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小欅 サムエ
小欅 サムエ

5-11

公開日時: 2021年11月21日(日) 17:04
文字数:5,918

 午後六時。捜査中の警察官から家への立ち入り許可を得た僕は、西野にしのの到着を待っていた。全く気は進まないが、許可されなかったと嘘をいたところで、あの西野ならば家へ来ただろう。素直に話した方が、厄介なことにならずに済むのだ。

 

 西野の自宅からこの家までは、ゆっくり歩いても十分程度の距離だ。そのため、連絡を受けてから料理を温め直したとしても、少なくとも三十分以内には来ると考えて良い。

 

 だがその僅かな時間さえも、僕にとっては非常に憂鬱なものであった。

 

「気が重いな……」

 

 リビングダイニングに繋がる廊下は立ち入り禁止のテープが張られている上に、周辺住民が入れ代わり立ち代わり、家の付近で何やらヒソヒソ話をしているのだ。この異様としか思えない環境に西野を招くのだから、彼女も嫌な気分になるだろう。

 

 それに、僕はまだ彼女の両親から許されていない。衆人環視と言っても過言ではないこの家に西野が近寄ること自体、リスキーなのである。無論、状況が状況なだけに、彼女の両親も僕のことを不憫に思ってくれるかも知れないが、何かしらの問題を生む可能性は否定できない。

 

 西野には出来る限り速やかに家に入ってもらい、誰にも見つからないまま帰宅してもらうのが一番だ。もしくは、どこか別の場所で料理を受け取るのも良い。

 

 だが、ふと浮かんだ名案というのは、往々にして採用されないものである。

 

「そうだな……東北寺とうぼくじなら広いし、目立たないか。早速、西野にメッセージを————」

 

 ピーン、ポーン

 

「っ!」

 

 合流場所について検討するため、チャットアプリを起動しようとした矢先であった。家のインターフォンが不用心に鳴らされ、不気味なほど静かなこの家に響き渡ったのである。この状況でこの家を訪れる人間など、一人しかいない。

 

「まさか、もう来たのかよ?」

 

 西野の早い到着に驚きつつも、立ち上がろうとした僕の手に、スマートフォンからの小さな振動が伝わる。間の悪いことに、誰かからチャットにメッセージが届いたようだ。

 

「な、なんだよもう! こんな時に……あ」

 

 飛び出して来そうな心臓を抑えつつ、メッセージの送信元を確認すると、そこには『西野 心深ここみ』と表示されていた。どういう訳か、西野は家のインターフォンを鳴らした上に、メッセージまで送信してきたらしい。

 

 几帳面な西野のことだ、きっと家を出る前にメッセージを送信し、出迎えやすくしてくれたのだろう。ただ、電波状況が悪かったせいで、西野本人とメッセージの到着が同時になってしまい、結果として僕は余計に驚く羽目になってしまった。

 

「ま、文句言ってても仕方ないか」

 

 少なくとも西野はこの家に到着してしまっているのだ。誰かに見られてしまう前に、早く迎えに行ってやらねば。

 

 急ぎ玄関へ向かい、外を確認することなく鍵を開けて訪問者を出迎える。

 

「早かったな、西————」

 

 だが、玄関のドアを開けた先にいたのは、西野ではなかった。喪服を着た一人の男性だったのである。それも、家の前に仰々しい黒塗りの車まで着けられ、物々しい雰囲気がありありと伝わってくる。

 

「え……」

 

 その光景を見て唖然とする僕に、腰の低そうな、しかしどこか見覚えのある男性が優しく問いかけてきた。

 

「夜分遅くに申し訳ありません。水島みずしま 龍太郎りゅうたろう氏、東子はるこ氏が亡くなったと伺いまして、無礼を承知で急ぎ参りました」

「え、はぁ……」

「この度はご愁傷さまです。貴方は確か、ご子息の夏企なつきくん、かな?」

「はい、そうですけど」

 

 僕の返答を聞き、男は途端に悲しそうな表情となり、不意に僕の手を握ってきた。

 

