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小欅 サムエ
小欅 サムエ

Saviour, Like A Shepherd Lead Us

4-1

公開日時: 2021年4月3日(土) 11:25
文字数:5,765

 東京総合国際病院六階、通話可能エリア————

 

「……」

 

 一方的に箱崎はこざきから電話を切られ、僕は手近にあった椅子へと崩れるように座り込む。正確な情報こそ得られなかったものの、少なくとも僕の父親である水島みずしま 龍太郎りゅうたろうが死んだ、ということは確からしい。

 

「どういうこと、なんだ……」

 

 今朝から多くの情報が頭に入ったせいで、すでに脳はパンク寸前だ。高城たかしろが通り魔に刺された、という話だけでも相当焦ったのに、もはやその事件の記憶すらも遠くなっている。もちろん忘れることは無いが、それにしたって情報過多にも程がある。

 

 ただ、不思議なことに実の父親が遺体となって発見された、という事実については特に何の感情も揺さぶられなかった。多少驚きはしたものの、そうだろうな、という感想しか浮かばない。

 

 親不孝だと罵られても構わない。それだけ、彼は息子である僕を不幸のどん底に陥れたのだ。むしろ、今までの報いだとすら思っている。

 

 だが、その遺体が実家のリビングダイニングで発見された、という話は僕にとって衝撃的であった。何故ならば僕はつい数時間前、その場所に横たわっていたのだから。

 

「あの時は、確か……誰も帰ってきてなかった、よな……?」

 

 改めて、今朝の光景を思い起こしてみるが、何度繰り返したところで記憶に変化はない。それどころか、あの時の様子を思い出そうとした僕の脳は指令を拒み、激しい頭痛という形で反撃の狼煙を上げ始めた。

 

「ぐっ……く、くそ、こんな時に……」

 

 倒れた時よりは幾分かマシなものの、それでも強烈な痛みが頭の中を駆け巡る。この状況では何を考えても無駄だ。とりあえず箱崎の話は終わったことだし、一先ず高城の病室へと戻るとしよう。

 

 重い腰を上げ、まだ痛む頭を抱えながら立ち上がった。しかし、そんな状態の僕へと一人の男性が声を掛ける。

 

「おや、大丈夫かな?」

「あ、はい……大丈夫で————」

 

 空気を読まぬ男性に若干の腹を立てつつも、愛想笑いを浮かべて顔を上げた時であった。目の前に立ち塞がる彼の顔を見た僕は、一挙に言葉を失う。

 

「ま、間柴ましば……!?」

 

 そう、例の写真に写り込んでいた人物の一人、間柴ましば ただしが不意に僕の目の前へと現れたのである。しかも、あろうことかこの僕に向かって話しかけてきたのだ。あまりの衝撃に、思わず会ったことのないはずの彼の名前を呟いてしまった。

 

 僕の反応に、間柴の優しい笑みは一変し怪訝な表情となる。

 

「ううん? キミ、どこかで会ったことがあるのかな?」

「え、あ、えっと……」

「……ああそうか、ネームプレートを見たのか。それで、本当に体調は問題ないんだね? 随分と顔色が悪いようだけど」

「は、はい。すみません、いきなり呼び捨てにしてしまって」

「はは、良いんだよ、そんなことは。でも、無理はするんじゃないよ?」

 

 僕の正体に一切気付いていない様子の間柴は、再び小児科医らしい柔らかな笑みへと表情を戻し、身を翻して階段の方へと足を向ける。それもそのはず、ここは小児科病棟ではなく精神科病棟だ。たまたまこの場に居合わせただけで、彼がこの病棟に長く留まる理由などないのである。

 

「それじゃ、気を付けて」

「あ……」

 

 僕に背中を向けた間柴は、心なしか少し足早に階段へと向かってゆく。きっと、他の病棟に容態の気になっている患者がいるのだろう。僕なんかに構っている暇なんてないのだ。

 

