「灰谷の娘が、高城の……?」
思いもよらない事実に、僕は痛む頭を必死に抱えてうずくまる。『新人類計画』を主導したという人物の一人である灰谷 玲。そんな彼女の娘と仲が良かった、という信じがたい事実に、僕の脳は悲鳴を上げた。
だが、それ以上に驚くべきなのは、その灰谷 澪という死亡していたはずの女の子が、高城を刺した犯人なのだという。ふざけた話だと一蹴したいところであるが、高城の真剣な眼差しを見る限り、彼女が嘘を吐いているという可能性は低い。
訳が分からない。木村からのメールといい、灰谷 澪の件といい、立て続けに死者による関与が浮上してきたのだ。このままでは、まともに思考など出来そうもない。
「ちょっと待って、美琉加」
そんな時、重苦しい沈黙を打ち破ったのは意外にも出水であった。思わず僕も高城も、彼女の顔をじっと凝視する。
「どうしたの、由惟。やっぱり信じられない?」
「ごめん。私、その映像をみた訳じゃないから、分からないけど……でも、澪ちゃんが美琉加を……なんて、そんなのありえない。絶対、ありえないよ」
「由惟……うん、そうだよね。でも、証拠があるんだ。映像だけじゃない、立派な証拠が」
「え……?」
そう言うと高城は、結果的に昨日からずっと持ち歩く羽目となってしまったバッグを手に取り、その中から一つのストラップを取り出す。高校一年生が身に付けるには少々違和感のある、小さい子ども向けアニメーションのものだ。年季が入っているせいか、かなりくすんでいる。
「それ、プリキャラか……?」
「ええ、先輩。十年くらい前に始まったアニメのキャラストラップです。もしかして知ってます?」
「あ、ああ。そりゃ、今も流行ってるくらいだからな。知ってることは知ってるけど」
「えっと、今は別のシリーズになってるので、正確には別作品ですけどね。この子は、プリキャラシリーズの初代のキャラなんですよ」
唐突に始まったアニメの話に戸惑いつつも、大分汚れの目立つストラップを悲しげに見つめる高城へ、続けて問いかける。
「それで、そのストラップが何の証拠だっていうんだ?」
「……初代のプリキャラは、この子ともう一人の女の子が主人公でして。このストラップには、それを利用した面白い仕掛けがあったんですよ」
「面白い仕掛け?」
「ええ」
一度そのストラップを横に置き、高城はスマートフォンの画面をこちらへと向ける。プリキャラのストラップの画像だ。配色などは高城の持つものと同じにも見えるが、画面に写っているのは二人のキャラクターが仲良く手を繋いでいるものだ。一見すると、別物のようにも思える。
「これは?」
「もともと、このストラップはこんな感じで、二人のキャラが一緒になっていたものなんです。ですが、この真ん中の部分を切り離すと……」
指を軽くスライドさせ、次の画面を表示する。そこには、先ほど見たストラップと同じものが表示されていた。別のキャラクターのストラップと、セットになったような形だ。
「このように、二つのストラップが出来上がるんです。ただ、このストラップの仕掛けはそれだけではなくて、ですね。切り離した同じ製品でないと、ピッタリとくっつかないんです。まるで、相棒のように」
「へぇ、それはすごい……って、まさか!」
「はい。だからこそ、このストラップが証拠だと言えるんです。警察が持ってきてくれたものの中に、あったんです。この、もう片方が」
そしてまた横に置いたストラップを手に取ると、高城は小さく息を吐く。汚れたストラップを握りしめ、どこか遠くを見つめるように視線を落としたまま。
「そのストラップは……」
「もちろん、持って帰っていきましたよ。私のものではありませんし、受け取る資格はありませんから。でも、ピッタリくっついたことだけは確かです。あの警察の人に話を聞けば分かると思いますよ」
「そう、か……」
彼女の話が本当ならば、恐らく犯人は灰谷 澪で間違いないのだろう。もちろん、灰谷がストラップを紛失していた可能性もあるし、偶然にも現場に落ちていたストラップが高城のものとピッタリ合ってしまった、ということも考えうる。
だが、そんな確率は本当に低い。よほど作為的でない限り、まず考えられないだろう。灰谷は生きていて、しかも高城を襲った。そう捉えた方が自然だ。
だとすると、だ。その真意は何だ。なぜ灰谷の娘が高城を襲う必要性がある。それに、どうして生きているのだ。様々な疑問がどんどん浮かび上がる。
「出水、ちょっといいか?」
