両親の死と箱崎の妙な発言について話し終え、一呼吸置いたところで西野は重苦しく呟く。いつもの西野ならば、まずは両親の死を悼む言葉を述べそうなものなのだが、よほど事の経緯に納得がいかないらしい。
「……どういうことなの。DNA鑑定の結果を疑うなんて、そんなこと普通は考えないはずなのに。箱崎さんって、あの人の好さそうな中年の方よね? ちょっと信じられないわ」
「残念だけど、あの人はお人好しなんかじゃない。真実を見つけるためなら何でもする無法者、って感じだよ。警察官だけどね。でも、箱崎さんは根拠なく人を疑わないと思う。だから、この件もきっと何か裏があるはずなんだ」
「へぇ? そりゃまた、随分と変わった警察官もいたもんだな。でもよぉ、水島」
西野ほどではないものの、金子もかなり険しい表情で僕へ素朴な疑問をぶつけてきた。
「お前、どうしてそんなにその箱崎って人と仲が良いんだ?」
「は? どうして、って……」
「そりゃあ両親が死んだんだし、詳しい状況とか聞くことになるんだろうけどよ……普通、DNA鑑定の話までするか? 第一、お前のコミュ力じゃ、警察からそんな話を聞けるなんて思えねぇけど」
「……おい、人をコミュ障扱いするな。僕はただ、下らない奴らと会話をしたくないだけで、決してコミュニケーション能力が劣ってる訳じゃない。勘違いするな」
「そうか、そりゃ悪かったな。そんで? どうしてそんな情報を貰えるんだよ」
「くっ……」
金子め、僕の主張を完全にスルーしやがって。まあいい、今はそんなことに目くじらを立てても仕方がない。彼が学校に居られる時間はそう長くないし、以前のように話の腰を折られても困る。そもそもこの話題は、元からここで話すつもりだったのだから。
「本当はもっと前に話すつもりだったんだけど……実は、僕は箱崎さんと事件に関する情報を共有してたんだ。もちろん全てじゃないけどな」
「はぁ? いやいや、そんなバカなことがあるかよ。第一、捜査情報なんか一般市民に漏らしたらマズいだろ」
「普通は、な。でも、箱崎さんは普通の警察官じゃなかったし、僕も普通の人間じゃない。それに、この件については西野も知ってるんだ」
「会長も?」
「……」
話を振られた西野であったが、未だに僕の行動を許していないようで、口を真一文字に結び、目を瞑ったまま反応しなかった。しかし、彼女の反応により却って真実味が増したらしく、金子は唖然としながら眉を顰める。
「マジかよ……ってことは警察も、今回の事件には『新人類計画』が絡んでる、って考えてるんだな?」
「そう思っていい。そうじゃなきゃ、箱崎さんは僕に目なんか付けなかっただろうからな。そういう経緯で、僕は陰で箱崎さんと連絡を取り合ってたんだよ。まあどっちかって言うと、仲が良いっていうより、利用されてる感じだったけどな」
「ははぁ、なるほどな……」
「話の流れは分かったわ。だったら、夏企」
金子との会話に割って入った西野は、一層機嫌を悪くした様子で刺々しく言い放つ。
「これ以上事件に関わらない、っていう約束を破ったのは、箱崎さんのせいだってことかしら。無理に能力を利用されたのなら、然るべきところに訴えた方が良いと思うけれど?」
「それは……違う。事件に関わることを決めたのは、僕の意志だ。動機は不健全だったかも知れないけど、たくさんのことを知った今、もう関係ないなんて言えない。むしろ、僕たちが解決しなければいけない問題な気がするんだ」
「……そう」
西野はそう言って軽く息を吐くと、先ほどの刺々しさは消え、優しい口調で僕へと問いかける。
「なら、教えてくれるかしら。箱崎さんたちと共有したっていう情報を。『新人類計画』に関わった者として、聞きたいから」
「本当に良いのか? これは生易しい事件なんかじゃ————」
「いいから早く話しなさい。あなたの話を、みんな待っているのよ。ね、二人とも」
西野の声に同調するように、出水と金子は揃って口を開く。
「は、はい。その、お願いします」
「ああ。ただ、なるべくグロくない話で頼むぜ。塾で吐かないようにしたいし」
「……そうか、分かった。じゃあ、箱崎さんと会った時のことから話すよ。でも、後悔はしないでくれよ」
