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小欅 サムエ
小欅 サムエ

4-2

公開日時: 2021年4月11日(日) 11:14
文字数:6,439

「ふーっ……」

 

 しばらく凍り付いていた僕であったが、体を落ち着かせるため一つ大きく息を吐いた。

 

 死者からメールが届くなんて有り得ない。しかも木村きむらといえば、この目で確かに死ぬ瞬間を目撃した相手なのだ。このメールが悪戯である以外、考えようがない。

 

 だが、この文面を読む限り、少なくとも一連の事件を知る人間であることは間違いなさそうだ。そうでなければ、このタイミングで間柴ましば真中まなかの名前を出すことなど、出来るはずがないのだ。

 

 これが木村本人の所持していたスマートフォン、もしくはPCからの送信かどうかについては定かではない。彼のメールアドレスなど知らないし、木村の名を借りただけである可能性の方が高いだろう。

 

 ただし、偽名を使ったにしては不可思議な一文が含まれているのも事実だ。

 

「『ボクの言った通り』、か……」

 

 この部分さえ無ければ、完全に木村以外の人からのメールであると確信できただろう。しかしこの後に続く言葉は、確かにこの耳で聞いていた。それは僕の脳にしっかりと焼き付いている。

 

 忘れもしない、あれは五月三日……一人で部室に籠り、動画の構成に頭を悩ませていた時だ。日曜日にも拘わらず偶然出会った木村は僕の去り際、微かに聞こえるレベルの声量であったが、確実にこう言った。

 

 『大変なのはこれからだからね』と。

 

「なんなんだよ、もう……」

 

 幾ら考えても、このメールの謎は解決できそうもない。実は木村は死んでいなかったと仮定しても、その行為に何の意味があるのか不明だ。第一、空き教室から木村のものと思われる大量の血液が見つかっているのだ。彼はすでに死んでいる、と捉える方が自然であろう。

 

 あの時は現場の保存を最優先したため、死亡確認こそ怠ったものの、三階建ての校舎の屋上からうつぶせに落下して生存できる人間など、まずいない。生きていたとしても、こうして悠々とメールを送れるとは思えない。

 

 だとすれば、やはりなりすましであると考えて然るべきだ。冒頭の文面も、僕を混乱させるためのブラフであると考えればよい。

 

 そうとなれば、あとは内容だが……これもまた不可解である。

 

真中まなか 優佳ゆうかに聞け、って……これ、亡くなった妹さんの方、だよな……」

 

 死者から、どうやって話を聞けというのか。恐らく姉の弘佳ひろかと間違えたのだろうが、あの嫌な雰囲気を隠そうとしない真中とは、なるべく話をすること自体避けたい。箱崎はこざきを間に挟めば、多少はマシになるとは思うが……それでも、あの人とはどうも合わない。

 

 人間性ももちろんだが、それ以上に何か、根本的に信用できない空気が醸し出されているのだ。これがいわゆる、生理的にムリという現象なのかも知れないな。

 

 それはともかく、このメールについては一旦保留としておこう。また箱崎から折り返しの電話が来た際にでも、木村の遺品について確認すればいいのだ。PCやスマートフォンなど、紛失しているものがあるかどうか、それさえ分かれば問題ない。

 

 それにしても、今日は本当に疲れた。

 

「はぁ……まだ十時過ぎ、なのか……」

 

 これだけ事件が立て続けに発生したのに、まだ午前中であるという事実に、もはや溜息しか出てこない。高城たかしろの方はもう問題なさそうだし、出来ることならば家に帰ってひと眠りしたいが……今家に帰っても、そのまま警察署へ連れて行かれる羽目になるだろう。

 

 そもそも、箱崎からはこの病院から離れるな、と言いつけられている。なるべくこの件を高城たちに悟らせないよう、静かに時間が過ぎるのを待つしかないか。彼女たちにまで気を遣わせてしまっては、先輩として失格だ。

 

「ちゃんとしないとな……」

「何が、ですか?」

「それはもちろん、立派な先輩として心を……えっ!?」

 

 自然に独り言の中へ割って入ってきたため、普通に言葉を返してしまった。慌ててその声のする方向へと振り返ると、そこには心配そうな表情を浮かべる出水でみずの姿があった。

 

