夏色グラビティ 〜この声がキミに届くまで〜

ステージの上で歌うって、…まじ?
平木明日香
平木明日香

第9話

公開日時: 2025年2月23日(日) 14:57
文字数:1,368






──ようやく、退院か。


病院の白い天井を見上げながら、進也(=さやか)はゆっくりと息を吐いた。


長いようで短かった数日間。

バンドメンバーが見舞いに来てくれたり、父親と久々に過ごしたり。


だが、そのどれもが"他人の人生"のように感じた。


"さやか"として過ごすことに、違和感は拭えないままだった。


病室の扉がノックされる。


「さやか、迎えに来たぞ」


父親の声だった。


進也は、ゆっくりと体を起こし、病室を出た。



病院を出ると、冷たい風が頬を撫でた。


車に乗り込み、父親の運転で自宅へ向かう。


車内には、気まずい沈黙が流れていた。


──自分の家じゃないのに、「帰る」という感覚があるのが妙だった。


「……来週から、学校に戻れるそうだ」


不意に、父親が口を開く。


「無理に行かなくてもいい。体調が悪いなら、もう少し休んでもいいんだぞ」


進也は、驚いた。


──"学校"。


考えてもいなかった。


(……俺が、さやかとして学校に行く?)


当然の話だった。

さやかは高校生だ。

元の生活に戻るのは当然の流れ。


──だが、本当に"戻れる"のか?


俺は、"さやか"として振る舞えるのか?


「……考えておく」


進也は、それだけ答えた。


だが、その前に──


「ちょっと、行きたいところがある」


「ん?」


「……病院に戻りたい」


父親の表情が一瞬曇る。


「……進也君のところか?」


進也は、ゆっくりと頷いた。



再び病院へ戻り、ナースステーションで"杉浦進也"の病室を尋ねる。


医者の話では、進也の状態は"植物状態"。

意識はなく、いつ回復するかはわからない。


──俺は、ここにいるのに。


ナースに案内され、病室の前に立つ。


静かにドアを開けると、そこには──


"俺の家族"がいた。



病室には、母、父、姉がいた。


母はベッドの横に座り、進也(="進也の体")の手を握っていた。

父は無言で壁にもたれ、深く俯いている。

姉は、窓の外を見つめながら、静かに涙をこぼしていた。


進也(=さやか)は、思わず息を呑んだ。


──こんな顔、見たことがない。


「……お母さん……?」


姉が、小さな声で呟いた。


「……進也……本当に……目を覚まさないのかな……?」


「……大丈夫よ……きっと……」


母が、震える声で答える。


だが、その声には、確信はなかった。


進也は、胸が締め付けられた。


──目の前にいるのに。

──こんなに近くにいるのに、俺の声は届かない。


自分の体が、"ただの抜け殻"のように扱われているのが、耐えがたかった。


"自分"がここにいることを、叫びたかった。


でも──それを証明する手段がない。


進也は、手を握りしめた。



「……先生に、聞いたの」


母が、小さく呟いた。


「進也の意識が戻る可能性は……限りなく低い、って……」


涙が、ぽつりと零れる。


「……そんなの、嫌……」


父も、何も言わなかった。


姉も、言葉を失っていた。


進也(=さやか)は、ベッドの上の"自分の体"を見つめる。


呼吸器の音が、規則的に響く。

心電図の波形は、静かに鼓動を刻んでいる。


──俺は、ここにいる。

──でも、誰も気づいていない。


「……っ」


喉の奥が、苦しくなった。


(どうすればいい……?)


──俺の体は、まだ生きている。

──でも、"俺"が戻れる保証はない。


このまま、"さやか"として生きるしかないのか?


"俺"は、もう戻れないのか?


「……進也……」


母の声が、痛々しく響く。


進也(=さやか)は、その場に立ち尽くすしかなかった。



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