「は、い……」
「その、灰谷 澪が亡くなった、っていうのはいつの話なんだ?」
「っ……」
僕の問いかけに、出水は思わず高城へと視線を送る。だが、高城は特に気にする様子もなく小さく頷いた。それを受けて出水は、言葉を選びながら訥々と答える。
「え、と……実験の最中だって、聞いたこと、あります。電圧が強すぎて、その……焼けてしまった、って、間柴さんが」
「焼けて……」
その言葉を聞いただけで、どれほど遺体が悲惨な状況であったか理解できた。『新人類計画』は、脳に特殊な負荷を与える実験だったと聞いている。つまり、実験中に電圧がかかり過ぎて焼けてしまった、ということは……見る影もないことになったのだろう。
しかしそうであれば、灰谷が今回の犯行を遂げたとは考えにくい。辛うじて一命を取り留めたとしても、脳にはどう考えても重い障害が残るはずである。十年の歳月が経っているとはいえ、その状態から人を刺した後、走って逃げられるような体を取り戻せたとは思えない。
そうなると、灰谷は事故に巻き込まれてもいなかったし、死んでもいなかった、と仮定する方が適切だろう。彼女を亡きものとした意図こそさっぱり不明であるが、現状としてはそれが最も矛盾しない答えだ。
無論、もう十年以上も前の話である。当時の真相を知る人物など、例の写真に写る人物しかいないだろうし、その大半はすでに息絶えている。間柴からはもう話を聞けるとは思えないし、箱崎からの続報を待つしかあるまい。
両親の件もそうだが、自分で動ける範囲には限界がある。大人しく今日は休むしか選択肢はないだろう。ああ、今日はもうどれだけ体力を消費したことか。さっさと休んで……
……休む?
「あ、しまった……」
僕の独り言に、俯いたままであった高城と出水は顔を上げ、僕を見つめる。
そうだ。そういえば、今日の寝床すら決まっていないのだった。ゆっくり休もうと思ったところで、その場所が無い。そんな過酷な現実を、高城の告白によりすっかり忘れていた。
もちろん、高城の話の方が圧倒的に重要な案件である。僕の寝床の問題など、それと比べたら然したるものではない。とはいえ、今日は出来ればちゃんと眠っておきたいところだ。少し躊躇われるが、良い場所が無いか聞いてみるとしよう。
「どうしたんですか、急に」
「……えっと、こんな時に言うことじゃないけど、今日は家に帰れなくなっちゃっててさ。それで、どこに泊まろうかって考えてたのを今思い出してさ」
「え、それ大問題じゃないですか! なんで帰れないんです?」
「えっと……まあ、親子喧嘩みたいなもんだよ。それより、どこかいいところは無いかな。ネカフェは未成年だと泊まれないみたいだし」
「もう、先輩って本当に……でも、そうですね。帰れないんだとしたら、早いとこ決めたいとですもんね」
先ほどまでの空気はどこへやら、高城は至って普通にスマートフォンを使い、何かを検索し始めた。恐らく、気の利く彼女は僕の泊まれるような施設を探してくれているのだろう。まったく、本当に口と足癖さえ良ければ最高の後輩なのに。
心の中でそう小さく笑いつつ、僕もバッテリーの残り少ないスマートフォンで同じく探り始める。だが、そんな時であった。またもや、いつもは黙ったまま言葉を発さない出水が、少し強めの声色で一つの提案をする。
「あ、あの! でしたら、私の家はどうでしょうか」
「は? 出水の家?」
まったく予想外の提案に、当事者の僕はおろか、宿泊施設を探してくれていた高城でさえもスマートフォンをベッド上に落とし、目を数回瞬きさせる。そんな僕たちの反応に驚いたのか、出水も同じく戸惑いながら口を開く。
「あの、何か変なこと、言った……? 泊まるとこが無いなら、どうかなって、思って……その……」
「いや、その……ご両親は良いのか? 一応さ、ほら。僕も男な訳だし、知らない男子を家に泊めるのって、多分抵抗あるんじゃないかなって思うんだけど」
多分というか、娘を持つ親ならば確実に拒絶するであろう。幼馴染で、何度も家の行き来のある人物ならばともかく、出水の両親に会うことはもちろん、彼女の家に向かうことすら初めてである僕を、快く迎え入れてくれるとは思えない。
だが、一方の出水は全く意に介することなく、むしろなぜ抵抗があるのか、とでも言わんばかりにきょとんとした表情で見つめ返した。
「なんで? うちは広いし、使ってない部屋もいくつかあるから、大丈夫。困ってる人、助けるの、悪いことじゃない、でしょ?」
