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小欅 サムエ
小欅 サムエ

3-2

公開日時: 2020年12月26日(土) 22:58
文字数:4,318

 改めて、また着信音に驚かされぬようスマートフォンをベッドへと放り投げ、PCのモニターへと向かう。先ほどのような迷いは、もう無い。やらずに後悔するよりも、やって後悔する方が何倍も有益である。

 

 キーボードの上に指を走らせ、一息に文字を入力する。そして、微塵の躊躇いもなくエンターキーを叩いた。カタン、という軽い音と共に、眼前には検索結果が広がってゆく。

 

 不安と好奇心が脳内でせめぎ合う中、画面へ視線を移した僕は思わず声を漏らす。

 

「あ、あれ……?」

 

 真っ先に、箱崎はこざきから匂わされていた件に関する情報が飛び込んでくるものだと、僕は勝手に思い込んでいた。だが、現実はそうではなかった。単なる厚生労働省内の人事異動に関する情報と、それに関連するニュースサイトが出てくるのみで、事件らしいものは一つとして見当たらない。

 

 念のため、正しく文字が入力されているのか確認する。しかし、検索ボックスには確かに『水島みずしま 龍太郎りゅうたろう』と表示されており、誤入力の類では無さそうだ。

 

 まさか、漢字を間違えて覚えていたのだろうか。いや、仮にそうだとしても、厚生労働省に同姓同名の人物が存在しているのは確かである。ありきたりな氏名ならばともかく、三万人程度が勤務する場所であるのだ、そこまでの偶然はそう有り得るものではない。

 

 だとすれば、この水島 龍太郎という人物が、僕の父親であると考えるのが妥当か。しかし、そうだとすると妙だ。

 

「世間からバッシングを受けるほどの事件、って言ってたよな……」

 

 ムーンバックスカフェで箱崎は、確かにそう言っていた。それに、両親揃って停職処分を受けるほど重大な事件に関与していた、とも。その時期こそ不明だが、それだけの事件であれば数年前であろうが、十年以上経とうが検索に引っかかるはずである。

 

 だが、少なくとも検索結果のうち初めの十件までに、そういった内容を示すニュースサイトはない。箱崎の記憶違いということは……さすがに無いだろう。古いニュースであったため、ライブラリから削除されてしまったのだろうか。

 

「ニュースサイトは全滅、か……となると」

 

 ある程度まで目を通し終えた時点で、残されたのは検索の下位である個人ブログや、特に関係の無さそうなサイトのみであった。本来ならば事実のみを求める僕にとって、主観的要素の多いブログは閲覧するに値しない。感情は事実を歪める毒だ。

 

 しかしこの際、贅沢は言っていられないか。記事の真贋しんがんについてはよく吟味するとして、まずは読んでみるとしよう。

 

「ええっと……とりあえずこれでいい、か」

 

 適当に画面をスクロールし、比較的まともな文章を書いていそうなブログへとアクセスする。タイトルは『子育てママの絵描き日誌』……と、まあ何とセンスの欠片もない陳腐なものだ。

 

 重い指先を動かしクリックした瞬間、白地の背景が鮮やかなピンク色へと変わり、僕は思わず目を逸らす。このような目に痛い配色をするのは、得てしてインターネット自体に不慣れな人物である。これでは、余計に期待薄と言わざるを得ない。

 

「はぁ……」

 

半ば諦めつつ、水島 龍太郎の記載部分を探すため流し見をしていく。ブログタイトルにもある通り、筆者は女性で絵描きをしているようで、時折自作と思わしき絵の画像ファイルが掲載されていた。ただ、いずれもリンク切れを起こしたのか、非表示となってしまっている。

 

 痛い目を擦りながら読み進めて、ちょうど記事の中腹くらいに差し掛かった時である。ようやく、『水島』という文字を見つけ、スクロールする手を止めた。ピンクの世界から解放されるかもしれないという期待を抱きながらも、読み違えないよう冷静に、その直前辺りから文章を声に出してみる。

 

「……『やっぱり、こういうことがあると今でも後悔する。水島 龍太郎、灰谷はいたに れい、それに間柴ましば ただし。あいつらの話に乗ってしまった私がバカだった。この子があのまま、普通に育っていたらと考えると、涙が止まらない。』……なんだ、これ?」

 

 背景のピンクと全く似つかわしくない、直情的で目を背けたくなる真っ黒な内容だ。子育てをしている以上、負の感情をぶつける手段が限られるとはいえ、こうして堂々と綴られるとあまりいい気持ちはしない。

 

 しかし、灰谷 玲、それに間柴 忠……どこかで聞いたような名だ。それに、息子は当たり前の日々を送ることが出来ない、とはどういう意味なのだろう。まさか、僕の父親はこの人の子どもの人生までも狂わせたというのか。この僕と同じように。

 

 ……いや、待て。一度冷静になろう。これはニュースサイトの記者が綴った記事ではない。この内容が本当に正しいのかどうか、それはしっかりと見定めなければ。

 

「ふぅ……」

 

 一つ大きく息を吐き、思考が正常に働いていることを確認した後、改めて画面へと向かい合う。

 

 もう一度、しっかりとこの記事を頭から読み返してみたものの、『水島』という文字列はその部分にしか見当たらなかった。それどころか、その部分以外は至って普通の子育ての記録で、食事の与え方などが書き連ねられているのみである。

 

 ただ、このブログ管理者の子どもは障害を負っているようで、普通の子育てとはまた異なる苦労も垣間見えた。そういう観点では、このブログにはある程度の需要はあったのだろう。実際、この記事に関してだけでも数件のコメントが寄せられている。

