【Side:Liza】
「一体、なんなんだ。この有様は……」
ライザの目の前に広がっていた光景は、凄惨の一言だった。
繁華街より外れた、小高い丘の上。とある宿屋があったはずの場所は、そのほとんどが倒壊していた。
粉々になった木材。くすぶる消炭。黒ずんだ瓦礫。ひしゃげた鉄骨。玩具箱をひっくり返したように、無秩序に積み上げられている。屋根と壁は消し飛び、土台だけが、かろうじて原型を留めていた。
何か、強い衝撃が突如として発生したような壊れ方だ。一部を中心に、焼け焦げた跡と破壊が波紋状に広がっている。
爆弾——か。
これは、人為的な災害だ。
人の手によって、引き起こされた悪夢。ライザの頭の中によぎるのは、かつての戦場。血と肉と硝煙(しょうえん)のむせ返るような臭い。
野次馬が見守る中、辺りでは救護隊や消防隊、警察が慌ただしく動き回っていた。瓦礫を協力してどかし、下敷きになった人を運び出している。比較的軽傷の子ども。下半身が潰れた男性。手足の千切れた女性。数人がまとめて救出された。家族なのだろう。父親と母親は既に事切れていた。子どもだけが、生き残った。
ライザは、思わず眉をしかめる。
あの子どもは、今後どのような人生を送るのだろうか。きっと、ことある毎に思い出すのだろう。この夜の光景を。両親の死体を。死の臭いを。
あの時の、自分のように。
惨憺(さんたん)たる有様。
一個の建物が、こうまで破壊される規模の爆発——エルルは、無事なのか?
ライザの中に、言い様のない不安と焦りが芽生える。
そもそも、ライザとアニーがの現場にやってきたのは、ようやくエルルらしき目撃情報を得たからだ。
夜遅くに、小さな少女が二人。この宿屋に向かったという情報。
向かう道中、鳴り響いた凄まじい爆発音。
急ぎ駆けつければ、エルルの姿はなく、宿は跡形もなくなっていたのだ。
確実に、何かが起きている。
相変わらず彼女のエーテルは感知出来ない。
瓦礫の下敷きになっている可能性もあったた。もしそうであるならば、彼女は瓦礫から自力で脱出出来ない状態にあるということ。だとすれば、早くしなければ。魔法を使えば、撤去作業はすぐに済む。
ライザは急ぎ、救護隊に加わろうと足を踏み出した、その時。
「エルルは、ここにはいない」
隣にいたアニーが、静かにそう言った。
「……どういうことだ? 何故、お前にそれが分かる?」
ライザはそんな彼女に不審を抱き、詰め寄る。
対して、アニーの様子は落ち着いていた。先程までの爛漫(らんまん)さは影も形もない。どこか洗練された雰囲気。爆発現場へと向けられた視線は、複雑だった。悲しみ、怒り、そして後悔と決意。様々な感情が入り混じり、それを無理矢理、理性で押さえ付けたかのような、冷たさが宿っている。
ここに着いた途端、アニーの様子がおかしくなった。
——おかしくなった?
