さすがに、彼女の話す内容が事実ならば異常だ。この写真に写る人物たちは皆、一連の事件に何らかの形で関与している、ということになるのである。しかも西蓮寺や真中の父親はともかく、その他の人物は、全て被害者という立場なのだから。
「……おい、この写真は何だ。大島 浩、西蓮寺 真冬、木村 一良……そして私の、私たちの父まで、どうして写っている!」
真中は血色を変え、僕の胸倉に掴みかかってくる。しかし疲弊し過ぎているためか、その腕には大した力はなく、僕の腕力でも容易に振りほどくことが出来た。
「し、知りませんよ! 大体、この写真がいつからここにあるのか、それにこれが一体何なのか、見当もつきませんし」
「だが……だとするなら、これは……!」
「あの、少し落ち着きましょう? きっと疲れているせいで、混乱しているのだと思いますから。真中さん、でしたか。酷く疲れた顔色をしていますから……ね?」
「……」
西野の助力もあり、どうにか真中は冷静さを取り戻しつつあるようだ。全身の震えは止まり、顔色はまだ悪いが、徐々にそれも回復傾向にある。
しかし真中の言う通り、繰り返すようだがこの写真は異常だ。写っている人物が、ここ最近起きた奇妙な事件に関与しているのだ。これを偶然というには難しかろう。もしかすると、他の四枚の写真に写っている人物にも、何らかの関係性がある可能性も考えられるだろう。それを確認しておく必要はありそうだ。
「……西野、他の写真はどうだ?」
「え、他の、って……ああ、残りの四枚のこと? そうね……画角は違うけど、写っている人たちに、あまり違いは無さそうよ。まあ、夏企が見ればすぐに分かるでしょ?」
そう言うと、西野は残りの四枚の写真を僕に手渡す。確かに僕の目を通してみても、大体同じような人物が写っているだけで、どこかの施設を背景にした集合写真であるということには変わりない。そうなると、ますます怪しくなってくる。
これはまだ仮説であり、確証に至るほどの物証でもない。だが、ここまで偶然が重なれば、それは必然とも言えよう。この写真に写る人物と、今回の一連の不審死は確実に関連していると推定して捜査すべきだ。
解せないのは、その多くがこの西光学園に関与のある人物である、ということだ。ごく一般的な、少々偏差値の高いだけの私立学校で、どうしてそのような奇怪な事件が多発しているのか。
「そういえば……」
「夏企?」
ふと、机の上に乱雑に置かれたままとなっている資料のことを思い出した。この学校の歴史やら何やらを検索し、使えそうなものを全部持ってきたのだと、数時間前、まだ元気であった出水は言っていた。つまり、この資料の中に何かヒントとなるような記述があってもおかしくはない。
まだ頭の整理が追い付いていない様子の真中を横目にしつつ、立ち上がり机の上に置かれた資料に目を通す。
「創立は、五十年くらい前、か。それ以外には……まあ、無いよな」
僅かに期待していたものの、やはり事件に繋がるような黒い風聞など、インターネット上を探してもそう易々と見つかるものでは無い。それに、今回の資料は、あくまでも学校のPR動画制作のためのものなのだ。ネガティブ・キャンペーンに繋がるような資料など、あの真面目な出水が持参するはずが無い、か。
すると、僕の考えを見抜いたようで、西野は静かに立ち上がると鋭い目つきで僕を制する。
「夏企。まさかとは思うけれど、この事件について調べようとしていないでしょうね。二つの事件に巻き込まれたからと言って、あなた自身が事件に関わっていく必要なんて無い。あなたは高校生で、それ以上でもそれ以下でもない。ただの男の子なのよ?」
「……いや、それにしたって出来過ぎているだろ。この写真だって、学校の関係者ばかり写ってるんだ。何かあるって疑わない方が不自然じゃないか。それに僕は、ただの高校生なんかじゃない! そんなこと、西野がよく分かってるだろ!」
僕は、普通なんかじゃない。サヴァン症候群を……しかも目立った障害を受けぬままに獲得した、選ばれし人間だ。『普通』という言葉は僕が非常に嫌がるものだと、幼馴染である彼女ならばよく分かっているはずなのだ。
だが、それでも西野は反論を続ける。僕の怒りに触れる言葉を使ってでも、止めようと必死であるようだ。その目には、うっすらと光る物すら浮かべている。
「木村先生が、亡くなったのよ? それでも夏企は、事件に関わりたいって思うの? そんなこと、私は――――」
