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普通にボロ負けしました。
当然の帰結でした。
まさか、ここまで実力差があるとは……。
わたしが終始本気だったのに対し、ライザはずっと手を抜いて戦っていました。それだけならまだしも、わたしに怪我をさせないように、細心の注意を払っていたのです。
なのに、全く歯が立ちませんでした。
ちょっぴり落ち込むやら、情けないやら、疲れたやらで、わたしは膝を抱えて地べたに座り込んでいました。
広場に隣接していた緑地です。芝生が綺麗に整備されていて、新緑の匂いと、お尻に感じるちくちくが、心をくすぐります。
癒されますね……。
現実逃避気味なわたしでした。
「大丈夫か?」
ライザが隣に腰を下ろします。そして、どこからか調達してきたジュースを、おもむろに手渡されました。
「ええ。ありがとうございます」
喉を鳴らしていただきます。五臓六腑に染み渡る美味しさでした。思わず、吐息が出ます。
一息ついて。
ライザが、ため息混じりに口を開きました。
「これで分かっただろう? 俺は、誰かにモノを教えるのが向いていないんだ」
「そんなことはないと思いますが……」
むしろ、何かを学ぶ機会としては十分過ぎるものでした。魔法は無理ですが、身のこなし方や、剣技、エーテルの操り方などは、大変参考になりました。逐一教えを請(こ)うばかりが、稽古ではありません。実力が上の相手と手合わせするだけでも、非常に有意義なことです。そこからどれだけの物を得られるかは、学び手次第ではないかと。
何事も、例外はありますがね。
人間がムカデの歩き方を真似出来ないのと一緒で、どこぞの師匠のようにあまりに規格外の存在だと、技を盗むことすら困難になります。
師匠——。
どこかで生きていると、わたしは信じていますよ。
会いたいなんて、口が裂けても言いませんからね。
少しアンニュイな気分になってしまったので、ライザに向かって、ふと思ったことを口にします。
「ライザは、誰から戦い方を学んだのですか?」
「…………姉だ」
少し間を置いて、ライザが遠くを見ながら答えました。
ライザにお姉さんがいたことに驚き、同時に、わたしは彼のことを何も知らないのだとひどく実感します。
「お姉さん、ですか」
「ああ」
うーん……三割増しの仏頂面。
ライザのことをもっと知るいい機会かとは思ったのですが、彼の様子を見ていると、あまり話したくはないのかもしれません。
誰にだって、触れられたくない過去はあります。
少しだけ寂しい気持ちはありますが、仕方のないことでした。
しかし。
そんなわたしの胸中を察したのか、ライザがぽつりと口を開きます。
「……俺には、姉と呼べる存在が、二人いる」
「え——?」
「何だその素っ頓狂な返事は。知りたいのだろう。物欲しそうな顔をしていたからな」
「そ、そんな顔してましたか? わたし……」
「この欲しがりめ」
「ライザさん?」
「冗談だ」
ライザが言うと、冗談か本気かの区別がつきづらいです。
「それはさておき、そういえば、先程の勝負の罰ゲームがまだだったな」
「あ」
忘れてました。
負けた方が、勝った方の言うことを一つ聞く。
もちろん、ライザを信用して呑んだ条件ではありますが、彼も立派な男性です。ここまで魅力に溢れる大人の女性 (当社比)を前に、何でも言うことを聞かせられる状況(シチュエーション)。万が一にも、魔が刺してしまうこともあるのでは?
え、えっちな要求をされるのでは……?
