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小欅 サムエ
小欅 サムエ

3-11

公開日時: 2021年3月14日(日) 18:40
文字数:5,341

「僕と、同じ……?」

 

 衝撃的な告白を受け、僕はただ呆然とする。こんな身近に、あの非人道的な実験の被害者がいたとは夢にも思わなかったのだ。

 

 しかし、どれだけ否定したくとも、高城たかしろの表情からはこの話が冗談であるなどと微塵も感じられない。無論、冗談で話していいような内容ではないので、場の空気を読むことに長ける彼女が、そんな愚を犯すとは思い難い。

 

 未だ困惑を続ける僕に、高城は少し悲し気な表情で語り続ける。

 

「信じられませんよね。でも、これは事実です。私は確実にあの実験を受けて、こんな能力を植え付けられたんです。ま、先輩や由惟ユイとは違って生活に関わるような能力じゃないので、苦労という意味では微妙かもですけど」

「由惟も……ってことは、出水でみずもそうなのか?」

「はい。そうだよね、由惟」

「うん」

 

 高城の問いかけに、出水は素早く頷く。いつもならば、誰から何を聞かれても口籠る出水が、こうして迷いもなく返答するということは、間違いない。彼女も、僕たちと同じ被験者だと言えよう。

 

 呆気にとられる僕に向き直り、出水はまっすぐに視線を向けて口を開く。

 

「私も、水島みずしま先輩と同じ、瞬間記憶能力、ある……」

「瞬間記憶能力だって?」

「うん。でも、先輩みたいじゃなくて、人の顔と名前だけ。一度でも見たら、興味がない人でもすぐに覚えるし、思い出せる」

「それはすごい、な……」

 

 つまり、出水の能力は僕とは少し異なり、人物の認証機能に優れているのだろう。僕の場合は、それこそ教科書のページですらも事細かに記憶できるが、思い出す速度に関しては人並みである。しかし出水は、人の顔と名前に限局される分、想起される速度も優秀である、ということだ。

 

 そうか。出水の話を聞いて、ようやく理解した。人の顔を覚えられ、すぐに思い出せるからこそ、出水はあの行動に至ったという訳か。

 

「あの時……先週の土曜、だったか。金子かねこから大島おおしまの事件の話を聞いて、例の写真のことを思い出したんだな? ネットニュースで見た大島の顔が、あの写真にもあったこと。そして、そこに西蓮寺さいれんじの姿があったことも。そうだな?」

「そう、です。私、普段はテレビとか、見ないです。全部覚えちゃって、頭が痛くなるから。でも、金子先輩の話を聞いて、興味本位で見たら、思い出しちゃったんです。本当は、こっそり確認したかった、けど……」

「箱を落としてしまった、という訳か」

「……」

 

 そして、僕たちはあの写真を見つけ出し、西蓮寺と大島、木村きむらたちの関係に気付くこととなった。恐らく、出水なりの配慮だったのだろう。あれほど奇妙なものを目にしては、僕だけでなく金子や高城でさえも、そう忘れられるものではない。

 

 忘れることが出来ない苦痛を誰よりも知っている彼女は、それを良しとしなかった。結果的に失敗に終わったものの、僕はその代わりに自分の置かれた立場を理解することが出来たため、彼女が箱を落としてくれて僥倖であったともいえる。

 

 しかし、二人の話を聞いていた僕には、一つ大きな疑問が浮かび上がる。

 

「高城、お前はどうして自分が被験者だって知ってるんだ?」

「はい?」

「瞬間記憶能力なら脳の異常と考えれば、何となく理解できるけど……お前の能力の場合、どっちかって言うと超能力者に近いじゃないか。それに、人の行動パターンを脳が計算している、だなんて普通は知らないはずだろ?」

 

 脳科学の権威でもなく、むしろ理系の雰囲気を欠片も感じない高城が脳について詳しいとは、到底思えない。異常な能力に気付いた両親が精密検査を依頼した、とも考えにくい。それほど娘のことを気に掛ける人物ならば、通り魔に襲われた直後の高城を放って、仕事に戻れるはずが無いだろう。

 

 だとすれば、『未来予知』と『新人類計画』を結び付けた根拠。それは一体なんなのか。もしかすると、西蓮寺の他にも被害者がいて、高城はその人物から話を聞いたのかも知れない。

 

 しかし、僕の率直な質問に対し、高城は怪訝けげんな表情を浮かべながら首をかしげる。

 

「あの、前から思ってましたけど……実験を受けた時の記憶、無いんです?」

「は?」

 

 唐突な問いに、僕はただ呆然と聞き返した。しかし高城はより一層、眉間に皺を寄せ、斜め上へと視線を移す。

 

「いやいや、あんなにヒドい目にあったのに忘れられるなんて、信じられないですよ。瞬間記憶能力を手に入れた代わりに記憶を失った、ってことかな……? それだったら分かるけど……」

