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小欅 サムエ
小欅 サムエ

2-13

公開日時: 2020年11月28日(土) 22:28
更新日時: 2021年1月3日(日) 13:21
文字数:4,666

「『赤い部屋』ねぇ……」


 そう小さく呟くと、僕は椅子の背もたれへと体を倒し、深く溜息を吐く。PCの画面には、まだ延々とこのFlash作品に関する情報が掲載されていたが、もはや読む気にもならなかった。


 すでに深夜となっており、明日……いや、もう今日と言うべきか。九時には警察官である箱崎はこざきと何か話し合わなければならず、警察署付近のカフェへと向かうことになっている。そんな状況であるため、これ以上僕は脳を働かせたくなかった。


 すると、僕の溜息が聞こえたのだろうか、耳に当てていたスマートフォンから、少し怒りを交えた金子かねこの声が僕の部屋中に響く。


「てめぇ……そっちから急に電話しておいて、その反応は無ぇだろ! 『赤い部屋』っつったらよ、やっぱそれくらいしか浮かばねぇな。一応検索してみたけど、小説のタイトルとか、ホラーゲームとか、そういうのしか出ないし」

「ああ、それは僕もやってみたよ。だから、色々と詳しそうなお前なら、何か知ってるかなって思って聞いたんだよ。でも、そうか……」


 そう、こんな時間にも拘わらず金子へ、チャットではなく電話を掛けたのは、『赤い部屋』に関する情報を得るためであった。チャットを介した場合、たとえ既読になっても返事がない可能性がある。そうすると、僕はただ無為な時間を過ごさざるを得ず、それは結果として疲労と負の感情を生むだけなのだ。


 だからこそ、時間帯を考えると大変失礼なのだが、電話という選択に至った訳である。幸運にも金子の方はまだ起きており、特に時間を気にする様子もなかったため、その面では事なきを得た。


 だが、電話を掛けてからが問題なのであった。西野にしのだけならばまだしも、金子に事件の詳細について語るのは躊躇ためらわれる。ただでさえ好奇心旺盛な彼が事実を知れば、どんな行動に出られるのか予想がつかないのだ。


 そういう訳で、とりあえず僕は事件に関することである、ということは伏せておきつつ、単刀直入に『赤い部屋』というフレーズに何か覚えは無いか、と質問をしたのである。


 しかし……普段は電話どころかチャットでの連絡すらない僕から、突然こんな時間に電話が来たと思えば、『赤い部屋』について何か知らないか、と問われて、よく彼も素直に応じてくれたものだ。僕が金子の立場だったら、即刻電話を切っていただろう。


 結果としては何の情報も得られなかった訳だが、改めて彼が良い奴である、と確認出来て良かったと思う。


「いやー、しっかしさ。水島みずしまには悪いけど、俺、部室に戻ってて良かったよ。後で会長や警察から話だけ聞いたけどよ、まさか木村きむら先生が、なぁ……俺、そんなの見たら数日は寝られなかっただろうな」

「ああ……まあ、僕だってまだ動揺はしてるけどさ。何て言うのかな……志摩丹しまたんでのこともあって、ちょっと慣れたっていうか」


 慣れた、というのは嘘だ。実際、現場では卒倒してしまっているし、恐らく今夜もロクに寝付けないだろう。これがもし連休中でなければ、明日また登校しなくてはならないかと思うと、背筋が凍ってしまう。


「志摩丹って……ああ、アレな。出水でみずから少し聞いた後、ネットニュースで確認してみたぜ。あんな現場に出くわすなんて、水島も高城たかしろも運が無いっつーか……呪われてんじゃねぇの?」

「うるせぇよ。……って、ネットニュースにもなってたのか。それじゃ、被害者の名前とかも公表されたのか?」

「ああ。えっと、ちょっと待てよ……真中まなか、なんとかっていう女性が、女子トイレで自殺していた……だったかな。当たり前だけど、お前の話なんか一言も出てなかったぞ」