 だが、これは貴重な好機だ。代々木よよぎ駅のホームの時とは大きく異なり、彼は僕を一人の患者として認識している。今ならば、『新人類計画』や僕の父親について詳しく聞けるかも知れない。

 

 すでに疲労困憊となっている僕であったが、幸いにも脳だけは正常に機能している。ならば、今のうちに出来る限り多くの情報を取り入れる方が得策だろう。何せ、どれだけ疲弊しても僕の脳は記憶してくれるのだから。

 

 そう……これは皮肉にも、間柴たちの実験による成果である。

 

「ま、待ってください!」

 

 立ち去ろうとした間柴を、僕は大きな声で呼び止めた。体に力が入り過ぎてしまっていたようで、思いのほか怒声に近い音が病棟中に響き渡る。もしかすると、高城の病室にも届いてしまったかも知れない。

 

「ちょっとキミ、一体何を考えてるんだ!」

 

 叫び声を浴びせられた間柴は、素早く振り返ると困惑した様子で僕へと詰め寄る。

 

「大声を出すんじゃない! 非常識にもほどがあるぞ!」

「す、すみません。でも、間柴さんに聞きたいことが……」

「残念だけど、キミみたいな人間に話すことなんて俺には無いね。これ以上騒ぐようなら、警備員を呼ぶからな」

「いや、その……」

「まったく、一体どんな教育を受けたらこんな子に育つんだか。親の顔が見てみたいよ」

 

 吐き棄てるように言い放つと、間柴は深く溜息を吐いて僕をひと睨みする。それは今朝、駅のホームで見た彼の裏の顔そのものであった。だからだろうか、僕はその迫力に一切怯むことなく、むしろ今まで以上に落ち着いて言葉を発することが出来た。

 

「親の顔、ですか。それだったら、間柴さんはよくご存じだと思いますよ」

「はぁ? 何をいきなり————」

「だって、僕の父親は水島 龍太郎ですから」

「水島、だって……!?」

 

 その途端、間柴は目を見開き僕の顔を凝視する。寝不足気味なのだろう、やや充血した眼からの視線が僕の顔を撫でるように這いまわり、強い不快感に包まれる。

 

 だが、これで確信した。間柴 忠は確実に、僕の父親である水島 龍太郎と接点を有している。そして、あの写真に写っていたことも、紛れもない真実であると。

 

「そうです。僕は水島 夏企なつき……『新人類計画』の被験者となった一人です。覚えていますか?」

「……忘れるはずが無いだろう。あの研究のせいで、俺や灰谷はいたにさん、それにキミの父親は地獄を味わったんだからな。しかし、そうか……キミが夏企くん、か。大きくなったんだな」

 

 そう言って、間柴は僕の方へと手を伸ばした。だが、僕はその手を振り払い、少し声を荒げて問い質す。

 

「なにが地獄ですか! 僕は、望んでもいないのに余計な能力を与えられたんですよ。そのせいで、普通の人生が歩めなくなったんです」

「それは……」

「それだけじゃない! ……西蓮寺さいれんじさんの息子が、どうなったのか知ってるんですか? 彼は、永遠に覚めることのない夢の世界へと旅立ってしまったんです。あなたたちの、身勝手な研究のせいで……僕たちは……」

「……」

 

 沸々と湧き出る怒りにより、話したかったこととは完全に異なる言葉が口を衝く。こんな恨み言を間柴にぶつけたところで、何も解決しないことなど頭では理解していた。だが、それでもこの負の想いは止められなかった。

 

 唇を震わせる僕を、間柴は視線を逸らすことなく見つめる。そして、言葉を詰まらせた僕に対し彼は重い唇を開く。

 

「謝って済むような話じゃないことは、充分に理解している。キミたちは一方的な被害者で、俺たちは加害者だ。それを忘れたことは、今までに一度だってないよ。その気持ちは、キミの父親も同じだと思う」

「詭弁ですね。あの男は、僕のことを何一つとして気に掛けたことはありません。息子のことを失敗作だと言うような親が、まともな感性を持っているとは思えません」

「どうしてそう言える。キミは……いや、もしかすると……」

 

 そう零すと、彼は眉間に皺を寄せつつ黙り込んだ。そして、探るように顔を上げた間柴は、睨み続ける僕へと問い掛ける。

 

「もしかして、記憶が無いのか?」

「え?」

「ほら、実験の時の記憶だよ。十年も前のことだから、断片的にしか覚えていないかも知れないが……どうなんだ?」

「……」

 

 彼の問いに対し、僕は完全に閉口してしまう。それもそのはず、僕の記憶は小学校入学以降しかない。それより前ともなると、靄がかかったように思い返すことが出来ないのだ。

 

 僕の瞬間記憶能力は、『新人類計画』の過程で出現したものだと思われる。だとすれば、それ以前の記憶が失われていても、そう驚くようなことではない。その時点までは、僕はただの人間だったのだから。

 

「どうも何も、この能力は間柴さんたちが植え付けたものじゃないですか。だったら、それより前のことなんて……」

「そうか、それなら良い」

「は?」

 

 そう言うと、間柴は何故か大きく安堵したように息を吐くと、僕の反応を視界に入れないよう、目を瞑りながら天井を仰いだ。

 

「辛いかも知れないけど、これ以上、この件を探ろうとするのは止めなさい」

「え? そんな、僕は……!」

「キミの人生を変えてしまったことについては、本当に申し訳なく思う。でもね、ただそれだけなんだよ。俺たちは治すことも、助けることも出来ず、ひたすらに謝ることしか出来ないんだ。それは、他のメンバー全員を当たってみても同じだと思う。だから……」

「……諦めろ、ってことですか」

「そうだ。聞きまわったところで、誰も得なんてしない。真実を知ったところで、絶望しかない。だったら、知らない方が圧倒的にマシだろう? もし本当に知りたいのなら、キミのご両親にでも聞いてみなさい。まあ、正直に話してくれるとは思えないけどね」

「……」

 

 僕の困惑する表情を、間柴は唇を噛みながら見つめる。そして、きびすを返して階段の方向へと歩み始めた。その様子からは、これで話は終わりだ、という意志がひしひしと伝わってくる。

 

 だが、こんなところで終えられるはずが無い。彼の話には何一つとして、僕が信じるに値するような事実が盛り込まれていなかったのだ。これで納得する方がおかしいくらいだ。

 

「待ってください」

 

 僕の声を受け、間柴はピタリと足を止める。先ほどとは大きく異なり、今度は昂ることなく冷静に声を出すことが出来た僕は、背を向けたままの間柴に向けて言い放つ。

 

「僕の父……水島 龍太郎は、死にました」

「なんだって?」

 

 僕の言葉に驚き、振り返った間柴は呆然と僕の顔を見つめる。

 

「本当、なのか?」

「はい。知り合いの刑事さんから今さっき聞いたので、確かだと思います。病死とかでは無さそうなので、恐らく……」

「……」

 

 少しだけ沈黙が訪れ、ナースステーションから響く不快な機械の音が大きく聞こえた。そして、より一層表情を硬く変え、間柴は本当に微かな声で僕へと言葉を告げる。

 

「そうなるだろうと、何となく予期していたよ。灰谷さんに、真中まなかさん……二人とも、不可思議な事件に巻き込まれて亡くなったからね。次は俺なのかな、とも思っていたけど」

「それは、どういう……」

「やっぱり、キミはこの件に関わってはダメだ。未来の潰えた俺とは違って、キミは若い。まだやり直せるんだ。だから、もうこの件を追うのは止めてくれ」

「そんな勝手な! 僕は……」

「頼む」

 