「でも美琉加みるか、私は覚えてるよ?」

「そうだよねぇ。由惟が覚えてるんだから、それは有り得ないし……」

「ちょっと待て、二人は何を言ってるんだ?」

 

 まるで僕が異常であるかような話の展開に驚き、思わず二人の思考を遮るように声を上げる。だが、うーん、と低めの声で唸った後、高城は姿勢を正して僕の目を見つめ、口を開く。

 

「先輩。はっきり言いますけど、私と由惟は水島先輩のことをよく覚えてるんです」

「覚えてる、だって?」

「はい。みんなのリーダーでしたから、何だったら由惟のことよりも印象に残ってますよ」

「そう、なのか……?」

 

 出水の方にも視線を送るが、彼女も高城に同意するように大きく頷く。どうやら、この話は嘘ではなさそうだ。

 

 だとすれば、どうして僕だけ覚えていないのだろうか。同じ瞬間記憶能力者である出水は記憶があるというのに、意味が分からない。しかし確かに、二人の話を聞かずとも例の研究は相当に過酷であったことくらい、容易に想像できる。

 

 なぜ、こんな大事なことに気付かなかったのだろう。もちろん、ここ一週間近くで得られた情報量は膨大であったことや、精神的な負担が強かったことは否定しない。だが、それだけではない。

 

 僕自身、記憶に対して傲慢だったのだ。忘れることなど無い、と過信していたのだ。

 

 自分の愚かさに打ちひしがれつつ、軽く天井を仰ぎながら高城へと確認する。

 

「ってことは、二人はその時から友達だったのか?」

「はい。私と由惟はずっと一緒にいましたし、よく喋ってた子のことなら覚えてますよ。モリくんとかミオちゃんとか、ですかね。由惟は————」

 

 そう言いかけた時、ふと高城は口をつぐんだ。そして気まずそうに視線を出水に向け、探るように彼女へ問い掛ける。

 

「由惟、言ってもいい?」

「……ううん、私から言う。大丈夫」

 

 少しの間の後、出水は目に涙を滲ませ、俯きながら人物の名を口にした。

 

西蓮寺さいれんじはるかくん」

西蓮寺って、もしかして……」

「そう。西蓮寺先生の……悠くんと私、すごく……」

「……」

 

 そうか。そこで深い繋がりがあったからこそ、出水は西蓮寺さいれんじ 真冬まふゆという無名の画家のファンになったのか。そしてこの様子から察するに、西蓮寺 悠という人物が今、どういう状況に置かれているのか、よく知っているのだろう。

 

 単純に、そういう趣味があったのかとばかり思っていた。西蓮寺の絵を語るときの出水は、本当に楽しそうだったから。でも、その背景にはこんな残酷な現実があったなんて。

 

「悪い、辛いことを聞いて」

「いい、です。悠くんのこと、忘れない人が一人でも多ければ、それで……」

「そうか……」

 

 重苦しい空気が病室中を包み込む。傷病人が誰なのか、この雰囲気では分からないであろうというほどに、全員が暗く表情を強張らせる。

 

 だが、そんな状況を打破しようと考えたのか、こともあろうに入院している身の高城が、僕たちを気遣うように声を発する。

 

「あ、そうだ! あの時の先輩、カッコよかったんですよ! 喧嘩が起きると、絶対に間に入って仲裁するし、何でも知ってるし!」

「え、そうだったのか?」

「ええ、それはもう! 澪ちゃんといつも、カッコいいねって話してて……あ」

 

 そこまで言葉を口にしたところで、高城は慌てて口を閉じる。先ほどとは異なり、口が滑った、というようなバツの悪い表情を浮かべている。いつもはけなしている相手を、褒め称えてしまったのだ。想像以上に恥ずかしいに違いない。

 

「へえ、そうだったのか」

「いえ、その……あくまでも当時は、ですよ? でも、ひっさしぶりに再会できて嬉しかったのに、こんな感じになってて……超ショックでした」

「うるせぇよ。言っとくけど、好きでこうなった訳じゃねぇからな!」

「ああ、澪ちゃんも今の先輩を見たら、きっとショックだろうなぁ……あの子、先輩のことが好きでしたからね……」

「おい本当に止めてくれ。色々と辛いから」

「ふふ……」

 

 捨て身の甲斐あってか、出水の顔には少しだけ笑顔が戻ったようである。予想以上に心を抉られたような気もするが、彼女が調子を取り戻せたのならば、それが一番だ。

 

 しかし、僕がそんな快活な男子だったとは。確かに、小学一年生くらいのころは積極的に発言をしていた、と記憶している。瞬間記憶能力を植え付けられた後だったこともあり、徐々に僕の異質さに周囲の生徒が気付き始めたため、今に至っている訳だが……本当に、あの実験さえなければ僕は今頃、まったく違う人生を歩んでいたのだろう。

