ザルディオが手で合図をすると、わたしを取り囲んでいた信者達が、一斉にこちらへ向かってきました。
数は4人。一階で遭遇した兵士達と比べると、あまりに少ない勢力です。
しかし——一人一人が持つ戦力が、桁違いでした。
のろのろした足取りが、一気に加速します。操られているとは思えない動き。まずは左右より、挟み込むようにして二人が剣を振り下ろしてきました。それを回避する為、わたしは後方に飛び退きます。そこには既に、大きく拳を振りかぶった信者が待ち受けていました。
あまりに統率が取れた連携。反応が間に合わず、背中を強い衝撃が襲いました。体を床に叩きつけられ、待ち構えていた別の信者の武器が、わたしへと降り注ぎます。
「——っ」
腕の力だけで体を持ち上げ、足元へ回し蹴りを放ちました。武器を手にしたまま倒れる敵を尻目に、わたしは即座に体勢を立て直し、反撃に転じます。
体を捻り反転しながら、レーヴァを横薙(よこな)ぎに一閃。後方に並んだ二人を、一度に倒しに掛かります。手加減する余裕はありませんでした。手には、確かな手応え。肉を打ち、骨を砕き、威力はなお衰えず。一人が耐えきれず真横に体を浮かせ、巻き込むようにしてもう一人の信者もろともに、吹き飛んでいきました。柱に激突し、彼等はようやく静止。それっきりぴくりとも動かなくなります。
残りは二人。
敵は、すでに動き出していました。
各々が剣を使った猛攻。繰り出されるのは、素人では決してあり得ない妙技の数々。流れるような連撃に、わたしは苦戦します。その速さや連携もさることながら、問題はその視線にありました。操られた者の特徴。彼等は、攻撃する時でさえ、わたしを見てはいないのです。視線をあらぬ方向に向けたまま、向かってくる。それがより一層、攻撃の軌道を読むことを困難にしていました。目線は、何よりも先んじる攻撃の予備動作なのです。
こういう時に役立つのが、レーヴァの感知機能なのですが、今彼女は『切り札』を発動する為の準備に専念中。
ここは、わたし一人で切り抜けなければ。それも、あまり時間は掛けられません。こうしている間も、ただでさえ少ないわたしのエーテルは、少なからず目減りしていっています。ザルディオという不確定要素の塊のような存在が、後(のち)に控えている以上、早急に片付けなければならないでしょう。
わたしは、意を決しました。
左右一対、目を見張るコンビネーションで迫りくる凶刃に対し、おそれることなく前進します。
刃が、命を掠めました。首を狙った必殺の一太刀を、体を屈め、ギリギリで回避します。しかし、それでは終わらないのが対連携における脅威。避けた先には、すでにもう一人の白刃が差し迫っていました。わたしは、左腕にエーテルを集中させ、無理矢理それを受け止めます。鋭い痛み。肉が斬られ、鮮血が舞い、それでも骨は守りきりました。
瞬間。刃が喰い込んだままの左腕を引きながら、わたしは、右脚を跳ね上げます。狙いは、顎。一撃で意識を刈り取る。
得物を絡めとられ、バランスを崩し、前のめりに倒れてくる相手の自重を利用した加重撃。わたしのハイキックが炸裂し、信者が膝から崩れ落ちます。
残敵は1。
仲間を失った最後の一人は、躊躇なく向かってきました。けれどそれは、無謀な特攻。頼みのコンビネーション失った彼に、もはや勝ち目はありませんでした。
剣が振りかぶられ、下ろされるまでの一息。ここしかないというタイミングで、わたしは半歩後退します。服の表面を、剣の切っ先が撫でるような間合いで放ったのは、レーヴァを使用した正中突き。敵の心臓部目掛けて、真っ直ぐに彼女を突き出しました。
衝撃波が生まれる程の速度で繰り出された一撃は、ゆうに信者の体を遥か彼方へと吹き飛ばします。柱に叩きつけられ、落下。
これで四人。命は無事でしょうが、確実に戦闘不能なダメージを、それぞれに与えた——はずでした。
決着の余韻に浸る暇は無く、ザルディオに向き直ろうとしたわたしは、あり得ない光景を目にします。
倒したはずの信者達が、次々と起き上がってくるのでした。
不気味な光景です。上から糸で吊られるように、首が座らず、体勢もほとんど変えずに起き上がるその姿は、まさに人形のよう。関節が不自然な動きを見せ、折れたはずの腕が当然のように稼働し、彼等は血を流しながら立ち上がるのです。
「|【偶像崇拝】《リビングデッド・マザー》」
声に反応し、慌ててそちらに視線を向けると、いつの間にかそこにはザルディオが立っていました。悠然とした立ち振る舞い。その手には、不思議な形をした機械が握られていました。短い筒のような形をした物です。鈍色に妖しく輝き、綺麗な細工の施された一品。それを見せつけるように、ザルディオは語り掛けてきます。
