【4月8日(木曜日)/5時18分】
目を覚ましたシンヤは混乱していた。子供のように泣いているリアの姿が想像できなかったからだ。そしてラミリステラが消えており、何が何だかさっぱり分からない。
リアは最後に「約束は守れなかった」と呟いた。
「リア……なにを言ってるんだ? 頼むから分かりやすく説明してくれ」
その一言を言い終えると、リアは瞳の色を失い……パタリと倒れてしまう。慌てて抱きかかえたが、まるで壊れた人形のように動かない。
ラミリステラから深刻なダメージを受けたのだろうか?
そんなことを考えながら小さな体を優しく持ち上げた。どうやら目立った外傷は無いようだ。左肩に空いていた風穴も綺麗に再生されて、所々に出来た切り傷も消えている。
そして周囲はシンヤが気絶する前と対して変わっていなかった。
しかしラミリステラによって生み出された鋭利な枝木は消えており、そこは綺麗な更地に戻っている。所々に焼け跡は残っていたが、これはエクスプロージョンによるものだろう。
「まさか……本当に一人でやったのか?」
途中まではハッキリと覚えているが、とてもリアが勝てる状況では無かった。一体どんなミラクルが起きてラミリステラを殺したのか見当も付かないが、さすがはリアと言うべきだろう。
そして何もできなかった自分自身が恥ずかしい。
「ッ! ――結局、俺は何もできなかったんだな。カオリが待ってる……リアには悪いが、このままショッピングモールまで連れていくぞ」
リアを優しく担いでショッピングモールリオンまで歩き出した。
激しい山道を下っていくと遠目でガードレールが視認できる。そこからは道路沿いを歩きながらショッピングモールの正面駐車場まで辿り着いた。
そして到着する頃には日差しが顔を出しており、周囲を照らしながら生暖かい空気が全身を包み込んでいる。夜中の山奥とはえらい違いだ。
シンヤは駐車場を歩きながらカオリのことを少しだけ考えていた。そして純粋無垢な笑顔を想像するだけで歩幅が広がり、今すぐカオリに会いたいと思ってしまう。山奥でラミリステラと死闘を繰り広げたんだ……今なら些細な苦笑い一つで最高の気分になれる。
そんな安堵の表情を浮かべながら数時間ほどショッピングモールリオンを歩き回った。そして自分がどんな表情に豹変しているのか分からなくなる。何度も何度もカオリの名前を叫ぶが、返事が返ってくることは無かった。
「嘘だろ? ――カオリ!? どこに行ったんだよ? カオリ!!」
余裕は徐々に失われていき、背中に担いでいたリアを長椅子に寝かせる。そして青白い絶望した表情を浮かべながら、自分が最も警戒していた最悪な展開に卑屈な笑みを浮かべてしまう。
リアは自分に目的を与えてくれる少女だ。
カオリは自分に拠り所をくれた少女だ。
シンヤはその両者を同時に失った。
そしてポッカリと空いた心の隙間に、不安や絶望が詰め込まれる感覚。
「これから、俺はどうしたらいい?」
いきなり地獄の中で自由を与えられた気分だ。リアに目的を聞いていたはずなのに、どうすればいいのか分からない。ここから動くことが出来なかった。
――それから何日もカオリを探し続けて、
――それから何日もリアが目覚めるのを待ち続けた。
だが現状は全く変わらない。
そして死んだ魚のような瞳で、車椅子にリアを乗せて移動を開始する事にした。車椅子はショッピングモールリオンに展示されていた高価な物を頂いたが、リアを乗せていると芸術品を運んでいるような気分になる。移動を開始した理由はカオリがここにいないと分かったからだ。
――ゾンビの死体は全て確認した。
――カオリはどこかで生きているかもしれない。
――リアに渡された『天使の羽』も持っているはずだ。
しかしリアが目覚めない理由だけが謎である。最初は一時的な肉体の影響だと思っていた。だがそれらしい外傷は見当たらない。原因が分からないので、こればかりはどうしようもなかった。
それからシンヤは、動けなくなったリアを守り続ける逃亡生活が始まった訳だ。関東地方では金髪の美少女を車椅子で運ぶ――赤い瞳を持った【死神】と呼ばれるようになる。
死神が通った後には、必ずゾンビや化け物の死骸が倒れていたそうだ。
しかしこの話を信じる者は少ない――都市伝説として扱われていた。
■□■□
【5月2日(日曜日)/7時45分】