「ああ、私もそれは、断じて許さない」
不意に僕たちの論争へと割って入った真中は立ち上がると、机の上へ力強く握りしめた写真を叩き付けた。机の乾いた大きな音が部屋中に響き渡り、その轟音により僕と西野は少し飛び上がる。
「ただの高校生じゃない? 下らないな。お前はただ、不必要に記憶力が良くなっただけの、ただの高校生だ。いや……私からすればむしろ、憐れなモルモットにしか見えないな」
「は、はあ?」
この女……突然立ち上がったかと思えば、途轍もなく酷い暴言を浴びせるものだ。僕からすれば、力を持たぬ者の嫉妬にしか思えない。その手の煽りならば、これまで数知れず受けてきたのだ。今さらそんな挑発になど乗るものか。
それに、モルモットという表現は実験動物、つまり試験的に何かを施されている生き物に対して使うものだ。僕はそんな実験を受けた記憶など無いし、もしそんな実験を受けさせられるほどに愛されているのならば、比較的早いうちに、両親からの愛情を受けることなく育っている僕には、そう呼ばれる理由などない。
「真中さん……警察なのに、僕のことを何も知らないんですね。僕はサヴァン症候群のせいで親から期待されて、異常な教育を受けて……それでも、僕がただの高校生だと言うんですか?」
怒りに拳を震わせ、暴れ出したくなる気持ちを抑え込みつつも、この溢れ出る想いを口にした。
この症候群のせいで、僕がどれだけの苦痛を味わったと思っているのだろう。両親は成績のことしか興味がなく、周囲の生徒は僕の能力に恐れて近付かない。完全な孤独を経験した僕が、普通な訳ないだろうに。
普通ならば、これだけ僕が怒りに震える様相を受けて、態度を改めようとしない人間など、そうはいないだろう。だが、真中は僕の発言に対し、怪訝な様子で僕へと睨み返した。
「……? 何を言っている。お前の父親はあの水島 龍太郎だと、自分でそう言ったじゃないか。まさか、何も知らないのか?」
「は……?」
何故、そこで父親の名前が出てくるのだろうか。中学卒業から記憶を辿ってみても、一言も会話をしていない相手と一体どういう関係があるというのだ。それどころか、産まれてから今までに、あの男とは成績のこと以外に話をした記憶すらない。そんな男が、一体どうして……。
すると、反論しようと口を開いた僕を遮るように、西野は真中に対し強い口調で言い放つ。
「真中さん。ただでさえ、立て続けに事件に巻き込まれて疲れているのですから、彼の気持ちを少しは考えてあげてください。これ以上彼に何か言おうものなら、私も然るべき対応を取らせていただきますが」
その迫力は、僕たちの活動に口を挟む時とは、まるで違う。本気の怒りを真中へと向けているようだ。それに威圧されたのか、それとも冷静さを取り戻したのか……真中は少しだけ目を瞑ると、観念したように小さく返答した。
「チッ……確かに、生徒会長殿の言う通りだな。口が過ぎた、撤回しよう」
「え、その……」
間の悪いことに、僕の質問は西野の一喝により立ち消えとなってしまった。だが、確かに僕も疲弊していることは事実だ。
少なくとも、今日起きた木村の件もこの写真が何か関係している、ということははっきりしたのだ。写真自体は真中に没収されるだろうが、僕の脳内にはすでに、しっかりと保存されている。ここにはカメラも無かったことだし、早く帰る方が無難だろう。
だが、写真を奪われるだけでは、あれだけ悪態をつかれたことに関して、割に合わない。少しくらいは、真中からも情報提供してもらわねば、どうにも納得しかねる。
「では、この写真は貴重な手掛かりとして預からせてもらう。それで良いな」
「待ってください。その写真を渡す代わりに、一つだけ条件があるんですけど」
「条件、だと?」
その言葉に、また少し真中は苛立ちを覚えたようで、鋭く僕を睨む。だが、もうその目に屈することは無い。
「木村先生の状態について、詳しく教えてください。警察署では、何も教えてもらえませんでしたから」
「ちょ、ちょっと夏企!?」
間に入って止めようとする西野だったが、それをも押しのけて僕は、睨み続ける真中へとさらに続ける。
「僕が見た限り、飛び降りる直前の木村先生の様子は、明らかにおかしかったんです。まるで、全身の血が抜き取られてしまったかのように真っ青で、自分から落ちたというよりも、落とされた感じでした……それに、定年も目前なのに、わざわざ学校の屋上から飛び降りる理由が分からないんです。その辺りを、教えてもらえませんか?」