「クライアントからのいただきものですが、たまたま私に適応しましてね。第二位階(だいにいかい)遺物—— |【偶像崇拝】《リビングデッド・マザー》。針のような小型電子デバイスを刺し込むことにより、対象者を意のままに操ることができます。まあ、操るといっても、オート操作である一階の兵士達とは違い、ここにいる彼等のようにリモートで操作しようと思えば、有効範囲、数共に著しく制限されますがね。私からすれば、あまり使い勝手が良くはない上に、金儲けの手段も限られているので、はっきり言ってハズレです。我が娘のそれとは違い——ね」
「随分とまあ、ネタバレが過ぎますね。あくまで、おっしゃっていることが本当なら、ですが」
言いながら、きっとわたしは苦虫を噛み潰したような顔をしていたと思います。何故なら、分かっていたからです。相手が絶対的に有利なこの状況、わざわざ嘘を吐く意味がないということを。わたしにとっては、あまりに不都合な事実。打ちのめしてもすぐに立ち上がる信者達に、ザルディオが持つ遺物は一度でも食らえば、操られて終わり。
このままでは、レーヴァの準備が整うまで粘れるかどうか。せめて、信者達だけでもどうにか出来れば——。
「簡単なことじゃないですか」
わたしの考えを見透かすようなタイミングで、ザルディオが嘲笑(わら)いました。
「手足を切り落とせばいい。死んでいても、意識が無くても操れる|【偶像崇拝】《リビングデッド・マザー》も、“動かす為の手足が無ければ“、意味がない。そんなことにも気付かないとは、存外、馬鹿なんですねえ。いや、それとも——気付いていて、出来ない、とか? はははは! だとしたら、とんだ臆病者だ! 我が娘を助けると豪語しながら、貴女の覚悟はそんなものですか!」
「——っ」
わたしはただ唇を噛むばかりで、何も、 言い返せませんでした。
自らの意思で戦う者が相手ならば、わたしも容赦はしません。ですが、彼等はただ操られているだけなのです。腕も、足も、失えば取り返しがつかない。フィアリスちゃんを助ける為に、罪を背負う覚悟も出来ないわたしは、ザルディオの言う通り、ただの臆病者でした。
そんなわたしに、彼は優しく微笑むのです。
「大丈夫ですよ。どうせ彼等は手遅れです。一度デバイスを刺してしまえば、もう二度と元に戻ることはないのですから。あなたがどうしようが、罪の意識を感じることはありません」
ザルディオは、胸に手を当て、慈しむように操られた信者達へと視線を移していきました。
「ああ——あわれな仔羊達。アンセル・ツワノフ。つい先日、子どもが出来たと、私に嬉しそうに告白していましたね。セラベア・カストルは、病弱の母親の為に、自らの人生を犠牲にしてよく働いていました。ストラツォ・ノベリア。早くに両親を亡くし天涯孤独の身でしたが、最近になってようやく伴侶を迎え、最愛の家族を再び手にしました。ピッチ・テルソア、貴方はよく教団に尽くしてくれました。なんでも、将来は身寄りのない子ども達の為に孤児院を経営したかったとか。志半ばで果てる貴方達の無念、このザルディオが受け継ぎましょう! 教団を! より大きく! より多くの迷える仔羊を導き! そして更なる金を! 金を! 金を! 貴方達が生きるはずだったかけがえのない時に代わり、私が、きっと幸せになってみせます!」
「あなたという人は、どこまで——!」
声が震えていました。
なんという倒錯した考え。
身の毛もよだつ思考回路。
比類なき偽善。
悪意なき邪悪。
こんな——人間の為に、フィアリスちゃんは、身を捧げようというのですか? はたしてそれは、心から彼女が望んでいることなのでしょうか。彼女のように、心を読む力がないわたしには、それを知る術がありません。
フィアリスちゃんに、視線を向けます。
彼女も、わたしの方を見ていました。その表情は、変わらずの無。まるで魂が抜けているかのように虚。あるいは、何もかもを諦め、手放したかのように。その表情から、感情を読み取ることができません。
交錯する視線。彼女の目が、僅かに見開かれ、そのことに違和感を感じたものの、時既に遅く。
わたしは、背後から忍びよっていた信者の一人に羽交い締めにされてしまいました。
「なっ——」
体格の違いを利用され、完全に空中へ固定されてしまいます。異常なほどの力で締め付けられ、ちょっとやそっとでは脱出できそうにありません。
「油断、し過ぎですねえ」
ザルディオが、こちらへ向かって悠然と歩を進めてきます。その行為が意味することは明らかで、これから起こることは明白でした。
わたしの前まで来たザルディオが、笑顔のまま丸太のような腕を大きく振りかぶります。そして躊躇なくそれを振り下ろすのでした。
「あっ——ぐぅっ⁉︎」
腹部に重い一撃。内臓が飛び出すかのような痛みと共に横隔膜がせり上がり、肺を圧迫。呼吸が出来ず、次いで喉を焼きながら胃液と血が昇ってきます。
