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小欅 サムエ
小欅 サムエ

5-7

公開日時: 2021年9月19日(日) 14:15
文字数:6,153

 暑そうな外の世界とは異なり、体の底から冷え切ってしまうような廊下を進むこと、およそ数分。僕たちはようやく目的の場所、いつもの部室へと辿り着いた。しかし、部室のドアへ鍵を差し込んだ時、一つの違和感に気付き動きを止める。

 

「ん……?」

 

 部室の鍵が開いていたのだ。僕たちが最後にここを利用したのは、五月四日の夕方。木村きむらの件での聴取を終えた後、カメラを探すために真中まなかと共に戻ってきて以来、ここには立ち寄っていない。そもそも、校内にすら足を踏み入れていないくらいだ。

 

 あの時はかなり気が動転していたが、それでも鍵だけは確実にかけていた。一緒にいた西野にしのから、鍵のかけ忘れを指摘されたことも覚えているので、間違いはない。

 

 そうなると五月四日以降、ここへ来た人間がいるか、もしくはちょうど今、誰かが部室にいるのか、そのいずれかとなる。だが————

 

「おかしいな……」

「ど、どうしたんですか、先輩。顔、怖いです」

「いや……」

 

 この部屋の鍵は僕と木村の持つ分と、守衛室にある分を合わせて計三つしかない。木村の持っていた鍵は学校側へ返却されただろうが、そうなると部室の鍵が開いていてはおかしい。

 

「なぁ、西野。部室棟に来た時、誰か見たか?」

「え? うーん、そうね……守衛の宮下みやしたさんを除けば誰も見ていないわ。もちろん、私が学校に来たのは正午ごろだし、ずっと入り口にいた訳ではないけれどもね。でも、どうして急にそんなことを聞くの?」

「いや、特に意味は無いよ。ありがとうな」

「……?」

 

 誰かが部室に来ていたならば、とは思ったのだが、そうではないようだ。目聡い西野のことだ、たとえ入り口に立っていなくとも生徒の気配くらいは察知できるだろう。

 

 つまり、五月四日から今日に至るまでの四日間のうちに、誰かが部室へ侵入した、ということになる。なぜ数ある部屋の中で、僕たちの部室を選んだのかは謎だが……とりあえず、中へ入って状況を確認しなければ。これ以上撮影機材を盗まれては、今後の活動に大きな支障を来してしまう。

 

 ドアノブを回し、ゆっくりと扉を開ける。そして恐る恐る部屋の中を覗くと、そこには驚くことに僕の予想していなかった人物が、退屈そうに椅子に座って本を読んでいた。

 

「か、金子かねこ……?」

「ん? おう、水島みずしまか。ようやく来たな」

 

 そう、もともと午後二時ごろに会う約束だった金子が、何故か先に部室にいたのである。この状況が全く把握できず何度か目を擦り、いつものように軽い調子で喋りかけてきた金子へと詰め寄る。

 

「ちょ、ちょっと待て! お前、なんでこんなに早くに来てんだよ。勉強とかで忙しかったんじゃないのか?」

「そりゃまぁ、忙しいっちゃ忙しいけどさ。家にいると息が詰まるし、水島の話がどうにも気になってな。先にここに来て勉強してよっかな、って思っただけだよ。図書室は開いてねぇし、ここなら静かだろ?」

「ま、まぁ確かにそうだけど……っていうか、鍵はどうやって開けたんだよ。お前、鍵なんか持ってないだろ?」

「守衛さんに頼んで開けてもらったんだよ。何度も喋ったことあったからさ、ほとんど二つ返事で鍵くれたぜ?」

「マジか……」

 

 どれだけセキュリティが甘いのだ、この学校は。それはともかく、先に金子が鍵を開けていたのならば、先ほどまでの懸念は完全に杞憂だった、と言えるだろう。軽い苛立ちと深い安堵感を覚えつつ、滲んだ汗を拭って壁へともたれ掛かった。

 

 そんな僕を不思議そうに見つめた金子は、本を閉じて僕へ問いかける。

 

「それで? 電話で言ってた名簿のデータは持って来てくれたんだよな?」

「あ? ああ、出水でみずがUSBを持ってる。スキャン済みだから安心していい」

「そっか。んじゃ、出水。さっさとそのUSBをPCに……あれ?」

 