 そんなことでネットニュースに載りたくはない、そう反論しかけた時であった。ふと、金子の言葉に違和感を覚えた僕は、単なる言い間違いかどうか確かめるため問いただす。


「ちょっと待て。今、『自殺』って言ったか?」

「ん? ああ、ネットニュースには『自殺』って書かれてたし、警察の公式発表も、確か自殺で間違いなかったと思うぜ。なんだ、お前現場にいたんじゃないのか?」

「そんな、馬鹿な……」


 自殺、だと? あの異様な現場を見て、真中 優佳ゆうかは自殺である、と警察は断定したというのか。


 それはおかしい。鋭利な何かにより頸部を切断され、しかもその首を手に持たされている遺体が、自殺として処理されるなど有り得るものか。それだけじゃない、遺体の発見された個室は綺麗そのもので、むしろその一つ手前の個室は血塗れであった、と高城から聞いていたのだ。誰かが意図的に遺体を動かしたとしか考えられない。


 そんな状況で、どうして自殺と断定できる。百歩譲って真中の妹は自殺だったとしても、彼女の遺体を動かした人物がいるはずなのだ。ならば少なくとも、自殺幇助ほうじょだとか、そういった罪を負うべき人物がいて当然である。


「水島? おい、聞いてんのか?」

「……」


 思い返せば、大島おおしま ひろしの件も自殺として報道されていた。浴室で亡くなっていたのではなく、浴槽で死んでいたにも拘わらず、だ。加えて、今回の事件も状況からして自殺と判断されても不思議ではない。直前の木村の様子を撮影したあの映像がない以上、それを証明できないためだ。


 これは、やはり何かある。警察を背後で操ることのできるほどの権力者か、あるいは警察内部による犯行という可能性すらも浮上してくるのだ。やはり、西野の言う通り静かにしておくべきなのだろうか。僕は、自分の力を頼られることに愉悦し、非常に危ない橋を渡ろうとしているのかも知れない。


 比較的涼しい夜であるというにも拘わらず、額から一筋の汗が流れ落ちる。心臓は強く跳ね、まるでこれ以上関わるな、と警鐘を鳴らしているかのようであった。


 だが、そんな中。完全に凍り付いてしまった僕の耳へと金子の大きな声が伝わる。先ほどのような怒り交じりではなく、心から僕を心配する声色であった。


「おい水島! 大丈夫か!」

「え、あ……」


 呆けたままの僕は、母音のみであったが何とか金子の声へと応えた。ようやく僕からの言葉を聞くことが出来たからか、彼は少し安堵した様子で話を続ける。


「おいおい、しっかりしろよな。まあ、立て続けにこう妙な事件が起きると、そりゃ不安だろうけどさ。けど、俺の前ならともかく、出水や高城の前では、そんな風になるんじゃねぇぞ。今日だって、お前が倒れた後、二人とも同じように気を失ったんだし」

「え、そうなのか?」

「ほんと、マジで大変だったんだよ。高城と出水は倒れるわ、撮影機材はそのままになってるわ、会長は先生たちと話してて使えないわ……俺、今日ほど働いた日は無いと思うぜ」


 そうだったのか。それは、金子に申し訳ないことをした。高城は志摩丹の事件でも倒れていたし、そうなる可能性も充分考えられたのだが、まさかあの、グロい絵を好む出水すらも昏倒するとは、完全に予想外であった。


 まあ、木村が転落するだなんて、グロ以前にいろいろとショックが大きいことは確かである。もともとあまり精神的に強くなかったし、ある程度は理解もできよう。


 そして、西野は生徒会長として登校していた生徒への対応や、他の教員に情報を伝達する仕事があったために、僕たちのことを気に掛ける余裕など無かっただろう。だからこそ、夕方であっても彼女は学校に戻り、他の生徒たちと同様に僕たちメンバーの様子も確認しようと部室へ来ていたのだ。


 なるほど、ようやく今日の……いや、時間的には昨日のことになるが、全貌が明らかとなってきた。


 そうなると、一人残った金子は倒れてしまった出水や高城、それに僕への対応をしつつ、かつ撮影機材の撤去をしなければならず、それはまさに過酷だっただろうな。日差しの強い中、一人で黙々と三脚やカメラなどの機材を片付けたのだから。