いや、違う。
出会ったばかりの自分に、アニーの本質の何を判断出来るというのか。これこそが、本来の彼女であったとしても、何らおかしくはないのだ。
「それは言えない。でも、間違いないわ」
確信めいた物言い、そして、アニーに事情を説明する気はないようだった。
ライザはため息をついた。
まあ、いい。元々、この少女との関係はギブアンドテイクでしかない。真実を話さなかったところで、それを責める気は更々なかった。ここまで辿り着いただけでも、助けた見返りとしては十分だろう。
ここにエルルが既にいないというのなら、いつまでも留まる意味は無かった。
ライザは踵(きびす)を返す。
背中に感じるのは、人の死と生が混ざり合う粘り気のある熱気。現場では変わらず、誰もが己に出来ることを懸命にこなし、決死の救助作業が行われていた。
ライザに迷いはなかった。優先すべきは、エルル。例え、見知らぬ他人が瓦礫の下敷きになっていようが、関係はなかった。少しだけ、先程救出された子どもの姿が昔の自分に重なるけれど、自分の中での優先順位は、はっきりしている。そのはずだ。
なのに、どうしてだろう。
不思議なことに、今は隣にいないはずの、あの小さな少女の叱責が聞こえるのだ。
人の命から、目を背けるなと。
ライザは苦笑する。
全く、無茶を言ってくれる。
しかし、そんな無理難題も、信頼されている証だと考えると、妙に心地いいと感じるのも事実だった。
見知らぬ他人の命と、エルル。どちらが大切かは明らかであり、絶対に覆らない。それでも、ライザは引き返す。
なるべく早く終わらせる。
本来、人前で魔法を使うべきではなかったが、今はそれよりも大切なことがあった。
頭の中で、魔法を使う為のイメージを整える。魔法とは、想像を現実にする力。エーテルという人が持つ特別なエネルギーに、イメージによって方向性を与え、体外へと放出し事象へと変換する。
準備はすぐに完了した。瓦礫を持ち上げるだけなら、複雑なイメージは必要ない。広範囲にエーテルを散布。瓦礫にその粒子を付着させ、それぞれに浮力を持たせる。 ライザが戦闘の際に使用する、浮遊剣の応用。
現場に、どよめきが起こった。当然だ。大の大人が数人がかり、中には機械を使ってようやく少しずつ持ち上げていた瓦礫が、不思議な力で突然浮き上がったのだ。
ライザはエーテルを操作し、持ち上げた瓦礫を安全な場所へと移動させる。
かなりの人が未だ下敷きになっていたようで、すぐに救護隊と消防隊が連携して救助にあたっていた。彼等も百戦錬磨。不可思議な事象に驚きこそすれ、人命が第一だ。
目が届く範囲では、助かる命と、手遅れな死が半々といったところ。しかし、病院への移送時間と設備では助からない命も、ライザの魔法なら間に合う可能性がある。
流石に肉体の損傷を修復させる魔法は、近くでしか使えない。ライザは被害者の元へ急ぐべく、歩を進めようとした。
そこを、アニーに制される。
「大丈夫だよ、ライザ。後は私が手伝うから。早くエルルのところへ行ってあげて」
追われるだけの少女一人に、何ができるというのか。ライザが怪訝そうに眉をしかめる
のと、アニーがとある場所を指差したのは、ほぼ同時だった。
ライザは指し示された先に視線を向ける。
「あれは、血痕か……?」
近くへ。夜の闇の中、目を凝らすと血の跡が、点々と向こうへ続いていた。
血の、道標。
嫌な予感がした。
というよりはもはや、確信に近い。胸を締め付けられるような、息苦しさ。こめかみを、一筋の汗が流れ落ちた。
「ライザ」
爆発現場へと歩みを進めるアニーが、ふと立ち止まり、振り返らずに言った。
「ありがとう。助けてくれて嬉しかった。少しの間だけど、一緒にいれてよかったよ」
追求しなければならないことは、山ほどあるように思えた。あるいは彼女からなら、今起きている事態の全てとは言わずとも、核心に迫る部分を聞き出せるかもしれない。
しかし、ライザにその気はなかった。時間が無いのもある。早くエルルの元へ行かなければならない。そしてもう一つの理由。この少女に、伝えなければならないことがあった。
「俺も——助かった。ここまで辿り着けたのは、お前の……アニーのおかげだ。ありがとう」
「……ライザって、やっぱり変わってるよね」
背中越しの言葉。アニーの栗色の髪の毛が、寂しげに揺れた。
「そうか?」
「うん……妹を——お願いね」
「ああ」
最後に短く言葉を交わし、ライザは走り出す。
血の跡は、丘を降り、住宅街へ。人目を避けるように路地裏を進んでいた。
