フィアリスちゃんを下ろしたその光景を目にしたリーダーの人が、声を荒げます。
「異端者め! 教祖様を盾にしようというのか‼︎」
「しませんよ」
わたしが呆れていると、フィアリスちゃんが横に並び立ちます。危ないですよ、そう言おうとしたところ、先に彼女が口を開くのでした。
「武器を下ろしなさい。イカルガ・スルガ」
わたしと話している時とは違う、とても威厳のある物言いでした。
リーダーの仮面から覗く目が、驚きに大きく開かれました。
「教祖様⁉︎ な、何故私の名前を——」
「お前だけではない。グィダ・シスタ。イェペゾンド・ヒバム。ギナキース・トムアド。ゼヴェノイラ・ディート。ミンポワー・セタン。エードスフ・ラクア。ロドン・ラドン。ラウケネル・セシア。ビリド・ラキロパエナ。ペユムモト・ドゥ。ネキバム・ルータ。ツェクオ・ルバー。ヨラー・ワフェダ。レリアド・プス。ノターソナ・ベラエラ。ここに集まった16人はもちろん、私は信者全員の顔と名前を記憶している」
「おぉ……! なんと慈悲深い……。我々のような末端の信者にまで、そのご理解が及ぶとは……!」
「もう一度言う、イカルガ・スルガ。武器を下ろしなさい。私は、私の意志でこの者と共にいる。そして、私の意志でここを出るのだ。そこを、退(ど)きなさい」
「し、しかし……!」
リーダーの人が、たじろぎました。もしかして、戦わずに済むのかも。そう思ったのも束の間、彼は必死な様相で訴えます。
「で、出来ません! これは大司教様の命令なのです!」
ザルディオが持つ教団内での影響力は、計り知れないものがあると如実に伝わってきます。リーダーの人はフィアリスちゃんへの後ろめたさからか、バツが悪そうに首を振るのでした。
しかし——すぐに彼の中で、悪魔の囁きがまるで天啓(てんけい)のように紡がれたらしく。
途端にこちらを睨み、形相をぶつけてきます。
「そ、それに、おかしい……おかしいじゃないですか! 教祖様がそんなことをおっしゃられるなんて……。我々の教祖様が、我々信者を見捨てるような真似をするわけがない……! そ、そうだ! やはりおかしいのだ! きっと、教祖様はその魔女に脅されているんですね⁉︎ そうに決まっている! ああ、なんということでしょう! これが試練なのですね、主よ⁉︎ 救わなければ! 救わなければ! 私が! 私の手で、教祖様をお救いしなければ!」
リーダー仮面は、狂ったように絶叫します。
あまりにも、理解に苦しむ言動。醜悪——その一言です。
フィアリスちゃんの淀(よど)んだ瞳に、とても悲しく寂しい色が浮かんだのを、横にいたわたしだけが気付きました。
その時、わたしは思ったのです。
どうして、こんな幼い子どもが、いい大人達の、身勝手な狂気に巻き込まれなければいけないのかと。そして彼女はきっと、もっと日常的に、こんな状況に晒されていたのだろうと。
ここから出たい。そんな彼女の願いは、わたしが想像する以上に切実で——そして悲痛なものだったのです。
わたしは、ぐっと唇を噛みしめました。フラッシュバックする過去の記憶。そんな理不尽を、どうやらわたしは許せそうにないのです。
「下がっていてください、フィアリスちゃん」
一歩、前に進み出ました。
フィアリスちゃんを守るように、リーダー仮面に立ちはだかります。
そんなわたしの態度が琴線(きんせん)に触れたのか、彼は目を剥き叫ぶのでした。
「貴様! 貴様貴様貴様貴様貴様ぁぁぁぁぁあああ‼︎ 我々の! 教祖様を誑(たぶら)かす魔女め! 断罪だ! 断罪だ! 断罪してやる‼︎」
「少し、黙って下さい。いい加減耳障りです」
わたし、怒ってます。
時間を掛けるつもりはありません。これ以上、あなたの言葉を聞きたくはないので。
頭の中でスイッチを切り替えると、レーヴァの装甲が展開し、銀色の刃が形成されます。
準備は整いました。一撃で決めます。
