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小欅 サムエ
小欅 サムエ

4-9

公開日時: 2021年5月23日(日) 18:54
文字数:5,229

 かなり暗くなってしまった廊下を進み、謎の機材だらけの部屋へと入る。本来ならば、箱崎はこざきとの電話の中身は内密にしたいところであったが、事情が事情なだけに出水でみずも付いてきてしまった。

 

 ただ、ここで出水を無関係だと言って突き放してしまうのは、どうにも気が引ける。部屋を貸してもらっている立場であるし、それに加えてこの黒いカードを拾った場面は、彼女にしか再現できないのだ。箱崎から質問されても、僕一人では正確に答えられないこともあろう。

 

 余計なことさえ喋らなければ、それでいい。彼女を守るためには、もうこれしか方法は無いのだ。

 

「いいか、出水。聞かれたことにだけ、答えるんだ。そうすれば、きっと箱崎さんたちも深く追及してこないと思うから」

「……」

 

 黙ったまま頷く出水を横目に、枕元へ置いてあったスマートフォンを手に取った。そして、微塵も躊躇ためらうことなく箱崎へと電話を掛ける。

 

 しかし————

 

『おかけになった電話は、現在電波の届かないところにあるか、電源が入っておりません』

「あ、あれ?」

 

 意気込んでいた僕をあざ笑うかのような機械音声が耳に届き、思わずスマートフォンの画面を何度も確かめる。番号を間違えて登録している訳では無いので、どうやら箱崎はスマートフォンの電源を切ってしまっているようだ。

 

 電話に出ないだけならばともかく、電源すらも切っているということは、何か重要な会議に出席しているか、もしくはスマートフォンが使えない状況にあると考えるべきだろう。さすがに、この展開は想像できなかった。

 

「はぁ……」

 

 一気に緊張の糸が解け、大きく溜息を吐いて床に腰を下ろす。そんな僕の様子に目を丸くした出水は、言葉を選びながら質問を投げかける。

 

「あの……どうしたんですか? 何かおかしなことが?」

「いや、電話が繋がらなかっただけだよ。ただ、なんていうか……気が抜けちゃってさ。何度か会話したことがあっても、やっぱり相手は警察だしな。緊張するんだよ」

「そ、そうなんですか……」

「ああ。でも、どうしようかな。本当ならすぐに話さなきゃいけないんだろうけど……出ないんじゃ、しょうがないよな。明日また掛け直してみるか」

「……」

 

 わざわざこの件だけのために、今から新宿警察署に向かうのは面倒だ。体はもう動きたくないと叫び続けているし、一日働き詰めだった脳もそろそろ限界だ。今日のところはしっかり休んで、明日に備えた方が理に適っているだろう。

 

 後のために、今夜はなるべく静かに過ごそう。出水の両親にひとこと挨拶しておきたかったが、別に今生の別れとなる訳でもないのだ。現状が落ち着き次第、改めてお礼に伺うこととしよう。

 

「悪いな、出水。いろいろと不安にさせちゃって。明日でもいいから、都合のいい時間を教えてくれ」

「あ、は、はい。でも、その……本当に、なんでもないんですか? さっきの電話、ちょっと不思議な感じがして」

「不思議な感じ? 箱崎さんが電話に出ないことが、か?」

「あの……は、はい」

 

 そう言うと、少し口籠り目を泳がせつつ出水は小さく告げる。

 

「その、警察の人って、普通は携帯電話を切らない、と思うので」

「え? 切らない?」

「えっと……事件とか、急な連絡が多いのに、切ってたら意味ないです、から」

「あ————」

 

 確かに、出水の言う通りだ。箱崎くらい忙しい身の人間が、携帯電話の電源を切っているとは思い難い。それこそ警視総監だとか、そういう高位の人間との会議でない限り、電話に出たところで粗相と捉えられることはまず有り得ないのだ。

 

 そうなると、箱崎は今そのレベルの人物と話し合っているか、もしくは僕からの電話に出る価値はない、という意思を暗に示しているのか……そのどちらかなのであろう。つまり、折り返しの電話があれば前者、なければ後者であると結論付けて良い。

 

 これは、思ったよりも大きな意味を持つ電話となってしまったようだ。もともと彼らは僕を信用していなかったとは思うものの、これで折り返しの連絡が無ければ確信できてしまう。これでは捜査協力も何も、あったものではない。

 

「藪蛇だった、かな……」

「え?」

「いや、なんでもない。とりあえず、今日はもう何もしないで寝ることにするよ。これは預かっといていいか?」

 

