【Side:Elulu】
わたしの体は、着実に死へと向かっていました。引き替えとなる代償は、あまりに大きい。けれど、葛藤はありません。
理由があります。それを思い出せる限り、わたしが止まることはないのです。
再生される白日夢。この身をもって、過去と現在を繋ぐ。在りし日の最強には程遠く、されどこの手に光を掴むは容易く。
頭の中でスイッチを切り替える感覚。|【終焉たる救世主】《レーヴァテイン》を通じて、嵐のようなエーテルの奔流が流れ込んできました。
体が軋み、脳を嵐が打ちます。
全身を駆け巡る激震は、血液を沸き立たせるように熱く。龍が飛翔するかのごとくエネルギーが、体内を暴れ回るのでした。
全神経が研ぎ澄まされていく感覚。
全細胞が生まれ変わるような歓喜。
全能感が体を支配し、舐める激痛すらもどこか甘美。
今にも暴れ出しそうな手足を統率して、深呼吸。
フィアリスちゃんへと、微笑み掛けます。
「フィアリスちゃん、少しだけ待っていて下さい。すぐに、終わらせます」
涙を拭いながら力強く頷く彼女に、必ずの誓いを立て、わたしは再びザルディオと相対しました。
「さあ、決着をつけましょう」
宣言するわたしの様相は、今までとは一線を画すもの。髪は白金色に変色し、より長く。手に握るレーヴァから迸(ほとばし)るエーテルは、あまりの密度に質感すら感じられる程に。わたしの豹変ぶりを警戒しつつも、ザルディオは決して取り乱しませんでした。ただ、その顔から、笑みが消え失せます。
「なんという——」
哀れむ視線がわたしに向けられました。
しかしその実(じつ)、そこに込められていたのは、憐憫(れんびん)ではなく嘲笑。
「いやはや、私も、人より教養のある人生を歩んできたつもりですが、今のあなたを表す言葉は他に知りませんよ」
蔑み、見下し、吐き捨てるように、ザルディオが言います。
「この——化け物が」
知ってますよ。
と、わたしが返したのと同時。ザルディオが不意打ち気味に放ったのは、紛い物の魔法。ただエーテルの塊を飛ばすだけの単純な攻撃など、今のわたしなら簡単に避けられます。しかし、敢えて正面から受けました。
無造作に左手を振るい、光弾を叩き落とします。床が砕け、破片が舞い散る中、手に残るのは心地の良い痺れ。
わたしは自身の体の感覚を掴む為に、ゆっくりと、彼の元へと歩を進めます。一歩ごとに体が悲鳴を上げ、激痛を踏みしめながら、それでもわたしは止まりません。
彼の目が、驚愕に見開かれました。近くづくなと言わんばかりに、手に持っていた【|【偶像崇拝】《リビングデッド・マザー》】を振りかざし、操られた信者達が一斉に動き出します。
ボロボロになって向かってくる彼等を見て浮かぶのは、哀れみや同情とは別の感情。自分の姿が、重なって見えました。眉を潜め、祈るようにレーヴァを振るいます。
すれ違い様に、一閃。
その場に崩れ落ちる信者達。
何が起きたと、たじろぐザルディオに、わたしは淡々と事実を告げます。
「彼等の体内にわたしのエーテルを浸透させ、頭部に埋め込まれていたデバイスを破壊しました。もう二度と、起き上がることはないでしょう」
わたしが、この手で殺したも同然。
彼等にも家族がいる。到底、許されるべきではない。
「わたしは、あとどれだけの罪を背負えばよいのでしょうね。あなたも、仮にも聖職者なら教えていただけませんか?」
わたしの懺悔に、神父(ザルディオ)は答えませんでした。代わりに懐から銃を取り出し、躊躇なく発砲してきます。
銃弾も、今や止まって見えました。
あまりにも、遅い。
手を前へ。わたしが使役するのもまた、紛い物の魔法。かつての救世主を、不完全に模倣しただけの残滓(ざんし)に過ぎませんが、今はそれで十分でした。
空中にエーテルで形成した壁を展開し、銃弾を防ぎます。
「くそ——っ」
