午後四時、新宿警察署――――
「また会うことになるとはね。しかしキミたちも災難だな、こうも立て続けに死体を見る人間なんて、そういないと思うよ」
「そう、でしょうね……」
少し暗い雰囲気の小さな部屋の中、机を挟んで僕の真向かいに座る警察官……つい先日、学校に来た箱崎という男は、そんなつまらない冗談を口にした。
意識を取り戻した僕を待ち構えていたのは、警察による聴取であった。聴取と言っても、僕が今回の事件に関与していないことは明白であるし、恐らく状況の整理のために呼ばれた、というだけの話である。あの状況で僕を容疑者扱いする人間がいるとすれば、それは恐らく僕に私怨のある人物以外にいないだろう。
とはいえ、こうして警察官と相対すると非常に落ち着かないものだ。一度会っている人間ではあるが、教師などと同じく親しい間柄となりにくい職種なのだから。
……しかし、教師、か。今でもまだ実感が湧かない。あのいつも朗らかだった木村が、校舎の屋上から飛び降り自殺を図る、だなんて。それも、僕たちの目の前で。未だ、醒めない夢の世界に閉じ込められている気分だ。
悲しいだとか、そうした感情よりも疑問しか浮かばない。幾ら考えても、ただでさえ定年を目前とした彼が、あえてこの時期に命を絶つ理由が存在しないのである。
それに、僕はつい昨日、木村と直接会話をしている。その時は少し忙しいと話していたが、それ以外について、彼はいつも通りであったはずだ……もしかして、僕たちには見せていない、何か大きなもの……例えば、重病だとか、そういったものを抱えていたのだろうか。
「あの、えっと……箱崎さん?」
「おや、よく俺の名前を憶えてくれていたね。さすがは、あの有名な進学校の生徒だけある。それで? 何か聞きたいことでも?」
ああ、そうか。この人は僕が『サヴァン症候群』であることを知らないのか。まあ、別に話しておくようなことでは無いし、今はまず木村の状況について知りたい。
「木村先生とは、その……昨日会ったばかりなんです。その時は、飛び降り自殺をする、なんて雰囲気は全然なくて……だから、ええと……」
「ああ、そういうことか。聞き込みは始まったばかりだし、それはまだ何とも言えないね。ただ……一つだけ言っておくけど、事件の情報を聞くのは止めなさい。誰のためにもならないし、法律上の問題もある。そこはもう、分別がついても良い年齢だと思うけど」
「す、すみません……」
まったくもって箱崎の言う通りであり、返す言葉もない。事件に巻き込まれたせいで、どこか僕自身も捜査をしなければ、という気分になっていたようだ。
未成年であるため実名報道はされないが、罪に問われる年齢である。その部分を、僕はもっとよく理解しておかねば。
「さて、それを踏まえてだけど……これは他の皆にも聞いたことだから、一応確認しておくね。キミたちが学校に登校していたのは、動画撮影のため、で良いのかな?」
「そう、です。MeeTubeにアップする動画撮影で、午前中……えっと、九時すぎくらい、だったかな」
「昨日、キミが先生に会ったというのも、同じような理由かな?」
「えっと……はい。その時はまだ、元気でした、から……」
元気どころか、家庭内の話や研究の話までするほどに、時間を持て余していたのである。やはり、彼が死を選ぶとは到底思えない。
「そうか、なるほどね……それで?」
「それ、で……」
それで、と問われても、それ以上話しておくことは特にない。ただ脚本づくりのために一時間ほど話し合って、正午前には機材の組み立てを開始しただけである。その辺りの情報など、すでに四人から聴取しているだろうし、今さら語る意味も無いだろう。昨日のことについては、なおさら話す価値などない。
「それだけ、ですね。後から合流した西野と高城の三人で、部室棟の前で喋っていただけ、です」
「うんうん、他の子と間違いなさそうだね。それで三人とも同じ場所から、先生の落ちる瞬間を見た、ということかな?」
そう、その話に間違いはない。澄み渡った青空の下、顔面蒼白の木村は風に煽られるような形で、ごく自然に前方へと倒れていき、そして……落ちて……。
「うっ……」
その瞬間を思い出し、嫌なものが喉まで込み上がってくる感覚に襲われる。土煙を上げて落下した木村は、微塵も動かなくなった。あれが死の瞬間なのだと理解すると同時に、猛烈な嫌悪感に全身が支配されてゆく。
「大丈夫かい?」
「だ、大丈夫、です……ゲホッ」
結局、今日は昼食を摂らないままであったため、込み上げてくるとしても胃液くらいである。結果的にそれは幸いだった、と言えるだろう。何か食べていたら、今頃は嘔吐していたに違いない。それくらい、気持ちの悪い何かが込み上げてきているのだ。
それと、運が良かったのは遺体の状況だ。つい先日、志摩丹で見た切断遺体とは大きく異なり、出血する様子もなく青白い顔色の木村が地面に寝そべっていただけ、なのである。血を見慣れていない僕にとって、全ての血液を抜き取られたように真っ青な表情であった方が、少しはマシ、というものだ。
まてよ、血液……?