 黒いカードを差し出す僕へ、出水は少し躊躇いがちに唇を開く。

 

「あ、はい。私には、別に必要のないもの、なので。でも、良いんですか?」

「ん? 何が?」

木村きむら先生の、その……伝言。あれ、調べなくてもいい、ですか?」

「木村先生の……? ああ、あのカフェで聞いた話のことか」

「は、はい。何か意味があると思う、ですけど……」

 

 そうだ、奇妙な夢を見たせいですっかり忘れていた。代々木にあった小さなカフェ、『レストリア』とかいう店のマスターから、木村の伝言を預かっていたのだった。

 

 『本物の部屋の場所は、キミたちの動画のコメント欄にURLを載せておいたよ』……カフェのマスターは、確かにそう言った。この本物の部屋というのが何なのか不明であるし、また木村からの伝言ということもあり、決して看過できるようなものではない。

 

 ただ、動画のコメント欄に残っているのならば、今すぐ確認しなくとも良いだろう。コメントを投稿した木村はすでに死んでいるので、こちらが削除でもしない限り消えることは無いはずだ。

 

 懸念としては、午前中に届いたあのメール……あれがもし、木村の遺品を盗んだ犯人からのものであれば、動画のコメントが削除されてしまう可能性もある、という点だ。メールの文面からして、『新人類計画』や今回の事件に関与している人物からの送信であることは明らかなのだ。そんな人物ならば、動画のコメントという些末なものでも見逃すはずがない。

 

 さて、どうしたものか。ここ数日のドタバタのせいで、恐らく動画の管理者である金子かねこもロクにコメントを確認できていないだろうし、彼に連絡してその内容を転送して貰う方法が最も手っ取り早い。だがここまで来た以上、この目で確かめておきたいのも事実だ。

 

 せっかくだ。この際、出水の意見を聞いてみよう。一人で考えていても時間の無駄だ。

 

「出水、お前はどう思う?」

「え、私……ですか?」

「ああ。僕は正直、もう体が限界だからな。金子にそれとなく動画のコメントチェックを依頼すれば、それで済むような気がして。もちろん永遠に残るコメントとは限らないし、興味があるなら見ても良いとは思う。モヤモヤしたまま、ってのは気持ち悪いしな。もう疲れて判断つかないから、意見をくれると助かるんだけど」

「え、えっと……」

 

 僕の言葉に、出水は狼狽うろたえながら悩み始めた。ここに来て急に意見を求められ、相当に焦っているに違いない。

 

 実のところ、僕は木村のコメントを見たいと思っている。だが、そのまま僕の一存で行動を決定していては、いつまでも出水が成長できない。長い間、父親により抑圧されてきた彼女を自立させるためには、こうして経験させていくことが重要なのだ。

 

 言うまでもなく、これは本来両親が彼女に教えるべきことである。残念ながらそれが期待できない以上、僕たちが支えてやらねば。これも一種の親心、とも言えよう。

 

 そんな僕の心中を全く察していない出水は、しばらく困ったように俯いた後、ポツリと意見を口にする。

 

「……金子先輩に、連絡します」

「それでいいのか?」

「はい。その、今のまま何を見ても、私も先輩も、ただ辛いだけだと思う、ので。一番元気なの、金子先輩だけ、だから」

「ははは。アイツも塾とかで忙しいだろうから、それは絶対に言うなよ。気持ちは分かるけどな」

「い、言わない、です! そこまで頭悪くない、ですから!」

 

 そう言って、出水は頬を膨らませ、不機嫌そうにそっぽを向いた。彼女にしては珍しく感情を表に出した行動に、僕は思わず口元を緩める。家にいるという安心感もあったかとは思うが、自分の意思を伝えることが出来たからこそ、こうした感情表現が出来るようになったのだろう。これも一つの成長だ。

 

「はは……さて、じゃあ金子への連絡は任せたな。あと、僕がここにいることは言わなくていいよ」

「え、どうして、ですか?」

「え? いや、ほら……」

 

 咄嗟に反論しようと口を開いたものの、漏れ出そうになった言葉を喉の奥へと押し留める。

 

 よく考えれば、出水の家に僕が泊まったところで何か間違いが起きるとは思えない。それに高城たかしろも、僕が今日ここに泊まることを知っているし、むしろここで金子に隠し立てしておく方が、かえって危険か。

 

 まだ、僕の父親が殺されたという事実は誰にも告げていない。そんな中、心配した金子が僕の家へと向かってしまったら、自宅で起きた事件がバレてしまう。詳細まで知られる可能性は低いだろうが、面倒な事態へ発展することは目に見えている。