 

 それだけに、あの部分の異質さが目立つ。一時の感情のために書き殴ったのであれば、後になって削除も出来たはずである。それをしないということは、何か意図があるはずだ。

 

 コメントには、特に気になるような記載はない。そのいずれもハンドルネームが用いられており、専門の組織でもない限り特定は難しいだろう。加えて、記事の掲載されたのは九年も前だ。IPアドレスなどが割り出されたとして、それが役に立つとは思えない。

 

「うーん……他の場所は、と」

 

 この記事だけでは何も分からないため、ブログのトップページに移動し、管理人のプロフィールを確認する。しかし、好きな食べ物や趣味などが書かれているのみで、ロクな情報は無い。強いて言えば、このブログの管理人が『ハルマチ』、というハンドルネームを用いていることが分かった程度だ。

 

 また最悪なことに、最終更新は二年以上も前であった。閉鎖をし忘れて、ブログだけが残っている状況であると考えて良いだろう。一時は何か情報を得られるかと期待したが、結局は徒労に終わったようだ。

 

 天井を仰ぎ、痛めた目を休めるため閉眼する。瞼の裏にはまだ、あのキツいピンク色がこびり付き、なかなか消え失せない。まったく、こんな後遺症までもたらすとは……腹立たしい限りだ。

 

 しかし、九年前、か。僕がサヴァン症候群を自覚し始めたのは、およそ十年前……小学校に入学する頃だ。この記事が書かれたのと、大体同じくらいの時期である。僕の両親も、このハルマチという人のように愛情深ければ、もう少しマシな人生を歩めただろうに。

 

 ……ちょっと待てよ。サヴァン症候群……?

 

「灰谷、間柴って……そうか、あの時の!」

 

 そうだ、思い出した。今朝ムーンバックスカフェで箱崎から聞いた、写真の人物……あの中に、灰谷 玲と間柴 忠の名があったはずである。

 

 箱崎から得た情報であるため、このブログに関してはともかく、その情報に関して言えば信憑性は高いと考えて良い。そうなると、だ。あの写真に写った十五名のうち三人が、ハルマチという画家に良からぬ話を持ち掛けた、と言える。

 

 そして……これはあくまでも想像だが、その話に乗った彼女は、何らかの形で自分の子どもを不幸にしてしまったのではないだろうか。『この子があのまま、普通に育っていたらと考えると、涙が止まらない』という文面から察するに、恐らくは……。

 

「重い障害が残るほど危険なこと、だった……」

 

 そう考えると、大きく矛盾しない。もちろん、匿名ブログからの情報であり、当時話題となっていた人物を誹謗中傷するためだけの、さして意味のない文章である可能性もある。

 

 しかし、これだけ偶然が重なれば、それはもはや必然と呼ぶべきだ。つまり、あの写真とこのブログに記載された、僕の父親たちが持ち掛けたという話……これらは、確実に繋がっている。

 

 そして僕が『後天的に』サヴァン症候群となったという話も、もしかすると明らかとなるかもしれない。

 

「でも、そうだな……」

 

 ここで問題となるのは、この持ち掛けられた話というものが一体何なのか、である。それが今のところ、一切見えてこない。箱崎に聞いてしまうのが最も手っ取り早いのだが、ムーンバックスカフェでの様子を鑑みると、何だかんだと理由を付けられて逃げられそうだ。

 

 出水でみずも、明らかに何か知っているような反応を見せていたものの、あの感じではまた電話を切られてしまうだろう。場合によっては、言葉を交わすことすらも拒絶されかねない。

 

 インターネットからは、これ以上の情報は得られそうもない。たとえ水島 龍太郎以外の人物の名前で検索しても、結果は同じであろう。そもそもニュースの記事自体が削除されているのならば、探し出す方法は皆無と言えよう。

 

 そうなると、僕に出来ることはもう無いか。地道に聞き込みをする訳にもいかないし、第一、このブログを管理する女性、それに灰谷、間柴に至っては所在すらも不明なのだ。警察でもない僕が、探し出せる可能性などゼロであろう。

 

 ……いや、違う。

 

「あ……!」

 

 そうだ。この中に一人だけ、勤務先の判明している人物がいる。無論、それは水島 龍太郎のことではない。彼の所在は知っているが、話しかけるつもりなど毛頭ない。

 

 間柴 忠。箱崎の話によると、彼は代々木にある、東京総合国際病院の小児科医であるそうだ。外来を受け持つ医師ならばブースなどに氏名が表示されているだろうし、小児科外来の待ち受けに高校生がいても自然であろう。

 

 彼を待ち伏せし、一人になったタイミングで声を掛ける。そこで水島 龍太郎の息子であると話せば、少なくとも話は動くはずだ。これは、我ながら良い策ではないか。

 

 いずれにしろ、現在の時刻は午後三時過ぎ……今から病院に向かうには遅い。そもそも、今日、明日は祝日であり一般外来が開いていない可能性もある。今日のところはリサーチに徹し、改めて明後日、5月7日に東京総合国際病院へと行こう。

 

 この行動が、社会的に許されないものであることは良く分かっている。相手が真人間であるという確証もないため、僕の身が危険に曝される可能性もあるだろう。

 

 それでもいい。僕は、この方法を選ぶ。単なる好奇心ではない。僕を普通という枠から外した罪人がいるのならば、この手で暴いてみせる。そうでないならば、こういう運命なのだと受け入れる。ただ、それだけなのだ。

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