──さやかは、どこにもいない。
目が覚めて数日が経った後も、進也は病院のベッドに座り込んでいた。
自分の手を見つめる。
さやかの手。
「……俺は……お前じゃない……」
呟いても、返事はない。
さやかの気配は、どこにもない。
──何が、どうして、こんなことになった?
考えられるのは、ただ一つ。
──あの事故だ。
バスが横転したあの瞬間、何かが起きた。
そして、目を覚ましたとき、俺は"さやか"になっていた。
だが、それだけじゃない。
"さやかは、この世界から消えていた"。
進也は、歯を食いしばった。
「……調べるしかねえ……」
このままでは、何もわからない。
この"異常な状況"の原因を突き止めるには、事故の詳細を知るしかない。
進也は、ベッド脇の小さな棚に置かれたスマートフォンに手を伸ばした。
ロック解除しようとした瞬間──違和感が襲う。
──これ、さやかのスマホじゃないか。
指紋認証は反応しない。
画面には、数字のロックがかかっていた。
「……そうだよな……」
進也のスマホは、どこにある?
事故でどこかへ飛ばされてしまったのか?
それとも、進也の体が持っているのか?
今は考えても仕方がない。
スマホが使えないなら、他の方法を探すしかない。
──病院のロビーに行けば、新聞やテレビがあるかもしれない。
進也はベッドから立ち上がった。
"高月さやか"として生きていくしかないなら、それを利用してでも、真実を突き止めるしかない。
病院のロビーには、大型テレビが設置されていた。
運よく、ニュース番組が流れている。
「先日、東北自動車道で発生した高速バス横転事故について、新たな情報が入りました」
進也は、息をのんだ。
ニュースキャスターの声が、静かなロビーに響く。
「事故発生時、バスには乗客25名と運転手1名が乗っていました。警察の発表によると、死者7名、重軽傷者15名、意識不明の重体3名が確認されているとのことです」
画面に映し出される、事故車両の映像。
バスの屋根が潰れ、ガラスが砕け散っている。
その瓦礫の中に、進也とさやかがいたのか……。
──そして、負傷者の名前が表示された。
「現在も意識不明の重体であるのは、以下の3名です」
「杉浦進也(17)」「田村直人(45)」「石川美咲(23)」」
進也は、画面を見つめた。
「……おい……」
──"高月さやか"の名前がない。
ニュースのどこにも、彼女の名前は出てこない。
死亡者リストにも、負傷者リストにも。
まるで、最初から……
"さやか"なんて、存在しなかったみたいに。
「……そんなわけ……ねえだろ……」
手が震える。
呼吸が浅くなる。
──警察の発表は、"事実"として処理されたものだ。
なら、彼らは「さやかという人間がいなかった」と判断しているのか?
でも、それなら……
"俺は誰なんだよ?"
進也は、震える足でロビーの椅子に座り込んだ。
「……存在しない……?」
高月さやかは、事故の記録にも、ニュースの報道にも存在しない。
なら、俺は……?
進也は、自分の手を握りしめた。
「こんなの……ありえねえ……」
事故の報道を信じるなら、"高月さやか"という人間は、最初からそのバスに乗っていなかったことになる。
でも、それは嘘だ。
俺は、確かに彼女と一緒にバスに乗った。
ふざけた会話をして、笑って、夢の国へ行くはずだった。
──なのに、彼女はどこにもいない。
生きているのか?
死んでいるのか?
そもそも、本当に存在していたのか?
「……俺は……どうすればいいんだよ……」
進也は、頭を抱えた。
現実が歪んでいく。
何が真実なのか、何が嘘なのか──。
でも、"さやかの痕跡"がどこにもないのは、確かなことだった。
彼女は、生きているのか?
それとも……
「……まだ、終わりじゃねえ」
進也は立ち上がった。
まだ、確かめるべきことがある。
──事故の関係者に話を聞く。
──事故当時の映像や記録を探る。
──何か、さやかの痕跡が残っていないかを確かめる。
そうしなければ。
そうしなければ、"俺だけが生き残った"ことを認めることになる。
「お前は、どこにいるんだよ……」
進也は、病院のロビーをあとにした。
どんな形でもいい。
彼女の痕跡を、この世界に見つけるために──。
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