たまらず、思いっきり吐き出しました。
わたしの吐瀉物で紳士服を汚しながら、ザルディオはにぃっと口元を歪めます。狂気。人を殴り、笑う人間。それははたして、人間と呼べるのでしょうか。
しばらく、いいように殴られ続けました。顔。胸。腹。襲い来る純粋な暴力に耐えながら、わたしが見るのはフィアリスちゃん。彼女は、必死に何かを耐えているように見えました。拳を強く握りしめ、わたしから目を逸らします。
ああ——どうして、そんな顔をするのですか。
わたしは激痛の中、ザルディオを睨み付けました。
「いいですねえ、いいですよ! 私は貴女のことを誤解していたようだ! 貴女は、素晴らしい女性だ! どれだけ叩いても、どれだけ殴っても、どれだけ傷付けても! 決して折れることのない崇高な魂! 最高のおもちゃだ‼︎」
悦に入るザルディオはやがて拳を止め、懐から小さなアンプルを取り出すと、それを無理矢理首筋に突き刺します。動脈に乗り、薬が全身へ。どくん、と。彼の体躯が脈動したかと思うと、次々と血管が浮き出ていき、肌が熱を帯びたかのように湯気を立て始めます。そして信じられないことに、元々馬鹿でかい体が、更に一回り以上大きくなっていくのでした。ドーピング? いや、これはまさか——。
鼻息荒く、ザルディオの瞳孔が悪魔のように見開かれ、わたしの姿を射抜きます。
「|『魔法使いになる薬』《スクリプチャー・エデン》。貴女に投与したものと同じバージョンです。肉体そのものを作り替え、魔法を使える体に変化させる効果を目指して開発されました。どうやら、貴女自身には効果がなかったようですが、丁度良い機会です。機能実験に付き合っていただきますよ」
ザルディオがおもむろに、わたしの眼前で手を開き始めました。
「魔法とは、エーテルに方向性を与え、事象へと変換する力。我々人間は本来であれば、機械という媒体を通してでしかそれを為し得ませんが、彼等魔法使いは違いました!」
それは、旧世界史における電気や石炭燃料のように。それら自体はただのエネルギーでしかありませんが、機械が方向性を与えることによって初めて、現象として人々の生活に現れるのです。
「彼等は、機械を通さずエーテルを体外に放出する術を持ち、そのイメージによって、魔法という事象を使いこなします。こんな風に」
かざされたザルディオの手の平が、鈍色に輝き始めます。すると瞬(またた)く間に、わたしの目と鼻の先には、エーテルの塊そのものと言える光球が形成されていきました。
そして、放たれるのは、絶望の力。
視界を強い光が覆ったかと思えば。
次の瞬間には、わたしの小さな体は宙に吹き飛ばされていました。受け身を取る余力もなく、きりもみしながら落下し、硬い床に叩きつけられます。呼吸が停止。骨が軋み、脳が揺れ、意識が飛びそうになります。体中を灼かれるような激痛と熱さ。今すぐにでも床を転げ回りたくなるのを懸命に堪え、わたしはうつ伏せのまま、顔だけをフィアリスちゃんへと向けました。
彼女は、すがるようにザルディオの服を掴み、懇願します。
「お父様‼︎ 約束が違います! やめて下さい、これ以上はエルルが——!」
「おやおや、おかしなことを言う我が娘だ。貴女が言ったのですよ、自らの口で、あの少女なんか——知らないと」
「そ、それは——お父様が、そうすれば、エルルを助けてくれると——」
フィアリスちゃんの言葉は、最後まで紡がれることはありませんでした。
ザルディオが裏手で、彼女を殴り飛ばしたのです。
フィアリスちゃんを見ることもせず、まるで虫を払うかのように。
「フィアリス」
冷たい、ザルディオの声。
「貴女は、誰の物ですか? 物に、意思はありますか? 私が、私の所有物を、できるだけ大切に扱おうという気遣いが、分かりませんか? 貴女が、私に我儘を言う道理が、どこにあるというのですか?」
殴られた頬を抑え、地面にへたり込むフィアリスちゃんの肩が震えていました。目から再び光が消え失せ、力なく下を向きます。
どうして——彼女があんな目に遭わなければいけないのか。何故あんな子どもが、理不尽な暴力に屈しなければならないのか。込み上げる怒りを力に変えて、わたしは声を絞り出します。
「ふ、フィアリスちゃん……!」
彼女は、わたしを守る為に心を殺した。他人を思うが故に自らを偽り、ザルディオに従う道を選んだフィアリスちゃんは、あまりに強い。彼女はきっと、いつもそうだった。産まれた時から、物心ついた時分から。望まぬ力を与えられ、他人の受け皿になる役割を強要され。いつだって他人の為に、自らを滅して、ずっと、ずっと。
だからこそ、わたしは——彼女の口から聞かなければならない。フィアリスちゃんの言葉で。そして知らなければならないのです。彼女の、気持ちを。彼女が望む、全てを!