はっ。
ま、まさか……。
ほっぺにちゅーなのでは⁉︎
「だ、ダメです! ライザ! 不埒(ふらち)なのはいけません!」
「何を言っているんだ、お前は……?」
不審者を見る目で見られました。
どうやらまた、想像ばかりが飛躍してしまったようで。
嘆息するライザを尻目に、わたしは笑って誤魔化します。
「まあ、いい……。罰ゲームはこうだ。お互いに、相手が知らない自分の過去を話す」
「なるほど……?」
変わった罰ゲームに感じました。
わたしだけが暴露するならまだ分かるのですが、ライザもというのがピンときません。
「分かりました」
疑問が解消しないまま、わたしは頷きました。
罰ゲームなら仕方ない。ライザのことを知りたい。そんな気持ちが、罪悪感に勝ります。
「俺は、二人の姉について。あまり愉快な話ではないがな」
一旦間を置き、やがてライザはつらつらと語り始めるのでした。
「二人の姉だが——互いには何の関係もない。あくまで、俺にとって姉と呼べる存在が二人いたというだけの話だ」
「三人きょうだいではないと?」
「ああ。一人は、血が繋がっていない。しかし、俺の唯一の家族だった人物だ。戦い方も、魔法の扱い方も、生きていく方法も、俺は全てそいつから学んだ」
それは、あたかもわたしにとっての師匠のような存在。
「そして——俺に厄介な遺言を残した相手でもある。十三年前——『魔女の黄昏』の際、あいつは俺の前で息を引き取った。今際(いまわ)の際(きわ)に、あいつが遺した言葉は、今でも一字一句覚えているよ。……俺に、結婚して欲しい。家族を持って、幸せになって欲しい——それが、あいつの最後の望みなんだ」
ライザの言葉を聞きながら、わたしは、彼と初めて出会った時のことを思い出していました。
初対面でのプロポーズという、衝撃の出会いに隠れてはいたものの、確かにライザは言っていたのです。
結婚(それ)は、絶対に果たさなければならない約束なのだと。
その言い方からも、ライザにとってお姉さんが、どれだけ大切な存在だったのかが分かります。
「そうだったのですか……。あの、ぷ、プロポーズにはそんな理由が……」
プロポーズという言葉を口に出そうとすると、妙な恥ずかしさに襲われ、どもってしまったわたしです。
「もちろん、俺がお前に求婚したのは、それだけが理由ではないがな。一番はやはり、一目惚れしたからだ。エルルを好きになったのに、姉は関係ない」
「あうー」
耳まで真っ赤になりましたよ。
すいません、ちょっと、色々と、免疫が無いもので……。
うー。
「そ、そういえば、もう一人の血の繋がったお姉さんは、どんな方なんですか?」
恥ずかしさから逃れるために、話題を変えようと試みます。
しかし、どうやらそれは失敗だったようで。
ライザの顔が、途端に険しくなりました。
「えっと、話したくないことなら、無理には……」
「いや、大丈夫だ。すまない、エルルには聞いて欲しい。——あいつは……『ラゼル』とは、もうずっと昔に決別したんだ」
肉親との決別。
どこにだってありふれている、ごくごく当たり前で取るに足らない、一般常識の如く日常的な出来事。
わたしの脳裏に、あの男の影がちらつきます。
「俺にとって何よりも血の繋がりが濃く、誰よりも他人だった存在——それがラゼルだ。一緒に暮らしていた期間など皆無だし、あいつが俺の実姉だと知ったのも、初めて会ってから大分時間が経った後の事だが、正直、あいつに関しては嫌な記憶しかない。歩く災厄、喋る人災——会う度に、最悪な目に遭ってきた。そして何より——」
淡々と語るライザでしたが、その目は暗く、そして冷たく沈んでいました。今にも溢れ出しそうになる感情に、無理矢理蓋をするように。
底(そこ)に渦巻くのは、明らかな憎悪でした。
「あいつは、俺の唯一の家族だった、もう一人の姉を殺した犯人でもある」
「そんな——」
「今でも、あの時の光景は夢に見る。俺の手の中で冷たくなっていく姉、薄ら笑いを浮かべるラゼル——俺はあいつを、絶対に、許さない」
冷然としたライザの言葉に、わたしはぶるりと体を震わせます。
「ライザは——そのラゼルという人物を、探しているんですね」
「そうだ。だが、それは復讐の為ではない」
「というと?」
「——ペイルローブの街での事件を覚えているか?」