「そうでしたか。大変なことになったけれど、どうか気を落とさないようにね。夏企くんの両親には色々とお世話になったので、本当に残念で仕方がありません。まさか、こんなことになるなんて……」

「は、はぁ……」

 

 そう言うと、彼はハンカチで涙を拭く素振りを見せた。その目は涙で滲んですらいなかったのだが、大人というのは、そういう生き物なのだろう。

 

 それはともかく、この男にはどうにも見覚えがある。両親の仕事関係の人間であり、本来ならば知っているはずがないのだが、何故か僕の脳が反応を示しているのだ。それも、かなり色濃く。

 

「あの、すみません」

「はい?」

 

 泣き真似を止めた男に、僕は率直な質問をぶつける。

 

「お名前、伺っていなかったんですけど。どちら様ですか?」

「あ、そうだったね、失礼。私は塩村しおむらといいます。ご両親と同じ、厚生労働省に勤務しているんですよ」

「塩村……ああ!」

 

 その名を聞き、完全に思い出した。彼は塩村しおむら 憲恭のりやす……厚生労働大臣補佐官であり、箱崎はこざきに渡した例の写真に写っていた人物である。つまり、『新人類計画』に関与していた一人なのだ。

 

 思わぬ大物の登場に、僕は身を凍らせる。しかし塩村は、僕がそのことに気付いたとも知らず、首を傾げながら懐に仕舞っていた封筒を取り出した。表面には、薄墨色で『目録』と表記されている。

 

「そうだ、これを」

「これは?」

「心ばかりではありますが、どうぞお納めください。ああ、厚生労働省としてではなく、個人としての気持ちです。本来ならば葬儀にも参列したかったのですが、仕事の都合もあって難しそうなのでね」

 

 そう言って、塩村は強引に封筒を押し付けてきた。彼の話ぶりからして、恐らく弔慰金ちょういきんであろう。また、この厚さと大きさからして、中身は小切手であろうと推測できる。それだけの金額を、彼は弔意として持参してきたのだった。

 

 しかし、まだ葬儀を執り行うかどうかも未定であるし、両親が本当に死んでいるのかどうかさえも不明なのだ。今これを渡されても、どうすることもできない。

 

「ちょっと待ってください。まだ僕の両親は死んだ訳ではありません。葬儀も未定ですし、これは受け取れません」

「は? いや、私はしっかりご両親の訃報を聞きましたよ。どうしてそんな嘘を……ああ、そういうことか。夏企くん、認めたくない気持ちは分かるけれど、いつかは受け入れないといけない日が来る。だから……」

「そうではなくて! 本当に死んだかどうか分かっていないんです。警察の人から聞いたので、間違いはありません。そもそも、塩村さんはどこで両親の死を知ったんです? いくら同じ仕事場の人間でも、さすがに情報が早すぎると思うんですが」

「……はぁ」

 

 僕の反論を受け、塩村は如実に不快な表情を見せる。そして軽く舌打ちすると、僕へ差し出していた弔慰金を懐に戻し、怒り交じりの言葉を投げかけてきた。

 

「キミ、随分と面倒な子に育ったじゃないか。そういうところは、本当に父親そっくりだね。似すぎていて反吐へどが出るよ」

「え?」

「今日のところは帰るとするよ。でもね、金を受け取らなかったこと、いずれ後悔する時が来るよ。じゃあね」

 

 塩村はそう吐き捨てるように言い、驚く僕に構うことなく背を向け、車へと戻って行った。そして、玄関先まで追いかけた僕を威嚇するように大きく空ぶかしをした後、塩村を乗せた車は闇の中へと消え去った。

 

 あまりにも唐突な出会いと別れに、僕はただ呆然と佇むしかなかった。塩村という大物の登場は勿論のこと、彼の言い残した言葉の意味が理解できず、脳が思考を停止してしまっていた。

 

 訳が分からない。あれだけ毛嫌いしている雰囲気なのに、高額の弔慰金を持ってくる意味とは何だ。それにこの僕が、あの父親とそっくりだと? たくさんの子どもの人生を破壊し、僕自身の性格をも破綻させた張本人が?

