《御使い様――》
ずらりと立ち並ぶ死骸兵の軍勢を目の当たりにして、シヴィルが訊ねたのは、率直な疑問であった。
《この数の死骸兵を、連れて歩くのですか?》
もう少し驚き慄く反応を期待していた魔王は、拍子抜けした気分になったが、すぐに気を取り直して、
《いや。こやつらは魔幻結界内に送り、そこで待機させる。そして必要に応じて、現世に召喚するのだ》
《魔幻結界…?》
《現世とは異なる場所――いわゆる異空間、というやつだ。
ちょうどいい、転移門を開いて、お前にも見せてやろう》
次元を穿ち、異界と現世を繋ぐ穴――
ゲートの向こうに広がっていたのは、薄闇と、魔力の霧が渦巻く空間だった。
《本来、ここは虚無の世界。
そこに広範囲の結界を張ることにより、その内部で物質が安定して存在できるようにしているのだ》
《すごい……!》
《人間が住むには、あまり適しているとは言えんがな》
《海のように、霧が渦巻いて……》
《あれがこの結界を維持する魔力だ。だが生あるものには猛毒でもある。
お前も人のままであったなら、ここに数秒とて立ってはいられまいよ》
《こんなに、美しいのに…》
(この景色が美しい、とはな。
小娘め、アンデッドの感覚に馴染んできたのではないか?)
予想外に状況への適応が早いシヴィルに、少し呆れながら――
ふとその時、魔王は重要なことを失念していたことに気がついた。
否、忘れようとしていたことを思い出してしまった、と言うべきか。
《そう言えば、ここには『あいつ』がいたな……》
《あいつ……?》
《ああ、うっかりしていた。
出くわすと面倒くさいことになる。
さあ、さっさと現世に戻り、次の目的地へ向かうとしよう》
死骸兵たちが全て魔幻結界内に入ったのを確認し、魔王自身もゲートに戻ろうとした、その時――
『――待て』
重々しい声が轟き、霧の渦の中から、巨大なものが姿を現す。
『四百年間、訪れる者も絶えたこの地に、再びゲートを開く者がいるとは。何者だ?』
それは闇よりもなお黒い、ドラゴンの姿だった。
「冥龍、ヴァルグリンド……」
魔王がその名を呟くと、巨龍は咆哮した。
――グオォォォォォ!!
空間が、それを満たす魔力さえもが、びりびりと震える。
冥龍は、この閉じた世界で最も力あるものであり、まさしくこの地の主なのだった。
《み、御使い様…!》
《案ずるな。
……やれやれ、気は進まぬが、話してみるしかあるまい》
魔王は嘆息して、
「久しいな、ヴァルグリンド。
我を忘れたわけではあるまい?」
『貴様のような小娘など知らぬわ。
人の身でよくもこの地に――
いや、その身体、生ける屍か?』
冥龍は、知己である魔王を、彼本人だと認識できていない様子だ。
(なるほど、シヴィルの姿では、流石に気づかぬか。
待て、我だと知れば、こやつは……
これはむしろ、好都合ではないか?)
魔王の脳裏に、名案が浮かんだ。
(……よし、このまま我であることは気取られぬように、振る舞うとするか……)
「そ、そういえば、そなたとは初対面であったな。
我はシヴィル、この魔幻結界の新たな所有者となった者だ」
『……何だと?』
冥龍の瞳が剣呑に輝く。
途端に、魔力の霧がその姿を覆い隠すと――
再び霧の中から現れた姿は、小柄な少女に変貌していた。
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