乱射。わたしは歩(あゆみ)を留めず全てを防ぎきり、床に虚しくこぼれ落ちる銃弾を踏みしめながら、ザルディオの元へと辿り着きます。彼の顔には、確かな焦りが浮かんでいました。
逃げても無駄、そう悟ったのでしょう。彼が選んだのは、己の肉体を頼った一撃。右腕を大きく振りかぶり、全身の関節と筋肉を総動員し放たれた渾身の右ストレートに合わせ、わたしも拳を繰り出します。
風を切る鋭い音。
拳と拳が激突し、衝撃が走りました。
手には、確かな手応え。わたしの細腕が振り抜いた絶拳は、ザルディオの腕を砕き、なお威力衰えず。彼の巨体が、軽々しく吹き飛びました。砲弾のようなスピードで宙を舞い、柱に衝突。人の肉が金属に打ちつけられる異音が響き渡り、ザルディオは床に叩きつけられ、地に臥(ふ)します。
わたしは、体の中を暴れ回るエネルギーを逃すように、熱い息を吐きました。
いくら敵とはいえ、フィアリスちゃんの身内を殺すわけにはいきません。
ならばどうするのか。どうすれば、こちらの要求を通せるのか。どれだけ痛め付けても、言葉を投げ掛けても、彼を説得するのは不可能でしょう。あのような手合(てあ)い屈服させるなら、体でも心でもなく、現実を突きつける他ないのです。今まで目にした彼の武器は、これで全て叩き壊しました。彼の全てを受けきり、彼の全てを否定し、絶対に敵わないという現実を分からせる——そして、フィアリスちゃんを、解放させる。二度と、彼女を虐げさせない。
誓わせる為に、わたしがザルディオの元へと再び歩み寄ろうとしたところ「ふ——ふふふふふ」彼の体が、小刻みに揺れ始めました。
残った左腕を床につき、バランスを崩しながらも起き上がります。
「なんと——醜い力だ。明らかに、世界の理(ことわり)から逸脱している。あまりに歪で、卑怯で——気持ちが悪い。貴女の存在を、神は決して許しはしないでしょう。いずれ、必ず天罰が降る!」
「言いたいことは、それだけですか?」
罰ならもう、受け続けていますよ。それでもなお、わたしの罪は決して消えることはないのです。
わたしは、神を信じない。
産まれた時に、そんなものとはとうに縁を切りました。
わたしの言葉に、ザルディオが目を剥きました。
「私には、夢がある! 理想がある! 希望がある! こんなところで! 立ち止まるわけにはいかないのです! 娘(あれ)は、私の物だ‼︎」
力強く掲げられたご高説に、わたしは眉間にシワを寄せました。馬鹿らしい。いい加減にして欲しい。ここまで自分本位な人間がいることが未だ信じられず、怒りを通り越して呆れすら抱きます。今更理解しようとは思ってはいませんが、もしこの世に悪というものが本当に存在するのであれば、それはこういう人間の為に生まれた言葉なのだと、思いました。
「もういいでしょう? 御託は聞き飽きました。あなたの言葉は、酷く耳障りです。聞き苦しいことこの上ない。更生などは望むべくもありませんが、あなたは罪を償うべきです。何も、罪を告白する相手は、神様だけではないのですよ? 自首して下さい。フィアリスちゃんにも、今まで喰い物にしてきた信者達にも、きちんと謝罪して——あなたの償いは、それからです」
「くっくっくっ」
ザルディオの顔に、薄ら笑いが戻ります。ボロボロの紳士服を纏い、ふらふらと血を流し、それでも笑うのです。
「なんという傲慢さだ。罪を、償う? 貴女は本気でそう言っているのですか? 償いなど、弱き人の心が生み出した幻想だ。人は、人を赦すことなど決して出来ないのですよ。他人はもとより、自分さえも含めて。だからこそ、聖職者(われわれ)がいて、神があるのです」
いくら罰を受けようとも、贖罪は決して叶わず。
赦しをくれる相手がいない罪だけが、この体に残りました。
けれど、ザルディオ。
あなたは、大きな勘違いしていますよ。