「で、出水……いつの間に」

「あの、さっき、間柴さんと話してたときくらいから、です。何か、あったんですよね」

「え、いや……」

「土下座させてたの、見た。何もないわけ、無いですよね。もしかして、美琉加みるかのこと?」

 

 ずいっと身を寄せられ、彼女の眼鏡が僕の顎に当たりそうになる。相変わらず、高城親友のこととなると行動に躊躇がなくなる奴だ。これだけ異性に近づけば、多少は恥じらいがあっても良いだろうに。

 

「お、落ち着けよ。高城の話じゃない……とも言い切れないけど、今回の件とは全く無関係のことだ。心配しなくていい」

「本当、ですか? 誤魔化してない?」

「あ、当たり前だろ。それに、僕が土下座させた訳じゃないからな。間柴さんが勝手に……ん?」

 

 必死になって出水を落ち着かせているとき、僕は彼女の発言の中に一つの引っかかりを覚えた。そして未だ納得していない様子の出水を強く引き離し、逆に問いただす。

 

「……出水、どうしてあの人の名前を知ってるんだ? 僕は一言も、あの人の名前を言ってなかったのに」

「え?」

 

 すると、出水は一転して面を食らったように数回瞬きをし、むしろ僕の方がおかしな質問をしていると言わんばかりに口を開く。

 

「だって、研究の時……間柴さん、いました。とっても優しかったから、よく覚えてます。はるかくんが、その……おかしくなった時も、一緒に泣いてくれて……」

「そんな……う、嘘だろ?」

「嘘じゃない。私は、先輩みたく完璧な記憶力じゃない。でも、それでもしっかり覚えてる。間柴さんは、とってもいい人だってこと」

「……」

 

 出水のこの顔を見る限り、何一つとして嘘は言っていないことがよくわかる。それと同時に、つい先ほど僕が間柴に対して口走った罵詈雑言が、僕の頭の中で反響する。

 

 僕は、一体どれだけの過ちを繰り返せば気が済むのだろう。感情に身を任せた結果、他人を傷つけてしまったことは、これが初めてではないのだ。西野にしのに大怪我を負わせてしまってからも、僕は何も成長していないらしい。

 

「は、はは……僕って、本当に馬鹿だよな。人の気持ちを理解しようとせず、人を傷つけて。ほんと、何やってんだろうな、僕は」

「せ、先輩?」

 

 僕の変貌ぶりに目を丸くする出水を前にして、再び先ほどまで腰かけていた椅子に座りなおす。

 

「はぁ……ごめんな、出水。昔のように、みんなをまとめ上げられる僕じゃなくて。覚えてないんだけど、僕はそういう人だったんだろ? だったら、がっかりしただろ。こんなやつで」

「それは……無い、です」

 

 そう言って僕の隣に腰を下ろした出水は、じっと僕の顔を見つめながら少し目を潤ませて告げる。

 

「生きてるだけで、嬉しかった。悠くんやみおちゃんとは違って、目の前で生きて、動いてた。それが、私や美琉加にとって、本当に嬉しいことだったの。そんなに、自分を卑下ひげしないで」

「生きてるだけで……」

「うん。美琉加はああ言ってたけど、私はそんなに、幻滅とかしてない、かも」

「そう、か……ん? そんなに?」

「えと……聞かなかったことに」

「おい」

 

 軽くツッコミを入れた後、僕と出水は少しの間顔を見て小さく笑い合った。緊迫した状況が続く中、どこか和やかな空気がこの限られた病院の区域を包み込む。この感じは、動画制作が佳境を迎えたときの雰囲気によく似ている。

 

 もちろん、人の生死が関わるようなこの場面とは重さが段違いだ。だが、こうしていつも共に行動する仲間と一緒ならば、僕の置かれた異常な環境さえも笑い飛ばしてくれそうな気がする。高城や金子かねこ、そして隣で笑っている出水と一緒ならば。

 

 少し全身に力が戻ってきた僕は、先ほどよりも勢いよく立ち上がり出水へと声をかける。

 

「さて、そろそろ病室に戻らないとな。二人ともいなくなってたら、高城も心配するだろうし」

「あ、待って先輩」

「ん?」

 

 意気揚々と病室へ戻ろうとしたとき、出水は気まずそうに視線を逸らしながら僕の袖を引き、小さく告げる。

 