出血量からして、持ち主は致命傷を負っている。
ライザは、道標を見失わないように注意しながらも、疾風のように駆けた。
しばらくして、ライザは道を塞ぐようにして立ち塞がる人物達を目視。ローブのようなものを身に纏った男達だ。それぞれが武器を持ち、物々しい雰囲気。今のライザにとっては、邪魔でしかなかった。適当にやり過ごすつもりだったが、向こうが攻撃を仕掛けてきた為、それを一蹴。先を急ぐ。
その後も、何度かそういった連中に道を阻まれるに従い、ライザの中で例えようのない不安が募(つの)っていく。
空気が重い。息が詰まる。
空気がまとわりつくような、息苦しさ。
この感覚を、ライザは知っていた。
「はっ……はっ……」
臭いがした。
血の臭いだ。今までとは比べ物にならないくらい、強い臭い。
気配がした。
死の気配だ。今までとは比べるべくもない、濃い気配。
心臓が煩い。動悸が激しい。ありとあらゆる感覚が、ライザに警鐘を鳴らしていた。
曲がり角。このまま進めば、取り返しがつかなくなると。知ってしまえば、もう後戻りはできない。とてつもない絶望が、待ち受けていると。
「エルル……!」
それでも、ライザは足を止めなかった。そこに彼女がいると知っていたから。警告など知ったことか。本能など糞食らえだ。
曲がり角を曲がる。
そしてライザは——地獄を見た。
「エ——ルル?」
愛しい人の、血に伏した体。生気のない瞳。虚(うつろ)な表情。髪が乱れて無残に。ぼろぼろになって、打ち捨てられている。血溜まり。その小さな体のどこに、これだけの血が。まるで血の中に浮かんでいるようで。たゆたゆと。肉の破片。お腹が、破られている。血が、臓物が、ぬらぬらと怪しく光り。内臓が溢(こぼ)れ出て、希望を嘲笑うかのような、惨劇。そこに人としての尊厳はない。蹂躙され、喰い散らかされ、踏みにじられている。
こんなことが。
こんなことが。
こんなことが。
ライザは、震える手で、彼女の矮躯(わいく)を抱き上げた。
力無く、魂が抜けたような、体。
まだ、微かに、呼吸している。
「どう——して」
なんだ——これは。
何故、エルルがこんな目に遭っているんだ?
誰が、こんなことを——
「おや? おやおやおや? 貴方は——」
声がした。視線を向ける。
遠方、屈強な男が立っていた。血に塗れた聖衣。手に付着した血をハンカチで拭いながら、その男は笑う。
瞬間。
ライザは攻撃を仕掛けていた。
三本の浮遊剣が、瞬く間もなく男へと叩き込まれる。
男の体が、ぐらりと傾いた。
しかし、倒れない。
ゆっくりと上体を起こし、男は言う。
「いきなり手を出すとは……あまりに野蛮だ。まるで獣のようです。聞いていた話とは随分違いますねえ。もっと、冷静になりましょう?」
「貴様が——!」
心が灼(や)けつくような、激しい怒りがライザを支配する。込み上げる激情。目の前が真っ赤になり、思考が定まらない。こいつが、エルルをこんな目に遭わせた。ふざけるな。殺す。絶対に殺してやる。
「何か勘違いしているようですが、私はたまたまここを通りがかっただけなのですよ。むしろその少女を介抱していたのです」
「そうか、死ね!」
「やれやれ、話が通じないようだ……」
男は肩をわざとらしくすくめると、体を反転させる。ライザの敵意に対して、あまりに無謀なその姿勢は余裕のあらわれ。
「私はこれで失礼しますよ。もうここに用はない。ああ——そうそう。その少女に伝えていただけませんか?」
悠然と歩を進める男。追撃をせんと構えたライザの行動を見透かすかのように、肩越しに振り返る。
「止められるものなら、どうぞ——と」
「ふざけるな。今ここで、殺してやる」
「はははっ、言葉、聞こえてます? それに、いいんですか? はやく手当てしないと、″流石のその子も″、死んじゃいますよ?」
「——っ」
腕に抱いたエルルの体から、徐々に心臓の音が失われつつあった。消え入りそな呼吸。急いで魔法を使って治療しなければ、手遅れになる。それは間違いない。
ライザは、憎くて堪らない相手の背中を、ただ見送るしかなかった。
もはや、捨て台詞さえ出ない。
腕の中の少女を、抱きしめる。重い。羽毛のように軽いはずなのに、今は彼女の存在がこの星よりも遥かに重い。
護れなかった。
最後に見た彼女の笑顔が、遥か過去の出来事のよう。
ライザは、自分の存在意義の無さを痛感し、天を仰いだ。
すまない。
その言葉に応えるものは、今は誰もいなかった。
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