「いや、それはそうだけど……」
「私の家は、イヤ?」
寂しげに見つめる出水に、もはや観念せざるを得なくなった僕は、大きく溜息を吐いて心を決めた。
「はあ、分かった。そう言ってくれるなら、ありがたく泊まらせてもらうよ。でも、親御さんに反対されたら帰るからな?」
「大丈夫、心配しないで。お父さんは、私がお願いしたらダメとは言わない。だから、大丈夫」
「そ、そうなのか」
「はい」
それはまた、随分と娘に甘い父親だ。部室にPC類一式を贈呈してくれたことといい、彼女の父親にはまったく頭が上がらない。もし出会った際には、丁寧にお礼を言っておこう。
すると、この一連のやり取りを眺めていた高城は、どこか複雑そうな表情を浮かべると、何かを思い出した様子で声を上げる。
「……あ、ごめん由惟。ちょっと売店で靴下買ってきてくれるかな? あの人たち、靴下だけ持って来てくれなかったっぽいんだ」
「え? うん、いいけど……色はなんでもいい?」
「うん。どうせ一日だけだし」
「ああ、だったら僕が行くよ。出水はここで————」
そう言って立ち上がった時、高城は僕を軽く睨みつけながら引き止める。
「先輩、私の足のサイズ知ってるんですか?」
「え? いや、知らないけど……教えてくれれば、別に問題ないだろ?」
「あのですね……足のサイズって、他人に知られるの結構恥ずかしいんですよ? もう、こういうビミョーな乙女心も理解してくださいよ。それに、先輩が買ってきた靴下を履くのって、なんか変な感じがするし」
「は、はぁ? なんだそれ、意味わかんねぇんだけど」
反論を続けようとする僕を無視し、高城は苦笑しながら出水へ両手を合わせ、わざとらしく懇願する。
「と、いうわけで。ごめん、由惟! お願いね!」
「う、うん。行ってくるね」
「ちょ、ちょっと……!」
出水の方も、僕を完全にスルーして一人で病室の外へと出て行った。せっかくの厚意を無下にされ、少し気分を害しつつ再び椅子に腰かける。
まあ、乙女心を理解していないという指摘は尤もであるし、万が一高城の気に入らないものを購入してしまった場合、その処理が面倒だ。ここは親友である出水に買って来てもらう方が無難だろう。
そう、自分の中で強引に納得したところで、不意に高城が僕に向けて申し訳なさそうに口を開く。
「……すみません。どうしても由惟には席を外して欲しかったので、あんな言い方になっちゃって」
「え? それって……出水には聞かれたくない話がある、ってことか?」
「はい。由惟の家族に関する、大事な話です」
「家族の?」
「ええ」
弱々しかった表情は一転、友人の話を語ろうとする高城の顔はまさに真剣そのものであった。その眼差しを受けて、先ほどまで抱いていた不愉快な気持ちを消し、姿勢を正して彼女の話に耳を傾ける。
「本当は、由惟本人が話をするまで黙っていたかったんですけど……家に行くみたいですし、今のうちに話しておかないと、と思いまして」
「……複雑な家庭環境、っていうことか?」
「うーん、うちとか、先輩の家ほどじゃないですけど……そういうのとは毛色が違う、っていうんですかね」
「毛色が違う? まあ確かに、僕たちと比べると出水は随分と過保護に育っているように見えるけど」
「そうですね。あの家の場合、そこが問題なんです」
少し間を置き、廊下から出水の足音が聞こえないことを確認した後、また高城は話を続ける。
「由惟の能力の話、覚えてますよね」
「ああ。えっと、僕の能力に近いけど、どっちかって言うと人間の認識に長けてる、ってやつだよな。それが関係してるのか?」
「さすが先輩ですね、一度しか話してないのに。まぁ、結論から言えばそうです。由惟の能力のせいで、あの家庭はこじれてしまった。ただし、由惟と父親との関係だけが、ですけど」
「父親との関係だけ?」
それはまた、不思議な縺れ方をしたものだ。そうだとすれば、『新人類計画』に絡んだ亀裂ではないのだろう。高城の方は知らないが、少なくとも僕の家庭はあの実験のせいで崩壊した、と言っても過言ではない。
実際は、両親の性根が腐っていたことが根底にあるのだが、決定的となったのはあの実験を経たせいで、僕の能力を彼らが過大評価したことにある。そういう意味では、『新人類計画』により完璧に破綻させられた、と言えるだろう。
そういう教育的な問題はなく、父親と出水との間だけ歪んだ、ということは……まさか。
「目撃してしまった、ってことか? その……現場を」
