Select

小欅 サムエ
小欅 サムエ

1-9

公開日時: 2020年10月25日(日) 22:13
更新日時: 2021年1月2日(土) 09:47
文字数:5,372

 どういうことだ。


 あの男性の隣に堂々と座っている女性は、どう見ても昨日、遺体となって発見されたあの女性と同じ顔なのだ。夢でも見ているのだろうか、それとも、昨日のあの事件自体が夢だったのだろうか。


 あまりの衝撃により、まともな思考が出来ない。それどころか、心臓すら停止してしまったかのように全身が動かないままだ。


 どうにかしなければ。このままでは、あの二人に妙な印象を与えてしまう。よりによって警察官を相手にして硬直してしまっては、自供しているも同然である。


 無論、僕は何もやっていない。むしろ、あんなグロい遺体を見せ付けられてしまった被害者の一人だ。いくら疑われようと、何の証拠も出てこないはずである。


 ただ、自白を強要でもされてしまえば、僕には堪えられる自信がない。どうしたらいいんだ。僕は、一体どうしたら――――


「先輩? ちょっと先輩! 早く入ってくださいよ!」

「え……?」


 不意に、背後から怒声にも近い声が響く。チラリと後ろを確認すると、不機嫌そうに頬を膨らませた高城たかしろが僕の真後ろで佇んでいた。彼女の位置からだと、ちょうど僕の背中で二人の姿が見えないようである。


 その語気に気圧けおされ、一瞬だけその先を譲るつもりで身を引こうとした。だが、すぐに思い止まり、またも動きを止める。


 駄目だ。あの女性だけは、高城に見せてはいけない。


 あの事件から、時間にしてまだ一日も経過していないというのに、その状況で遺体と同じ顔を持つ人間と相対すれば、きっと取り返しのつかないことになる。この場で卒倒するだけならばまだしも、強烈なトラウマとして心に刻み込まれてしまう可能性すらある。


 消したくても消せない記憶なんて、無い方が良い。忘れられないという苦しみは僕が一番理解していることだ。


「待った、高城! お前は少し外で待っててくれ!」

「はぁ? どういうことですか! 私も呼ばれたからここに来てるんですけど!」

「それはそうなんだけど、そうじゃなくて!」


 彼女が怒るのも当然だ。あんな事件のあった翌日、早く帰ろうと思っていた矢先に警察から呼び出され、しかもこうして邪険に扱われたのだ。気晴らしをすることも出来ず、相当にストレスが溜まっていることであろう。


 だからこそ、彼女を素直にこの部屋へ通して良いはずがない。あの女性が一体誰なのか、それを確かめずに引き合わせるなんて、到底できない。


「とにかく、僕が先に少し話を聞くからさ……その後にしてくれないか。頼むから」

「えー? そんなの訳が分からないんですけど。一緒に席についた方が時間も無駄にならないじゃないですかぁ」

「……ちょっと良いかな、そこの二人とも」


 口論を続ける僕たちに、部屋の中にいた男性が声を掛け、そして歩み寄って来た。柔和な笑みを崩さず、かといって全く隙を見せる様子のない動作である。やはり、それなりに大きな事件を乗り越えてきた人なのだろう。雰囲気から、それが充分に伝わってくる。


「な、なんでしょうか……あ、失礼なことをしてすみません。その……」

「いや、確かにキミが混乱しちゃうのも分かるよ。だって、あの子は今回の被害者、真中まなか 優佳ゆうかさんの実の姉で、しかも二人は双子なんだからね。本当に瓜二つで、僕らもびっくりしたくらいだからさ」

「ふ、双子?」

「そう、一卵性双生児いちらんせいそうせいじだよ。だから別に被害者が生きているとか、そういうことじゃないからね。安心……と言っちゃうと彼女に失礼だけどね、まあキミの思うようなことにはならないだろうからさ」


 双子……確かにそれならば、あの首が取れてしまった女性と同じ顔の人間が、すぐそこに存在していても不思議ではない。しかも一卵性であれば尚更だ。まったく、そうなのであれば先に伝えて欲しかったものだ。


 彼の言葉は高城の耳にも届いたようで、彼女はおずおずと、未だ姿の見えない人間に対して質問をする。


「えっと、つまりこの部屋には……あの女性と同じ顔の人がいるってことですか?」

「うん、その通りだよ」

「……」


 高城の顔色が、今朝と同じくらい白くなっていく。ただ、この程度の反応で済んだのは、この男性がこちらの空気を察して、双子であるという情報を与えてくれたからだ。そうでなければ……今頃どうなっていたか。


