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小欅 サムエ
小欅 サムエ

1-13

公開日時: 2020年11月1日(日) 12:47
文字数:1,781

 同時刻、練馬区のとあるアパート。小さな神社を見下ろせる一室で、箱崎はこざき 邦洋くにひろ真中まなか 弘佳ひろかは無言のまま捜索を行なっていた。何の変哲もない、事件現場となった訳でもない部屋だというのに、二人の間には重々しい空気が流れている。


 それというのも、この部屋の借主は真中 優佳ゆうか……つまり昨晩不審死を遂げた、弘佳の妹の生活拠点であった場所なのである。大家や家族に断りを入れたとはいえ、気が重くなるのも無理はない。


 弘佳に至っては、実の妹の死からまだ一日も経過していない中での捜査である。普通ならば特別休暇が与えられるはずであったが、彼女はそれを固辞し、こうして箱崎と行動を共にしているのだ。当然、その顔に憔悴しょうすいの一つも浮かんで然るべきであろう。


 だが、それでも彼女はその手を休めない。事件の早期解決に向け、一心不乱に働き続ける。箱崎は、そんな痛々しい姿の彼女を、ただ見守ることしか出来ずにいた。


 それ故に、この部屋は夕暮れよりも暗く、冷たい空気に包まれているのである。主を喪った部屋の寂寥せきりょうではなく、沈痛な人間の想いが満ち溢れていた。


 そんな中、箱崎は耐えかねた様子で、軽く体を捻り弘佳に声を掛けた。


「よし、そろそろ引き上げようか。真中よ、お前ほとんど寝てないだろ? 早いうちに帰って、一旦休んだ方が良いと思うけどな」

「……余計なお気遣いは無用です、先輩」

「いや、しかしな……」


 箱崎の言葉を受けてもなお、手を動かし続ける弘佳に対し、彼は頬を掻きながら言葉を紡ぐ。


「まぁ、早く片付けたい気持ちも分かるがな……そうやって焦っても、体力と精神ばかり減っていくぞ。体調を崩しちまったら、それこそ妹さんが浮かばれない気がするんだが」

「……」


 すると、観念したように大きく溜息を吐き、弘佳はその手を止めた。そしてゆっくり立ち上がると、冷めた目つきで箱崎を睨む。


「妹と言っても、成人してからはほとんど口を利いてませんでしたから。別に家族の絆、みたいな薄ら寒い動機で捜査している訳じゃありませんよ」

「はは……寒い、と来たか、なるほど。だとすれば、純粋に事件を解決したくて、高校生にあんな悪態までついた、という理解で良いのか? そうなると、あまり褒められたことでは無いぞ」

「高校生……ああ、あの頭の悪そうな二人ですか。しかし、首なしの遺体を目撃した翌日に堂々と通学できるなんて、やっぱり見た目通り空っぽなんでしょうね」


 悪口をエスカレートさせてゆく弘佳を止めることなく、むしろ箱崎も同意するように笑う。


「違いないね。それに、あの男の子……えっと、水島みずしまくん、とか言ったっけ。彼、何か隠しているような感じだったし」

「隠し……?」

「おや、気付かなかったかい? キミの質問に答えるとき、彼、少しだけ目が泳いでいたんだけどな。しかし意外だね、キミはああいう変化に目聡かったはずなんだけど。やっぱり疲れてるんじゃないか?」

「……」


 また大きく息を吐くと、弘佳は目を瞑り、天井を仰いだ。高校生の表情の変化にすら気付けなかった自責と後悔を含ませながら、唸りのような低い声を発する。


「たかが高校生風情が、随分と舐めた真似を。……でも、そうですか。だとすれば、やはり私は疲れているのでしょうね。少し頭を切り替える時間が必要かも知れません」

「そうだろうとも。それと、何か思うことがあっても、進んで警察に話そうとする人なんて少数だからね。その辺もんであげてよ」

「はあ……」


 あまり納得のいく素振りを見せない弘佳に対し、箱崎は少し大げさに肩をすくませ、身をひるがえす。窓から差し込む街灯に照らされ、シワの多い背広がその凹凸をより克明にする。


「さて……あの高校生に関しては、とりあえず保留として。この部屋にも特に異常は無いようだし、車に戻ろうか。仕切り直して、明日にはあの西蓮寺さいれんじとかいう画家を調べよう。それまでは休憩。いいね?」

「……分かりました」

「よろしい。じゃ、車で待ってるから、後片付けよろしく」


 そう言って箱崎は軽妙にドアを開けると、彼女を部屋に残したまま去って行った。丸投げされた弘佳は呆れつつも、アパート中に響き渡りそうな箱崎の階段を下る音を耳にしながら、視線を落とす。


 そこにあったのは、一枚の写真。弘佳、それに優佳が肩を寄せ合いながら、笑顔をこちらに向けていた。それを苦々しく見つめ、彼女は小さく呟く。


「……確かに、そうだったね。ほんと、嫌になるくらいに」


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