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小欅 サムエ
小欅 サムエ

What A Friend We Have In Jesus

3-1

公開日時: 2020年12月25日(金) 14:38
文字数:4,651

 午後二時。平日ならば五限目が終盤に差し掛かるくらいの、とても気だるい時間だ。休日であり通常ならばそのような感覚に陥ることは無いのだが、僕はその重苦しい空気を一身に背負っていた。

 

 それというのも、これから僕は水島みずしま 龍太郎りゅうたろう……僕の父親にして、最も憎む相手の過去を調べる予定なのだ。気が重くなるのは当然である。

 

 加えて、箱崎はこざきとムーンバックスカフェで別れてからおよそ三時間……その間、疲労に苛まれた僕はベッドの上に横たわるだけの無為な時間を過ごしていた。当然、食欲など湧くはずもなく、今の今まで水一滴すらも口にしていなかった。体が重く感じるのも無理はない。

 

 とはいえ、これ以上の血糖値の低下は脳の機能に重大な影響を及ぼす。特段空腹という訳ではないが、せめて正常な思考回路だけは保つため、災害用に備えてあったカロリーブロックを口に放り込む。

 

「……さて、と」

 

 一息つき、PCを立ち上げる。スマートフォンで検索しても良かったが、疲弊した体に小さな文字は毒だ。せっかく自室にPCがあるのだから、それを活用しない手はないだろう。

 

 間もなくして、Googoolグーゴールのトップ画面が表示される。あとは『水島 龍太郎』と入力し検索を実行すれば、それで終わりだ。何も難しいことは無い。

 

 だが、指をキーボードへと置いた時、ふと僕の脳内に箱崎の言葉が甦る。

 

後悔、か……」

 

 『後悔したくなければ、この件に触れないように』———— 急ぎの用が入った箱崎の残した、去り際の台詞……それが妙に引っかかった。

 

 本当に調べられたくない案件ならば、普通こういう言い方はしないはずだ。『後悔』などという漠然とした単語を用いられても、恐怖よりも好奇心が勝ってしまう。そんなこと、ベテランの刑事である箱崎ならば百も承知だろうに。

 

 僕を普通の高校生だと侮っているのだろうか。……いや、それはないな。捜査協力を申し出るような相手に、そのような無礼を働くとは思い難い。彼は僕が『サヴァン症候群』であると知っていたし、そんな僕の不興を買うようなことはしないだろう。

 

 そう考えると、あの発言はある種、僕の行動を誘導するものだと捉えるのが自然だ。嫌いな相手のことを調べさせるには、それだけその感情を上回る何かが必要となる。そういう意図があるとすると、だ。

 

「調べて、良いのかな……」

 

 このまま箱崎の思惑通り、水島 龍太郎について調べても良いのだろうか。もちろん、彼が一端いっぱしの警察官であることを考えれば、一般市民が危険に曝されるリスクの高い手段を講じるはずはない。国民を守らず事件を解決しようとする警察官など、言語道断だ。

 

 しかし、それにしても胡散臭い。想像の域を超えないにせよ、これには何か裏があると踏んで然るべきだ。いっそのこと、直接箱崎を問い詰めてみようか。

 

 軽く天井を仰ぎ、机に置かれたスマートフォンへと手を伸ばす。何かあればいつでも連絡してくれ、と言ったのは箱崎だ。ならば、僕からの着信を無視するなんてことは————

 

 ヴーン、ヴーン

 

「っ!」

 

 ひんやりとした樹脂製のボディに触れた瞬間、スマートフォンが鳴動を始めた。机の上に置いていたことが災いし、けたたましい振動音が部屋中へと鳴り響く。

 

「な、なんだよ、もう……」

 

 軽く溜息を吐き、早まる鼓動を落ち着かせる。こういう不意をつくバイブレーションは、本当に心臓に悪い。音の響きやすい机上に置いていた僕も悪いのだが、それならばせめて、振動よりも光か何かを先行させて欲しい。そうすれば、多少の心構えは出来るはずだ。

 

 誰に聞かせるでもない文句を口にしつつ、未だに震え続けるスマートフォンへと視線を落とす。無料通話アプリからの着信通知であるようで、画面上には発信者の氏名が大きく表示されていた。

 

 その名前を目にし、伸ばした腕を止める。僕にとって思いがけない人名が、そこに示されていたのだ。

 

出水でみず……?」

 

 そう……発信者は、出水でみず 由惟ゆい。物静かでグロい絵が好きな、かなり変わった後輩からの電話であった。

 

 普通ならば、休日に異性の後輩から着信があれば胸躍らせていたであろう。だが、昨日木村きむらの事件があったばかりで、このタイミングでの電話……どう考えても、良い報せであるとは思い難い。

 

 逸る気持ちを抑え、ゆっくりとスマートフォンを手に取る。そして、恐る恐る電話に出た。

 

「も、もしもし? どうしたんだ、こんな時間に」

「あ……あの、先輩」

 

 スピーカー越しに、出水の声が伝わる。電話慣れしていないようで、その口調はいつもよりもたどたどしい。

 

「何かあったのか?」

「う、えっと……先輩。大丈夫、ですか」

「へ?」

 

 大丈夫、とはどういう意味だろうか。昨日、警察から事情聴取されたのは僕だけではない。金子かねこを除いた活動のメンバー全員、それに西野にしのも同様であったと聞いている。僕の様子だけ気にする必要など無いと思うのだが。

 

「いや、別に大丈夫だけど。初めて経験した訳じゃないし」

「あ、う……そう、ですよね。でもそうなら、どうして返信、ないんですか?」

「返信?」

「あ、あの……グループチャット、先輩だけ未読……」

「グループチャット? ……あ」

 

 そうだ、すっかり忘れていた。僕たち活動メンバーは、無料チャットアプリを利用してグループを作っていたのだった。作った当初は僕も返信していたのだが、金子と高城たかしろがくだらない内容のメッセージを連発していたせいで嫌気がさし、通知設定をオフにしていたのだ。

 

 ずっと未読のままであると不審がられるため、時折チャットを開いて既読にしていたのだが、今回の件のせいでその操作を失念していたのである。

 

 思いがけない指摘を受け、慌てた僕は苦し紛れに返す。

 

「あ、えーっと……ほら、失神してたから僕の取り調べは遅かったからさ。それに帰りに西野と会って、今後の話とかして疲れて寝ちゃったんだよ」

「え、と……でも、金子先輩、話したって」

「あ……」

 

 しまった。『赤い部屋』についての意見を聞くため、夜中に金子と電話していたのだった。ここから先、どうやって挽回したものか……。

 

「……そうだ、思い出した。そう、金子と電話してからすぐ、寝たんだよ。だからほら、別に大丈夫だって」

「本当、ですか?」

「本当だって。それはともかくさ、せっかく電話してもらったんだし、チャットで何の話をしたのか教えてくれるか? 今からログを追うにしても、どうせ高城とかが荒らしてそうだし、簡潔にまとめてくれると助かるんだけど」

「あ……そう、ですね。では、簡単にですけど、いいですか?」

「うん、ありがとう」

 

 よし、これで一先ず誤魔化せただろう。しかし、もう二度とこのような失態を演じるものか。煩わしくはなるが、今後からは通知をオンにしておこう。

 

「えっと……今後の活動について、だったんですけど……私、活動は続けたい。美琉加みるかも、同意見です。金子先輩は、みんながやりたいなら、って」

「そうか、そうだよな」

「うん……不謹慎なの、分かってます。でも、それでも……」

 

 そう言うと、出水は言葉を詰まらせる。理由なんて聞くまでも無い。出水や高城、それに僕にとって、この活動は学校生活を送るうえで何よりも大切なものだ。学内に友達の少ない僕らには、なくてはならない存在なのである。

 

 だからこそ、大事にしなくてはならない。こういう状況であることを鑑み、批判を浴びないように細心の注意を払って行動すべきだ。

 

「分かった、休止にはしない。でも、撮影はするとしてもアップするのは控えよう。木村先生のこともあるし、しばらくはそういう方向でも良いかな?」

「……はい。そう、ですね。美琉加は何て言うか分からない、けど……」

「ああ……まあ、高城には僕から伝えるよ。気は重いけど」

 

 出水は了承してくれたが、高城はそう易々と意見を受け入れないだろう。まあ、ちゃんと説明しても聞き入れないのならば、その時はもう活動のメンバーから外すことも考えねば。いずれにしても、蹴られるだろうな。ああ、胃が痛い。

 

 しかし、高城か。あのような暴走娘と、よく出水は一緒にいられるものだ。せっかくだ、高城を説得するのに弱点の一つでも知っておきたい。彼女と仲の良い出水に、それとなく聞いてみるとしよう。

 

「はぁ……そういえば、どうして出水は高城と仲が良いんだ? 全然キャラも違うし、確かクラスも別じゃなかったか?」

「え? あ、えっと……幼馴染、なので」

「幼馴染? 小学校とか、地元が同じとか?」

「え、えっと……五歳くらいの頃、一緒に遊んでた時期があって。それで」

「へぇ……」

 

 なるほど、それで如何にも人見知りである出水と高城が打ち解けられた、という訳か。十年近く前の友達と高校生になって再会するとは、数奇な運命というか……。

 

「昔から高城はあんな感じだったのか?」

「いえ、その……もっと大人しかった、です。いつも、部屋の隅に座っているような、そんな子だったので」

「あの高城が?」

「はい。私も、高校生になって久しぶりに会って、驚きました」

 

 なかなか良い情報を得た。派手キャラで通している人間にとって、過去の地味だった頃の話を持ち出されるというのは、非常に恥ずかしいと耳にしたことがある。高城がそう感じるか否かは別としても、これで蹴られる心配は減ったか。

 

 しかし、それにしてもよく記憶しているものだ。五歳くらいということは、もう十年くらい前の話であるにも拘わらず、まるで昨日のことのように出水はスラスラと語っている。僕には、小学生以前の記憶は無いというのに。

 

 ……記憶、か。

 

「……」

「……先輩?」

「出水、一つ聞いても良いか」

 

 これだけ記憶力の良い出水ならば、僕の父親……水島 龍太郎について知っているだろう。ネットの記事を予備知識のないまま読むのと、ある程度は予測の上で読むのとでは大きく違う。受ける衝撃を和らげる意味も含め、聞きなじみのある声により情報を得ておきたい。

 

「は、はい」

「あのさ……水島 龍太郎って人、知って————」

「知りません」

 

 言葉をすべて述べ終える前に、出水はぴしゃりと言い放つ。いつものおどおどとした口調ではなく、吐き捨てるような冷たいものであった。

 

 思わぬ反応に、僕は戸惑い言葉を失う。彼女からこのような発言が飛び出したことは、知り合ってから一度もなかったのだ。一体、何が起きたというのか。

 

 互いに無言となり、近くを通る幹線道路を行き交う車の走行音だけが響く。そんな中、どうにかして言葉を紡ごうと口を開いた僕の耳へ、いつも通りの出水の声が伝わる。

 

「あの、先輩。そろそろ電話、切りますね。活動は、絶対に終わらせないでください」

「え、あ、ああ。分かった」

 

 それ以上、出水からの返答はなく、ほぼ一方的に電話は打ち切られた。何が起きたのか未だに理解しかねる僕は、ただ呆然と窓の外に広がる灰色の世界を眺めるのみであった。

 

 決して、彼女の機嫌を損ねるような失言をした訳ではないはずだ。むしろ、つい先ほどまでは至極和やかに会話が進んでいたのである。部室にいるのと同じような感覚であったのが、一変したのは……。

 

「水島 龍太郎……」

 

 そう、僕の父親の名前を出した瞬間、空気はがらりと変わった。あの穏やかな出水でさえも態度を豹変させるほどの何かが、過去にあったことは明白である。

 

 『後悔したくなければ、この件に触れないように』———— その意味が、徐々に僕の中で形になりつつあった。この件を調べた瞬間に僕の中の世界は崩壊する……そう考えてよいだろう。

 

 だが、それでも。

 

「後悔なんて、しない」

 

 もう腹は括った。どんな事実であろうと、僕は受け入れる。いや、受け入れるしかないのだ。

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