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小欅 サムエ
小欅 サムエ

4-5

公開日時: 2021年5月1日(土) 11:55
文字数:4,071

 JR代々木よよぎ駅から徒歩数分の距離にある、寂れた喫茶店『カフェ・レストリア』。そこで僕と出水でみずは軽食を摂っていた。ちょうど正午という時間帯にも拘わらず、この店には僕たち以外に客はいない。

 

「静か、だな」

「うん」

 

 出水と会話にもならないレベルの言葉を交わし、軽くタマゴサンドを頬張りつつ店内を見渡す。

 

 ドアベルに、小さく響くジャジーな音色。炒りたての豆の香りに、小綺麗なマスター。人によっては非常にウケの良さそうな店なのだが、どうしてか閑古鳥が鳴いているようだ。まあ平日の昼間、しかもあまり人通りのない路地では、こうなって当然か。

 

 しかしここの店内は、レトロさを売りにしているように思えるのだが、どちらかというと古い、と表現した方が適切な印象を受ける。レトロ感で言えば、僕の行きつけであるボムの方が圧倒的に上だ。

 

 どうしてなのかは分からないが、なんとなく、この店のレトロさには付け焼刃的な雰囲気を感じる。本物の老舗しにせとは異なり、胡散臭さが漂っている、とでも言おうか。

 

 なぜそんな喫茶店で、僕たちは軽食を摂ることになったのか。それは、今からちょうど十五分前に遡る。

 

 

 

 東京総合国際病院を出た僕たちは、まっすぐにJR代々木駅へと向かっていた。もうすぐ昼食の時間ではあったが、心身ともに疲弊していたため食事よりもまずは休息を、という思いが強かったためだ。

 

 しかし、重い足取りのまま無言で駅へと向かう最中、あの事件が起きてしまった。

 

 グゥーッ

 

「あ……」

「……」

 

 そう、盛大に出水の腹の虫が鳴いたのだ。駅前の人通りが多い道路であったため、数人ほどこちらへと振り返り、何事かと怪訝けげんな表情を浮かべて通り過ぎて行った。

 

「す、すみません。その……今朝から、何も食べてなくて」

「あ、ああ。仕方ないよ、あまり気にすんな」

「う、うん……」

 

 そう言いつつも、出水は顔を赤くしてうつむいてしまった。やはり、普段は表情をあまり表にしない出水であっても、本能の叫びを聞かれるというのは相当に恥ずかしかったのだろう。

 

 このまま、腹の虫の訴えを退けて出水の家に向かうと、最寄りであるJR中野なかの駅まで十分程度はかかる。その間に、彼女は同じような思いをしないとも限らない。むしろ、狭い車内であの音が鳴ってしまえば、先刻とは比較にならないほどの恥となる。

 

 僕の方も頭に糖分が足りておらず、昨晩の頭痛がぶり返してきそうな感覚もあったため、やむなく軽食の摂れる店を探し、結果としてこの喫茶店へと流れついたのである。

 

 もちろん道中には、大手ハンバーガーチェーン店やムーンバックスカフェなども立ち並んでいたが、今は肉を食べるような気分ではないし、着の身着のままで病院へと駆けつけてしまったため、あまりいい格好をしていない。それ故、あまり人目のつかないこの喫茶店が最適解だったのだ。

 

 そういうわけで、こうして黙々と食事をすることになったのだが……それにしても、寂しい。これだけ静かであると、僕たちの会話が筒抜けとなってしまいそうだ。

 

 すると、ぼんやりと店内を眺めていた僕に、店主と思わしき紳士が微笑みながら近づく。

 

「いやいや、若いお客さんは珍しいですね。せっかくですし、当店自慢の紅茶でもサービスで……っと。おや、高校生ですか?」

「え? えっと……そう、ですけど」

 

 僕の返答に男は少し黙った後、ああ、と小さく零し話を続ける。

 

「もしかして、西光せいこう学園の子かな?」

「え、どうして分かるんですか?」

「いやあ、大したことでは。つい先日、事件がありましたでしょ。先生が転落したっていう、あの。それで、西光学園は休校になっていると聞いていましてね」

「あ、ああ……そういうこと、ですか」

 

 そうか、ちょうどゴールデンウィークも終わった平日の正午に、堂々と来店できる高校生は限定される。一人ならば学校をサボったと考えるのが筋であろうが、今回は出水も一緒だったのだ。真面目そうな彼女が授業をフケるとは思えない。

 

「さすが、喫茶店のマスターともなると人を見る目が良いんですね。でも、すみません。僕たちはこれを食べたらすぐに帰るつもりなので……」

「おや、それは残念です。あの高校の生徒さんならば、木村きむらさんについて何かお話しでも出来るかと思ったのですが……」

「え?」

 

 突如として現れた木村という単語に、僕は思わず聞き返した。

 

「あの……もしかして、木村先生とお知り合いだったんですか?」

「ええ。知り合いというか、何というか……腐れ縁とでも言いましょうか。彼とは長い付き合いでしたので。そんな彼が、まさかあんな目に遭うとは……いやはや、人生とは分からないものですね」

「そう、でしたか……」

 

 まさか、このマスターが木村の知り合いだったとは。旧友が不可解な死を遂げて、さぞ彼も落胆したことだろう。とはいえ、僕らから出来る話は限られる。現場の話をする訳にもいかないし、せいぜい僕らの活動の顧問だったこと、くらいか。