シンヤの額に冷たい金属の塊が押し付けられていた。そして、その背後で複数名の笑い声がコンビニエンスストアを包み込んでいる。中には本物の銃をチラつかせる若者もおり、見ただけでやばそうな雰囲気が漂っていた。
「おいおい~ここは俺らの縄張り何だわ」
「誰だか知らねーけど、部外者が入ってくんな。身包み置いてさっさと失せろ」
「馬鹿だよな~普通入ってくるか? 雰囲気でわかるだろ?」
「てか、女捕まえたくね!? 野郎バッカで花が無い」
「それいいな! ここにある食べ物で数人は釣れるんじゃね?」
「リーダーは女とか興味なし?」
「どっちでもいい。すぐ死ぬ奴は遠慮だな」
シンヤは少しだけ頭を抱えながら(またこのパターンかよ)っとため息が漏れる。食料を調達しようとすれば、最近はこんな出来事ばかりに遭遇してしまう。世紀末ほどでは無いがコンビニエンスストアを占領している若者達の瞳は色を失っていた。
人間を簡単に殺せる目だ。
もう何度も見て、そして体験した。言ってしまえばこの地獄を一か月間も生き延びた戦士達。言葉遣いや素行は悪いが、その目つきは狼のように鋭い。おちゃらけているように見えるが、シンヤから視線を外すことは無く……ゆっくりと背後に回って出口を塞いでいる。
そして一人の少年がシンヤを見ながらポツリっと言葉を発した。
「よく見るとこいつ……銃を持ってんぞ?」
「マジかよ。――ラッキーじゃん!」
「警察から奪い取った銃を含めれば、人数分は揃いそうだな」
「ほぉ、銃を持ってるのか? こいつは逃すな」
「「「OK」」」
舌なめずりをしそうな表情を浮かべてシンヤが持っているコルトガバメントを鋭い目つきで見つめていた。そして背後に回り込んだ一人の少年がシンヤの顔面に目掛けて金属バットを振り下ろす。スイカ割りのようにパックリと頭蓋骨が割れて、店内に血を撒き散らした。
そのままぐったりと倒れ込んだシンヤの手元からコルトガバメントが転がり落ちて、背後に立っている一人の少年が不敵な笑みを浮かべながらそれを持ち上げる。
「銃をゲッチュ!」
「こいつで試し撃ちしようぜ? もう死ぬだろ」
「お、それいいねぇ」
「あんまり弾を無駄にするなよ」
「固いこと言うなってリーダー。使い物になるか試すだけだし、警察署から銃弾を大量に確保してるだろ?」
「はぁ、好きにしろ」
「さすっがぁ」
そして地面に倒れ込んでいるシンヤにコルトガバメントの銃口が向けられた。そのまま躊躇うことなく引き金を引いた少年だが、銃弾が出ない事に疑問顔を浮かべている。そして静まり返った店内で「クスッ」っと小さな笑い声が漏れた。その微笑が伝播するように大声へと変わって店内に響き渡る。
「アッはッは! ただのガラクタかよ! www」
「くだらねぇ。こいつ、こんな玩具で食料を手に入れようとしてたのか!?」
「マジの馬鹿じゃん! 良く生きてられたな」
そんな少年たちの笑い声を聞きながら、シンヤは淡い赤色の瞳で辺りを見渡す。スローモーションで動画を再生しているような低い声が耳に届いており、倒れ込んでいるシンヤと地面の隙間から淡い赤色の光が漏れ出していた。
そしてパックリと割れていた頭蓋骨が再生を始める。
そんなあり得ない光景を目の当たりにした少年達は、動揺の顔色を浮かべながら警戒心を引き上げた。シンヤはゆっくりと立ち上がり、コルトガバメントを持っている少年から銃を奪い返す。
コルトガバメントを持っていた少年から見れば、銃が目の前から消えたように映っている。動きが速すぎて視線で捉えることが出来なかった。
「嘘だろ……」
「あり……えねぇ」
「慌てんな! こんな人間みたいな化け物がいるはずない!!」
「でも、傷が再生してるじゃんか!?」
「いや、あの瞳を見ろよ!?」
「「「「「「…… !? ……」」」」」」
「マジかよ……――赤色に光る目――【死神】なのか?」
「あれは都市伝説だろ!? それに死神は金髪の美少女を連れているはずだ! 何かトリックがあるんじゃないのか!?」
「慌てるな!! いつも通り殺すぞ……最悪、銃弾を全て使い果たしてもいい」
「そ、そうだな……たかが都市伝説」
そして少年達がそれぞれ銃を構えて、商品棚に身を隠しながら銃口をシンヤへと向けた。
「やれ!!」
リーダーと思われる少年の怒鳴り声と共に銃声が店内に響き渡る。
