同時刻、新宿警察署――――
薄暗い部屋の中、支給されたスマートフォンをポケットへとしまい込んだ真中は苦々しく窓の外を睨みつつ、隣で腕を組む箱崎へ僅かに語気を荒げて問いかける。
「先輩……やはり私は、あの子を事件に巻き込むのは反対です」
「何を言うのかな。事件解決の役に立ちそうなものなら、何でも使う……それが僕のやり方だって、キミならば知ってるだろうに」
「それは……そうかも知れませんが。しかし!」
眉を寄せ、どうにかこの男を止めようと思索する真中は、また少し強い口調となる。そんな彼女を見て、箱崎は疑問に思ったのか首を傾げた。
「キミ、忘れっぽいのかな。僕の捜査方針には口出ししない、って、かなり前に言われた気がするんだけど」
「……それはそれ、これはこれ、です。未成年を、それも不審死事件の捜査に使うのは、さすがに法に触れる行為、かと」
「今さら? そんなこと言ったら、キミだってその片棒を担いでるんだから、同罪だよ。そうでしょ?」
そう言うと、箱崎は開き直ったかのように小さく笑った。そして、手近な椅子へと腰かけると、私物である手帳をパラパラと捲り、とあるページで指を止める。そこに書かれた情報を再確認し、彼はまた話を続ける。
「でもまあ、一般的にはそうだよね。そりゃ、僕だって出来ればしたくないさ。未成年だしね。……でも彼は、あの水島 龍太郎の息子なんだろう? だったら、やっぱり捜査には必要かな、って思うんだけどな」
「それは……そうですけど」
まだ少し言いたげな彼女に向かい、箱崎は諦めろ、と言わんばかりに小さく両腕を広げる。彼自身、手探り状態であることは認めている。それ故に、なり振りを構っていられないのであろう。
それに、これがすべて一連の事件なのだとすれば、早急に犯人を突き止めねばならない。犯行の動機が不明確な以上、このまま放置するとさらに事件を生みかねないのだ。
もはや問い詰めることを観念した真中は、不承不承ながらも明日の予定を確認する。
「それで、明日は捜査状況の説明をするため、彼と会うんですか? 九時なんて、随分と早い時間ですが」
「いいや……キミの話から察したんだけど、どうやら彼はあの件について知らないようだからさ。まずは、彼自身が置かれている状況について、確認してみようと思うんだ。相当ショックを受けるかも知れないから、なるべくキミも近くで待機しててくれよ」
「それは……つまり、あの件を話す、と?」
「場合によっては」
その言葉を聞き、真中は顔を歪め天井を見上げる。明らかに面倒な事態となるだろう、ということを理解した彼女は、それを覚悟するかのように目を強く瞑った。
「なるほど、それはまた。だったら『ムーンバックス』より、もっと気の利いたところがあるでしょうに。まあいずれにせよ、あの子も気の毒ですね」
「はは、それは言わないでくれよ。僕はあまり、気取った店には行けない人だからね。しかし、本当に可哀そうだよ。子どもは親を選べないんだからね」
「そう、ですね。親、か……」
すると、真中は傍にあった机に並べられた、五枚の写真のうち一枚を手に取る。そして、その目に彼女の父親の姿を映すと、物憂げに呟く。
「今さら、どうして父の写真が……それも、大島たちと一緒に」
「ん? ああ、それか」
写真を持つ手を震わせる彼女へと、そっと近づき顔を寄せ、箱崎は大きな唸り声をあげる。新宿署の前を走る車両にも負けぬ重低音を耳にし、真中は露骨に嫌な表情を浮かべて箱崎を睨みつける。
「……なんですか。ちょっと、近いですよ」
「いや、確かに不思議な写真だよね。写ってる人たちもそうだけど、これがどうして西光学園の高等部にあったのか。キミの父親は確か……西光学園とは無関係だったよね?」
真中の言葉に耳を貸そうともせず、そのまま箱崎は質問を投げかける。仕方なく真中は一歩だけ下がると、軽く目を瞑り記憶を呼び起こす。だが結論は出なかったようで、眉間に皺を寄せながら答えた。
「さすがに、父と交流のあった人間については知り得ません。しかし少なくとも、父、喜久は西光学園の出身ではありません」
「そう、だよねぇ……」
