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「何故、同部屋なのですか!」
クリフさんに紹介された宿屋。機械式モニターに案内されるまま廊下を進み、部屋に着くなり、わたしは叫びました。もちろん、他のお客さんの迷惑とならぬように、扉を閉めた後で。
クリフさんが取ってくれた部屋は、二人部屋でした。しかもダブル! ツインではなく、ダブル! ダブルベッド!
あのおじさん、絶対にわたし達の関係を勘違いしている!
「何をそんなに声を荒げているんだ……」
ごく当たり前のように荷物を置き始めているライザが、呆れたように言います。
「何をって……駄目でしょう、色々と」
「何がだ?」
「えぇ……」
説明しなければ、ならないんですか? それを。
もしかしてワザとなのでしょうか。女の子 (23歳)の口からわざと破廉恥なことを言わせるとか、そういうプレイですか。
「とにかく、これは由々しき事態ですよ。婚姻もしていない、うら若き男女が一つ屋根の下なんて……」
「宿屋なんだからどの部屋でも一つ屋根の下だろう」
「揚げ足をとらない!」
「ふむ……」
わたしの突っ込みに、ライザは思案するように手を口に持っていきます。
「つまりこういうことか。俺が、お前のその幼い体を性的な目で見て、理性を失い、寝込みを襲うと」
「もうちょっと言い方、なんとかなりません……?」
生々しいです。
「心配するな。俺はロリコンだが、変態ではない。一方的な好意を抱いているに過ぎん今の状態で、手を出すわけがないだろう」
い、一方的で無ければ手を出されるんですか……?
男らしく言い切られたので、何も言い返せないわたしです。
「俺は床で寝る。これで問題ないだろう」
わたしは、首を傾げました。
「……え? 何言ってるんですか? わたしが床で寝るに決まってるじゃないですか。人を床で寝させといて、自分はベッドで寝れませんよ」
「……ふっ」
何が可笑しかったのか、ライザが無表情ながらも、僅かばかり視線を緩めます。
不思議と、そんな彼を見て幾分か気持ちが落ちついた自分がいました。
よくよく考えれば、タダで泊まれるというのに文句を言うのは厚顔無恥というもの。タダより高いものは無いのです。例えそれが、乙女としての貞操だったとしても。
部屋の造りから考慮しても、決して安い宿ではなさそうでした。室内は十分に広く、シンプルで落ち着いた内装は、大人の趣(おもむ)きが感じられます。毛足の短い、白黒のカーペット。左手には、丸い木目調の机と椅子が二脚置かれ、向かい合うようにしてベッドが設置されています。
壁には、タッチパネル方式のモニタが掛けられていました。帝国の民営放送を視聴するには、別途料金が掛かるようで、現在は明日の天気予報や時刻などが無機質に映し出されています。
わたしは、ライザと同じように荷物を部屋の隅に固めて置き、ベッドに腰掛けようとしました。
少し休憩したい気分だったのです。
タイミングが良いのか悪いのか。
ぴこん、と。
電子音が鳴ったのはその時でした。
ポケットから端末を取り出し展開します。画面に表示されていたのは、クリフさんの名前と添付ファイルのリンク。指でタッチして表示されたのは、アーサー・ローランの個人情報と事件の概要、そして彼が所有する遺物のデータ。
クリフさんは軽々しくおっしゃっていましたが、バレたら懲戒免職どころの騒ぎではないのでは……? と思わせる程の機密情報に感じられました。閲覧した後は、サルベージされぬように念入りにデータを消去した方が良さそうでした。
「ライザ、クリフさんから犯人のデータが送られてきました」
ライザが後ろから、顔を近づけ覗き込んできます。
その何気ない動きに、わたしはぎょっとしました。
「おぉぅ……」
近い近い、近いですよ!
こうして間近で見ると、本当に綺麗な顔をしているなあ、と思いました。
って、そうではなくて。
わたしは、顔の火照りから逃げるように、意識を端末へと集中させます。
モニターに映し出された電子で構成された文章の羅列。
幾分か細かい情報を要約して、抜粋して整理していきます。
アーサー・ローラン。28歳。
ゼクアール帝国、ザクセン領、第二区画『オルフェンブルク』出身。
父親は不明。母は『シスタ・ローラン』。
母子家庭の元、育つ。
貧しい家庭環境とその内向的な性格から、幼少期より、学校では差別的な被害に遭うことが多々あった。
徐々に鬱屈としていく彼の精神を唯一支えていたのは、母親の存在だったと考えられる。
帝都の医科学校を卒業後、研修医として第三区画ペイルローブ第一病院に配属。
しかし、その矢先、最愛の母が自殺する。
シスタ・ローランは、アーサー・ローランを産んだ際に『エーテル欠乏症』を患っており、病状が悪化し余命宣告を受けたことによる絶望から、自らの命を絶ったとされている。
母の葬儀の後(のち)、アーサー・ローランは勤めていた職場を退職。その際、″とあるデータ″を無断で持ち出し、姿を眩ませる。
そして1年後。
同街にて、父親のいない母子家庭の母子(ははこ)のみを対象とした連続殺事件が発生。僅か1ヶ月の間に、被害者数は14人にものぼる。
警察は、決定的な目撃情報や、同じ境遇の家庭ばかりを狙ったその犯行から、犯人をアーサー・ローランと断定した。
「とあるデータ……?」
その部分だけが、奇妙にはぐらかされている記述にわたしは頭をひねります。
そして——エーテル欠乏症。
わたしの母の死因と、同じ病でした。
通常、人は産まれる際、母親から僅かなエーテルを譲り受け誕生します。
自らエーテルを生成する為の種火として。
しかし。
ごく稀に、エーテル生成機能が劣る子どもや、エーテル容量が極端に多い子どもが産まれてくることがあります。彼等は望むと望まざるに関わらず、母体からエーテルを根こそぎ奪って、その生命に火を灯すのでした。
