青森の冷たい空気が肌に刺さる。
街は静かで、家々の窓には暖かい光が灯っていた。
"高月家"は、進也の家からそう遠くはない場所にある。
でも、これまで来たことはなかった。
さやかの家族の話も、あまり聞いたことがない。
「家がちょっと面倒でさ……」
さやかは以前、そんなふうに言っていた。
それ以上、詳しく話すことはなかった。
進也も、それ以上は聞かなかった。
見覚えのない道。
けれど、"さやかの記憶"のせいなのか、なんとなく家の場所はわかる気がした。
そして──目的地に着く前に、ある影が見えた。
家の前に、男が立っている。
携帯を握りしめ、落ち着きなく周囲を見回している。
どこか、焦っているような様子。
──高月さやかの父親だった。
進也の足が、ピタリと止まる。
…どうしたんだろう
なんで、あんなに歩き回っている…?
考えるまでもなかった。
──自分(=さやか)が、病院からいなくなったからだ。
父親は、娘を探していた。
「さやか!!」
父親が進也(=さやか)を見つけた瞬間、駆け寄ってきた。
その顔には、明らかな安堵と怒りが入り混じっていた。
「どこ行ってたんだ!? お前、病院にいたんじゃ……!」
低い声が震えている。
今にも怒鳴りつけそうな勢いだったが、どこか必死だった。
"さやか“じゃなく、"俺”として目の前にいるのが辛かった。
進也は、喉の奥が詰まるのを感じた。
どう答えればいい?
「……その……ちょっと……外に出たくて……」
か細い声が、自然と漏れた。
自分のものではない、"さやかの声"で。
「ちょっとじゃないだろ!」
父親の手が、進也(=さやか)の肩を掴んだ。
「病院から抜け出して、何考えてるんだ……!? 事故に遭ったばかりなんだぞ……!」
近くで見ると、父親の目には明らかに"涙の跡"があった。
泣いていたのか。
それほどまでに、"さやか"を心配していたのか。
「……ごめん……」
それだけが、精一杯だった。
父親は、ため息をつきながら、強く肩を掴む手を緩めた。
「……帰るぞ」
優しい声ではなかった。
けれど、その言葉の奥には、"娘を心配する父親の温もり"があった。
進也は、黙って頷いた。
家に入ると、暖房の温かさが全身を包み込んだ。
病院の乾いた空気とは違う。
進也は、家の中を見渡した。
普通の家だった。
雑然としているが、住んでいる人間の気配がある。
この家に"さやか"は住んでいたのか?
その問いの答えは、すぐに見つかった。
廊下の奥。
ドアに、小さなプレートがかかっていた。
──"Sayaka's Room"
さやかの部屋。
父親が、進也(=さやか)の背中を押した。
「……今日は、もうゆっくり休め。病院の先生には言ってあるから」
進也は、一瞬躊躇したが、ゆっくりと頷いた。
「……うん」
父親は何も言わずに、階段を降りて行った。
進也は、ドアをそっと開けた。
そこには、"さやかの世界"が広がっていた。
ベッド。
机。
壁に貼られたバンドのポスター。
本棚には楽譜とノート。
──確かに、ここに"高月さやか"はいた。
なのに。
この部屋の持ち主は、どこにもいない。
「……いない…か……」
進也は、小さな声で呟いた。
無意識のうちに出てきた言葉だった。
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