 そう言って、僕からだいぶ遅れて入って来た出水へ視線を向けた金子は、途端にフリーズした。どうやら彼は、出水の背後にいる、とても大きな存在に気付いたようだ。そして、金子は顔色を一気に青く染め上げ、勢いよく立ち上がった。

 

「お、おいちょっと待て! なんで会長がここに!?」

「あら、何を怖がっているのかしら? 私は出水さんと水島くんから、事件に関する話をするから来てくれ、と頼まれただけなのですけれど、何か文句でもありますか?」

「た、頼まれた……?」

「そう、です。金子先輩、私たちが呼んだ、から。安心して」

「いやいや、安心は出来ねぇよ! けど、そうか……」

 

 出水の声掛けに、金子は少しずつ冷静さを取り戻してゆき、ゆっくりと椅子へ座り直した。まだ血色こそ悪いものの、ある程度までは状況を把握したらしく、先ほどまでの軽妙な口ぶりではなく重々しい雰囲気を纏いつつ、僕に向けて口を開く。

 

「水島。会長に伝えたってことは、そういうことで良いんだな? 今朝の電話のアレは、例の研究に関わったリストだって確信したんだな?」

「……ああ。それに、お前のことも出水から聞いたよ。本当、なんだよな?」

「へぇ、そっか。だったらもう隠す必要なんかねぇよな。はぁ、仕方ねぇな……」

 

 大きく溜息を吐き、金子は天井を仰いだ。そのまま目を瞑り、一つ一つの言葉を丁寧に紡ぎあげるかのように、しっかりとした口調で語り出した。

 

「今まで黙ってて悪かったな。俺は『新人類計画』を主導した一人、金子かねこ 春寿はるひさの息子だ。そんで、『新人類計画』が破綻したときに全責任をお前の父親、水島みずしま 龍太郎りゅうたろうに押し付けたのも、俺の父親だよ」

「なん、だって……?」

 

 悪びれる様子もなく、淡々と事実を突きつける金子に対し、僕は唖然としながら震える唇で質問を繰り出す。

 

「本当、なのか? 僕の父親に、その……」

「ああ。つっても、本人から聞いた話だから真実かどうかは知らねぇ。けど、実の子どもにそんな嘘を吐く理由もねぇだろ? ってことは、まぁそういうことだ。幻滅したか?」

「……」

 

 まさか、金子の父親と僕の父親にそんな関係があるとは思ってもみなかった。とはいえ、今さらそんな話を聞いたところで意味は無い。僕の両親は死んだし、金子 誠司せいじは金子 春寿の息子というだけで、僕の親友であることには違いないのだ。

 

 多少は驚いたものの、僕と金子の関係性に影響を与えるほどの事実ではない。むしろ、素直に話してくれたことで信頼がより深まった、とも言えるだろう。

 

「そうだったのか。でも、僕は生憎だけど水島 龍太郎じゃない。あの男が金子の父親を恨んでたって、はっきり言ってどうでもいい。僕は、お前と親友なんだからな」

「ハハ。水島って、本当に両親が嫌いなんだな。さすがに親の仇みたいな存在の息子なんて聞いたら、引くか怒るか、何か変化があると思ったんだけどな。なーんか拍子抜けしちまったよ」

「悪かったな、親不孝者で。それより、『新人類計画』が破綻した、って言ったな。それってどういうことだ?」

 

 『新人類計画』が失敗だったならば、僕たちは失敗作だった、ということになる。しかし、僕はちゃんと瞬間記憶などの異常な能力を習得できているし、高城たかしろや出水も能力を保持しながら日常生活が送れている。

 

 西蓮寺さいれんじ ゆう灰谷はいたに みおは、『新人類計画』により悲惨な結末を迎えてしまったものの、一定の成果を上げている以上、完全なる失敗とは言えない。研究が破綻したのには、他に何か原因があったはずである。

 

 ただ、これについては金子もよく知らないようで、軽く肩を竦めながら答えた。

 