償うこと、赦しを得ること。
それは、決して、イコールではないのです。
犯した罪は、絶対に——消えない。
わたしが彼に送る言葉は、たった一つ。そしてそれは、わたし達のような人間にこそ相応しい言葉でした。
「甘えないでください」
わたしは、冷ややかな声音で言います。
「赦されると思うな。赦して貰えるなどと思い上がるな。それでも、あなたは罪を背負うべきだと、わたしは言っているのですよ」
「なるほど——どうやら、貴女という死神に関わったこと自体が、私の過ちだったようだ」
まるで、それ以外に過ちは犯していないと言わんばかりに、彼は高らかに宣言します。
「ならば、私は自らの手で道を切り開きましょう! 悪鬼を討ち祓(はら)う力を我が手に!」
わたしは、身構えます。
しかし、次にザルディオが取った行動は、こちらの意表を突くもの。
彼は【|【偶像崇拝】《リビングデッド・マザー》】を、自らの胸に勢いよく突き立てたのです。
他人を支配する遺物。それを自らに施せば、どうなるのか。
自己支配——人が、己の全てを完全なる支配下においた際に発揮できる力は、人智を超えると考えられています。
しかし、わたしの懸念は別のところにありました。すなわち、遺物の暴走。いくら適合したからといって、無理に扱えばたちまち遺物は暴走し、『異形化』を引き起こします。
「誰にも私は止められない! 止められるものか! 何故なら、私は間違っていないのだから! 私は正しい! 故に、私が神だ! 私は、私を支配してみせる‼︎」
ザルディオの双眸(そうぼう)が裂けんばかりに見開かれ、瞳孔が爬虫類のように細まります。顔が形相に染まり、全身がぐにゃぐにゃと歪み始めました。服を引き裂き、赤黒く変色した体が瞬く間に肥大化していきます。
その時すでに、わたしは動き出していました。全速力での疾走。フィアリスちゃんを、安全な場所へ。信じられないという様子で、ザルディオを見ていた彼女が、わたしに気付き手を伸ばしてきます。
わたしもフィアリスちゃんへと向かって手を伸ばし——二人の指先が触れるか否かの瞬間。横から急激に伸びてきた肉の塊に、彼女が呑み込まれていってしまいます。
「フィアリスちゃん! ——っ」
彼女を助けようにも、あっという間にこちらへと押し寄せてくる、肉の壁から逃れる為に、わたしは距離を取らざるを得ませんでした。
次々と襲いくる槍のような触手に呑まれぬよう、レーヴァで迎撃。退きながら、頭を過ぎるのは後悔。
しくじった。判断を、誤った。
真っ先にフィアリスちゃんを避難させるべきだったし、ザルディオを追い詰めるべきではなかったのです。
いくら強大な力を得ても、心が弱いままだから、こんな事態を引き起こす。
天地を引き裂くような揺れ。
ザルディオだった塊が見る見るうちに天へと伸びていき、遺跡の天井部を破壊。瓦礫の雨が降り注ぐ中、差し込む陽光を全身に浴びながら、再び人型を形成していきます。
天を衝き、30メートルを優(ゆう)にこえる巨人がそびえ立ちました。
もはや、ザルディオの原型を留めてはいません。黒々とした肉が折り重なり、一個の壁を形成しているような禍々しさ。異形化——しかし、ここまで巨大なものは初めて見ます。
遺物の使用者となった人間が、何らかのきっかけで暴走すると、こうなってしまうのかもしれない——そんな推測も、今は何の役にも立たず。
レーヴァを強く握り締め、目の前に立ちはだかる壁を見上げました。現実を前に、わたしには彼の姿がその大きさ以上に、途方もなく映ります。
落ち着け。冷静になれと。
歯を食いしばり、わたしは自分に言い聞かせます。
後悔と失意に捉われれば、思考がそこで止まってしまう。フィアリスちゃんを助け出す——その結果のみを、ひたすら追い求めるのです。しっかりしろ、エルトゥールル・ハウル!
