「さて……」
足下で無惨な骨屑となって滅びたゼルゼレイを一瞥し、魔王が振り向くと。
離れてその一部始終を見ていたアレアが、びくりと身体を震わせた。
その顔に浮かぶのは――
シヴィルの中にいる、彼女にとっては得体の知れない何者かに対する、畏れの色。
(人間の相手は面倒だ。
できれば、小娘に替わってやりたいところだが……)
シヴィルは、ゼルゼレイに全力で『光輝の絶剣』を放った瞬間、著しく精神力を消耗し、気を失ってしまっていた。
そのため、それまで彼女の意識の裏で様子を見ていた魔王が、表に出てきたのだった。
「女、アレアと言ったな。
貴様に聴きたいことがある」
「貴方は、何者ですか。
巫女様、ではありませんね」
「怯えずとも、貴様に仇なす者ではない。
……今のところはな」
魔王は少女の貌で冷たく笑って、
「それより、我が問いに答えよ。
帝国兵を率いていた女――
あの、アデュラ・クロアという騎士はどこだ」
「彼女は、父が帝国からの賓客として用意した、
屋敷内の客室にいるはずです」
それを聴くと、魔王はそれ以上の興味を失ったように、踵を返して部屋の扉へと向かった。
「まさか、帝国の兵たちのもとに?
危険です、彼らは巫女様を狙っているのですよ!」
「今ここにいるのが我である以上、無用な心配だ。
それより、少し外が騒々しくなるやもしれん。
怪我をしたくなければ、貴様はここで、大人しくしているがいい」
そう告げて、部屋を出る。
(帝国の者なら何か情報を持っていよう。
あのアデュラという女、少しは役に立つといいが)
ゼルゼレイの部屋にアレアを残し、薄闇の支配する地下通路へと再び足を踏み入れる。
数歩も歩まぬうちに――
その前に、再び、あの白い影が現れた。
道に迷っていたシヴィルをこの部屋に導いた幽霊。
「ふん、貴様か」
白い姿は、シヴィルに――もっとも、今の中身は魔王だが――に向かって、恭しく頭を下げた。
「礼ならば、我が受ける筋合いではない。小娘が目覚めている時にしてやるがいい。
――それに、同じように妻を導いて、檻から小娘を助けさせたのも、貴様であろう」
見透かした魔王のその言葉に、白い姿は微笑んだように見えた。
(死してなお、愛しき者を護り導き、正しきを為そうとするか。
人間にも、面白い奴がいるものよ)
そして気がつけば、白い姿は消えていた。
だが見えずともその霊は、妻の傍らに居続けるのだろう。
「――さて、どうしたものか」
魔王は思考を切り替え、独り呟く。
「変化の術で帝国兵に化け、奴らの中に忍び込むのも手だが」
神剣を手にして、にやりと笑う。
「今は少々、遊びたい気分だ。
たまには、身体も動かさねばな」
方向音痴なシヴィルと違い、魔王は一度たどった道をほぼ完璧に記憶していた。
複雑な地下通路をまるで自分の庭のように悠々と歩くと、シヴィルが帝国兵に連れられて降りて来た、地上へと続く階段にたどり着く。
薄闇の世界を抜けて、屋敷の中庭に出ると、そこには檻を抜け出したシヴィルを待ち伏せて、帝国兵たちが集まっていた。
「――貴様は!」
「いたぞ、巫女だッ!」
「捕らえろ、逃がすな!」
二十を超える多勢の兵士たちを前に、魔王は神剣を構えると、
「大した手応えはなかろうが、まあ良い。
虫けらどもを蹴散らすとしようか!」
押し寄せる兵士たちの合間を、小柄な少女の姿が目にも止まらぬ疾さで駆け抜け、立て続けに刃の一閃を浴びせる。
その剣の冴えは、さながら稲妻を帯びた突風のようであった。
悲鳴を上げて次々と倒れ伏す兵士たち。
(予想通り、他愛のない奴らよ。
……しかし、人間とは思った以上に壊れやすいものだな)
驚くべきことに――
倒れた兵士たちは激痛にもがき、呻いてこそいても。
おびただしく血を流す者も、無惨に息絶えた者もいなかった。
いずれも急所を外され、ただ戦闘不能の状態にされたのみであった。
(殺せば小娘が嫌がるであろうからな。
やれやれ、手加減というのも存外面倒なものだ)
瞬く間に中庭の兵士たちを倒し、正面玄関から屋敷の中へ突入する。
屋敷の中にも、帝国兵の一隊が待ち構えていた。
赤子の手をひねるがごとく、それらもなぎ倒し、ホールを奥へと進んでいく。
(アレアの話では、賓客用の部屋があるとのことだが――)
アデュラというあの女騎士の直情的な性格からして、中庭からのこの騒ぎを聞きつけて、大人しく部屋になど籠ってはいるまい。
魔王の予想通り、上階への階段を上がった先の広間にて、女騎士は完全武装の姿で待ち構えていた。
シヴィルの姿を見るなり、獲物を見つけた肉食獣のような笑みを浮かべつつ――
不意にその表情に、驚きの色が混じった。
「……ん?
もしかして、アンタだけなのかい?」
アデュラは口元を歪めて、
「ハッ、こいつは驚きだ!
てっきり村の奴らが徒党を組んで、脱出を手助けしてンのかと思ってたんだが。
まさか、アンタ一人で、ウチの隊の兵どもを?」
アデュラは、シヴィルの中にいる魔王の存在を知らない。
ましてや眼前にいる『シヴィル』が、今はその魔王なのだとは、夢にも思っていない。
前回の一戦で、多少機敏ながら戦う力はほとんど持っていない、ただの少女だと、蔑んでいた。
それゆえに、そんな非力なシヴィルの予想外の奮闘に驚きはしたものの。
「まあいいさ。
どのみちアンタ如き、このアタシの敵じゃァないッ!」
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