 

 有り得ない。信じられない。認めたくない。

 

「う……」

 

 激しい負の感情の波に、思わず吐き気を催しその場にうずくまる。幸いにも黒塗り車が停車していたことで、野次馬は解散しているようだが、それも時間の問題だ。このまま、ここでじっとしている訳にもいかない。

 

「戻らないと。早く……」

 

 立ち上がろうと力を振り絞る。だが、脳を酷使した上に空腹状態であったため、立ち上がった途端に猛烈な眩暈に襲われた。

 

「ぐっ……!」

 

 ぐらりと地面が揺れ、世界が暗転してゆく。その最中、倒れる寸前の僕の体が不意に上へと持ち上げられた。そして脳に酸素が行き渡り始めた僕の耳に、心配そうな声が届く。

 

「どうしたの、夏企!」

「え……?」

 

 視界が開けていくにつれ、僕の体を支えてくれた人物の顔が鮮明に映し出された。

 

「西野……?」

 

 そう、僕の窮地を救ってくれたのは、またしても西野であった。僕の意識が戻ったことを確認した彼女は、僕を玄関の式台に座らせると、扉を閉めて大きく溜息を吐く。

 

「はぁ、どうして玄関先で倒れそうになっているのよ。あのまま倒れていたら、軽傷では済まなかったでしょうね」

「あ、ああ……悪い、助かったよ。ちょっと立ち眩みしちゃって」

「もう。ちゃんと栄養を摂っていないから、こういうことになるの。私を迎えに来てくれたのは嬉しいのだけれど、絶対に無理したらダメ。分かった?」

「……分かってるって。さっきのは本当に偶然なんだよ。だから、そう説教しないでくれ」

「まったくもう。先に夏企の部屋に行っているから、回復したら来なさい」

 

 そう言って、西野は作り笑いを浮かべる僕に呆れつつ、先に僕の部屋へと向かっていった。彼女の背中が見えなくなった頃、状態の落ち着いた僕は急いでスマートフォンを取り出す。そしてチャットアプリを開き、先ほど西野が送って来たメッセージを確認する。

 

「えっと? 『今からそっちに行くからね』……ああ、そういうことか」

 

 なるほど。だから西野は『私を迎えに来てくれた』と言ったのか。もちろん、塩村が来ていなかったとしても玄関まで出向いていただろうが、不審に思われなかっただけ僥倖と言えよう。

 

 それに、塩村と西野が鉢合わせなかったことも幸運だった。二人に面識があるかどうかはともかく、西野の両親も厚生労働省に勤務しているのだから、どう転んでも話が良い方向に向かわない。

 

 塩村が急に来訪したことについては、明日箱崎が来た時にでも相談するとしよう。彼の行動には、何か大きな意図があるのは明確なのだ。

 

「さてと」

 

 力の戻った脚で、自分の部屋へと向かう。いろいろと分からないことが増えて混乱していることは確かなのだが、まずは西野の言う通り、栄養を摂って有事に備えよう。

 

 部屋の扉に手をかけると、僕の鼻腔に美味しそうな匂いが届く。これはきっと、コンソメやミルクの香りが特徴的な、野菜がたくさん入った家庭料理だ。

 

「この匂い、クリームシチューかな? 久しぶりだな、こういう料理って」

「手の込んだものではなくて、ごめんね。今日はちょっと、生徒会の仕事が多くって。明日はもっと良いものを作ってくるからね」

「いや、そんなに気を遣わなくて……え、明日?」

「ええ。だって、これからずっと一人で暮らす訳でしょう? それなら、せっかくだし毎日持ってこようかなって思って」

 

 どこまで世話焼きなんだ。もちろん迷惑ではないが、それだけ甲斐甲斐かいがいしくされても、彼女に恩を返せるという自信が無い。それに、さすがに西野の両親も気付くだろう。

 