「あの、今はダメ。警察が来てる」

「警察?」

「うん。通り魔事件の、映像が見つかった、って」

「そうなのか? だったら、犯人もすぐに見つかりそうだな。……ああ、だからここに来たのか」

 

 僕の問いかけに、出水は声もなく静かにコクンと頷く。警察が事件とは無関係の出水に、防犯カメラの映像を見せることなど有り得ない。そして、病室を追い出されて行く当てのない彼女はここに来た、ということか。偶然にも、間柴が僕に土下座をしたタイミングで。なんとも間の悪い奴である。

 

 それはともかく、高城の事件が解決に進みそうで何よりだ。そして、その犯人が逮捕されれば、自ずとあのポストカードを置いていった理由も判明するだろう。大島おおしまから始まる妙な事件にも、何かしらの変化をもたらすだろう。

 

 ごちゃごちゃと思い悩んでいた件が、これでかなり片付きそうだ。一気に安堵した僕は、白い壁に寄りかかり天井を仰ぐ。

 

「はあ、それにしても疲れたな。出水、お前もロクに寝てないんじゃないか?」

「えっと……私、あまり夜、眠れないので……」

「PCのやりすぎだろ。寝る二時間くらい前からは、明るい光を目に入れない方がいいって聞くし」

「違い、ます。そんな時間に私、ネットとかやらないから。えっと、その……私、は————」

 

 そう、出水が口ごもっていた時である。またもや不意に、廊下の奥から聞き馴染みのある男性の声が僕の耳へと届いた。

 

「おお、そこにいたか。悪いな、遅くなった」

「え? あ、箱崎さん! ……と、真中さん。お久しぶりです」

 

 思いのほか早い到着に、驚きながらも頭を下げる。僕の父親の件は、もう粗方調べ終えたのであろう。もしくは僕を聴取する目的かも知れないが、いずれにせよ何らかの情報は得られるはずだ。

 

 冷静に出迎えた僕の反応に戸惑いもせず、箱崎は隣にいた出水へと視線を移す。

 

「おっと、キミは確か高城さんの病室にいた子だね。もう終わったから、戻っていいよ。むしろ、何だか調子が悪そうだから戻ってあげた方がいいかも知れないね」

「え、美琉加が、ですか!?」

 

 その言葉を受け、出水は目を見開き一気に箱崎へと間合いを詰める。異様な反応に、あの箱崎ですらも目をぱちくりとさせつつ、彼女の問いに答える。

 

「あ、ああ。まあ、自分を刺した犯人の顔だからね。フラッシュバックが起きても不思議ではないさ。バイタルは安定してたけど、ちょっと過呼吸気味になって————」

「美琉加っ!」

「あ、おい!」

 

 箱崎の言葉を最後まで聞かず、出水はまっすぐに高城の病室へと駆け出して行った。走るな、と声を掛けようにも、もう彼女の姿は見えなくなっていた。

 

 心配に思う気持ちは、とてもよくわかる。二人の過去の話を聞いた後の僕には、それが痛いほど理解できた。当然、僕も出水と同じく高城の元へ駆け付けたいところではあるが、僕にはまだ話をつけなければならない問題が残されている。

 

「はぁ、まったく。すみません、後で言っておきますので」

「ああ、別に俺としては構わないけどね。むしろ、あんな友達がいて幸せだろうな、って思ったくらいだよ」

「ええ、それは確かに。でも、どうして箱崎さんが監視カメラの映像なんか持ってきたんですか? 管轄が違うはずじゃ……」

 

 僕の純粋な質問に対し、箱崎は両腕を広げて参ったような姿勢を取りつつ、苦々しく口を開く。

 

「ああ、同期のよしみってヤツらしい。まったく、あの野郎……」

 

 ぶつぶつと僕に届かないくらいの小声で恨み言を零す箱崎に、珍しく真中が口元を緩ませる。それも束の間、いつもの通り険しい表情に戻った真中は、場所を選ばず淡々と聴取を始めた。

 

「それで? お前は今日、何時に家を出た」

「こ、ここで聞くんですか?」

「いいから、答えろ」

 

 相変わらず、この女は人の意見を聞こうとしない。まだ事情聴取を受けると答えてすらいないというのに、勝手なものだ。だが、今回の件に関しては素直に答えよう。状況的に、同居していた僕が最も疑わしいのは事実なのだから。

 