連射する少年。
隠れて様子を伺っている少年。
仲間を見捨てて逃げる算段を付けた少年。
不敵な笑みを浮かべる少年。
動揺を隠せずにいる少年。
自信を隠そうとしない少年。
リーダーのような振る舞いをする少年。
次の瞬間に全員が太股を抑えながら倒れ込んでいる。少年達は叫び声を上げながら歯を食いしばっており、太股から漏れ出す出血を抑えていた。シンヤはへし折れた自分の指先を見ながら「リアがラミリステラを蹴り上げた時みたいにはいかないか……」などと独り言をつぶやいている。
シンヤがしたことと言えば、飛んでくる銃弾を全てデコピンで弾き返した。問題があるとすれば自分自身の指がへし折れている事だ。天使の羽を制御しきれていない。
そしてレジスターの下に置いてある特大の袋を取り出して、倒れ込んでいる少年達を片目に缶詰やパンや飲み物を詰め込めるだけ詰め込んだ。そのまま何もなかったかのようにコンビニエンスストアを後にする。
「最近は食料調達が難しいな。消費期限が切れたパンは俺が食べるとして、この缶詰の量なら、リアの分はしばらく持つだろう」
ショッピングモールリオンでの出来事から約一ヶ月が経過した現在――テレビやラジオの情報を頼りに、シンヤはここ埼玉県から脱出しようとしていた。
プロビデンスの目である程度の未来を観測できるシンヤは、ラミリステラのような化け物とはほとんど遭遇していない。山奥で行われた死闘から力のコントロール出来るようになっていた。
「戻たぞ。――食べられるか?」
コンビニから帰って来たシンヤはベッドで眠っている少女に袋の中身を見せつける。しかし返事が返ってくることは無い。静かな部屋でため息が漏れてしまう。
――天能リアが全く動かないからだ。
こんな姿を俺は見たくなかった。いつもみたいに堂々とした態度で、小悪魔的な笑みを浮かべながら背中を押してほしい。今なら「無知だ! 馬鹿だ!」と悪口を言ってくれても構わない。
その一言で停滞した現状は大きく変わる。
リアがその気になればカオリがどこにいるのか言い当ててくれるかもしれない。少なくとも自分以上に明確な目的を持っていることだけは確かだ。
それに協力させてほしい。
それがどれほど心の支えになるか。
黙り込んでいたリアに子芝居を聞かせる素振りで、コンビニエンスストアで起きた出来事について語っている。話題が尽きることは無い。日常となりつつある現状は毎日が死と隣り合わせで、生存者同士の主な会話の内容は『自分の苦労』についてだ。
「俺が死神だぜ? 何の冗談だよ。最近は色々な奴らからそう呼ばれてる。――都市伝説みたいな扱い受けてるし、オプションでリアも有名人なんだぜ?」
「――……」
「まぁ、どこまで有名なのかは知らんけど」
「――……」
「はぁ……やっぱり喋らないか。俺が知っているリアは、もっとお喋りが大好きな人間だったはずなんだけど? 白雪姫みたいにキスでもすれば目覚めるか?」
「――……」
「冗談だよ。リアが全然喋らないから俺はお喋りになっちまった。――最近はコンビニの商品も賞味期限が切れてるのばっかりで、食料に質を求められなくなってきた。これからは色々と我慢することが増えると思う。――家庭菜園を始めるとかどうよ?」
「――……」
「冗談だよ。あぁ、これは冗談じゃない……リアがあまりに目覚めないからムラムラする時に困るんだよ。手を出したらビンタしてくれるか?」
「――……」
「勘違いするなよ? 別にドM発言がしたいわけじゃない。俺はどちらかと言えばドSだからな。――そろそろ返事してくれよ……もう少し時間が必要か?」
「――……」
「そう言えばな! ――……」
こんなことを毎日、続けている。
シンヤにとってリアは希望であり、失った瞬間に生きる意味を見失う気がした。最近は自分がどれだけ無力なのかを実感しており、孤独を打ち消す子供のようにリアにちょっかいをかけている。
「リア、俺はお前が大嫌いだけど死んでも守るよ。――だってお前はこの世界を救うんだろ? まるでおとぎ話のように。どんな物語でも主人公が無力になる時期はあるよな……いつか覚醒して、世界を元に戻してくれよ」
人間は一人でも生きていけるが、それはとても寂しい。
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