夏色グラビティ 〜この声がキミに届くまで〜

ステージの上で歌うって、…まじ?
平木明日香
平木明日香

第10話

公開日時: 2025年2月23日(日) 15:22
文字数:1,300



それから数日、進也(=さやか)は何となく時間を過ごしていた。


──来週から学校に戻れる。


そう父親から言われたものの、まだ気持ちの整理がつかない。


"自分の体"は、あの病室の中にある。

"自分の意識"は、こうして生きている。


それが、どうしようもなく不自然に感じた。


"さやか"として生きることに、違和感を覚えながらも、本当の"進也"に戻る方法は、何もわからない。


(……俺は、これからどうすればいいんだ?)


ギターを手に取ってみる。

だが、コードを押さえることすらできなかった。


──この手は、"さやか"の手なのに、"さやか"のように動かせない。


ベッドに寝転び、天井を見つめる。

ゆっくりと目を閉じると、さやかの声がどこか遠くから聞こえてくるような気がした。






ある日、何気なく机の引き出しを開ける。

そこには、筆記用具やバンドのメモ帳が無造作に置かれていた。


──でも、何かが引っかかった。


引き出しの底。


少し奥の方を探ると、"古いノート"が挟まるように隠れていた。


表紙は少し擦れていて、色あせている。

大事にしていたものなのか、それとも忘れ去られていたのか。


進也は、ためらいながらもノートを開いた。


そこには、"さやかの言葉"が詰まっていた。



『私は、歌いたい。』


ノートの最初のページには、そう書かれていた。


進也は、息を呑んだ。


ページをめくる。

そこには、さやかの本当の気持ちが綴られていた。


『小さい頃、私は歌を歌うのが好きだった。

でも、それはただの「好き」じゃなかった。』


『歌えば、母が笑ってくれた。』


『母は、いつも悲しそうだった。

家に帰ってきても、疲れた顔をしていて、私と目を合わせないこともあった。

でも、私が歌うと、少しだけ笑ってくれた。

その笑顔が、私の宝物だった。』


進也は、ページをめくる手が止まる。


──"母"?


さやかの母親のことは、これまでほとんど語られていなかった。

父親に聞いても、「出て行った」としか言わなかった。


(……さやかの母親は、どんな人だったんだ?)


次のページには、もっと深い言葉が綴られていた。


『でも、ある日、お母さんはいなくなった。

家に帰ってこなくなった。

お父さんに聞いても、何も教えてくれなかった。

私は、母のいない家で、歌を歌い続けた。』


進也は、息を呑んだ。


(……さやかは、母親を想って、歌を歌い続けていた?)


そして、ページの最後には、こう書かれていた。


『私は、歌で誰かを笑顔にしたい。

私は、あの日の母みたいに、悲しそうな人の心に届く歌を歌いたい。

それが、私が歌手になりたい理由。』


進也は、ノートを閉じた。


静寂が、部屋を包む。


──さやかは、ただ漠然と歌手を目指していたわけじゃなかった。

──誰かのために、歌う理由があった。


(……それなのに、お前はどこにいる?)


このノートに、さやかの"今"は書かれていない。


彼女の夢も、想いも、ここに残っているのに。


(お前は、本当に消えてしまったのか……?)


進也は、強く拳を握った。


(まだ終わりじゃない。何か、まだ足りない。)


何かが欠けている。

それを見つけなければ、前に進めない。


進也は、再びノートを開き、ゆっくりと読み返した。


──そこに、"答え"があるかもしれないから。

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