「鋭いですね。……そうです、由惟は父親の不倫を見てしまったんです。しかもその相手は、由惟の母親の妹さん、だったそうですよ」
「そ、それはまた……」
「ええ。その当時、幼かった由惟には理解が出来ていなくて、直接父親に聞いてしまったんだそうです。どうしてあの人と一緒にいたのか、って」
「……そこから、出水に対する態度が一変した、と」
「そういうことです」
なるほど、そういうことか。出水は決して過保護に育てられた訳ではない。口封じのため、それこそ色々なものを買い与えたのだ。僕たちの活動に対する寄付も、それと同じ類のものなのだろう。
喋るな、と恫喝する親もいるが、その方法ではいずれ口を割ってしまう。力任せでは、子どもを抑止することなど出来ない。僕のように、いずれ最悪な形で破滅が訪れる。
その一方で、彼のように物を与えることでコントロールする、という方法。これは大きな目で言えば、国家レベルでも行われるような手法だ。姑息だが、非常に理に適っている。それが父親の手によるものならば、なおさらだ。
「母親は、そのことを?」
「もちろん、今も知らないままです。あの父親は、由惟に物を買い与えるたびに、執拗に言ったそうですよ。余計なことは言わないでね、って。そのせいか、言葉を口にすること自体に委縮してしまって……久しぶりに会った由惟はすごく大人しい子になってて、びっくりしました。十年前は、もっと活発に喋る子だったのに」
「そうだったのか……」
「ですので、先輩」
憐れむような瞳をまた厳しいものへと切り替え、高城は僕を一直線に見つめる。
「お願いですから、家にいる時の由惟を、少しだけでも明るくさせてくださいね。あの子にとって家は、口も利けない真っ暗な世界だと思うので」
「……ああ。できる限り、そうさせてもらうよ。泊めてもらった恩もあるし、出水はもっと笑った方が良いからな」
僕の返答に満足したのか、高城は今日一番の笑みを浮かべて両腕を挙げ、背筋をぐーっと伸ばす。
「期待してますよ。……あーあ、こんな状況じゃなかったら、私も一緒に泊まれたのになぁ。どうしてこう、私って運が悪いんですかね。志摩丹でのコトもそうですし、何か私を中心に事件が起きてるような気がしちゃいますよ、もう」
「それは無いだろ。どっちかっていうと僕の方が……ん?」
会話の途中、扉の方から乾いた音が室内へと響く。恐らく、出水が戻ってきたのだろう。一瞬だけ僕と目を合わせた後、高城はその訪室者を中へ通す。
「はーい、由惟かな?」
「うん。ごめん、遅くなっちゃったけど、あったよ靴下。それと」
姿を現した出水は、コンビニ袋を提げこちらへと歩み寄り、中に入っていた靴下を取り出しつつ要件を告げる。
「これから検査だって、看護師さんが」
「検査? あ、そっか。お昼前にやるって話だったっけ。今すぐ?」
「えっと……うん。用意できたら、ナースステーションまで来て、って」
「はぁ、忙しいな。了解、ありがとうね」
そう言って、買ってもらった靴下をテーブルに置くと、高城はこちらの方に振り向いて名残惜しそうに唇を開く。
「検査とかいろいろあるので、先輩たちはもう帰っていただいて大丈夫ですよ。待ち時間の方が長くなっちゃいますから、さすがに悪いので。それに……」
また視線を落とし、例のストラップをじっと見つめる。彼女にも、灰谷の件を受け入れる時間が必要なのだろう。その表情を見れば、幾ら疎い僕にでも理解できる。
「分かった。じゃあ、お大事にな。何かあったらすぐに連絡してくれよ?」
「無理、しないでね?」
「なに、二人とも。大丈夫ですって、一晩ここで過ごしたら、あとはすぐにでも復帰しますから。じゃ、行っています」
明らかな作り笑いを浮かべ、高城は検査へと向かっていった。残された僕たちも、言われた通り荷物を片付け始める。
「さてと。じゃあ……昼メシでも食うか。ちょうど時間だしな」
「う、うん。でも、あまり食欲ない、です」
「僕も同じだよ。そうだな……中野に着いたら適当なカフェに寄って、軽食でも摂るか。それでいいか?」
「は、はい」
「よし、行くか」
適当に病室の中を整頓し、僕たちはゆっくりと病院を後にした。午前十一時半過ぎ、活気のある代々木の街中を、病人のように重い足取りで進む。様々なものを背負い、まるで足枷を嵌められたように。
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