それからしばらく、今まで僕の見聞きしてきた情報を三人に打ち明けた。『赤い部屋』のことや、この部室で発見された写真に写った人物のこと、そして昨日届いた木村からのメールに至るまで、箱崎たちとの交流を経て得られた情報のすべてを話した。
最初は、三人とも黙って僕の話を聞いてくれていた。しかし徐々にその表情は曇ってゆき、死んだはずの木村からメールが届いた、という事実を告げた頃には全員、理解が追い付かないと言わんばかりに顔を顰めた。
無理もない。当の僕だって、未だに何も分からないのだ。それどころか、不可解な事象は増えるばかりで、何一つとして解決の糸口すらも見つかっていないのだから。
そして、今に至るまでを説明し切った途端、金子は大きく息を吐いて頭をグシャグシャと搔き乱した。
「あー、ぜんっぜん分かんねぇし、気味が悪い! 特に、先生からのメールって何だよ! 誰かが先生の携帯を盗んで水島に送った、ってことなんだろうけど……理由がさっぱりだな。ちなみに、そのメールはまだ残ってんのか?」
「当たり前だろ。ロックもかけたし、念のために僕のPCにも転送しておいたからな。スマホに送ってやろうか?」
「い、いや、それはいい。なんか気持ち悪ぃし、ウイルス付きのメールだったら困るだろ」
「うーん、フリーメールじゃないし大丈夫だと思うけど。まぁいいや、それなら本物を見せるよ。えっと……あった、これだよ」
受信ボックスを開き、木村からのメールを表示してスマートフォンを机の上に置いた。その途端、金子と西野は興味深げに覗き込むが、二人とは対照的に出水は椅子に座ったまま、微動だにしなかった。
彼女の行動に疑問を抱いた僕は、メールの文面を見て軽く討論を始めた二人の目を盗み、どこか辛そうな表情を浮かべる出水へと訊ねる。
「どうした。気分でも悪いのか?」
「え、いえ……そうじゃなくて、その……病院でのこと、思い出して」
「病院? ああ、そうか。あのメールが届いた時、ちょうど病院にいたんだもんな。でも、高城のことだからきっと大丈夫だろ。気になるんなら、この後また面会に行こうか」
「違う、です。美琉加は大丈夫、だけど……澪ちゃんのこと、気になって。美琉加、あんなにはっきり言ってたし、間違いないはず。けど、澪ちゃんは、もう……」
「灰谷 澪、か。確かに、引っかかるよな」
そうだ。僕の両親の件も不可解なのだが、通り魔の正体についても、未だに何も判明していない。現場にプリキャラのストラップが落ちていたということで、高城は灰谷が犯人だと確信しているようなのだが、今までの情報を整理すると、それは絶対に有り得ない。
何しろ灰谷 澪は、この僕が殺したらしいのだから。
「その件も含めて、とりあえず警察に任せよう。少ない情報で推理しても疲れるだけだし、変な先入観は取り払っておかないと」
「そう……ですね。美琉加を刺した犯人、早く捕まるといい、です。そうしたら、みんな怖がらなくて済む、かも。事件の被害者は、みんな研究してた人、なんですよね?」
「いいや。第二の事件の被害者、真中 優佳は『新人類計画』に参加してた側だ。だから少なくとも、一連の事件が解決しない限りは油断しない方が良いだろうな」
「あ、あれ? そう、でしたっけ……」
「ああ。でもまあ、怖がり過ぎても体に毒だし、適度に気をつけたらいいと思う。でも、真中 優佳、か……」
少しだけ出水の表情が和らいだことに安堵しつつ、結論づくことのない議論を展開し続ける西野と金子に話しかける。
「そろそろ読み終わったか?」
「あ? んなもん、とっくに終わってるよ。しっかし、この文章も意味わかんねぇな。えっと……」
「『ほら、ボクの言った通り大変なことになったでしょ? もし深入りするなら、真中 優佳さんから話を聞きなさい。どうせ間柴くんは死ぬし、彼女はキミの知りたい情報を持っているはずだから』、ね。もしかして夏企、先生が亡くなる前に事件について相談したの?」
「そんな訳ないだろ。もしそんな相談するなら、もっとマシな人を選ぶよ」
よほど切羽詰まった状況だったとしても、相談相手に木村を選択することは無い。少なくとも西野を差し置いてまで、木村に大事な話をする可能性は皆無だ。