急激にエーテルを失った母親は、出産の負担も相まって、エーテル欠乏症を発症。最悪の場合、死に至ります。
そうして母の命を吸って産まれて来た子どものことを、世間では『呪われた子』と呼ぶのでした。
それは、古くから残る風習。
呪われた子は不吉の象徴とされ、蔑まれ、疎まれ、忌避される存在です。
わたしも、そうでした。
アーサーがどのような境遇を辿ってきたのか、今なら容易に想像ができそうです。
よくある話ですけどね。
……ひとまずは、次の項目へと進めます。
重要な、遺物に関する記述でした。
【|手に持つ聖母《インビジブル・ドア》】。
帝国管轄の深階層遺跡より出土した、『第六位階(だいろくいかい)遺物』。
医療用メスのような形状をしており、有する機能(のうりょく)は『催眠』。
かつては医療器具として使用されていたと推測されており、″切断と麻酔を同時に行える″というもの。
麻酔といっても薬によるものではなく、″一振りするだけで刃から発せられる″、特殊な波長が人の意識に作用して、痛みを無くすことはもちろんのこと、意識の断線なども引き起こすそうです。それはどちらかというと、麻酔よりも催眠に近く——遺物としての階級は低いものの、現在の技術力では到底再現できない、立派な魔法道具でした。
「意識の断絶……」
アーサーとの戦闘の最中に、幾度となく起こった意識の空白。今にして思えば、出会い頭の一撃も、その機能を利用したものだったようです。
そして、“人の″意識に作用するその機能が、レーヴァに効かなかったのも得心がいきました。
ただし、途中彼女との交信が途絶えたことから、わたしとレーヴァのリンク自体を遮断することも出来るようです。
意識の断絶と、リンクの切断。両方同時に行うことは可能? もし片方ずつしか作用しないのであれば、打つ手はあるのですが……いえ、楽観は出来ないでしょう。
となれば、方法は——
「何か、策はあるのか?」
「一つだけ」
わたしは、いつの間にか距離を取っていたライザに向かって、言います。
「わたしが、囮になります」
「何だと?」
「意識を撹乱させる術を相手が持っているのなら、一度に二人で相手をしても効果は薄いでしょう。対象が一人とは限りません。それよりも、遺物を体から切り離せれば勝ちという利点を生かすべきです。わたしが、敵をギリギリまで引きつけ——そうですね、相手がわたしにトドメを刺す瞬間——潜んでいたライザが、一撃で腕を斬り落とす。それが一番確実かと。どんな人間、どんな生物でも、一対一という状況下なら、相手にトドメを刺す瞬間が、戦闘中において一番警戒が薄くなるはず……そこを突きます」
「……なるほど、わかった」
ライザが頷きます。その横顔に変化はありませんが、なんとなく、違和感を感じました。その正体が分からぬまま、わたしは話を続けます。
「問題は、場所ですね」
アーサーの行方。
追う方法としては、レーヴァの遺物探知機能を用いる他ないと思うのですが、果たしてそれで間に合うかどうか……。
「それなら、俺に任せておけ。奴のエーテルを追える」
あの時、お前のエーテルを追って転移したように、そうライザは付け加えます。
「便利ですね。わたしも、頑張れば覚えられますか?」
「無理だな。魔法が使えるかどうかは、″生まれ持った才能の有無だけだ″。後天的に、努力でどうにかなる問題ではない」
「残念……」
小さい頃、あの人が使っていた魔法。憧れはありました。一人で生きていく為の力を欲し、教えを懇願したこともありましたが、彼女は決して首を縦には振りませんでした。ライザの言う通り、努力ではどうにもならない現実を知っていたのでしょう。
「もし、居場所がすぐ分かるならば、今夜中にアタックするという選択肢もありますが?」
「駄目だ。お互い消耗している。失敗を、繰り返したくはないんだろう? 万全を期す必要があると俺は思うが?」
「そうですね……分かりました」
ライザの言うことは、もっともです。全ては、わたしの力の無さがもたらした現状。甘んじて受け入れるしかありません。
「……そんな顔をするな。大丈夫だ。今のところ、奴のエーテルに大きな乱れはない。何か行動を起こせば、すぐに分かる」
「どんな顔ですか、別に普通ですよ。いたってごく普通に冷静な顔です」
「そうか。いい顔だな」
それは、褒められているのですか……?
訝しむようにライザを見ると、彼は無言で部屋を出て行こうとしていました。
「何処かへ行かれるのです?」
「ああ、ちょっとな」
男性はいつの世も、説明を『ちょっと』で済ませがちです。
ちょっと、とは。
「ライザ。わたし、お腹が空きました」
わたしは、負けじと要望を伝えました。人に慣れてくると、厚かましさが増すわたしです。
「……分かった。ついでに、酒も貰ってきてやる。つまみもな。下にバーが入っていた。好きなんだろ? 部屋で飲む分には、誰も咎めやしない」
「まあ!」
素晴らしく魅力的で是非もない提案に、思わず感嘆の声を漏らしました。
ライザと一緒にいれば、もしかしたらいつでもお酒が飲めるのではという誘惑が、心を支配します。
「だから、″俺が帰るまで″部屋で大人しく待っていろ。いいか、絶対に出るなよ」
「そ、そんなに念を押さなくても大丈夫ですよ」
子どもじゃあるまいし、ふらふらといなくなったりしませんよ。それに、待っているだけでお酒が手に入るなら、いくらでも待ちます。
「じゃあ、行ってくる」
「お気をつけて」
手を振って見送りました。
誰かを見送るという、久しく忘れていた行為。
胸に小さな暖かさが広がりました。
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