの精神状態では無かった。それというのも、僕は朝食の後、出水に今回の事件の経緯についてすべて打ち明けたからだ。無論、僕の両親が殺害されたことについても、である。
被害者となった大島、真中、木村、そして水島 龍太郎と東子夫妻。彼らに共通する点と、今後起こり得るであろう事態について、淡々と出水へ語った。自分でも驚くくらい、よく情報の整理できた話だったと思う。
当初こそ、彼女はいつもと変わらない、何を考えているのか分からない表情を浮かべていたが、話が進むにつれて彼女の顔色はみるみるうちに変化していった。話し終えるころには、一段と暗い面持ちで出水は項垂れてしまった。
もちろん、僕に分かる範疇での情報である。真実が僕の知るものであるかどうかは不明だ。しかし、少なくとも僕の置かれた状況というものは変わらない。恐らく、非常に危険な立場に置かれているということは確かなのだ。
木村と両親は例の研究に関与していたために殺された。大島は研究自体に参画していなかったと思うが、きっと彼らを取材していたのだろう。そう考えれば、あの写真に写っていたことと、今回の事件に巻き込まれた理由が分かる。
真中については、彼女の父親である善久が『新人類計画』の研究者だったと判明している。かなり不条理であるが、その娘が被害に遭ってもそこまで不思議ではない。加えて、真中 優佳は警視庁公安部と関係のあった人物だと聞いている。連続殺人事件を企てた犯人たちにとって、彼女ほど厄介な存在はいない。
どうして現役の警察官である真中 弘佳の方をターゲットとしなかったのかは不明だが、いずれにせよ彼女が殺害されるに足る人物であることは確実である。
そう考えれば、水島 龍太郎の息子であり箱崎たちに情報提供までしてしまった僕も、犯人たちにとっては不都合だ。早急に始末したいと考えて然るべきだろう。高城が刺されてしまったのも、僕に対する警告だった可能性もある。
「はぁ……」
JR中野駅からJR新宿駅までは、ほんの数分だ。だが、その僅かな時すらも長く感じるほど、重い空気が僕の肩へと圧し掛かる。気を紛らわす意味も含め、俯いたままの出水へ提案する。
「暑そうだし、御苑から歩いた方が良いかも知れないな。そろそろ昼だし、行きつけの店もあるルートでも全然良いけど、どうする?」
「大丈夫、です。早く部室に着いた方が、安心できる、かも。それに、今は食事なんて……」
「そう、だよな……ごめん」
「いえ……」
そう生返事しつつ、出水はまた俯いた。やはり、まだまだ現実を受け止められそうにないらしい。斯く言う僕も、提案しておきながら全く空腹を感じていないし、この雰囲気のまま『ボム』に行っても迷惑だろうと思っていた。このまま学校に向かった方が賢明だろう。
JR新宿駅に着き、志摩丹を通り過ぎても会話は一切なく、そのせいか予定よりも相当早くに学校の正門へと辿り着いてしまった。休校期間であり部活も自粛、それに守衛の姿も見えない。都会の中心にありながらも、喧騒さとは無縁な世界が広がっていた。
学校のシンボルである桜の木に止まった蝉の声を背中で聞きつつ、部室棟へ向かう。横目で木村の事件現場を見たが、もう警察による検証は終わったらしく、木村の遺体があった場所には何も残っていない。端の方に小さな花が手向けられているだけで、まるで何事も無かったかのようであった。
「不思議だよな。あんな事件があったのに、跡形もないんだもんな」
「出血とか、そういうの無かった、から。言い方は悪いけど、片付けやすかったのかも」
「確かにな。でも、いくら西蓮寺先生の絵をモチーフにするって言ったって、もっと他にあっただろうに。なんでわざわざ、血を全部抜く、なんて面倒なやり方したんだろう。大島や真中の事件もそうだったし、意味が分からないよ」
「うーん、強い怨恨……とか?」
「そういう感じじゃないんだよな。なんていうのかな……どっちかって言うと、殺しが目的っていうより、殺し方に意味がある気がするんだよ。まぁ、箱崎さんも気付いてるだろうけどさ」
もし『新人類計画』に関係する人物に対し強い恨みがあるならば、徹底的に痛めつける方法を取るだろう。しかし、両親の遺体はまだ見ていないが、大島、真中、木村のいずれも、遺体自体はかなり綺麗なものであった。怨恨が背景にあるとは思い難い。
かと言って、『新人類計画』に関わった人間を『西蓮寺の描く絵の通りに殺す』ことが目的、というのも意味が分からない。そのようなゲーム性をもった殺し方をするのはシリアルキラーだとか、異常な精神を持った人間でないと説明がつかない。
高城を刺した灰谷 澪と思われる女性が、そういう人間だったならば話は別だが……それこそ警察に一任した方が安全だ。箱崎たちの活躍に期待しよう。
ひんやりとした部室棟の空気を浴びつつ、振り返った僕は出水へ静かに告げる。
「とにかく、だ。今のところあの実験に関係したら危ない、ってことだけは確かなんだし、持ってる情報はできる限り共有しような。もちろん無理に、とは言わないけどな」
「うん。なるべく、話す。だから先輩、会長さんも呼んだんですか?」
「は? 何言ってんだ、西野なんか呼んでないぞ?」
「でも……あそこ。会長さん、いる」
「え————」
そう言うと、出水は唖然とする僕の背後を指さした。指し示した先へ視線を送ると、そこには確かに長い髪の女性が部室棟の廊下を一人で歩いている様子が映った。あの後ろ姿は、誰がどう見ても西野である。
「西野!?」
「えっ?」
驚きのあまり思わず大きな声を上げてしまった。その声に反応した西野は、怪訝な表情で振り返ると、僕たちの姿を見つけ僕に劣らない大声を上げつつ、足早に駆け寄ってきた。