わたしに残された時間は、あと1分。
ただ敵を打ち倒すだけなら、十分な時間でした。それが叶うだけの力が、この手に握られている。
問題は、フィアリスちゃんを助け出す方法です。急激に肥大化した肉塊に取り込まれた彼女、その居場所を把握する術(すべ)が、わたしには無いのです。
レーヴァの力を借りている今ならば、″ある程度のエーテル感知が可能″でした。しかし、所詮(しょせん)は紛い物。フィアリスちゃんの小さなエーテルは、暴走したザルディオの荒波のようなエーテルに阻まれ、全く知覚できません。
彼女の遺物を探知出来るレーヴァも、切り札を使っている今、機能コントロールに専念していて交信出来ず。
ライザなら、あるいは——。
その時、脳裏を過ったのは一条の光。偽物の救世主(わたし)でも、はっきりと感じられた——金色の気配(エーテル)。
ああ、そういえば——約束、したのでした。
彼と。仲間と。
ピンチの時は、駆け付けてくれるって。
そしてわたしも。
フィアリスちゃんへと、誓ったのです。
必ず、助けに行くと。
そしてわたしはここにいる。
その為にわたしはここにいる。
恐れることは、何もない。
山のようなザルディオが、緩慢な動きで右腕を持ち上げます。
顔を叩く突風。体を突き抜ける鳴動。地が揺れ、天が唸り、動くだけで天変地異を起こしかねない、圧倒的な質量を持つ攻撃が来る。
この状況でも、口元に浮かぶのは安堵の笑み。
わたしは、静かにレーヴァを構えました。呼吸を整え、足にエーテルを集中。飛来したザルディオの巨腕を躱(かわ)すような形で、大きく後退した直後に、上へと向かって跳躍します。
ギリギリを見極めた回避。足元を列車が通過したかのような風圧を受け流す為に、わたしは空中でくるりと回転し、体勢を立て直しました。轟音と共に床を破壊し、静止したザルディオの腕に、難なく着地。そしてそのまま、斜面を駆け上がります。
狙いは、上空からの一撃。
この巨体では、遺物のみを狙って破壊することは不可能でした。
ならば、全てを、両断する。果たす力は、我にあり。
そして、わたしは信じています。
タイミングはここしかない。
美味しい場面でしょう。
ヒーローが登場するには、格好の見せ場。
お約束とも言えるご都合主義は、人事を尽くして初めて得られるものなのです。
稼働を始める上腕部を、一足跳びに昇る最中、視界の端に映るのは金色の光。空中にゲートが出現し、ライザとセラディスが飛び出してきます。
「ライザ! セラディス!」
眼前の光景に驚きを隠せない彼等に向かい、わたしは声を張り上げました。
交錯する視線。
わたしとは違い、歴戦の猛者である二人です。瞬時に状況を飲み込み、臨戦態勢。
「フィアリスちゃんが取り込まれています! 彼女を頼みました!」
任せろ。返答の代わりに受け取った視線。彼等は、動き始めます。ライザが空中にエーテル壁を形成。それを足場にセラディスが、ザルディオへと向かって跳びました。
「セラディス!」
「任せてちょうだい!」
ライザの浮遊剣を道標に、セラディスの拳が炸裂します。ただの右ストレート。しかし、威力は超。ザルディオの脇腹を形成していた肉が、弾けました。
爆散する肉片の中には、フィアリスちゃんの姿が。
ワンテンポ遅れて飛来したライザが、彼女とセラディスを回収し、離れ始めるのと同時。
わたしは、ゴールへと辿り着いていました。
頭頂部を蹴り、最後の跳躍。
天へと掲げるように、レーヴァを大きく振りかぶります。
借り物のエーテルを、集中、全解放。
瞬(またた)く合間に象(かたど)られたのは、見上げてもなお果てぬ、巨大な刃でした。
常(とこ)しえに続く時の彼方、幾星霜の煌きがもたらすのは、かつて、世界最強の救世主が使役し奥義。
『白銀(しろがね)の雷』——。
人々が、讃え、崇め、畏れ、謳(うた)った、神の如く御業(みわざ)での決着を。
わたしは、ザルディオへと向かい、レーヴァを振り下ろします。
躊躇いはありませんでした。
後悔も、憐憫も。
抱くには、わたし達はあまりに相容(あいい)れなかった。
さようなら。
その言葉は、銀色に輝く極光に溶けて。
仮初の英雄。
偽物の救世主。
虚構の魔法使い。
幻想は終わり、夢は現実へと。
回帰し、わたしの意識は、途切れました。
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