 さて、そろそろ本題に入らねば。あのような行動を取ったということは、あまり時間的な猶予がないということに他ならない。僕たちにとっても、それに彼ら警察にとっても、この時間はなるべく短くしておきたいのであろう。


「じゃあ、入ろうか高城。……大丈夫か?」

「……別に、今度は心構えが出来てますから大丈夫ですよ……早くしましょ」


 誰がどう見ても強がっているだけだが、もうこれ以上はもう二人を待たせられない。速やかに二人の目の前へと向かい、着席する。


 高城は、チラッとあの女性を視界の端に捉えた程度で、それ以上顔を上げることは無かった。その一方で、遺体とまったく同じ顔貌を有する女性は、険しい表情でじっと高城を見つめていた。


「さてと。時間も時間だし、さっさと要件を伝えることにするよ。僕は警視庁の箱崎はこざき。こっちの彼女は、僕の後輩の真中まなかだよ。以後……は、無いようにして欲しいんだけど、とりあえずよろしくね」


 そう言いながら、彼らは軽く警察手帳を僕らに提示する。箱崎はこざき 邦洋くにひろ、それに真中まなか 弘佳ひろか、か。しかし、警察手帳に写る写真すらも、あの遺体の顔と同じだ。初めて双子に出会ったが、ここまでそっくりだと大変だろうな。


 まあ、そんな個人的な感想はしておこう。


「先ほどは済みませんでした。ええと、僕が水島みずしまで、彼女が高城です。経緯については昨日お話しした通りなのですが、また最初から説明した方がよろしいのでしょうか?」

「いや、調書には目を通したし、何よりキミたちがあんな事件を起こせそうもない、というのはよく分かったよ。今さら何か聞くことはないと思っていいよ」

「それは……ありがとうございます。でも、それなら今日はどういう用件でいらっしゃったのでしょうか。僕たちとしても、あれ以上何か話すこともありませんし……」


 高城と僕の間で見た光景が違う、ということについては僕の口から説明することではないし、そんなもの、女子トイレを検証すれば一発で分かることだ。むしろ下手に何か喋って、これ以上ここに閉じ込められる方が精神的苦痛となる。


 逆に、何か別の情報を与えようということならば話は別だが……どうも、箱崎や真中の様子からその気配はない。軽く品定めするような目付きで僕たちを見つめた後、箱崎は少し神妙な面持ちで口を開いた。


「じゃあ、率直に。……あの事件については、一切の口外を禁止する。友達や家族を含め、僕ら以外の警察官に対しても、だ。良いかな?」

「は……?」


 口外禁止、つまりは誰にも喋るな、ということか。余程の重大事件が背後に隠されていると考えて良さそうだが……それにしても、少し引っかかる。


 どうして、彼ら以外の警察官にも言ってはいけないのだろうか。警視庁を挙げての重大事件の捜査ならば、むしろ全捜査員に情報を周知させるべきであるのに。


「その、それは……」

「理由を聞くのも禁止だ。悪いけど、キミたちに拒否権は無いと思ってくれ」


 先ほどまでの柔和な微笑ほほえみは完全に消え失せ、箱崎はほとんど睨むかのように僕たちを強い目で見つめている。その眼力に圧倒され、僕たちは蛇に睨まれた蛙の如く身を縮こませるしかなかった。


「……その沈黙は、了解したとして受け取るね。さて、僕の用件はこれだけなんだけど、彼女の方からも一つ聞きたいことがあるみたいだからね、それには答えてもらっていいかな?」


 そう言って、箱崎は真中へと目で合図を送る。それを受け軽く頷き、真中は箱崎よりもさらに険しい目つきで、僕たちを睨みながら問いただし始める。


「正直に答えろ。現場で、妙なモノを見なかったか?」

「み、妙なモノ、とは……?」

「だから、妙なモノだ。その場にそぐわないモノが落ちていなかったかどうかと聞いているんだ。早くしろ、時間が惜しい」


 有無を言わさない姿勢の箱崎とは全く異なり、ただの喧嘩腰である。若さゆえか、もしくは妹の死が彼女を焦らせているのか……それは定かではない。


 ただ、そんな風に迫られても、僕たちとしては協力しようという気にならない。それに、妙なモノなどという曖昧な表現をされても、そんなものはどこにも――――


「あ……」

「何だ、何か思い出したのか? 答えろ」

「……」


 そういえば、あの遺体の傍らに黒いカードのようなものが落ちていたような……いや、確かに落ちていた。僕の消えない記憶からは、しっかりとその存在が確認できる。


 ただ、その場にそぐわないかどうかまでは分からない。クレジットカードやポイントカードの類かもしれないし、それならば百貨店のトイレ内に落ちていても不思議ではない。変な情報を与えて、それが空振りだった場合……これほどの剣幕の真中に後で何を言われるのか、その方が恐ろしくも思える。