「そうですね、午前七時……半くらい、ですか。その頃には家を出て、この病院に向かったはずです」

「証拠は」

「西野との通話記録がありますし、午前八時前後の代々木よよぎ駅の防犯カメラでも調べたら、すぐに分かると思いますよ。証人もいますし」

「そうか、分かった」

 

 そう言うと真中は、神妙な面持ちで腕を組む箱崎へと話しかける。

 

「やはり、彼ではなさそうですね」

「そりゃそうだろう。強い恨みがあるからって、この子にできる訳ないだろう?」

「ということは……」

「ああ。写真に写る人物全員の安否確認、急いだ方が良さそうだな」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 二人だけで会話を済ませ、立ち去ろうとしたところで僕は呼び止めた。これでは、僕には何一つとして情報が与えられないままだ。協力を仰いでおきながら、その姿勢はあまりにも不義理だろう。

 

「あの、父の件は……」

「ん? ああ、そうだったね。気が回らなくて申し訳ない。辛いとは思うが、心を強く……」

「いえ、そういうことではなく。殺人、だったんですか?」

「それは、今のところ何とも言えないな。状況的には、そう考えた方が良いんだろうが……なにしろ遺体の状態が悪くてな、なんとも判断し難いんだ」

 

 そう言いつつ、箱崎は真中の顔をチラッと一瞥する。無表情な真中の顔色が、その話が出た途端に青白く染まる。

 

 その反応だけ見れば、充分であった。あの真中が青ざめてしまうような状況であるということは、嫌でも理解できる。恐らく、僕が実際に目の当たりにすれば、また昏倒する羽目になるだろう。

 

「解剖の結果については、裁判所の許可が下り次第速やかに話すつもりだよ。もちろん、結果だけな。ただ……」

「ただ?」

 

 大きく溜息を吐き、僕が先ほどまで座っていた椅子に腰かけた箱崎は、おもむろにポケットから煙草とライターを取り出す。

 

「先輩! ここ、病院ですよ」

「え? おっとすまん、つい。……えっとだな、キミの母親、東子はるこも同時に行方不明なんだ」

「え、母も……ですか?」

「ああ」

 

 そして、煙草とライターをポケットに仕舞い直した箱崎は、僕の顔をじっと見つめ、静かに口を開く。

 

「これは俺の予感だが、キミの母親も死んでいる可能性が高い。今は推測することしか出来んが、覚悟はしておけ」

「それは、どうして……」

「今はとりあえず、そういう可能性もあるとだけ考えておけ。……さて、俺たちはそろそろ出るが、何か聞きたいことはあるか? 本当なら署に連れて行くところなんだが、お友達の精神状態もあまりよくないらしいからな。ここで聞くよ」

「え、っと……」

 

 咄嗟に周囲を見渡し、誰かの目がないかどうかを確認する。今のところ、誰一人として廊下に出てくる様子はない。僅かに老人の呻き声が聞こえるくらいで、あとは時折、看護師がカートをカラカラと鳴らして足早に通り過ぎるだけだ。これならば、そう簡単に情報が漏れることはないだろう。

 

「で、では……あの、今さっき届いたメール、なんですけど……これ、どういうことなのか分かりますか?」

「メール?」

 

 現時点で、僕の頭を最も痛めていたのはこの木村からのメールである。出水たちに見せられるようなものではないため、彼らに内容を確認してもらうことにしたのだ。

 

 だが、僕がスマートフォンをかざし文面を見せた瞬間、箱崎は表情を曇らせる。

 

「なんだこりゃ。タチの悪い悪戯……にしては、気味が悪いな」

「そうですよね。死者からのメール、とは思えませんけど……あの、木村先生の遺品が今どうなっているか、確認していただけますか?」

「そりゃ、お安い御用だ。ついでに、そのメールをこっちにも転送してくれるか? 送信元を割り出せそうか、サイバー課の奴にも聞いてみるよ。真中、お前は遺品の方を……」

 

 そう言って、箱崎が顔を上げ真中へと目を向けた瞬間、彼は言葉を失った。そんな彼の様子に、僕も同じく真中を見つめる。

 

 そこには先ほどよりも一層、まるで蝋人形のように白い顔色で、凍り付いた真中の姿があった。それに驚き、僕たちも時が停止したかの如く硬直する。

 

 そして僅かな間の後、真中は本当に小さく、消え入るような声で呟いた。

 

「優、佳……」

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