その心づもりで構えると同時、先に動いたのはリーダーの方でした。衝動に任せ、直線的な動きで突っ込んできます。避けるのは容易(たやす)く、後の先を取るのは容易(ようい)でしたが、わたしは敢えて正面から受け止めることにしました。
振り下ろされたナイフを、左手で掴みます。血が出ました。痛い。しかし構わず力を込めて、握り砕きます。
「なっ——⁉︎」
仮面のリーダーがたじろぎました。刃が消失したナイフを、信じられないといった様子で注視します。
やがて、こちらに向けられた視線。仮面の合間から覗くその狼狽(ろうばい)する瞳を、わたしは、睨むのでも、哀れむのでもなく、ただただ静かに見据えます。
「ひっ⁉︎」
まるで深淵を覗き込んだかのように怯えながら、リーダーの人が後退りました。
戦意を失った相手に対して、わたしは冷徹にレーヴァを振り下ろします。
くぐもった悲鳴を上げて、その場に崩れ落ちるリーダーの人。倒れた拍子に仮面が外れ、虚しく床に転がりました。
フィアリスちゃんが彼の傍(そば)まで歩み寄り、屈み込みます。精悍な顔付きの頬にそっと手を触れ、慈(いつく)しむように言葉を紡ぎます。
「ごめんなさい。私の身勝手な我儘で振り回して。……さようなら」
彼女が立ち上がるのを待ってから、わたしは何とも言えない気持ちで、言葉を口にしました。
「行きましょう。出口へ」
ここで、立ち止まるわけには行きません。感情に任せて力を行使してしまった後味の悪さを感じながら、わたしはフィアリスちゃんを再びおんぶすると、跳躍します。彼女の指示に従って、ホールの奥へと。そこには、『非常口』と書かれた扉がありました。
「……? 開きませんね……」
いくらノブを捻っても、扉が開く気配がありません。
「鍵が掛かってるみたい」
フィアリスちゃんの言葉を受けて視線を巡らせると、いかにも取ってつけたような電子ロックが設けられていました。画素数の少ない液晶パネルには、6ケタのパスワードを入力する画面が表示されています。もちろん、番号は不明です。
「うーん……」
壊すしかありませんね。見たところ、最近取り付けられた物のようですし。
「大丈夫。私に任せて」
背中越しに力強い言葉が聞こえてきたので、フィアリスちゃんの手が届きやすいように前屈みになります。彼女は、迷いの無い手付きで、タッチパネルに指を当てていきました。
ぴこん、という電子音と共に画面に表示されたのはCLEARの文字。程なくして、鍵が外れたのが分かりました。
「暗証番号、知っていたんですね。良かった」
「ううん、知らなかった。イカルガに聞いたの」
「なるほど」
とは頷いてみたものの、そんな会話してましたか? 気になりましたが、今は脱出することが先決でした。
扉を潜り、急ぎます。
しかし、フィアリスちゃんが言っていた通り、最後の関門を越えた後に待っていたのは、消化試合といった様相でした。
これと言った障害もなく一本道を抜けると、簡易的な昇降機があり、乗り込みます。操作パネルのボタンを手探りで押すと、難なく上昇を始めてくれました。
「ここまでくれは、安心だと思う」
フィアリスちゃんを背中から下ろします。
「出口で待ち伏せされていないといいですが……」
発掘されたアニメ映像で、そんな展開があったのを思い出します。こう、地下坑道を出た主人公とヒロインが、捕まってしまうシーンを連想しました。
たぶん……大丈夫だとは思いますが。
今までの散見的な敵との遭遇傾向から、わたし達の位置情報は共有されていないはず。先程のホールに部隊が配置されていた以上、地上で待ち伏せされている可能性は低いと考えるのが妥当でしょう。
ものの数十秒で、昇降機が止まりました。目の前には、短い階段が。登り、錆び付いたドアを開けるとそこは、廃墟の中でした。ぼんやりとした明かりが灯っているのは、非常用出口として管理されている証でしょうか。
空を見上げると天井が崩落していて、綺麗な星空が見えます。
電波が通った端末に表示された時計を見て、わたしが捕まってからまだ半日も経っていないことが分かりました。