 

 別に、今さらモテたいという欲望など在りはしない。ただ、人並みの幸せというか、そういうものを得てみたかっただけだ。

 

「さて、と……」

 

 深く溜息を吐き、色々と乱れてしまった話の流れを、改めて整理する。

 

「つまり、高城と出水は僕と同じく『新人類計画』の被験者である、ということだよな」

「なんですか、いきなり。まぁそうですけど」

「最初、この話は今回の事件と関わりがある、って言ったよな。それは、この西蓮寺のポストカードが現場にあったから、ということで良いのか?」

 

 そう言って、僕は『ジャック・ザ・リッパー』の描かれた小さな紙きれを彼女に見せる。すると高城は小さく頷き、続けて喋ろうとした僕を遮るようにして唇を開く。

 

「もちろん、西蓮寺さんが犯人だとは思ってません。私を刺した人は、西蓮寺さんより小さい感じがしましたし……時間的にも、まっすぐ帰った私たちの後を追うのは難しいでしょうから」

「まあ、そうだろうな。でも、そうなると少なくとも西蓮寺はこの事件と無関係だ、とも言えるよな?」

「え? ……まぁ、そうかも知れませんけど。でも私、刺されはしましたけど、今までみたくこの絵の通りの刺され方ではありませんよ?」

「ああ。それが問題なんだ」

 

 そう、今までの事件はすべて、西蓮寺の描いた絵をモチーフにした殺人であった。だが、今回は西蓮寺の絵が残されていただけで、高城はこの絵の通りにはなっていないし、恐らく致命傷を負わせるだけの時間もあったのに、殺すこともしなかった。

 

 その理由こそ、まだはっきりとしないが……誰かがこの事件を傘にして、僕たちに何かメッセージを残そうとしている、と言えるだろう。それこそ、『新人類計画』に関係する僕たちに伝えたい大事なことが、きっと。

 

 もしくは、西蓮寺による偽装工作である可能性もある。本命は別にいて、高城へと注意を向けたい意図が隠されていても不思議ではない。

 

「恐らくだけど……この件は、大島たちの事件と直接関係はしてないんだろうな。ただ、何かしらの意味はある。今はそう考えるしか————」

 

 そう話を続けていた時、僕は話を止めて自分のポケットへと触れる。不意に、僕のポケットから強い振動が伝わってきたのだ。この振動パターンは恐らく着信であろう。

 

「ん?」

「ちょっと先輩、ここ病室ですよ? 切っといてくださいよ、もう……」

「ああ、ごめんごめん。えっと……」

 

 話の腰を折られ、僕は苛立ち気味にスマートフォンを取り出し、五月蠅うるさいバイブレーションを止めようと画面に指を伸ばす。だが、そこに表示された名前を目にし、僕の手は止まった。

 

箱崎はこざき、さん……?」

 

 驚くことに、発信者は箱崎であるようだ。ムーンバックスカフェで別れて以来、まったく音沙汰も無かった番号からの着信に戸惑いつつ、急いで椅子から立ち上がる。個室ではあるが、二人に聞かれて良い話かどうか定かではないのだ。ここで受ける訳にもいくまい。

 

「悪い、ちょっと席外すよ。出水、しばらく頼む」

「う、うん」

「こっちのことは気にしなくていいですよ。適当に由惟と喋ってますので、荷物とかは置いて行って構いませんし」

「ありがとう、そうするよ」

 

 そう言い残し、僕は足早に通話可能エリアへと向かう。無論、あの二人以外にも聞かれては好ましくないが、ここは幸運にも精神科のある病棟だ。最悪でも、そういう妄想障害がある、というていで乗り切れるだろう。

 

 ものの数秒で通話可能エリアへと辿り着いた僕は、すでに着信の切れてしまった番号へと掛け直す。すると数回の呼び出し音の後、箱崎の低い声が僕の耳に届いた。

 

「もしもし?」

「水島です。すみません、今病院にいて————」

「水島か! お前、昨日は家にいたか!?」

「は、はい?」

 

 僕の声を聞くや否や、箱崎は焦った様子で僕へと問い質す。少し呆気にとられつつも、彼の質問に答える。

 

「え、ええ。午後八時くらいから、今日の七時くらいまでは」

「その間、お前の両親は帰ってきたか!?」

「え? い、いえ。偶然リビングダイニングにずっといましたけど、二人とも帰って来ませんでしたけど……」

「そ、そうか。なるほど」

 

 まだ平静とは思えない声でそう呟くと、箱崎はしっかりと、一言一言を間違えないよう確かめながら状況を伝える。

 

「落ち着いて聞けよ。お前の父親、水島みずしま 龍太郎りゅたろうの遺体が自宅で発見された」

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