おかしい。僕が高城の入院している病院へ向かった時には、確かに例の小箱は存在していたはずだ。あの小箱の感触も、写真を見た時の頭痛もはっきりと記憶の中に残っている。あれが夢だったとは到底思えない。
いや、もしかするとチェストの奥に小箱を戻し忘れたのかも知れない。あの日は急な連絡で慌てていたし、頭痛のせいで記憶が曖昧になっているので、可能性としては有り得るだろう。
それならば、あの小箱は写真と共に警察が持って行ったのだと考えるべきだ。両親の遺体の傍に置いてあったのだから、遺留品扱いされても何ら不思議ではない。そうでなくとも、きっと血液が付着していただろうし、警察がそのまま放置するはず無いのだ。
「箱崎さん。もしかすると、遺留品の中に小箱があるのかも知れません。慌てて家を飛び出しちゃったので、証拠品と勘違いされて押収されたのかも」
しかし、僕の推測を箱崎は間髪入れずに否定した。
「それは無い。その小箱で殴られたんならともかく、家族写真が入ってるだけの箱なんか押収しても意味無いだろう。後で確認してみるけど、恐らく署には無いよ」
「で、でも。実際に小箱は消えちゃってるじゃないですか。僕がいない間、この家に入って来たのは両親か警察だけなんですし、それなら……」
「おいおい、しっかりしてくれよ」
そう言うと箱崎は深く溜息を吐き、僕を蔑むように睨む。
「キミの両親を殺った犯人が最も疑わしいだろう。それも、キミの両親が偽物だと知っている人物が、ね」
「は?」
「いいかい、よく聞いてくれ」
唖然とする僕に背を向け、いないはずの誰かに語り掛けるように箱崎は淡々と推測を述べる。
「キミの両親は、はっきり言って今さら殺されるような人間じゃない。『新人類計画』のことが公になる前に、全責任を負わされる形で死ぬはずだった。いや、死ぬべきだった。まあ、正確には国が主導した研究だけど、主導したのは水島 龍太郎であると発表されたんだから、むしろ生かしておく必要性なんか無い。危険因子は早急に排除されるべきなんだから。そうだろう?」
「……そう、ですね。殺しておいた方が、後で真実を暴露されてしまうよりも圧倒的に安全です。自殺する理由だって、国ぐらい巨大な組織なら簡単に捏造できるでしょうから」
「しかし、彼は殺されなかった。それも、いつから入れ替わっていたのかは分からないけど、影武者となり替わってまで、水島夫妻という存在は生かされ続けた。これは、どうしてなのか」
「えっと……」
水島 龍太郎が有能な人間だったから生かされた、ということではない。それならば、代役を用意したことについて説明が出来ないのだ。もちろん、まだ両親が偽物であったと確定した訳では無いのだが、血液型が異なっていたという点を考えると、彼らは別人だったと仮定した方が適切だろう。
そうなると、単純に世間の目を欺くための存在として生かされていた、と結論付けるのが自然だ。これ以外に理由は浮かばない。
「純粋に、国民からのヘイトを集めるため、ですか?」
「それも一つの理由だろうが、本当の目的はもっと別にある。まあ、全部推測でしかないんだけど」
そう言うと、箱崎は懐から何かを取り出し、僕の前へと突きつけた。それは、僕たちが偶然部室で発見した、『新人類計画』に関わった人物がたくさん写っている写真だった。
突然の行動に戸惑う僕に対し、箱崎は僅かに怒りを滲ませた声色で告げる。
「『新人類計画』に関わった人間に対する、明確な当てつけ。見せしめ、といっても良いだろう。キミの両親は、そのために生かされたと考えていい」
「見せしめ……?」
「そうだ。分かりやすく言えば、人間の一人や二人、簡単に消せるし代役だって立てられるぞ、っていう無言の脅迫だ。そうじゃなきゃ、こんな面倒なことをする訳がない」
「そ、そんな理由で……」
確かに、箱崎の推測は的を射ているように思える。水島 龍太郎の口を塞いだところで、他の研究者が密告しないとも限らない。それならば、関わった全員をまとめて脅した方が得策だ。
それもただ単純に殺すのではなく、反発した人の存在そのものを抹消し、置き換えてしまうのだ。それがどれほど恐ろしいのか、想像に難くない。アイデンティティの否定とも言えよう。
しかし、この箱崎の推測が正しいのならばもう一つ、僕にとって耐え難い仮説が生まれてくる。両親が見せしめとして生かされていたのならば、最初から本物である必要はないのだから。
「あ、あの。それなら僕の両親は、かなり前に死んでいても不思議じゃないですよね。少なくともメディアに顔を出す前から死んでいないと、大きく矛盾するような気が……」
「ああ、気付いたか。そうとも」
そう言うと、箱崎は僕から視線を逸らし、天井を仰いだ。
「この推測が正しければ、キミの両親は十年前、キミが『サヴァン症候群』だと自覚する頃には既に死んでいた、と考えるべきだろう。つまり、キミが心底嫌っていた両親は、偽物だったということだ」
「っ……」
信じられない。信じたくない。だが理論的に考えれば、これが最も納得できる結論である。
僕の人格を完全に否定し、完膚なきまでに人生を叩き壊した二人は、両親では無かった。おまけに、僕に余計な能力を与えた組織によって作られた存在だったというのだ。
自分でも分かるほど、血の気が引いていく。この感情が怒りなのか、悲しみなのか、何も分からない。ただ頭をハンマーで打ち砕かれたような強い衝撃が走り、何も考えられなかった。
そんな僕に、箱崎は優しい言葉をかけるでもなく、震える僕を椅子に座らせ、引き続き語り出す。
「まあ、今のキミに何を言っても理解は出来ないだろうけど、一応話を続けるね。どうせキミの脳なら、理解はしていなくても覚えていられるんだろうから」
「……」
「さて、ここで最初の疑問に立ち返ろう。なぜ、家族写真の入った小箱を犯人が持ち去ったのか。これはもう、言うまでも無いだろう」
そう言って、手近にあった椅子に腰かけた箱崎は懐から煙草を取り出し、口に咥えたところで手を止めた。
「あ、そうだった。真中にライター取られてたんだっけ。なあ、マッチかライター持ってないか?」
「……あの、吸わないでもらっていいですか。室内ですし、僕、煙嫌いなので」
「あ、ごめん。そうだね、ついつい」
咥えていた煙草を箱の中に戻し、わざとらしくバツの悪そうな笑みを浮かべて箱崎は言う。
「水島夫妻の存在が不要となった……いや、むしろ邪魔になったと考えるべきだな。例えば、どこかから『新人類計画』に関する情報が洩れてしまった、とかね」
「……『新人類計画』の、本当の責任者が明らかになった、ってことですか?」
「おや、意外と早く立ち直ったね。もっと時間がかかると思ってたけど」
「こんなところで煙草を吸おうとした時点で、何を企んでるのかはバレバレですよ。ありがとうございます、気を遣っていただいて」
「いや、実は本当に煙草が吸いたかっただけかも知れないよ? まあ、元気が出たなら良いけど」
箱崎は恥ずかしそうに小さく溜息を吐き、頭をボリボリと掻きながら話を続ける。
「まあ少なくとも、水島氏に責任を押し付け、殺害し、さらには代役まで立てた張本人にとって不都合なことが起きた、という感じだろうな。そう考えると、キミの見たという写真の存在は厄介極まりないものだと分かるよね」
「はい。ということは、今回の犯人は……」
「そう。『新人類計画』に関わり、水島氏に責任を押し付けることが出来るくらいの有力者で、今も権力を握っている人物。それ以外に考えられないだろうさ」
現在も国の中枢に在籍し、『新人類計画』に関わっていた人物。その条件に当て嵌まる人間は奇しくも、昨日この家を訪ねてきていた、あの人しか考えられない。
そう、厚生労働大臣補佐官、塩村 憲恭。彼以外に、このような大それた犯罪を行なえる人物はいないのだ。
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