 

 まあ、それでもこのマスターにとっては貴重な話となるかも知れない。さっさと出水の家へ向かいたいところではあるが、まだ日は高く、彼の作った軽食で体力はある程度回復できた。少しくらい彼の話に付き合おう。

 

「……木村先生は、僕たちの活動の顧問でした。学校の正式な活動ではないのに、先生は支援してくれて、部室まで用意してくれて……今思えば、本当に感謝しかありません」

「活動? ああ、そういえば。以前、彼はミーチューバーを目指す子たちの顧問になった、と言っていましたが……あなたがそのうちの一人、でしたか。大変だったでしょう? 彼、一度話し出すとなかなか止まらないもので」

「え、ええまぁ。でも、とても話しやすい人柄でしたので、そこまで不快ではありませんでした。なあ、出水」

「……」

 

 話を振られた出水は、コクンと小さく頷くだけで声には出さなかった。これほど温厚そうなマスターを相手でも、やはり彼女は委縮してしまうらしい。父親からかけられた呪詛は、今もなお彼女を蝕み続けている。

 

 沸々と込み上がる熱い感情を抑える僕へ、マスターは少し目を細めながら静かに口を開く。

 

「慕われていたのですね。その話が聞けて、安心しました。ありがとうございます」

「いえ、別にそんな……でも、憧れはしませんでしたけど、こういう大人になるのもアリだな、と思えたことは事実です」

「ふふ、そうですか。さて、お急ぎのところ、声を掛けてしまって申し訳ありませんでした。また時間が許すのであれば、ゆっくりとお話ししたいところです」

「そうですね。その時は、ぜひ」

 

 そして、付け合わせのピクルスだけ食べ残し、席を立った。来店した当初よりも、圧倒的に体が軽い。これならば、出水の家について早々、眠りに落ちるという無礼な振る舞いをせずに済みそうだ。

 

「えっと、会計は……」

 

 そう言って懐から財布を取り出そうとしたところで、マスターはこちらに笑顔を向けながら僕を軽く制する。

 

「結構ですよ。旧友の話を聞けたことで、私は満足ですから」

「え! そ、そんな。悪いですよ、大した話ではなかったのに」

 

 代金となるような話ではなかった。むしろ、憧れはしないだの、不快ではなかっただのと、多少木村に対する悪口を交えていたのだ。これで二人分の代金がチャラになるなんて、あまりにも不相応である。

 

 だが、慌てる僕にマスターは相も変わらず穏やかな表情を向ける。

 

「いえいえ。私にとっては、話を伺えてとても嬉しかったですよ。しかし、どうしてもお支払いしたいというのであれば、止めはしませんけれど」

「……そ、そうですか。では、お言葉に甘えて」

「ええ、是非ともそうして下さい。では、またのご来店を……っと、すみません。一つだけよろしいですか?」

 

 店を出て行こうとした僕たちを、マスターは申し訳なさそうに引き留める。

 

「え? あ、やっぱり代金が……」

「いえ、そうではなく。つい先週のことですが、彼からあなたたちへの伝言を預かっていたことを、すっかり失念しておりまして。まったく、年は取りたくないものです」

伝言、ですか?」

 

 なぜ木村は、そんな回りくどいことをしたのだろう。先週と言えば、ゴールデンウィークに突入する直前の頃であったはずだ。それならば直接、僕たちに話せばよかったのに。まさか、彼は自分が死ぬことを予期していたとでもいうのだろうか。

 

 奇妙に思い、横にいた出水と顔を見合わせる。彼女もその伝言について、何ら心当たりはなさそうに小首をかしげている。

 

「あの、どうしてマスターに伝言なんて残したんですか?」

「さあ? 私にもそれは分かりません。あの人は、たまにこういう理解不明の行動をすることが……っと、そんなことはどうでもいいですね。時間があまりないのでしょうから、要点だけを」

 

 そして、マスターは木村から預かった一言一句を思い出すため、こめかみ辺りを刺激しながら目を瞑り言葉を紡ぐ。

 

「『本物の部屋の場所は、キミたちの動画のコメント欄にURLを載せておいたよ』……だったかな。これ、どういう意味だか分かりますか?」

「本物の、部屋?」

 

 まるで意味の分からない内容だ。本物も何も、木村の意図している部屋というものが一体何なのか、それがまず不明である。しかもURLということは、どこかのページの場所を指しているのだろう。

 

 今のところ、何もピンとくるものは無い。何かの間違いではないだろうか。

 

「あの、それって本当に僕たちへ向けた伝言だったんですか?」

「確かそう言っていたと思うのですが……記憶違いであったならばすみません」

「い、いえ。一応、他のメンバーとも確認をしておきます。ありがとうございます」

 

 まあ、マスターの話が本当なのかどうかは、僕たちの上げた動画のコメントを確認すればすぐに分かることだ。視聴回数すら一桁台の動画ばかりなのだ、コメントが付けばすぐに見つけられるだろう。

 

「お引止めしてすみません。それでは、お気をつけて」

「あ、はい。ありがとうございました」

 

 そして、不可解な言葉に頭を悩ませながら古びた木製のドアを開け、外へ出る。カランコロン、と哀愁のあるドアベルの音色が周囲へと伝わるが、僕の耳には入ってこなかった。

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