 ここは、黙っておこう。それに、何と言うか……この人に力を貸すのは、しゃくだ。


「すみません、その……特には」

「チッ……役立たずめ。そっちの女は?」

「あ、えっと……私も、特には」

「はあ……もういい、分かった。私からは以上だ」


 完全に僕たちへの関心を失ったようで、それから彼女は一切口を利くことは無かった。それを受けて、やれやれ、といったジェスチャーをすると、箱崎は僕たちへ向けて微笑む。


「ごめんね、身内を喪ったばかりだからさ、悪気があった訳じゃないからね。……さてと、それじゃあキミたちはもう帰っていいよ。僕たちは、また校長先生と軽く話をしてから帰るから、そう伝えてくれるかな」

「あ、はい……分かりました。では」


 退席を促された僕たちが立ち上がった時でも、真中はそっぽを向いたまま、何か考え事を続けている。見送る気は一切ないようだ。まあ、彼女に見送られてもいい気分にはならないし、もう出会うことはないだろうから、どうでもいい。


 応接室の扉を閉めると、引きった表情の校長が僕たちを出迎えてくれた。いや、僕たちを出迎えた訳ではない。何事も無かったかどうか、それを確認したかっただけであろう。


「ど、どうだったかな。その、何も無かったかな?」

「何も。警察の方々は、校長先生に何か話したいことがあるそうですよ。早く入った方が良いと思います」

「あ、ああそうなのか。分かった、連絡ありがとうね」


 そして、足早に応接室へと校長の姿が消えてゆくのを確認してから、ゆっくりとその部屋を後にした。


 廊下を歩み続ける最中さなか、少し周囲を気にしつつ高城は不満顔で僕に話しかける。


「もー、昨日の刑事さんの方が、ぜんっぜんマシでしたね! なんですかね、あの女の態度! 高校生だと思ってバカにしてるとしか思えませんよ!」


 あの遺体と同じ顔を見た衝撃よりも、彼女に対する怒りの方が勝ったようだ。結果的に元気になって良かったが、高城の言う通り、あの態度はいただけない。


「そうだな、さすがに妹さんを亡くしたばかりだとは言ってもな。それに悲しんでいるという感じでも無かったし、事件にしか興味がない人なのかもしれないな。まあ、決めつけるのは良くないことだけどさ」

「あー、ほんっとに頭にくる。……こうなったら、さっきの約束破りません? これから部室に行って、みんなに話しちゃいましょうよ。そうでもしないと、このイライラは先輩にぶつけるしかなくなりますし」

「おい、それは……」


 幾ら真中の態度が悪かったとはいえ、そんなことをすれば警察に目を付けられてしまう。口外しない、という約束を破ることが何らかの法に反する行為かどうかは定かでないが、少なくとも警察に好意を持たれることは無い。ハイリスク・ノーリターンというやつだ。このノータリンめ、少しは考えて発言して欲しいものだ。


 でも、このまま二人の間だけで完結させるのは難しいことも事実だ。実際、出水でみず西野にしのも、事件があって僕たちが巻き込まれたことは知っているし、それについて触れないようにする、というのは彼女たちにとっても歯がゆいことだろう。


 幸運にも、金子かねこはともかくとして出水、西野は口が堅い。あの二人にならば、こっそり打ち明けても支障はないかもしれないな。


 それに僕も何だかんだ言って、あの真中の態度は気に食わなかったこともある。ちょっとやり返したい、という気持ちは僅かながらにあるのだ。


「しょうがないか。言っておくが、あのメンバーにだけだぞ? その他の人にもそうだし、動画配信では絶対に言うなよ。絶対にな」

「……先輩、私そこまでバカじゃないんですけ、どっ!」

「いってぇ、蹴るな!」


 例の如く、僕の制服には高城の靴跡がまたくっきりと付いてしまった。せめて蹴るならば足の甲を使って欲しい。いや、そもそも先輩を堂々と蹴らないで欲しいのだが。


「と、とにかく……とりあえず部室に行くってことで良いんだな?」

「当然です! このまま帰ったって良いことなんかありませんし、だったらみんなでワイワイやったほうが楽しいですもん」

「……まあ、学校のPR動画の件もあるし、ついでに話し合える方が良いか。じゃあ、このまま部室に行くか」


 そして、僕たちはみんなの待っているであろう部室へと歩みを進めた。警察と交わした約束を反故ほごにする、などという重大な行動であるというのに、全く迷いもせず、軽い足取りで。


読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート