カオリとツキは、リアが向かった従業員用の個室で、叫び散らす男性に震えていた。通路の正面から見える扉は空いており、そこではミカの叫び声も聞こえてくる。そして親友のために何も出来ずに待っているだけのツキは、罪悪感で表情を曇らせながら歯を食いしばっていた。
現在、リアと男性が口論をしてる最中だ。
そしてカオリはツキの手を優しく握りながらも、それ以外のことをしてあげられない自分自身に劣等感を抱いていた。今もリアに頼りきりで、もしも男性がこちらへ向かってきたらと考えるだけで全身を恐怖が包み込む。リアは確かに強いが、それでも少女だ。相手は声からして男性、力や体力で勝てるとは思えない。
「でも、リアちゃんなら……大丈夫」
(そう、祈ることしか出来ない)
しかし、扉の先から聞こえて来る男性の怒鳴り声。
「うっるせぇぇええ!!」
互いの肩がピクリと震える。
そしてリアが何かを男性に伝えたかと思うと、次の瞬間には男性の叫び声が鳴り響く。物音はしないが、そのまま従業員用の個室は静まり返った。何が起きたのか分からず、迂闊に動くことが出来ない。
「中で何が起きてるの? 怪我だけはしないで」
シンヤやリアのように誰かを守れるほど強くなりたいと思いながらも、それを行動に移せるほどの力は持ち合わせていない。そしてリアの言っていたことを無視して、今すぐにでもミカを助けたいと思いながらも、邪魔にしかならないと理性が働く。
思っているだけで、何もできない。
静寂な部屋からリアとミカの会話がこちらまで聞こえた。
「カオリさん、終わった?」
「分からない。少しだけ、覗いてみる?」
「は、はい」
リアはこちらへ顔を出してこない。しかし、男性の声が全く聞こえ無いのも事実だ。安全が保障されたわけでは無いが、ミカと喋る余裕ぐらいは生まれたと考えるべきだろう。
恐る恐る扉の中を覗くカオリとツキ。
そして、室内の光景を目にした瞬間――ツキは絶望的な表情を浮かべながら叫び声を上げた。裸で縛られている親友の姿に目を見開き、両膝を付いて、何て声をかけて謝ればいいのか想像もつかない。
「ぇ? っきゃぁぁぁああああ!? ――ミカ、ミカ!? 嘘でしょ。私の、私のせいだ。ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい……本当に」
リアに優しく抱きしめられていたミカは、視線を迷わせながら「だ、大丈夫だよ? ツキが謝る事じゃ無いでしょ」なんて、苦笑いを浮かべながら茶化しているが、その瞳は全く笑っていなかった。
体中に出来たあざが今も痛い。
抵抗も出来ずに犯された。
自分でも見た事が無い場所をいろいろと見られた。
それはリアにしか聞こえないほど、小さな声。
「でも、ツキに助けてもらいたかった」
(ツキは悪くない。でも、そんな綺麗な姿で謝ってほしくないよ)
相当なショックを受けてしまった為か、ツキはその場で倒れ込んだ。まさかミカがこのような仕打ちを受けているとは知らず、一人にしてしまったことを激しく後悔しているらしい。慌ててカオリが抱きしめ、ゆっくりと床に寝かせた。
【高橋ミカ】――中村ツキとは真逆の雰囲気を醸し出しており、可愛らしい見た目をしている。長い黒髪はお淑やかな大和撫子を連想させ、清楚なイメージを周りに与えた。しかし、見た目とは裏腹にミカよりも内心は強いのだろう。ミカを縛り付けていた縄には血痕が付着しており、最後まで抵抗していた形跡が残っている。
「こんなの、酷すぎる」
(もしも、シンヤ君が学校で私を助けてくれなかったら……)
カオリは放送室で現国の木村先生に襲われた時のことを思い出し、ほんの少しでも状況が違えば自分もこうなっていたかもしれないと考えるだけで、身震いが止まらない。
その瞬間――『ガチャ』
リアは従業員用通路へと続く扉が、ゆっくりと開く音を耳にした。
■□■□
シンヤはコルトガバメントを構えながら固く閉ざされた扉を開ける。気付いた時には三階の楽器店に立っていたシンヤは、従業員用の扉から聞き覚えの無い女性の叫び声が聞こえて、中の様子を窺おうとしていた。会ってどうするか何て考えていない。
生きている人間がいるなら誰でもいいから会いたいというのが本音だ。
これまでの出来事だけで人生一生分の武勇伝はストックされている。今更、見知らぬ女性とコミュニケーションが取れないなんて頭のおかしいことを言うつもりは無い。カオリとリアがいない現在、少しでも情報が欲しいのは確かだ。
「まぁ、叫び声だしな。ゾンビに殺されてる可能性の方が高いよな」
扉を開けた先には、複数の声が聞こえた。
そしてシンヤは、男性を含めた五人が滞在している従業員用の個室へと向かう。
■□■□
「ん?」
リアは何者かが近づいて来る気配を感じ取っていた。様々な修羅場を乗り越えたためか、聴覚が敏感になっているのかもしれない。ミカから体を離して、冷たい表情を浮かべながら近くに置いてあるハサミを握りしめた。個室の出入り口前で人差し指を口に当てながら、静かにするようジェスチャーをカオリとミカに送る。
シンヤが照らされている個室の様子を覗こうとした瞬間。
リアの握りしめていたハサミが素早い円周を描きながらシンヤの眼球を目掛けて飛んで来る。「ぇ!?」――反射的に体勢を後ろに倒すと、ハサミは壁を貫通して風穴を空けた。慌ててコルトガバメントをリアの額に向けて撃ち込んだ。
「っく!?」
一撃で仕留められなかったリアは、苦い表情を浮かべながら飛んで来る銃弾に目を見開いた。そして、それが相手の攻撃だと理解する頃には、銃弾は額へと当たる。
明確な死のイメージが脳裏を過った。
「イタ、痛い! ――?」
(何だ? おもちゃ?)
「あれ?」
(え、何で死なない? って、リア?)
倒れ込んでコルトガバメントの銃口をリアへと向けているシンヤの姿と、手に持ったハサミを壁に刺し込んでいるリアの姿がそこにはあった。互いに状況の整理が付かず、しばらく固まったまま、視線を重ねている。そして気の抜けた声が漏れた。
「はぁ、リアかよ」
「ッチ」
リアの舌打ちに、シンヤの表情が鋭さを増す。
「あ? いきなり攻撃してきたのはそっちだろう?」
(ハサミを振り回すって、室内で武器が使えないからって何考えてんだ?)
「分かっている。それについては反省していた」
(しかし、何故だろう? シンヤを見ていると無性に殴りたくなるのだよ。こいつが私の理想からかけ離れているからかな?)
「どこがだよ!? 俺に対する態度が酷すぎるだろ」
「申し訳ない。少しイラついていた」
リアの表情を窺うが、本当にご立腹のようだ。無表情ではあるが、その内心に冷たい物を感じる。気遣いなんてするつもりは無い。しかしカオリがこちらへ来ない状況を察するに、室内で何かしらあったのだろう。
「珍しいな。なにがあったんだよ?」
リアの視線がシンヤの持っている紙袋へと向けられる。
「そうだね。なにか服を持っていないかい? 生存者を見つけたんだが、何も着ていないんだよ。今は、男性用でも構わない」
元々ミカが着ていた衣服が地面に落ちてはいるのだが、性行為が行われている間に引き千切られていた。シンヤが持っている衣服を今は着せてあげるべきだろう。最悪、リアは自分が着ている衣服をミカに返すつもりでいた。
「もしかして、エロい系な感じですか?」
「否定はしないが、シンヤが言うととても不愉快な気分になる。頼むからその口を少しだけ閉じてくれないかい? 一応、こちらはシリアスな展開なのだよ」
「シンヤ君! 今は入って来ちゃダメだよ!?」
カオリにまでそんなことを言われてしまった。結局、紙袋に詰め込んだ衣服を全てリアに持っていかれてしまい、挙句の果てに従業員用の通路で待たされている。
(俺、これでも結構辛い目に合ってたんだぜ? それがこの仕打ちってどういうことだよ!? 全然状況を把握できないし、なにか大事なことも……あぁ!?)
シンヤは瞳を大きくさせながら、ショッピングモールリオンがゾンビや化け物に囲まれている光景を思い出した。あの絶望的な状況を、何故いままで忘れていいたのか思い出せない。
(このままここにいたら、死ぬ)
「リア!」
「シンヤ!」
シンヤとリアの声が、何故か重なった。
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