夏色グラビティ 〜この声がキミに届くまで〜

ステージの上で歌うって、…まじ?
平木明日香
平木明日香

第12話

公開日時: 2025年2月23日(日) 16:07
文字数:1,804





家に帰った後、進也はリビングのソファに座っていた。


目の前には、さやかの兄──高月 直哉(たかつき なおや)がいた。


直哉は大学生で、あまり多くを語らない性格。

だが、進也から母親のことを聞くなら、まず兄からだと思った。


「……なあ、直哉」


「ん?」


「お母さんのこと、覚えてる?」


その瞬間、兄の表情がわずかに変わる。


「……どうした、急に?」


「ちょっと、気になっただけ」


直哉は、じっと進也を見た。


「……お前、事故で頭打ったんだよな?」


「え?」


「いや…記憶が一部無くなってるって、父さんから聞いたけど」


「…ああ、うん」


進也は辻褄を合わせるため、「記憶を無くした」ことにしていた。


さやかの家族や友達と話していると、どうしてもわからないことが多かったからだ。


直哉は驚いていた。


それは多分“記憶が無くなっている”ということに対してなんだろうが、それ以上にどこか、進也(=さやか)のことを気遣うような素振りを見せていた。


「母さんのことを何よりも知ってたのは、お前だろ?」


…さやかが?


進也は返す言葉も見つからないまま、そっと俯く。


兄はしばらく黙っていたが、ため息をついて言った。


「……まあ、いいか。別に話せないことじゃないしな」



「お母さんが家を出たのは、お前が10歳の時だ」


10歳──さやかが歌を始めた頃。


「俺が中学に入るくらいだったな。気づいたら、いなくなってた」


「……いなくなったって……」


「ある日突然、いなくなったんだよ。置き手紙とか、そういうのもなかった」


進也は、喉の奥が詰まるような感覚を覚えた。


──母親が、ある日突然姿を消した?


「お父さんは……何か言ってた?」


「さあな。俺が聞いても、"もう帰ってこない"としか言わなかった」


直哉の声は、どこか冷めていた。


「でも、"お前は"聞こうとしなかったんだよな」


進也は、息を呑んだ。


──聞こうとしなかった?


なぜ?


その日に何かあったのか?

というより、いなくなったことに驚かなかったのか?



兄との会話の後、進也は、もう一人の人物に話を聞くことにした。


父親──高月 雅弘(たかつき まさひろ)。


家のダイニングでコーヒーを飲んでいる父親に、進也は意を決して声をかけた。


「……お父さん、お母さんのこと、教えてくれない?」


父親は、コーヒーを飲む手を止めた。


「……どうした、急に?」


「ずっと、気になってた」


父親は、少しだけ考え込んだ後、静かに言った。


「……母さんは、お前を愛してたよ」


進也は、驚いた。


「……じゃあ、どうして……?」


「……俺には、わからない」


父親は、コーヒーを置く。


「ただ、母さんは"悩んでた"んだ。ずっとな」


「悩んでた……?」


「お前が小さい頃は、元気だった。歌が好きで、お前の歌をよく聞いてた。

でも、ある時から、ふと考え込むようになった。何かを思い詰めてるような……そんな顔をしていた」


進也は、拳を握った。


──母親は、何かを"抱えていた"?


「そして、ある日、いなくなった」


父親は、そう言い切った。


進也は、質問を続けようとした。


でも、父親は静かに首を振った。


「……母さんのことを、今さら思い出しても仕方ないだろう」


進也は、黙ってしまった。


──父親は、もう母親を"過去の存在"として片付けていた。


でも、進也にはそうは思えなかった。


母親は、さやかに"何か"を残していたはずだ。

それが、"歌"に関係しているのではないか。


──そうでなければ、さやかがあんなに「誰かに届けたい歌」を歌う理由が、説明できない。


「……お父さん」


進也は、ゆっくりと口を開いた。


「お母さんは、まだどこかにいると思う?」


父親は、一瞬だけ目を細めた。


そして、静かに言った。


「……わからない」


その言葉の裏には、「もう考えたくない」という気持ちが見え隠れしていた。



夜、進也は部屋に戻った。


母親は、"ある日突然"いなくなった。


父親も、兄も、それ以上のことは知らない。


──だが、本当にそうなのか?


進也は、机の上に置いた"古いノート"を見つめた。


「私は、歌で誰かを笑顔にしたい」


──それは、"母親のため"だったのか?


だとしたら、さやかは"母親がいなくなった理由"を知りたくなかったのか?


それとも──"知るのが怖かった"のか?


進也は、深く息を吐いた。


(……俺が、調べるしかない。)


母親は、本当にどこにもいないのか。

さやかが、本当に知ろうとしなかったのか。


進也は、机の引き出しに手を伸ばした。


──ノートの中に、"手がかり"があるかもしれない。

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