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小欅 サムエ
小欅 サムエ

1-11

公開日時: 2020年10月29日(木) 21:16
更新日時: 2021年1月2日(土) 09:51
文字数:4,055

 それにしても、せない。この写真に写っているのが本当に大島おおしま西蓮寺さいれんじであったとして、それがどうして出水でみずを怯えさせる要因になり得るのだろうか。


 そもそも、テレビ番組すらまともに観る機会の少なさそうな出水が、大島の顔を把握しているかどうかすらも疑問なのである。個人的な因縁があるならばともかく、イケメンでも個性派でもない、この平々凡々とした顔を覚えるのは至難の業だ。


 とはいえ、ワイドショーなどでたまに見る顔ではある。何度も目にするうちに、無意識に覚えてしまった、という可能性もあるか。


「……金子かねこ、よくこの男が大島かもしれない、って気付いたな」

「ん? そりゃ、なんつーかさ……よくネットで炎上してたから、何となく、な。確信は無かったけど、水島がそう言うんなら間違いねぇだろ」

「何となく、か。まあ、そういうもんだよな……」


 芸能情報に詳しい金子ですらも、この程度となると……やはり、余程のことがない限り記憶に残ることはないだろう。


 つまり、出水と大島の間には何らかの接点があった、と考えるべきだ。大島の記事によって生活を破綻させられた人間は多い。出水の両親、もしくは親族もその中の一人であったならば、あるいは……。


「出水、ちょっといいか」

「……」

「この男のこと、知ってたのか? 無理に答えなくてもいいけど、もしよければ教えて――――」

「え? あの……知らなかった、です。さっきまで

「さっき?」


 予想外の返答に、思わず鸚鵡おうむ返しをする。そればかりか、声も上ずってしまい妙な声色となってしまった。


「ゴ、ゴホン……えっと、その、さっき、って?」

「え、その……先輩たちが来るまで、金子先輩、教えてくれた、です……」

「はあ?」


 いつも以上に声が小さかったため辛うじて聞き取れた内容を精査すると、出水はどうやらつい先ほど、金子から大島の情報を得たのだという。それ以上のことは、完全に萎縮してしまった出水からは聞き出せないため、その情報をもたらししたであろう張本人へと問い詰める。


「おい、金子。どういうことなんだ」

「ど、どういうって……別に、お前らがなかなか来ないから、昨日話したことを出水にも教えただけだって。まあ、ほとんど俺の独り言みたいになってたけどな」

「昨日の、って……ああ、ネットニュースの件か」

「そうそう。んで、もう話題が無くなったもんで黙ってたら、急に出水がこの段ボール箱を取ろうとしたんだよ。んだよ、俺が悪いってのか?」


 なるほど、それで今に至っている、ということか。そうだとすれば、尚更のことおかしい。大島をつい先ほど知った出水が、どうしてこの写真に写っていることを思い出せたのだろう。


 すると、まだ青白いままの顔を上げ、高城たかしろが僕の思考を盗んだかのように口を挟む。


「あー、先輩? 由惟ユイってときどき妙に記憶力が良かったりするんですよね。偶然、金子先輩の話を聞いて思い出しちゃったのかもしれませんよ」

「偶然って……そんな都合の良いことあるか?」

「えー? でも、本当に記憶力が良かったら由惟はもっと成績が良いはずじゃないですか。この前の英語の小テスト、私より悲惨で――――」


 その言葉を聞いた瞬間、ずっと俯いたままであった出水は表情を変え、信じられない、と言わんばかりに高城を睨み付ける。


美琉加みるか……私の、見たの?」

「あ、ヤバ……」


 高城は慌てて口を手で覆っているが、時すでに遅し。無言の圧力をかけられ、青白かった顔色をさらに白く変色させてゆく。これは言うまでもなく、高城が悪い。助け船を出す必要など無いだろう。


 それにしても、確かに高城の言う通り、これだけ記憶力が良ければ少なくとも僕くらいの好成績を収めることくらい造作もないはずだ。特に、英語の小テストとなれば大抵、単語の書き取りなどの単純に記憶するだけで済む問題が多い。リスニングならばともかく、単語の記憶すらも曖昧だとすれば、この件に関しては本当に偶然だったと言えるだろう。


 偶然、か。釈然とはしないが、そう捉えるのが自然であろう。


「ごめん、ホントごめんって!」

「……」

「何か言ってよぉ!」


 僕が思考を続ける間も、髪飾りを揺らしながら何度も謝る高城と、全く表情を変えることなく睨み続ける出水の攻防戦が続いている。まったく、緊張感の欠片も無いやつらだ。


 仕切り直す意味も含め、軽く苦笑いしつつ僕は金子へと向き直る。


「何やってんだかな……それはそうと金子。昨日の話って、出水にどこまで喋ったんだ?」

「どこまで? それはアレか、動画にしようぜって話してたヤツも含めて、ってことか?」

「……動画にはしないけどな。お前が西野にしのを説得できるって言うなら、止めはしないけど」


 むしろ、誰が説得できるのか知っているのならば、その人を紹介して欲しいくらいだ。


「いや、それは勘弁してくれ……。あー、そうだな。さっき言った通りほとんど俺が一人で喋ってたんだけどさ、一応話したと思うぜ」

「陰謀論についても、か?」

「ああ。まあ、本人が聞いてたかどうかまでは、知ったこっちゃねぇけどな」


 そう言うと、金子は出水の方へと視線を移し、オーバーリアクション気味に両手を広げる。その一方で、僕たちの話はまるで聞こえていない様子の出水は、未だに高城を睨み続けていた。