「あれ……?」
そこまで想起したところで、一つ大きな違和感を覚える。木村が転落する直前、彼の顔を偶然カメラで撮影した際……その時点で彼は、白磁かと錯覚するほど血の気の失せた顔色をしていたのだ。
無論、相当に絶望するような出来事が直前にあれば、顔も白くなるだろう。だが、あの時の表情はそんな生易しいものではなかった。吸血鬼にでも襲われたかのように、血の気配を感じなかったのである。
そして、また一つ思い出したことがあった。僕は意図せず、木村の転落するまでの一部始終を、映像に収めていたのである。
「あ、あのっ箱崎さん! 僕……先生が自殺する瞬間を、カメラで撮っていました」
「なんだって?」
先ほどまで生暖かく僕を見つめていた箱崎は、その言葉を受け険しい表情へと一変させる。その変わり様に戸惑いつつも、僕はさらに話を続ける。
「そうです、カメリハ……えっと、撮影のリハーサルをしようと思って、それで……偶然ですけど、先生が屋上にいるのに気付いて、思わず録画してしまったんです」
「それはすごい! 大手柄じゃないか! それで、その映像は、どこに?」
「えっと……」
思い返してみても、偶然、ズームボタンと間違えて録画ボタンを押してしまってから、録画を停止させたという記憶はない。それならば、あのカメラを片付けた人間が知っているだろう。
「録画停止までしていなかったので、そのあとどうなったかまでは分かりません……えっと、気を失ってしまったので。なので、カメラを撤収した人なら知っている、かも知れません」
「なるほど、そうか……しかしそれは、有力な手がかりだ。どうもありがとう」
そう言うと、箱崎は手元にあるメモ用紙に荒っぽく書き殴った後、静かに溜息を吐く。有益な情報を得たというのに、それが却って頭痛のタネとなったかのような態度であり、それが僕の目には少し奇妙に映った。
そんな僕の視線にも気付かず、箱崎はチラ、と時計を一瞥し軽く頬を掻いた。
「はあーあ、まったく、もうこんな時間か。申し訳ないけど、これからキミたちのカメラを拝借しようと思うんだけど、いいかな? ああ、データだけ抜いたら返すつもりだから、安心して」
「えっと……それは今から、ですか?」
「そりゃね。だから、申し訳ないけど一緒に学校まで向かってくれないかな。さすがに勝手に校内に入って、キミたちのものを借りる訳にはいかないし。どうだい?」
どう、と言われても……ここで断ることなど出来るはずが無い。僕としても撮影機材を放っておいたままであったし、あの後部室がきちんと元通りになっているかどうか、確認しなければ、と思っていたところでもある。渡りに船、と思うようにしよう。
「分かりました。カメラを取りに行くだけなら、僕だけでも大丈夫ですよね?」
「いいや、さすがにそれは無理だな。申し訳ないけど、僕の後輩と一緒に向かってもらうよ。さて、と」
箱崎は素早く椅子から立ち上がり、ドアノブへと手を掛ける。そして、扉が開くのと同時に廊下にいた人物へと話しかけ始めた。どうやらその人物は、僕たちの会話を壁の外側で聞いていたようである。
「ということで、至急、彼と一緒に西光学園へ向かってくれ。……そんな嫌そうな顔をするなよ。くれぐれも、問題は起こさないように。いいね?」
「……了解しました」
どこか不満そうな声色ではありながらも、廊下の人物は素直に彼の命令に応じたようだ。その代わりに、その会話がすべて聞こえていた僕には強い不安がよぎる。問題行動を起こすような人物と、これから行動を共にするのかと思うと、ぞっとしてしまう。
そして、箱崎に手招きされ、その人物は室内へと足を踏み入れた。
そこで僕は、箱崎の提案を易々と受け入れるべきでは無かった、と強く後悔させられることとなった。何故ならば、姿を現したその人物には、非常に不愉快な印象を抱いていたからである。
栗色の髪、プライドの強そうな目鼻立ち……そう、志摩丹での事件で妹を喪ったという、真中 弘佳であった。
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