帝国へと向かう旅路の途中。
わたし達はその日の宿を求めて、キャラバンへと立ち寄っていました。
キャラバンとは、各都市を結ぶ街道上に設置された、旅行者の為の休憩施設の総称です。昔はその名が示す通り、物資の補給と供給の為に、周期的に決まったルートを移動していくのが特徴でした。しかし、エーテル車の登場によって物流が高速化した昨今では、その必要も無くなり、もっぱら旅人達の宿場として定住化していったそうです。
交通網が複雑に発達した古代では、トイレや休憩の為にこういった施設は必須だったと言われています。何でも、その時代の道路は、一度入道すると数十キロは脱出できず、ジュウタイなるものに巻き込まれようものなら、それはそれは地獄の苦しみを味わう羽目になっとか。今一イメージしづらいですが、おそろしい世界です。
そんな、昔読み漁った文献の記述をつらつらと思い出しながら、わたしはキャラバンの外れにある広場を訪れていました。
早朝です。辺りに人気(ひとけ)は全くありません。天気が良ければ、出店が立ち並ぶこの場所も、朝日が昇ったばかりではまだまだ眠っています。
わたしは、適当なベンチを見つけると、レーヴァを立て掛けました。
『どうしたんじゃ……主様。こんなに朝早くから……ワシはまだ眠い……ぞ……』
「特訓ですよ」
『なんじゃ……朝から酒か……主様も好きものよのぅ……』
「それはとっくりです。あの小さな容器から、お猪口(ちょこ)にライスワインを注いで飲むと、格別ですね——って、些か無理がありませんか?」
『それでもちゃんとノッてくれる主様が、ワシは堪らなく好きじゃよ』
「そんな好かれ方をしてもねえ……」
あまり嬉しくは無いです。
花も恥じらう乙女ですからね。もっとこう、おしとやかにいきたいと思う今日この頃。
さて、まずは日課の柔軟から始めましょうか。
早朝特有の清涼な空気に包まれながら、約十分。一挙一動に集中しつつ、決まった工程を踏んでいきます。頭の先から爪先まで、全身くまなく意識を行き渡らせ、体内を巡るエーテルを感じ取ります。体が暖まり、徐々にギアが入ってきました。最後に足を持ち上げた姿勢で静止し、深呼吸を何度か繰り返します。
『今更じゃが、パンツ丸見えじゃのう』
「まあ、ワンピースですし。大丈夫ですよ、こんな朝早くに出歩く人はいないでしょう。ライザもセラディスも、まだ寝てましたし」
『ふむ……しかしのう。後ろ、見た方がよいぞ』
「え?」
言われるがままに、振り返ります。
ライザが立っていました。
時が、止まります。
「…………」
「…………」
足を、静かに下げました。はしたないですからね。淑女ですので、わたしは。これこれは、お見苦しいものをお見せしまして……ははは…………はえ⁉︎
「っ……⁉︎ なっ……‼︎ なななななな……⁉︎」
「すまない。なんと声を掛けていいのか分からなくてな……」
涙目になるわたしに対して、ライザが冷静に言います。
少しくらい! 動揺してくれてもいいじゃないですか!
「大丈夫だ。後ろからだったし、あまり見えていない」
「そういう問題では……!」
あまりの恥ずかしさに、卒倒しそうになります。穴があったら入りたい。感情のやり場を求めて、理不尽な怒りをライザにぶつけようとしますが、すんでのところで思い留まりました。
それでは、あまりに最低ではありませんか。
見たくもないものを見せられたライザのことも考えなさいよ、と。
善なるわたしが耳元で囁(ささや)くのです。
こうなったら、解決方法はただ一つ。
なかったことにしましょう。
何も起こらなかった、爽やかな朝。
平和って素晴らしい。
わたしは、遠い目をしながら言いました。
「ところで——ライザ、こんなに朝早くにどうしたんですか?」
「ああ、いや……特に用があるわけではないんだが、起きたら寝床にエルルの姿が無かったから——」
「心配で探しに来てくれたと」
「違うぞ、そんな過保護なことはない……そう、トイレだ。立ちションする場所を探していたんだ」
「お願い気付いて下さい、誤魔化そうとして余計に大切なものを失っているのを……」
その気遣いだけを受け取ります。乙女心としては、心配してくれていることが素直に嬉しいのでした。言葉に出して貰えれば、尚更です。
「ありがとうございます、心配してくれて。ライザのそういうところ、大好きですよ」
「そうか」
目を逸らされます。ライザが照れているのが分かったので、わたしは大変に満足しました。
本題に入ります。
「実はですね、朝の時間を使って、訓練を始めようと思いまして」
「訓練?」
「ええ——今回のことで、自分の力不足を痛感しましたから……」
孤独だった時は、そんなこと、考えたこともありませんでした。自分一人が生きていく上で必要な強さなど、たかが知れています。師匠が授けてくれたのは、あくまで生きる為の力。何かを護りたいのであれば、それ以上の力を自分で掴み取らなくてはならないのです。その事をわたしは、思い知りました。
「あまり思い詰めるな。お前の悪い癖だ。俺も……不本意ながら、セラディスのやつもいるんだ。お前一人が頑張る必要はない」
「大丈夫ですよ。わたし、前向きです!」
両手でガッツポーズを作ってみせたら、ライザにとても微妙な顔をされました。
疑いの眼差しです。
し、信用が無い……。
そんなに無茶しそうなイメージなんですかね、わたしって。
まあ、確かに。ほんの少しだけ、ちょっぴり頑固なところが、なきにしもあらずだとは思いますが。
一人だと、どうしても考え込んでしまうというか、余計なことを考えてしまうといいますか——その時です。ピコンと、頭の中で閃きが点灯しました。
単純明快。一人で駄目なら、二人でやれば良いのでは?
「まあ——いい。無理はしないようにな」
短く嘆息し、少し眠そうな様子で去って行こうとするライザを、わたしは呼び止めます。
「待ってください、ライザ。わたしと勝負しましょう!」
思いっきり怪訝そうな表情で振り返られました。
「何故だ?」
「いや、その……稽古をつけて欲しいなあ……なんて」
「駄目だ」
「即答……」
あまりの取り付く島のなさに、自然と唇が尖ります。
「パンツ、見たくせに……」
ボソリと言ってやりました。
望み薄でしたが、意外にも効果があったようで。
盛大にため息を吐かれた後、
「分かった」
首を縦に振らせることに成功しました。
やった。
「ただし——負けた方が、勝った方の言うことを一つ聞くのが条件だ」
唐突に、ライザから提示された交換条件。
普通に考えたら、呑めるはずのない相手有利な条件でした。
悲しきかな、わたしがライザに勝てるはずがないのですから。
しかしまあ、この時のわたしの中では、悪い癖が顔を出し、意固地になってしまっていたんですね。
だって、パンツだけ見られて帰られたんじゃあ、悔しいじゃないですか。
あと、自業自得なのですが、若干場の空気に乗せられていたのもありまして。
わたしは、ライザへと挑戦状の如く指を突きつけ、
「望むところです!」
勇しく承諾しちゃったわけですねえ……。
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