しかし、かなりの解放感があります。あの見えている空はただの映像であり、この場所もまた、まごうことなき遺跡の中であるというのに、人の感覚とは不思議なものです。
「外だ……」
フィアリスちゃんが、ぽつりと言いました。平淡に紡がれたその一言に込められた深い感慨を、わたしは感じ取ります。
「夜……青空、見たかったな……」
一見すると感情の起伏がない彼女ですが、本当はそれを表現する方法に乏しいだけなのだと、痛感するのでした。
「大丈夫、見れますよ。すぐに」
明けない夜は無いのですから。
少々むず痒い常套句、されど真理ではありました。
そして、
フィアリスちゃんとの『契約』は、教団施設から脱出した時点で履行されたのですが、ここでお別れを告げられるほど、わたしは現実的な人間ではありませんでした。
「これから——フィアリスちゃんはどうするんですか? 何か、アテはあるのでしょうか」
幼い少女一人がその身一つで生きていける程、世界は優しく出来てはいません。わたしは、それをよく知っています。
フィアリスちゃんは、失われた過去を思い出すように星空を見上げながら、答えるのでした。
「この街に、姉がいる——はず。物心ついた頃にはもう、私は地下にいたから、記憶にはないけれど……。だからこそ、まずは会ってみたい。それからどうするかは、またその時考える」
それは、この街にこのまま留まるということ。かなりの危険が伴うのは考えるまでもないでしょう。
フィアリスちゃんは、ゆっくりと、視線をこちらへ向けました。
黒曜の瞳が、微かに揺らぎます。
「エルル、ありがとう」
「どういたしまして」
わたしは笑顔で手を差し出しました。
それは握手の為ではなく。
手を取り、共に行く為です。
「わたしも、一緒に行きますよ。何か、フィアリスちゃんの力になりたいんです」
「どうして……?」
その問いには、様々な意味が込められているように思えました。
痛い程にわかります。
わたしもたぶん、同じ立場で、人から同じことをされたら、同じ疑問を抱くでしょうから。
そして、だからといって、その疑問にスマートに答えられるだけの明確な理由が、自分の中で上手くまとまっていないのも事実でした。
畢竟(ひっきょう)、目的の方向が一緒だからというのもあります。
同じ、アテの無い人探し。
今になっても、ライザから何らかのアクションも無いということは、もしかして彼の身に何かあったのかもしれません。一刻も早く合流したいという思いがあります。
人探しには、人手が必要でした。
一人より、二人。
そしてそれは、フィアリスちゃんにとっても同じはずです。
お互いの利害の一致。
けれどそんなものは、あくまで建前でした。
しいて言うなら、端的にいってしまえば、——そう、放っておけないんですよ。
昔の自分を見ているようで。
「別に、誰も彼も助けようというわけではありません。わたしは聖人君子では無いのですから。ただ——フィアリスちゃんが、フィアリスちゃんだから助けるんです」
「よく……分からない」
「要するに、フィアリスちゃんが好きだから、助けるってことです」
「好き?」
「はい」
それは、人が行動する上での大切な原動力です。好きだから、頑張る。好きだから、一緒にいたい。好きだから、助ける。
人という、欠陥だらけの罪深き生き物に許された、唯一無二の感情。
握り返された手を取り、わたし達は歩き始めました。
「エルル」
振り返れば、いつも通り無表情なフィアリスちゃん。
彼女といい、ライザといい——そして、過去の自分も。
わたしの周りには、どうやら恥ずかしがり屋が集まるようです。
しかしまあ、
「ありがとう」
だからこそ、そのあまりに不器用な、無理矢理に紡がれた笑顔は、わたしにとって何よりの報酬なのでした。
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