 そう言うと、間柴はゆっくりと膝を折り、僕の前で土下座をした。他の患者や医療スタッフの目もあるというのに、それらを全く気にする様子も無く、ただ僕に向けて懇願したのだ。これ以上、『新人類計画』に関わるな、と。

 

 看護師や面会者の奇異な目に晒され、慌てて彼の体を起こそうと手を差し伸べる。

 

「や、止めてください! 他の人が……」

「頼む。もう、あの研究のせいで苦しむ人間を見たくないんだ。だから、頼む」

「わ、分かりました! 分かりましたから、早く顔を上げてください!」

 

 この異常な状況を打破するには、彼の話を飲む以外に方法は無かった。そうでもしなければ、間柴と共に延々と不快な視線を浴び続けることとなる。僕の大嫌いな、好奇心と嫌悪感の入り混じった視線を、だ。そんなもの、耐えられやしない。

 

「ありがとう。約束だからな、もう絶対に関わらないで欲しい」

「……はい」

「悪かったね、見苦しい姿を見せてしまって。じゃあ、俺はこれで。……そうだ、出来れば葬儀の日程とかが分かったら、俺にも教えてくれ。龍太郎さんには世話になったから」

「分かり、ました」

 

 そして、起き上がった間柴は悲痛な面持ちのまま、足早に階段へと向かっていった。残された僕は、その姿をただ見つめることしか出来ず、呆然とその場に立ち尽くす。

 

 色々な情報こそ得られたものの、これ以上間柴から話を聞くことは出来ないだろう。土下座までさせた相手との約束を反故ほごに出来るほど、僕は鬼畜の類ではない。

 

 しかし、このまま大人しく引き下がって良いものなのだろうか。彼の話しぶりからして、『新人類計画』にまだ大きな問題が内包されていることは確実である。それを、被験者であるこの僕が知らないまま、というのは何とも歯痒い。

 

 他の関係者に当たっても、彼と同じような反応しか返って来ない可能性もある。第一、ただの高校生が公務員や研究者にアポイントメントを取ることすら困難だろう。

 

「箱崎さんから話を聞くしかない、かな……」

 

 本当に引き下がるのは、箱崎から続報を受けてから考えよう。そう妥協し、通話可能エリアから高城の病室へと戻ろうとした。だが、またもや僕の行動を妨げるように、スマートフォンがポケットの中で小さく鳴動した。

 

「っ!」

 

 父親の事件に関する連絡かと思い、素早くスマートフォンを取り出す。しかし、着信では無くメールであったようだ。加えて、チャットアプリからの通知では無く、電子メールである。

 

 普段、僕は電子メールなど利用しない。利用するとしても、通販サイトなどの登録に使用するだけで、新規のメッセージを受信しても開封することすらほとんどない。広告や悪戯メール以外、届くことが無いからである。

 

 そのため、少し気が抜けてしまった僕はいつものように未読のまま放置しようとした。だがその瞬間、メールの送信相手の名前が目に映った。

 

「え……?」

 

 病室へと戻ろうとした足は完全に止まり、それどころか指先も、心臓の拍動すらも止まってしまったかのように硬直する。代わりに、一筋の汗が額から鼻筋を伝って流れ落ちる。

 

「嘘、だろ……?」

 

 差出人は、『木村きむら 一良かずよし』……そう、つい先日、学校の屋上から転落死したはずの、僕たちの顧問であった人間である。

 

 頭の中が真っ白になりつつも、恐る恐るメールを開封する。そこに記されていたのは、たった数行だけの文章であった。だが、その内容に僕の呼吸は完全に止まった。すべての雑音は消え去り、その文字列のみが世界を支配した。

 

 『ほら、ボクの言った通り大変なことになったでしょ? もし深入りするなら、真中まなか 優佳ゆうかさんから話を聞きなさい。どうせ間柴くんは死ぬし、彼女はキミの知りたい情報を持っているはずだから』

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