「……それを信じる根拠は?」
「僕の、ここです」
そう言って、僕は自分のこめかみの辺りを軽く指さす。そう、動画は無くとも、僕の頭の中にはしっかりと、あの光景が焼き付いているのだ。サヴァン症候群であることを否定しなかった真中ならば、この意味を理解するはずだ。
「ふん……まったく、小賢しいな。分かったよ、死因と動機……それでいいか?」
「はい、充分です。それと、必要ならより詳細に思い出しますので、呼んでください」
「ま、真中さんまで! 良いんですか、警察がそんなことを教えても!」
仰天し真中へと詰め寄る西野だったが、もう話は終わりだ、という表情を崩さない真中を目にし、諦めたように軽く頭を抱える。生徒会長であり、僕の幼馴染である彼女からすれば許し難い行為であっただろう。だが今回の件は、いつもの動画制作に関わる問題とは大きく異なる。
僕の力……サヴァン症候群としての能力が、事件解決に役立てるかも知れない。そう思うと、初めて僕は産まれた意味を実感できるのだ。散々と周りからは倦厭され、親からは見捨てられた僕が、怪事件を解決に導いたとなれば、僕にとっても非常に大きな糧となるだろう。
救われるためには、待っているだけでは何も始まらない。『求めよ然らば与えられん、叩けよ然らば開けられん』……僕が、僕自身の環境を変えてやる。それが今なのだ。
「ごめん、西野。なに、大丈夫だよ。捜査に協力するだけで、実際に現場に行くとか、そんなことはしないから」
「ふっ……そんなことをすれば、すぐさま放り出すからな」
「……だって、さ」
「……」
僕に危険の差し迫る可能性は低いと説明しても、どこか不安げな様子で西野は答えようとしない。彼女には、到底理解し得ないことだったのだろう。それもまあ、仕方の無いことである。西野のように、正しく愛を受けて育った人間には、立ち入ることの出来ない領域なのだ。
「さて、残りの写真を渡してもらうぞ。全部で何枚だ?」
「えっと、五枚、ですね。写っている人物や背景に大きな違いは無いようですが、念のために全部渡します」
「よし……ん? この文字は何だ」
「文字? ……ああ!」
写真を受け取った真中は、ふと写真を裏返したようで、そこに書かれていた文字に気付いたようである。すっかり忘れていたが、写真の裏には適当な平仮名が書いてあったのだ。今さらになってそれを思い出した僕は、少し慌てながら彼女の質問に答える。
「えっと、それは僕にも分かりません。五十音順に番号を割り振ったのかな、とは思ったんですけど」
「『あ』、『や』、『へ』、『い』、『か』……確かに、そう思えなくもないが……違うな」
「え?」
そう言うと、真中は再び写真を机の上に並べ、それぞれの端を指さす。
「見ろ、時間がそれぞれ異なっている」
「時間? ああ、本当ですね……」
ランダムに撮影されていたように見えた五枚の写真であったが、そこにはしっかりと、それぞれに撮影した日付、時間がはっきりと記載されていた。これは比較的古いフィルムカメラに搭載されている日付機能によるもので、現在のデジタルカメラやスマートフォンによる写真では、基本的に反映されないものである。
彼女の言う通り、五枚の写真にはそれぞれ、撮影されたのであろう時間が刻まれていた。数分の差であるが、撮影された時間は大きく異なっているようである。一先ず、撮影された順番に並べ直し、写真を裏返して記載された文字を解読してゆく。
すると、先ほどまで完全にアトランダムに記載されていると思い込んでいた平仮名は、正しい語順へと並びなおることで、一つ意味のある単語を浮かび上がらせた。
「『あ・か・い・へ・や』……『赤い部屋』、ですか」
「そうなるな。逆から読んだところで、まるで意味の分からない文字列になるだけだからな。だが、これだけでも未だ意味は不明だ」
「そう、ですね。一体、どこの部屋のことを指しているんでしょうか」
シンと静まり返る部屋の中、外を行く車の走行音が僅かに響く。夜の帳が下り、すでに街灯が点り始めている中、航空障害灯の赤い光が僅かに僕の視界に入り込む。
この写真は……そして、『赤い部屋』とは一体、何のことなのだろうか。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!