西蓮寺や木村については西光学園に関わりのある人物であったため、その高等部の一室から写真が出てきたとしても驚くことではない。だが、大島や真中については学園自体と接点がないのである。
彼ら以外に写る他の人物に関しては、今のところ詳細な情報は得られていない。現時点でこの写真から考えられることがあるとすれば、彼らには何らかの繋がりがある、というだけであった。
「この写真については、早急に情報を集める予定です。もしかすると、私の父も関与している件かも知れませんので」
「ああ、慎重に頼むよ。なんか、嫌な予感がするからね」
「嫌な、予感ですか?」
「そう。とっても嫌な、ね」
スピリチュアルと呼ばれる類の一切を信じない箱崎にすれば、それは非常に珍しい発言であった。故に真中は少しだけ目を丸くしながらも、その予感を生む契機となった情報を確認する。
「それは、水島氏が絡んでいるから、ですか」
「その通り。あの悪名高き水島 龍太郎の息子、水島 夏企。それに『サヴァン症候群』……何もないと思うほうが、むしろ不自然だからさ。それ、と」
そう言い、彼は真中の手に取らなかった残りの写真へと視線を移し、頬を掻く。
「この写真の裏に書かれた……えっと、なんだっけ?」
「……『赤い部屋』、ですよ。どうして忘れるんですか」
「ああ、そうそう。『赤い部屋』ね……」
わざとらしく、思い出した、というような反応を示した箱崎は、徐にスリープ状態となっていたPCの操作を始める。マウスのクリック音と共に、直前まで開いていたであろう怪しげなサイトが画面上に表示され、その明るい背景色により、薄暗い部屋が僅かに彩られる。
彼の行動を黙って見つめていた真中は、それを見て呆れた様子でPCの画面から視線を外し、また窓の外を眺めながら棘のある言葉を箱崎へと向ける。
「また、それですか。下らない」
「そうかい? 『赤い部屋』と言ったら、僕はこれかな、って思うんだよ。いろいろと考えてはみたものの、臭いのはこれかな」
「はあ……」
軽蔑されているとは知ってか知らずか、まるで何も聞こえていないかのような箱崎に嫌気がさした彼女は、一つまた溜息を吐く。そして気合を入れ直すため軽く両頬を叩くと、傍にあった自身の黒い鞄を手に取り、彼へと背を向ける。
「では、また少し聞き込みと調査をしてきます。先輩は、そのサイトでも見て遊んでいてください」
「了解」
「本当に……まったく」
視線を向けることなく、掌だけひらひらと動かす彼の仕草に苛立ちを覚えた彼女は、足早に部屋から出ると、力強く扉を閉めた。大きな音がフロア中に鳴り響く中、箱崎は真剣な眼差しで、画面を凝視する。
彼が熱心に見つめているのは、何の変哲もないサイトである。ただし、バナー広告などから察するに、あまり公共の場で閲覧するには相応しくないものであった。
そのサイトの上部には、『みんなのFLASH集』と大きく表示されており、ビビッドな背景色とフォントのチープさが合わさって、非常に目に痛い作りとなっていた。この手のサイトは、基本的にゼロ年代初期に作られたものが多い。
このサイトの表示にある『FLASH』とは、正式にはFlashという、特定のプログラミング言語を用いて制作された動画や画像のデータ形式のことを示す。簡易的な広告や、オンラインゲームの制作まで可能であり、広く普及していたものである。
だが、大手企業の製品に搭載されたオペレーションシステムに対応できなかったことや他のシステムのバージョンアップもあり、Flashの需要は徐々に減りつつある。
ここではそのFlashにより制作された作品が、感動系や面白系、などとジャンル分けされて公開されていた。しかしFlashが衰退傾向にあるためか、サイトの最終更新日は数カ月も前であり、現在の閲覧者数もほぼ一桁に近い状況にある。
そんなサイトであるにも拘わらず、箱崎は注視しているのである。無論、面白系Flashを見てストレス解消を図るため、などではない。彼が注目したのは、このサイトでも特に人気のないジャンルである、ホラー系……そこに掲示されている作品であった。
あの写真の裏に書かれた文字列と同じタイトルの作品……そう、『赤い部屋』である。
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