 さて、そろそろ二人を止めるか。このままでは埒が明かないし、これ以上は時間の無駄だ。


「悪い出水、もう一度聞くけどさ。どうしてこの写真を探そうと思ったんだ?」

「え? そ、その……」


 高城から視線を外し、驚きと躊躇ためらいが混じったような曖昧な表情を浮かべ、出水は僅かに眼鏡の位置を修正した。どうやら、高城のお陰である程度の平常心を取り戻すことが出来たようである。


「あの、大丈夫……ですか? 話しても」

「大丈夫、って?」

「えっと……昨日、大変だったのに……」


 おずおずとした、顔色を窺うような彼女の姿勢に僕は少し戸惑った。何か問題があればそもそも登校していないし、この時間まで部室にいる僕たちに今さら気を遣っても遅い。まだ、昨日の事件は自分の責任だとでも思っているのだろうか。どこまで出水は他人想いなのだろう。


「僕は大丈夫だよ。でも高城、お前は辛かったら帰っても構わないぞ。まだ顔色が優れないみたいだしな」

「えっ……そんな、今さら帰れるわけないじゃないですか。そりゃ、だいじょばないですけど……こんな中途半端な状況で帰った方が、なんかモヤモヤします」


 ううー、と少し唸りつつ、高城もここに残ることを決断した。さすがに彼女も、この写真には興味があるようだ。


「だってさ、出水」

「う……そ、それなら……」


 そう言って、出水はゆっくりとデスクトップPCの前へと移動する。そして軽くマウスに触れ、スリープモードを解除した。その途端にPCの画面は明るさを取り戻し、同時に先ほどまで出水が閲覧していたであろうインターネットのページが表示される。


「ん? これは……」


 映し出されたのは、僕もよく利用するネットニュースサイトのページであった。記者によってバラつきはあるものの、更新が早く情報の先取りをするには有用なサイトである。


 自由にコメントも出来るが、大抵の場合は感情的な意見が過半数を占めており、特に芸能ニュースの場合は荒れることが多い。


 まあ、一般人が事件やゴシップに関する情報を持っている、などということは滅多にないため、僕は基本的にコメント欄を閲覧しない。見たところで、負の感情が掻き立てられるだけでメリットなど皆無に等しい。


 そんな無価値であるコメント欄が、僕の目の前に映し出されていた。どうやら出水は、金子の話を聞いていた時、ちょうどこのサイトを開いていたようである。


 コメントの内容を見る限り、昨日報道された大島の事件に関する記事と思われる。


「うわー、これはまた……随分と荒れ放題だな」

「だな。炎上商法で売れたから仕方ないんだろうけどさ……これだから僕は嫌いなんだよ、ここのコメント欄」


 不倫などのスキャンダルならばまだしも、今回に関しては自殺の記事である。それにも拘わらず、彼の過去の発言を取り上げ、死んで当然だ、とでも言わんばかりの暴論が展開されている。


「ヒドい。この人、死んじゃったんですよね? なのに……」


 近付いてきた高城は、そのコメントの悪辣さに目を背けている。彼女の言う通り、大島の死を悼むような書き込みはほとんど見られない。これでは、さすがに遺族が不憫だ。


「出水、まさかこれを見せたかった、って訳じゃないよな?」

「……これ」

「え?」


 僕の問いかけに対し、出水は無言で画面を指さす。


「これ、見て」


 彼女の指さした先には、ある一人のコメントが表示されていた。ハンドルネームも無く、ただ一言だけ書かれたそのコメントは、誰の目から見ても興味をそそるものではない。


 だがそのコメントは、この事件の記事をよく読んだ者……そしてその中でも、とある画家の作品を知っている者にのみ、その真意が理解できるものであった。


「これは……」


 思わず、そのコメントを何度も見直す。だが、目に映るものが変化する様子はない。見間違いではないかと疑い軽く目を擦ってみるが、僕の視界は良好そのものであった。


 間違いではない。でも、こんな偶然、あり得るはずが……。


「あん? どうしたんだよ水島……なになに?」


 震える僕を怪訝けげんそうに一瞥いちべつし、金子は出水の指さした書き込みを読み上げる。


「えっと、『バートリー夫人』……? なんだこりゃ」

「っ……!」


 耳から伝わったことにより、より確信へと至ってしまった。僕の目が、僕の脳がおかしい、という仮説は脆くも崩れ去ったのである。


 そう、そこに書き込まれていたのは、『バートリー夫人』という単語だけであった。当然、金子にも高城にも、もちろん他に書き込みをしている閲覧者にも、何の意味があるのか理解されないだろう。


 だが、僕と出水は、その意味を知っている。何せ、昨日あの事件のあった現場で、そのタイトルが冠された絵を見たのだから。


 西蓮寺さいれんじ 真冬まふゆ作、『バートリー夫人』。奇しくも、彼女本人から手渡されたポストカードに、その絵が描かれていたのである。


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