「すまん、それについてはさっぱりだ。親にも聞いてみたけど、その話は口にするな、ってすっげぇ形相で睨まれちまってな。まぁ、その辺の謎も解明したくて医学部を目指してるんだけど、まだまだ先は長くなりそうだ」

「そうか。そうなると、他の人に聞いてみるのが早いのかもな。それにしても、僕たちのために医学部を目指してたんだな。知らなかったよ」

「私も。先輩、意外と優しい」

「意外とか言うんじゃねぇ! 俺は心の優しい、とっても良い男なん————」

「ゴホンッ!」

「っ!?」

 

 和やかな、いつもの活動のような会話が続く中、西野は流れを断ち切るようにワザとらしく咳払いをした後、腕組みをして僕たちへ睨みながら厳しい口調で言い放つ。

 

「それで? 黙って聞いていたけれど、さっきから関係のない話ばかりのようね。生徒会の引継ぎがあるから、そろそろ本題に移ってくれると助かるのだけど」

「あ、ああ……ごめん。でも、さっきの話は西野にとって無関係って訳じゃない。それはお前が一番よく知ってることだろ?」

「……どういう意味かしら」

 

 怪訝そうに顔を顰める西野へ、僕は意を決して、しかしなるべく冷静に告げる。そうでなければいいと願っていた、僕の予想を。

 

「西野も、『新人類計画』に参加したんだろ?」

「っ!」

 

 僕の話を聞いた途端、西野は目を見開いて一歩後ずさり、顔を引き攣らせた。この反応をされては、もはや確証を得たと言ってもいいだろう。ギュッと拳を握りしめつつ、淡々と話を続ける。

 

「そう、なんだな……どうして今まで、僕に黙ってたんだ?」

「ち、違う! 私、そんなものに参加なんて……!」

「いいや」

 

 必死に否定する西野を制するように、金子が天井を仰ぎながら口を挟む。

 

「会長さんよ、もう潮時だろ。こんな状況じゃ、隠し続けたって無駄だろ」

「で、でも……!」

「信じてみようぜ。コイツはもう、会長の知ってる水島じゃねぇ。あの時みたいなことにはならねぇと思うんだ。ま、半分くらいは願望だけどな」

「……」

 

 金子に説得され、観念した様子で深く息を吐いた後、西野はじっと僕の顔を見つめる。そして、今までになく憔悴しきった表情で静かに問いかけてきた。

 

夏企なつき。これはあなたにとって、とても辛い話よ。きっと、聞いたらとても後悔すると思う。それでも、聞きたい?」

「……ああ。僕はもう、知らないままでいられる時間は終わったと思うんだ。だから、全部話してくれ」

「分かったわ。それじゃあ、聞いてくれるかしら。もちろん、辛かったらすぐに止めるから、遠慮なく言ってね」

 

 そう言うと、西野はまた大きく息を吐き、窓の外を遠く眺めながらポツリポツリと語り出す。梅雨時の雨のように、抑揚のない調子で。

 

「十年前、あの実験で私と夏企は出会った。実験の影響で少しずつ体と心が蝕まれていく中、あなたと会えることが唯一の希望とも思えるくらい、仲良くしていたわ。でも、あなたは当時のことを覚えていない。そうでしょ?」

「う、うん。瞬間記憶能力を手に入れる前の記憶は全部。でも、能力を得た代償みたいなものだろ?」

「いいえ。あなたの記憶は消えた訳じゃないの。消されたのよ」

「え……?」

 

 驚き、顔を上げた僕を見ようともせず、西野は変わらず遠くの空の、そのまた先にある何かを見つめながら話を続ける。

 

「正確には、消さざるを得なかった、というべきかしら。夏企は、実験の途中で暴れてしまったの。手足の抑制も引きちぎって、とにかく暴れ回った。そしてその結果、夏企は何人もの仲間たちを、殺してしまったの」

「殺、し……?」

「ええ」

 

 呆然とする僕を、今度はじっと見つめ返す。西野の目には、死人のように白い僕の顔が映っていた。

 

「状況が状況だっただけに、遺族たちも仲間たちも、あなたを恨んではいなかったけれど……我に返ったあなたは、とても病んでしまった。私たちの声さえも届かないくらい、塞ぎ込んでしまったの。あなたは誰よりも責任感が強かったし、みんなを引っ張る存在としての自負もあったしょうから。それに……」