「ええ、もちろん」
忘れられるはずがありません。
アーサー。不自然な遺物の暴走。
「あの事件、裏で手を引いていたのがラゼルだ。エルルが駆け付ける直前に、奴と一悶着あってな……。あいつの言葉を鵜呑みにするなら、アーサーに遺物を与えたのも、意図的に暴走を促進させていたのも、全てはエルルと戦わせる為だそうだ」
「まさか、そんなことが……。意味が、分からない。もう少しで大惨事になるところだったんですよ? わたし達が負ければ、一体どれだけの人間が死んでいたか……」
そこまでして、わたしがアーサーと戦うことにどんな意味があったというのでしょうか。いえ、どんな理由であれ、到底許されることではありません。わたしの為に人が死ぬなど、絶対にあってはならないのです。
「あいつは、こうも言っていたよ。自分は″まだ″、エルルと会うわけにはいかないと」
「——つまり、今後こちらに接触してくる可能性が高いんですね」
「ああ。黙っていてすまなかった。……お前に、余計な心配をかけさせたくなかったんだ。あいつの力は、俺なんかとは比べ物にならないくらい強い。俺は、あいつが放った魔法が、街一つを消しとばす様(さま)を見たことがある。先史文明の科学兵器にすら匹敵するほどの力——あのアイゼンドッグすら、やつの足元にも及ばないだろう」
「それは、なんともまあ、夢物語のような話ですね……」
そびえ立つ物差しがあまりにも高すぎて、見上げることすら叶わない感覚。あまりに度が過ぎた力は、こちらの想像を容易く超えていき、想定すら困難にします。
途方もなく思えるような現実にもしかし、ライザは、真っ直ぐ前を見据えたまま、静かに、それでいて力強く言葉を紡ぎます。
「あいつがお前に執着する理由は分からないが——どんな手を使ってでも、エルルは俺が守る。絶対に、あいつの手には渡さない」
「まあ」
いち女性としては、とても嬉しい言葉でした。
思わず、頬を手で押さえてしまいます。
懸念材料と不確定要素があり過ぎて、手放しで喜ぶわけにはいかない場面なのでしょうが、何故だか不安はありませんでした。
なんというか、ライザが言うなら大丈夫かなと。
決して楽観しているわけではないのですが、不思議とそう思うのです。
「何とかなりますよ、きっと」
あっけからんと言い放つわたしに、ライザが目を丸くしました。
「意外だな。随分と気楽だ。お前はもっとこう、必要以上に物事に対してあれこれ悩むタイプだと思っていたが」
「うじうじ悩むのがわたしの専売特許みたいな言い分はさておき、深く考えてもしょうがないでしょう。それに——」
ライザを見ます。綺麗な顔立ち。甘党で、不器用で、本当は優しいあなた。
自分の胸に手を当て、温かい何かを感じながら、わたしは言います。
「ライザは、一人じゃありませんからね。わたしも、セラディスもいます。それは、わたしにとっても同じ——だからほら、何とかなります」
わたしは、微笑みます。
悲観はありませんでした。
絶望すらも、今のわたし達ならきっと隣人として愛せるはずでした。
「ふっ——そうだな」
ライザの口元が微かに和らぎ、そしてわたし達の日常(たび)は続きます。
「おーい、いたいた、エルルちゃん! と、おまけにライザ。朝ごはんが出来たよーい」
遠くで手を振るセラディスの姿が見えました。
応える為に手を上げ、立ち上がります。
ライザと一緒に歩き出し、大きな歩幅で先を行く彼の背中に向かって、わたしは首を傾げました。
「ライザは、どうして嫌なことを話してくれたんですか?」
「ラゼルのこともあるし、エルルにはいつか話さなければならないと思っていた。それと——」
振り返らず、歩を緩めず。
「エルルに、俺のことを知って欲しかった。我ながら、おかしな理由だ」
背中越しに貰ったその言の葉に、わたしは俯き、顔をほころばせました。
「……そうですか」
ライザがこっちを向いていなくて良かった。
嬉しさとこそばゆさを感じながら、わたしは彼を追いかけます。
「そういえば、わたしのお話をしてませんね」
「またの機会でいいさ」
「そうですね」
何故なら、この先もずっと一緒なのですから——。
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