【5月2日(日曜日)/7時28分】
信条シンヤは現在――誰もいない、見知らぬ住宅に滞在しながら天能リアと共に埼玉県を脱出しようとしていた。
シンヤが住み家として使っている部屋は二階の寝室だ。
ベッドが二つと、その正面には横長の収納家具が置いてある。
一階はガラスや家具が散乱しており、壁や床は血痕が付着して使えない状態だった。綺麗に残っているこの部屋を借りて、車椅子に座っていたリアを優しくベッドに寝かせる。
パンデミックが起きてから約一ヶ月が経過した現在――日本では関東地方の『完全封鎖』が総理大臣より発表された。関東地方で生き残っている生存者はこの地獄から抜け出すことが出来ず、ミヌティックドックウイルスの感染拡大を防ぐために生存者に対しても射殺命令が下されているらしい。
俺らは日本に見捨てられた。
だがそれももう、どうでも良くなる頃だ。
ゾンビの拡大は徐々に広がっていき、自衛隊だけでは対処が追い付かない状況が続いている。静岡県の半分以上が壊滅状態であり、そろそろ山梨県も落ちる頃だ。
少しずつではあるが、確実にゾンビによる人間の滅亡は近づいていた。
「リア、食べ物を取ってくるから少しだけ待っててくれ」
ベッドの上に横たわるリアは目を開けない。
あれほど強くて美しかった天能リアは『壊れて』しまった。
ショッピングモールリオンで様々な説明をしてくれた『未来のリア』と共に、シンヤはラミリステラと戦うことになる。そしてリアの人格が元に戻ったかと思えば、壊れた人形のように体中を震わせながら「約束は守れなかった」と言い残して気を失ってしまった。
瞳の色を失い、言葉を発することも無い。
目を開いたと思えば、その視線は上の空。
食事を口に運ぶが赤子のように衣服にこぼしてしまい、とても見ていられない。
寝室を出て行こうとしたシンヤはドアの前で止まり、下を向きながらリアに近づいた。歯を食いしばりながら怒りに身を任せるように大声を上げる。
「クソ! 俺たちはこれからどうしたらいい? なぁ、教えろよ――リア」
ベッドで寝ているリアにまたがり、胸倉を掴みながら自分に寄せる。
強く握りしめられた両手。
全く動こうとしないリアに嘆くことしか出来ない。
瞳に涙が溜まり、胸に顔を埋める。
今なら『死ね』でも『変態』でも『離れろ』でも、どんな罵詈雑言を言われたとしても救いになる。リアが元に戻れば今後の『目的』が出来るのだから。
そして『自分は一人じゃない』と再認識できる。
カオリやツキが消えてから、シンヤはリアと言う『最後の希望』を守り続けていた。どんなに嫌いな人間だったとしても、リアだけは失っちゃいけないと理解できる。
そしてシンヤは瞳に力を入れた。
目の周りに熱が溜まり、それは全身を駆け抜けていく。火傷しそうなほどの痛みがシンヤを襲うが、その痛みにもだいぶ慣れてきた。
そしてシンヤの瞳が『淡い赤色の光』に包まれる。
それはショッピングモールリオンの駐車場で使用した【プロビデンスの目】
一ヶ月の間、動くこともできないリアを守り続けて来れた理由はこれだ。そして瞳の光が眩しさを増していく。
「――32分後に化け物がここにやってくる。コンビニぐらいなら行けるか」
■□■□
これはシンヤとリアが、ショッピングモールリオンでカオリと別れたすぐ後の話になる。リアと言う天才が壊れて、シンヤの戦いが始まるまでの物語。
【4月7日(水曜日)/21時42分】
カオリ達をショッピングモールリオンに残したシンヤとリアは現在、木々が生い茂っている『森』にいた。自動車が走行する道路の真ん中を歩いており、肝試しをしている気分だ。
怖い場所はどうも苦手で、月明かりに反射するリアの金髪を頼りに付いていく。道路の左右はガードレールが引かれており、その奥は暗闇に包まれて何も見えない。
シンヤが木々の音に反応していると、リアが声をかけてくれた。
「怖いのかい?」
「めっちゃ怖い。手を繋いでいいか?」
「構わないよ」
冗談で言ったつもりなのだが、リアの不敵な笑みにムカッとくる。
「冗談だ! ――遠慮しとく」
「それは残念なのだよ」
何というか、やはり不思議だ。
リアと出会ってまだ一日も経っていない。しかしリアの俺に対する会話に、一切の遠慮が感じられず、まるで何ヶ月も前から付き合いがあるように錯覚してしまう。
「そう言えば俺とリアって、日が浅いよな?」
「――? そう言えばそうだったね。まぁ、今の私は何年もシンヤと共に仕事をしていたから遠慮なんてしなくていいのだよ」
「誰が遠慮なんて……元のリアだって遠慮なんかしなかったよ」
「だろうね、同じ天能リアなのだから。しかしシンヤは今後苦労する」
「何でだよ?」
「今の私が消えたあと、元のリアがどうなっているか分からない。私も似たような体験をしたことがあるので気持ちは分かるのだよ。向こうの世界で君が私にしてくれたように、この世界のリアを救ってくれると私は信じているのだよ」
「リアを救う? ――意味わかんねーよ」
あの堂々としたリアが誰かに救われるイメージが全く沸かない。どんな問題が起きても勝手に行動して、他人を巻き込まないように勝手に解決するはずだ。
そんな天才様を俺が? ご冗談を……
「いずれ解決するどうにでもなる問題さ。それに私の口から伝えてしまっては、ロマンに欠ける」
「脅かすなよ! 今後の不安を煽るなんて性格悪いな。――まるで白髪の……? いや、何でも無い」
何かにブロックされたように上手く思い出せない。『白髪の少年』――そう言いかけたが、そんな少年と出会った記憶なんて無い。しかしショッピングモールで、そんな少年と話したような気がする。
デジャブ? いや、ちょっと意味合いが違うか……違和感?
「白髪? まさかアイリス? ――あり得ない。それならシンヤが生きている方がおかしいのだよ」
リアの独り言に気になるワードが入っており、聞いてみることにした。
「アイリスって白髪なのか?」
「そうなのだよ、正確にはアルビノと言う病気だ。だからアイリスは太陽の元では必ず日傘をさしている。白色すぎて太陽の光を直接浴びると火傷してしまうからね」
「アルビノって言えば全身が真っ白になるあれか!? 太陽の光で火傷するほど肌が白いって、女性からすれば羨ましいかもな……どれぐらい苦労するのか知らんが」
「他人事だね」
「他人だからな。ただ、正直言っていいか?」
「何だい?」
「いくら他人でも、俺は生きているならアイリスって人を殺したくない。それで世界が救われるとしても、人は殺したくないな」
それなりに覚悟を決めて発言したつもりだが、リアは素知らぬ表情を浮かべながら言い放った。まるで事前に台詞を決めていたみたいに。
「いいと思うのだよ? シンヤが最後の最後でアイリスを殺さない選択を取ったとしても、私はシンヤに怒りを抱いたりはしない」
想像外の回答に動揺してしまう。
「え? ――軽くない? 世界」
「当たり前だろう? たかが世界なのだよ」
そしてリアの言葉に安心している自分がいた。アイリスを絶対に『殺さなければならない』と言う訳ではないらしい。あくまで『選択肢の一つなんだ』と、リアは遠回しに伝えてくれた。元々は普通の高校生だった自分に『使命』なんて重りを背負わせる気は無いらしい。
それが今の自分にとって救われた気分になる。
まぁ、今のリアから言わせれば『他の選択肢なんて存在しない』わけだが。
そしてシンヤとリアはある程度進んだ場所で立ち止まる。景色は先ほどから全くと言っていいほど変わっていないが、ガードレールがへし折れて自動車が突き刺さっていた。そして辺りの地面が広い範囲で焦げ付いている。
――激しい惨劇があったようだ。
自動車は真横に切り裂かれており、乗っていた運転手は生きていないだろう。今頃、ゾンビになって森中を駆けずり回っているに違いない。
「ひでぇーな。ここで誰かが死んだのか……」
「いいや、運転手は生きているかもしれない」
「いや、さすがにそれは無理があるだろ? 車ごと真横にぶった切られてる。――運転手の首も吹き飛んでるはずだろ?」
「いや、運転手は座席を限界まで下げているのだよ。何らかの攻撃を避けようとしていたんだろうね。素晴らしい判断力なのだよ」
「それで前が見えなくなってガードレールにぶつかったってことか? ただの馬鹿じゃねーか」
「化け物もろとも自爆と言う可能性も残っているのだよ」
「それこそあり得ないな」
シンヤと現在のリアは気付いていないが、ここはカブリコと戦闘を行った場所である。リアがショッピングモールリオンに向かう前、無免許運転でカブリコをひき殺そうとした現場だ。所々に残っている焦げ跡はエクスプロージョンによるものだろう。
「確かに人間離れした選択なのだよ。頭のいい判断とは言えないが、私好みと言わざるを得ない。一度でいいからロードローラーで化け物を殺してみたいのだよ」
ロードローラー……だと!?
リアって意外と漫画に詳しいタイプ?
「そうか、死亡フラグだな。あと怖い発言を止めてくれ! ラーメンが好きなんだろ? 今度奢ってやるから」
リアが眉間にしわを寄せながら、考え込むように口を開いた。
「デジャブ? ――前にも似たようなことをシンヤに言われたのだよ」
「そうか。きっとリアがいけない発言をしたんだろうよ」
「――……『ッ!』……――」
「そう言えば……――って、どうした?」
明るい会話を続けていると、リアが真剣な表情を浮かべながら夜空を見上げる。雰囲気が一気に変わり、近寄りがたい目つきをしていた。そんなリアに合わせてシンヤの視線も夜空へと吸い寄せられる。
見なければ良かった。――心の底からそう思ったよ。
そこに映る光景は星空では無い。
土や木々で出来た……巨大な『顔』だ。
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