「あのなぁ。一応僕たちは関わっちゃいけないんだから、そこは自覚してないとダメだろ。西野まで両親と仲違いさせたくないし」

「大丈夫よ。学校が始まったら、お弁当にして渡すから。来週には授業も再開するみたいだし、どうせ部室で金子かねこくんたちと食べているのでしょう? だったら、何も問題ないわ。ああ、お弁当箱はちゃんと洗って返してね」

「そういうことじゃ……」

「お願い。これくらいはさせて欲しいの」

 

 困り果てた僕に、西野は真剣な眼差しを向けて告げる。

 

「あの日、私が怪我をしたのは夏企のせいじゃない。勝手に家に上がってしまった私が、一番悪いの。だから、これくらいはさせて。あなたとご両親の仲を破綻させた罪を、私に償わせて」

「そんな。あれは、僕が癇癪かんしゃくを起したからで……」

「そうだとしても、よ。お願い」

「……」

 

 まさか西野が、そんな負い目を感じていたとは知らなかった。癇癪を起したのは僕だし、その原因を作ったのは両親だ。だから、西野は純粋な被害者であるはずなのに。

 

 しかしよく考えれば、西野は幼馴染だった僕の家庭が崩壊する様を、とても近い距離で見てしまったのだ。たとえ一方的に被害に遭ったとしても、彼女の性格上、放ってはおけなかったのだろう。

 

 寝ている僕を起こしてくれたり、一緒に遊園地に行ったり。共に仲良く過ごしてきた彼女にとって、僕はまさしく家族であり、弟だった。そう思うと、彼女あねの望み通りに甘えてあげるのも、おとうとの役目なのかも知れない。

 

「はぁ……分かった。でも、教室には持ってこないでくれ。それだけは頼む」

「もちろんよ。さて、それじゃあ今日は帰るわね」

「もう帰るのか?」

「ええ。金曜日は父がお酒を呑む日だから、私がいてあげないと機嫌が悪くなるのよ。いつまで経っても、お酒が入るとダメなのよね。その上、弱いのに呑みたがるし」

「はは、そうなんだ。意外だな」

 

 西野の父親は、堅物という印象が強かったのだが、こういうエピソードを聞くと、どこか親しさを感じるものだ。まあ、もともと家族ぐるみで付き合いがあったのだから、僕も彼の酒癖に辟易としていたのかも知れない。

 

 そういえば、昨日見た夢の中で行こうとしていた遊園地はどこだったのだろう。そこに行けば、実験を受ける前の僕の記憶も少しは戻るかも知れない。

 

「なあ、西野」

「うん?」

 

 クリームシチューの入った容器を机に置き、立ち上がった西野へ問いかける。

 

「結構前のことなんだけどさ、みんなで遊園地に行ったよな。あれ、どこだったかな」

「遊園地……?」

 

 しかし、僕の質問に西野は首を傾げて答えた。悩むことなく、はっきりと。

 

「遊園地には行ったことが無いわ」

「え?」

 

 遊園地には、行っていない? あれだけ鮮明に夢の中にも出てきたのに?

 

「夏企の家族とは、キャンプとか海水浴には行ったと思うけれど、遊園地には行っていないと思う。私、機械に乗るのがとても苦手だったから。ほら、金属の塊に乗るのって、何だかとっても信用できないじゃない? 今は平気だけれどね」

「そう、だっけ。あれ、おかしいな……」

「そうよ。そもそも、夏企は昔の記憶がほとんど無いのでしょう? だったら、私の覚えている情報の方が正確よ。ふふ、初めて記憶勝負で夏企に勝ったかも」

「そう、だな。確かにそうか。あはは……」

「……? よく分からないけれど、今日は余計なことを考えないでゆっくり休みなさい。さっきも倒れかけたのだから。ああ、冷めちゃうから見送りは良いわ。早く食べてね」

「あ、ああ。それじゃ、またな」

「ええ」

 

 最後の僕の発言のせいで、西野は不安そうな表情を取り戻しながら部屋を去って行った。しかし、僕も彼女に負けないほど不安な気持ちを抱きつつ、目の前で湯気を立てるクリームシチューへと手を伸ばした。

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