「な、夏企! それに出水さんまで! どうしてここに!?」
「いや、どうしても何も……西野こそ、まだ休校中だし部活も自粛してるっていうのに、なんで学校に来てるんだよ。生徒会長だからって、さすがに働きすぎだろ」
「違うわよ。引継ぎの資料作成が終わってなくって、仕方なく来ただけ。本当なら今週には終わらせる予定だったのだけど、そういう状況じゃなかったから。それで? 夏企と出水さんは何しに来たのかしら。動画制作の依頼は取り下げたはずだけど?」
「あ、えっと……」
こういう事態を全く想定していなかったせいで、答えに窮してしまう。まさか事件の話をしに来たとは言えないし、かといって活動をしに来たと答えては本末転倒だ。木村の弔いに来た、というのも無理があろう。
西野の質問に答えあぐねていると、背後にいた出水がおずおずと西野の前へ進み、そして躊躇することなく言葉を口にした。
「あの、大事な話をしに来た、です。私たちの人生に関わる、とっても大事なことです」
「あなたたちの、人生……?」
「はい。誰もいないし、部室なら落ち着いて話せるから来た、です」
「大事な……ま、まさか!」
出水の真剣な眼差しを受け、西野は面を喰らったように数回ほど瞬きし、言葉を詰まらせながら彼女へと問いかける。
「あの……それはもしかして、その……ものすごく大事な話、よね?」
「そうです。だから、今回は許して欲しい、です」
「ええと……で、でも、高城さんが刺されたばかりだというのに、ちょっと不謹慎じゃないかしら。ちゃんと高城さんには相談したの?」
「いえ。今はこんなこと、話せる状態じゃない、から。でも、美琉加は私と同じだから、きっと分かってくれると思う、です。それに、会長さんも同じ、ですよね?」
「えっ!?」
出水に問いかけられ、西野は一歩後ずさりしながら唇を震わせ、視線を泳がせる。
「な、なんのことかしら? 私は、その……」
「金子先輩から聞きました。会長さんも同じなんだって。だから、隠さなくていいです。たくさん辛い思いをしたのは、良く分かりますから」
「つ、辛くなんか……私は、その……幼馴染で、姉みたいな存在ってだけで、別に……」
「? あの、よく聞こえない、です。はっきり言った方が、良いと思います。もう、隠せる状況じゃない、から」
「う、うう……」
よく分からないが、非常に珍しいことにあの西野が押されている。それも弁の立たない出水を相手に、顔を真っ赤にして口籠っている。それだけ、『新人類計画』に関わっていたという事実を隠し通したかったのだろう。
もしかすると、西野にも特殊な能力があるのかも知れない。そしてそれを僕のように試験などで活用していたとすれば、彼女の反応にも理解が出来る。真面目な西野なのだ、人知を超えた能力を駆使して好成績を修めてきたなどと、バレたくは無かったのだろう。
助かった。このまま有耶無耶にしておけば、事件を追っていたことがバレずに済みそうだ。一時はどうなるかと思ったが、出水の機転に感謝しなければなるまい。
だが、ほっと一息ついたのも束の間のことであった。業を煮やしたのか、出水は僕の方へと振り向き、突拍子もない提案をし出した。
「そうだ、先輩。せっかくだから、会長さんも部室に来てもらったらどう、ですか?」
「は?」
「ええっ!?」
僕の思惑とは真逆の提案をする出水に、言葉を失いかける。西野の方も混乱した様子で大きく首を横に振り、声を上擦らせる。
「な、何を言ってるの! そんなのダメに決まってるじゃない!」
「そ、そうだよ出水。嫌がってるんだし、無理強いするのは良くないだろ」
「でも……先輩の話どおりなら、会長さんもいた方がいい、ですよね?」
「え? ……ああ、そうか。確かにそうだな」
「ちょ、ちょっと夏企!?」
出水の言う通り、高城が襲われたのは僕と親しかったことが原因だとすれば、西野もその条件に合致する。それどころか、昔のこととはいえ家族ぐるみの付き合いがあったくらいなのだ。真中と同じく、西野も候補に挙がってきても不思議ではない。
こうなった以上、叱られることを気にしている場合ではない。お互いのためにも、腹を割って話すべきだろう。西野には今まで散々守ってもらってきたのだから、今回は僕が守る番だ。
「西野。悪いけど、資料作りはまた別の日にしてもらっていいかな。重要な話だから、なるべく早く聞いて欲しいんだ。西野にも、金子にも」
「そ、そんな……え? 金子くん、も?」
「ああ。この後、金子も部室で合流する予定なんだ。そこで、今回の事件に関する話をしようと思ってるんだけど」
「事件……あ、ああ、そういうことだったのね。はぁ、もうビックリしちゃった。てっきり、その……」
「てっきりって?」
「何でもないわよ! もう……」
大きく、何故か安堵したように溜息を吐いた西野は、表情を一変させて僕をまっすぐに見つめる。しかし、これは睨んでいるのではなく、心配している時の目つきだ。
「それで? この私に叱られることを承知で話すのだから、それほど重要な内容だと思っていいのね?」
「ああ。少し長くなるし、きっと西野にとっては気分の悪い話だと思うけど……聞いてくれるか?」
「そうね。でも、内容次第では叱るかもしれないけれど、あなたがそれで良ければ」
「もちろんだ。じゃあ、早く部室へ行こうか」
叱られるという怖さよりも心強さを得た僕は、今までになくしっかりとした足取りで二人を引き連れ、部室へと向かった。
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