 ……待てよ。それはつまり、あのカメラを片付けたのは金子、ということになるのか。それならば、金子がカメラをどこに戻したのか聞けば、あの失われてしまった映像を取り戻せるかも知れない。


 もし、金子がいつものように段ボール箱へと片付けた、と証言すれば……何者かが、意図的にカメラを持ち去った、と言えるのだ。思いがけない展開であったが、これがはっきりすれば、かなり大きな手掛かりとなるだろう。


「……金子」

「ん、なんだ?」

「機材も片付けてくれたんだよな。だとしたら、カメラはどうした?」

「カメラ?」


 彼の返答を待つ、ほんの少しの間でさえも、非常に長い時間であるように感じた。それと同時に、猛烈な勢いで渇いてゆく喉を潤すため、ゴクリと唾を飲む。


 そして、少し考えた後、金子ははっきりと答えた。


「ああ、いつもの箱に戻したはずだぜ。なんか録画モードだったから、それは止めといたけどな」

「それは確かだよな?」

「あ? そりゃあ、俺たちの活動に不可欠だしな。水島とカメラ、どっちを取るかって聞かれたら、迷わずカメラと答えるくらいにな」


 その余計な発言はさておき、彼の証言により、確実にカメラは部室へと片付けられていたことが判明したと言えよう。そうなると、やはり第三者があのカメラを持ち去った、ということになる。


 つまり、僕が撮影した映像は、この事件の裏で動く人物にとって不都合な事実が隠されている、と考えるべきだ。一体それが何なのかは見当もつかないが、重要な情報であることは確かである。


 この話も、明日箱崎と会った際に伝えておこう。もしカメラを持ち去った人物が特定できれば、その人物が事件に大きく関与していると考えてしかるべきなのだから。


「ありがとう、金子。参考になったよ」

「お? おう。よく分かんねぇけど、役に立ったんなら良かったよ。それで、一つ確認するけど、いいか?」

「ん?」


 すると、少し神妙な調子で金子は僕へと問いかける。


「俺たちの活動のこと、なんだけどさ。しばらく休止にしないか? 先生の件もあるし、この状況で動画をアップ、なんてそんな気分には、とても、な……」

「まあ、確かにな。西野からは、学校のPR動画の件は白紙と言われたけど、そういうレベルの話じゃなくなってるしな」


 倫理的な面も含め、僕らのミーチューバーとしての活動は、休止せざるを得ないだろう。ただ、その件については僕と金子だけの相談で決められることではない。一度、メンバー全員を招集して、きちんと話し合うべきだ。特に高城に関しては、彼女自身の夢にも直結していることである。簡単に休止、と言って納得するとは思えない。


「そうだな……この様子だと、ゴールデンウイーク後もしばらく授業も休みになりそうだし、落ち着いた頃にでも話し合おうか。出水や高城がこの先どうしたいか、っていうのも知りたいし」

「俺と同じ意見で安心したぜ、水島。じゃ、授業の連絡とか回ってきたら、その時に改めて話すか」

「ああ。……おっと、もうこんな時間か。今日は疲れたし、また後で連絡するよ。じゃあな」

「おう」


 通話を切り、明日に備えて僕は寝ることにした。まったく寝られるような精神状態ではないが、布団に入り目を瞑れば、少しは休まるかも知れない。そんな淡い希望を抱きつつも、PCを落とすため画面へと視線を移す。


 画面には未だに、都市伝説とも呼ぶべきFlash作品の紹介ページが表示されたままであったが、特に意に介すこともなくブラウザを閉じ、PCの電源を切る。


 そして、ベッドへと横になり、ゆっくりと目を閉じる。まったく、事件が起きた上、様々な情報の行き交う大変な一日だった。しかし、僕の瞼の裏に焼き付いたのは、金子から紹介された『赤い部屋』という奇妙な作品であった。最後に見たのが悪かったのだろう、そう軽く考え、僕はそのまま眠りにつく。

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