夏色グラビティ 〜この声がキミに届くまで〜

ステージの上で歌うって、…まじ?
平木明日香
平木明日香

第3話

公開日時: 2025年2月21日(金) 20:41
文字数:1,890



「……ありえねえだろ……」



進也は震える指で、病室のシーツを握った。

さやかの姿は、どこにもない。


彼女はどこにいる?

医者か看護師が知っているはずだ。

あの事故で、彼女はどんな状態になったのか。


進也は、点滴に繋がれたままベッドの端に手をつき、ゆっくりと体を起こした。

足を床に降ろす。


──違う。

違和感がある。

この体は、自分のものじゃない。


だが、今はそれどころじゃない。

ふらつく足で、病室のドアへと向かう。


「すみません!」


扉を開けた瞬間、ナースステーションの看護師が驚いた顔で振り返った。


「あっ、高月さん! まだ安静に──」


高月?

そう呼ばれた瞬間、胸が締め付けられた。

違う、俺は高月さやかじゃない。


でも、今の俺は……


──考えている暇はない。


「事故のことを知りたいんです」

「……え?」

「バスの事故です。一緒にいた、杉浦進也は……? 彼は、どこにいるんですか?」


看護師は、一瞬戸惑ったように視線をそらした。


「……杉浦くん、ね……」


──何だ、その間は?


「彼のことは、あとでお医者さんが……」


「今、知りたいんです!!」


掴みかかりそうになる衝動を抑え、進也は叫んだ。

「俺は……あいつの恋人なんです! どうなったか、知りたいんです……!」


看護師は、困ったように眉を寄せた。


「……彼は、かなり重症で……」


──違う。


それは、俺だ。

俺の体の話をしている。


「そうじゃなくて……! 彼は……その……無事だったんですか? ちゃんと運ばれたんですか?!」


必死に食い下がる進也。

だが、看護師は困惑した表情のまま、ゆっくりと言った。


「……彼は、確かに搬送されました。でも……」


「でも?」



「……彼は、まだ意識が戻っていません」


──まだ生きている。


「……本当ですか?」


「ええ。ただ……頭部外傷がひどく、顔の損傷も……ご家族も、確認できない状態です」


息を呑む。


「でも、生きてるんですね? 彼は、まだ……」


「ええ。ですが……」


看護師は言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。


「……医師たちは、意識が戻る可能性は極めて低いと……」


その言葉が、重くのしかかった。


「そんな……」


進也は、ふらりと足元が揺らぐのを感じた。


──俺の体は、まだ生きている。

でも、それは「意識のない身体」だ。

動かない。喋れない。



そして、今の「俺」は、誰の目にも"杉浦進也"だと認識されていない。


自分の体が、自分じゃないみたいだった。


「……さやかは?」


思わず、そう聞いた。


看護師が困惑したように眉を寄せる。


「え?」


「高月さやか……俺と一緒にいたはずの、女の子は……?」


「……あなた、ですよね?」


──やっぱり、そうなる。


「そうじゃなくて……!」


鼓動が速くなる。


「意識不明のまま……いなくなったとか……? 俺の体に、もしかしたら……」


だが、看護師はゆっくりと首を振った。


「杉浦くんの意識は……今のところ、一切の反応がないです。昏睡状態です」


「でも……」


「ご家族が見舞いに来ても、彼は一度も反応していませんでした」


……じゃあ。


俺の体の中に、さやかの意識はない。


なら……彼女は?


「そんな……どこに……」


考えたくなかった。

でも、一つの可能性が、頭をよぎった。


"彼女の意識は、どこにもない"


つまり──消えた?


そんなこと、あるわけがない。

魂がどこかにあるなら、俺の体の中にいるはずだ。

でも、俺は"さやかの中"にいるだけで、彼女の声も気配もない。


そして、俺の体は昏睡状態のまま、誰の呼びかけにも応えていない。


「……嘘だろ……」


全身が冷たくなる。


さやかは、どこにもいない。

この病院のどこを探しても、

事故の記録を遡っても、

医者に聞いても──


どこにも、存在しない。


──まるで、この世界から消えたみたいに。



進也は、自分の病室へと戻ってきた。

ベッドの横には、まだ意識の戻らない"自分の体"がある。


顔は包帯に覆われている。

ギプスに固定された腕。

心電図のモニターが、単調なリズムを刻んでいる。


──ここに、俺がいる。


でも、"俺"は何も感じていない。

この身体は、生きているだけで、もう"俺"ではないみたいだ。


「……お前は……どこにいるんだよ……」


声が震えた。


この体の中にいないなら、

この病院のどこにもいないなら、

意識の世界に閉じ込められているのか?

それとも、本当に……?


進也は震える手で、自分の顔を触った。

それは、俺の顔じゃない。

さやかの顔。


「……俺だけが、生き残ったのか?」


それが、最悪の答えだった。


さやかは死んだのか?

でも、遺体はない。


なら──彼女の魂は、どこへ行った?


「……どうすればいいんだよ……」


何もかもが、理不尽だった。


俺は、生きている。


でも、自分の体の中にはいない。



進也は、ベッドのシーツを握りしめた。



読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート