「……ありえねえだろ……」
進也は震える指で、病室のシーツを握った。
さやかの姿は、どこにもない。
彼女はどこにいる?
医者か看護師が知っているはずだ。
あの事故で、彼女はどんな状態になったのか。
進也は、点滴に繋がれたままベッドの端に手をつき、ゆっくりと体を起こした。
足を床に降ろす。
──違う。
違和感がある。
この体は、自分のものじゃない。
だが、今はそれどころじゃない。
ふらつく足で、病室のドアへと向かう。
「すみません!」
扉を開けた瞬間、ナースステーションの看護師が驚いた顔で振り返った。
「あっ、高月さん! まだ安静に──」
高月?
そう呼ばれた瞬間、胸が締め付けられた。
違う、俺は高月さやかじゃない。
でも、今の俺は……
──考えている暇はない。
「事故のことを知りたいんです」
「……え?」
「バスの事故です。一緒にいた、杉浦進也は……? 彼は、どこにいるんですか?」
看護師は、一瞬戸惑ったように視線をそらした。
「……杉浦くん、ね……」
──何だ、その間は?
「彼のことは、あとでお医者さんが……」
「今、知りたいんです!!」
掴みかかりそうになる衝動を抑え、進也は叫んだ。
「俺は……あいつの恋人なんです! どうなったか、知りたいんです……!」
看護師は、困ったように眉を寄せた。
「……彼は、かなり重症で……」
──違う。
それは、俺だ。
俺の体の話をしている。
「そうじゃなくて……! 彼は……その……無事だったんですか? ちゃんと運ばれたんですか?!」
必死に食い下がる進也。
だが、看護師は困惑した表情のまま、ゆっくりと言った。
「……彼は、確かに搬送されました。でも……」
「でも?」
「……彼は、まだ意識が戻っていません」
──まだ生きている。
「……本当ですか?」
「ええ。ただ……頭部外傷がひどく、顔の損傷も……ご家族も、確認できない状態です」
息を呑む。
「でも、生きてるんですね? 彼は、まだ……」
「ええ。ですが……」
看護師は言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。
「……医師たちは、意識が戻る可能性は極めて低いと……」
その言葉が、重くのしかかった。
「そんな……」
進也は、ふらりと足元が揺らぐのを感じた。
──俺の体は、まだ生きている。
でも、それは「意識のない身体」だ。
動かない。喋れない。
そして、今の「俺」は、誰の目にも"杉浦進也"だと認識されていない。
自分の体が、自分じゃないみたいだった。
「……さやかは?」
思わず、そう聞いた。
看護師が困惑したように眉を寄せる。
「え?」
「高月さやか……俺と一緒にいたはずの、女の子は……?」
「……あなた、ですよね?」
──やっぱり、そうなる。
「そうじゃなくて……!」
鼓動が速くなる。
「意識不明のまま……いなくなったとか……? 俺の体に、もしかしたら……」
だが、看護師はゆっくりと首を振った。
「杉浦くんの意識は……今のところ、一切の反応がないです。昏睡状態です」
「でも……」
「ご家族が見舞いに来ても、彼は一度も反応していませんでした」
……じゃあ。
俺の体の中に、さやかの意識はない。
なら……彼女は?
「そんな……どこに……」
考えたくなかった。
でも、一つの可能性が、頭をよぎった。
"彼女の意識は、どこにもない"
つまり──消えた?
そんなこと、あるわけがない。
魂がどこかにあるなら、俺の体の中にいるはずだ。
でも、俺は"さやかの中"にいるだけで、彼女の声も気配もない。
そして、俺の体は昏睡状態のまま、誰の呼びかけにも応えていない。
「……嘘だろ……」
全身が冷たくなる。
さやかは、どこにもいない。
この病院のどこを探しても、
事故の記録を遡っても、
医者に聞いても──
どこにも、存在しない。
──まるで、この世界から消えたみたいに。
進也は、自分の病室へと戻ってきた。
ベッドの横には、まだ意識の戻らない"自分の体"がある。
顔は包帯に覆われている。
ギプスに固定された腕。
心電図のモニターが、単調なリズムを刻んでいる。
──ここに、俺がいる。
でも、"俺"は何も感じていない。
この身体は、生きているだけで、もう"俺"ではないみたいだ。
「……お前は……どこにいるんだよ……」
声が震えた。
この体の中にいないなら、
この病院のどこにもいないなら、
意識の世界に閉じ込められているのか?
それとも、本当に……?
進也は震える手で、自分の顔を触った。
それは、俺の顔じゃない。
さやかの顔。
「……俺だけが、生き残ったのか?」
それが、最悪の答えだった。
さやかは死んだのか?
でも、遺体はない。
なら──彼女の魂は、どこへ行った?
「……どうすればいいんだよ……」
何もかもが、理不尽だった。
俺は、生きている。
でも、自分の体の中にはいない。
進也は、ベッドのシーツを握りしめた。
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