「わたしは、大丈夫ですから。あなたのことを、絶対に助け出します。だからもう——あなたは、自分を偽る必要はないんですよ!」
「無駄ですよ。何の為に、昨夜、彼女の前で貴女を痛め付けたと思っているのですか? あんな思いをするくらいなら! 貴女をあんな目に遭わせるくらいなら! その思いは何よりも重い呪縛になり得る!」
「わたしは、負けません! フィアリスちゃん、わたしの強がりをもう一度だけ、信じてください!」
「なんという愚かさだ! なんという滑稽な言葉だ! 無責任で空虚な絵空事を口にする貴女が、誰かを救うなど出来るはずかない! さあ、我が娘。もう一度、はっきり言うのです。貴女の居場所は、私の庇護下(ひごか)にしかないのですよ!」
「わたしが、あなたの居場所になります! いつかあなたが、自分の人生を取り戻し、自らの足で真っ直ぐに立てるその時まで! だから、聞かせてください! あなたの本当の気持ちを!」
「わ、私は……」
わたしの訴えと、ザルディオの誘(いざな)いがこだまする中、フィアリスちゃんはふらふらと立ち上がりました。
その時です。彼女のドレスの隙間から、きらきらと輝く何かが零れ落ちたのは。
床を弾み、弾み、弾み、転がっていく。
それは、オレンジ色に彩られた、宝石のようなボール。
わたしが、あの時、フィアリスちゃんにプレゼントした——。
彼女は、大きく目を見開きました。
時が止まったような静寂は一瞬のこと。再びこちらを向いたフィアリスちゃんの表情は、決意に満ちていました。
「私は——嫌だ‼︎ こんな気持ち悪い男の言いなりになって! あんな胸糞の悪い地下で一生を終えるなんて、絶対に嫌だ! 何が聖女だ! 何が教団だ! いい大人が躍起になってごっこ遊び! ふざけるな! いい加減にしろ! 私は! 私は——!」
ザルディオに向かって、フィアリスちゃんは精一杯声を張り上げます。
「お前なんか、大嫌いだ‼︎」
彼女の目には、涙が浮かんでいました。息も絶え絶えに、彼女はその小さな体で、すべての元凶に立ち向かうのです。
フィアリスちゃんの気持ちが、わたしの中に流れ込んできます。拳を、強く握りました。歯を、折れんばかりに食い縛ります。
ここにきて、初めてザルディオの顔から笑みが消え失せました。
無表情で、フィアリスちゃんへと向き直り、その手を伸ばします。
自らに脅威が迫る中、彼女は真っ直ぐにわたしを見ていました。表情に恐れはなく。あるのはただ、わたしを信じる眼差し。
「エルル——助けて」
わたしは——起き上がりました。
ボロボロの体で、レーヴァを構えます。
細胞の一つ一つが警告を発していました。頭の中ではアラームかけたましく鳴り響き、今すぐ止まれと命令を下してきます。
しかし、それがどうしました。
元より、タイムリミットを抱える我が肉体。
今はただ、己の存在、全てを懸けて。
胸中で燃え盛る意志の炎は、後悔など追い抜けとわたしを駆り立てます。
『主様、準備が整ったぞ!』
「素晴らしいタイミングです、レーヴァ」
さあ、行きますよ。
友を、救うのです。
その力を、我が手に。
そしてわたしは、【終焉たる救世主】——かのモノの名を、叫ぶのでした。
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