 

「……ごめん、伝えて大丈夫だ。むしろ、今日あったことを出来る限り詳しく説明してくれると助かる。出来るか?」

「う、うん。でも、分かんないことも多い、ので……」

「別に全部話せとは言わないよ。アイツも高城の件は知ってるし、そこはそんなに重要じゃないから。どっちかって言うと、動画のコメントを早く見つけて欲しいし。ああそうだ、ついでに魚拓ぎょたくとか取るように言っといてくれ」

 

 ここでいう魚拓とは、ウェブページをネット上に存在するアーカイブへ保存しておくことを指す。もしURLの記載があれば、スクリーンショットだけではリンク切れを起こしている可能性もある。後ほど全員で共有するためにも、これは欠かせない。

 

 この手の作業は金子にも出来るし、何よりこれくらいの労力は注いで欲しい。言っておくが、これは個人的な恨みから来るものではなく、単純に金子だけが置き去りにならないようするためだ。

 

「分かった。それじゃ、早速電話します。先輩は早く休んで」

「ああ、そうするよ。はぁ……でも、また変な夢でも見ないと良いけどな」

「空気が悪い、かも。ドア、ちょっと開けておきます」

「そうかもな。ありがとう」

「それじゃ————」

 

 そして出水がゆっくりと立ち上がった時、一階から玄関扉の開く音が聞こえてきた。それと共に、革靴を脱ぐ際のコツコツという軽妙な音色も耳に届く。どうやら、彼女の親が帰宅したようである。それも中年特有の、動作時に漏れ出てくる声を聞く限り、問題の父親が戻ってきたらしい。

 

 顔を廊下側に向けた出水は少しだけ表情を強張らせ、僕の方へと振り返り不安げに問いかける。

 

「あ、帰ってきた。先輩、どうしますか? 会いますか?」

「あー、そうだな……痛っ!」

 

 このタイミングで帰宅されてしまっては、会わない訳にもいかない。そう思い、軽く床に手をついた途端、周囲に積まれた機材で切ったのであろう左手が疼き始めた。止血は出来ているものの、まだ受傷したばかりなのだ。痛んで当然である。

 

「だ、大丈夫、ですか? 傷口、痛みます?」

「はぁ、まったく……こんな状態で挨拶なんて、逆に失礼だよな。悪い出水、明日ちゃんと頭が回るようになったら話に行くよ」

「うん、それがいい、です。気にしないで、ちゃんと寝てください」

「そうするよ。ごめんな」

「ううん。それじゃ、おやすみなさい」

 

 そう言い残し、出水はパタパタと慌ただしく廊下を抜け階段を駆け下り、父親の元へと向かっていった。残念なことに、少しだけ開ける、と言っていたはずの扉は全開にされたまま、である。

 

 まあ、父親が帰宅した時の出水の表情を見れば、余裕などなかったと理解できる。それだけ、彼女にとって父親の存在は今でも脅威だという証拠でもある。

 

「子は親を選べない、か……」

 

 ありふれた感想を抱きつつ、なるべく左手を使わぬよう扉へと向かい、静かに閉め始める。だが、半分ほど閉めたところで、ふと僕の耳に彼女たちの会話が響いてきた。出水の声は微かにしか聞こえないが、彼女の父親の声ははっきりと届く。何故か、少し興奮しているようだ。

 

「お、おかえり、なさい……」

「おお、帰ってたか! 美琉加みるかちゃんは無事だったか?」

「うん。すぐに退院できそう、だって」

「そうか、それは良かったなぁ……しっかし、通り魔だなんて最近は物騒だよな。さっきも変な人が家を見てたし、由惟ゆいも夜は一人で出歩くんじゃないぞ?」

「う、うん……」

 

 会話だけ聞けば、ごく一般的な親子の会話にも思える。だが、そうではない。この大声で話す男は、自分の娘を怪しげな研究に被験者として差し出し、汚い手を使ってその口まで封じてきた下種ゲスなのだ。そんな彼女と何気なく会話をすることすらも、断じて許されるべきではない。

 

 事実を知らなければ、こんな気持ちにならなかっただろう。沸き上がる負の感情を必死に押さえ、耳を塞いだまま布団に潜り込む。そして全てを忘れてしまえるよう、ギュッと強く目を瞑った。

 

 もちろん、こんなことで記憶は失えない。だが、一時のこの気持ちだけは忘れることが出来る。それだけでも、今の僕にとってはとても大事だった。

 

 この想いが実ったようで、時が過ぎてゆく中、僕の意識は次第に失われていった。

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