「……」

灰谷 澪さんを殺してしまったことが、あなたにとって一番辛かったのだと思うわ。あの子は、あなたと一番仲が良かったから」

「灰谷……!?」

「えっ!?」

 

 その名前に、僕だけでなく出水も驚愕し声を上げる。灰谷 澪は、高城や出水と仲の良かった人物で、そして高城を刺した犯人と疑われているのだ。

 

「それ、何かの間違いじゃないのか? だって、灰谷 澪って、確か……」

「う、うん。間柴ましばさんから、はっきり聞きました。澪ちゃんは、電極のトラブルで、頭が焼けて、その……」

「間柴? ……ああ、あの優しそうな医者ね。きっと表向きはそういう風にしたのでしょう。でも、真実は違うわ。何せ、夏企が暴れた時、私もその場にいたから。そして、この目ではっきりと見たもの。あの子たちが死んでゆく様を、ね」

「それじゃあ、やっぱり……澪ちゃんは……」

 

 出水も同じことを考えているだろうが、西野の話が正しければ、やはり灰谷 澪は高城を刺した犯人ではない。もちろん、西野の記憶は十年前の、しかも大きな事故の際のものだ。思い違いをしている可能性も否定はできない。あの通り魔事件については、まだ保留としておこう。

 

「ともかく、そういう訳で夏企の記憶を消すことになったの。あなたが決して、あの時のことを思い出せないように。またあの頃と同じく、心を閉ざしてしまわないように」

「そう、か。だから僕には、あの頃の記憶が無いのか……」

「それと、これは後になって聞いたことなのだけれど……そういう事件を起こしてしまったこともあって、あなたを排除してしまおう、っていう意見が強かったみたいなの。でも、あなたの父親が周囲を説得したお陰で、どうにか記憶を消すことで納得してもらったそうよ」

「は? あの男が、僕のために?」

「ええ」

 

 そんな、バカな。成績が一番でなかったというだけで、僕に罵詈雑言を浴びせたような男が、殺人犯となってしまった僕を守ろうとした、だと?

 

 天地がひっくり返ったとしても、それだけは決して有り得ない。あの両親ならば、実験で暴走してしまった僕を、率先して排除しようとするだろう。

 

「は、ははは。何を言ってるんだよ、西野。あの男が、僕のために努力するなんておかしいだろ。西野だって知ってるだろ? あの男は、僕を……」

「そうね。あなたの話を聞く限りでは、有り得ないわ。でも、あなたは今こうして生きている。それが何よりの証拠だと思うのだけれど」

「そ、そんな……」

「もちろん、彼があなたにした仕打ちについて擁護するつもりはないわ。その辺りについては、親子同士でしっかりと話し合うことが大切だと思う。お互いを理解するには、それが一番だもの」

 

 親子同士、話し合う……か。過去を知った今、確かにあの男と会話するきっかけは生まれた。だが、残念ながらそれは物理的に不可能だ。

 

「……それは、出来ない。絶対に」

「最初から出来ないと決めつけないで。時間が経てば経つほど、溝は深まっていくばかりなのよ?」

「違う。そうじゃなくて、両親と話すことは不可能なんだよ。だって、二人はもう死んじゃったんだから」

「死ん、だ……?」

「はぁ!?」

 

 唖然とする西野、それに金子に対し、僕は体を震わせながら、小さく返す。

 

「そう。昨日の早朝、自宅で二人の遺体が見つかったらしいんだ。まだ身元が判明した訳じゃないらしいんだけど、状況的には僕の両親で間違いない。だから、もう口を利くことも出来ないんだよ」

「ど、どういうことだよ。意味が分からねぇんだけど……」

「え、ええ。こんな話をした後で悪いけれど、詳しく説明してくれるかしら」

「ああ。まだ混乱してるけど、分かってる範囲だけ話すよ。もともと、そのつもりで呼んだんだから」

 

 こうして、僕は昨日箱崎から聞いた話を三人へ語り出した。ふと僕の視界に映った窓の外の世界は暗くなっており、荒れた天気を予感させる強い風が吹き始めていた。

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