「ひ、酷いわね。でもこのメール、どこか会話の続きのような雰囲気なのだけど……これ以前に先生とメールしていたことは?」
「先生が顧問になった時、何度かやり取りして以来だよ。直接話をしたのも、五月三日の昼前くらいが最後だな」
「そう。だとすると、やっぱり奇妙ね。ここに書かれている『キミの知りたい情報』っていうのは、多分事件に関する情報なのでしょうけど……それを真中 優佳さんに聞くのは、物理的に不可能だもの。弘佳さんと間違えた、というのも不自然よね」
「ああ。『新人類計画』の研究者が、大事な被験者の名前を間違えるとは考えにくい。そうなると、やっぱり鍵となるのは真中 優佳って人になるんだろうな。でも……」
彼女の住んでいた場所については、きっと警察が調べ終えているだろう。今からそこへ潜入したところで何も得られないし、不法侵入する訳にもいかない。かといって姉の弘佳に頼むのは無理だし、絶対に嫌だ。
僕でなくとも、彼女にそんなお願いをしたらどんな顔をされるか、想像に難くないだろう。ああ、志摩丹の個室トイレで死んでいた優佳の顔がとても安らかだっただけに、二人が双子だという事実ですらも否定してしまいそうだ。
「あ、ヤバい」
「ん? どうした、水島」
「どうしたの、顔色悪いわよ?」
「いや、ちょっと思い出しちゃって。少し休んでるよ……」
そんな不謹慎なことを考えてしまったせいか、あの時の光景が鮮明に蘇ってしまった。血が便器に滴る奇妙な音。両手に抱えられた真中 優佳の生首。そして、あまりにも綺麗な頸部の断面。
「うっ……」
込み上げてくる胃液を押し戻しつつ、心配そうに見つめる三人を制して天井を仰ぐ。時間の経過とともに、多少はあの光景にも慣れて来てはいるが、それでも不快なものは不快だ。脳に焼き付いてしまった遺体のグロい箇所をイメージしないよう、なるべく切断面ではない部分へと意識を向ける。
足元はダメだ。最初に彼女の黒いパンプスを見たせいで、反射的に鼓動が激しくなってしまう。これならば、生首を見ていた方が幾分かマシだ。
しかし————
「ふぅ……ん?」
少しばかり気分が落ち着いてきた頃、ふと記憶に違和感を覚えて目を開いた。
あの遺体は、どこかがおかしい。もちろんトイレに切断遺体がある時点でおかしいのだが、そういうことではなく、何か大事なものを見落としている気がしてならなかった。
「なんだ? 何かおかしいような……」
「大丈夫、ですか? その、何がおかしい、ですか?」
「え? あ、ああいや、何でもないよ。悪いな」
「そ、そう……?」
「……」
僕の異変に気付き、不安げに僕の顔を覗き込んできた出水へ笑顔で返しつつ、先ほど過った妙な違和感について考え込む。ただ、出水へ返答するため集中力を切ってしまったためか、その具体的な個所について思い出せなくなってしまった。
まあ、その程度で忘れるほどの違和感であれば、今考えるべきことでは無いのだろう。それに、ちょうど三人に情報を共有できたことだし、そろそろ情報を整理しておくべきだ。
「ふぅ……さてと。こういう煮詰まった時は一度、最初から振り返ってみた方が良いだろうな。それで見えてくることもあるだろうし、ついでにちょっと休憩もしたいし」
「お前、最後のが本心だろ。でも、確かにそうだな。じゃ、休憩がてらジュース買ってくるよ。何か飲みたいのあるか?」
「ああ、それなら私も行くわ。後輩に奢らせる訳にいかないもの。夏企はいつものコウリュウレモンで良いとして、出水さんは?」
「あ、えっと……ミルクティーを」
「分かったわ。それじゃあ、二人はここで休んでいてね。ああでも、変なことしたらダメよ?」
「変?」
「……しないよ」
余計な言葉を残して、二人は部室棟の一階にある自動販売機へと向かっていった。僕も本当ならば、気晴らしに歩きたかったところだが、まだ若干胸やけが残っている。ここで無理をしても、後になって響くだけだ。
静かな部屋の中、僕は軽く目を閉じた。二人が帰ってくるまでの間、少しだけでも脳が回復できるように。そしてこの後、きちんと状況を整理できるように。
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