終焉の幼女エルルと死なずのライザ

かこみ
かこみ

9 空の蒼さはかくも遠き⑨対価

公開日時: 2020年10月19日(月) 22:56
文字数:5,644

【Side:Liza】




「あの歳で迷子とは……。全く、困ったものだ」


 ルミナス祭の喧騒の中、人混みに呑まれるようにして歩いていたライザは、短くため息を吐(つ)いた。


 悩みの種は、旅の同行人の事である。幼い少女の姿をした彼女は確か、話に聞く限りでは今年23歳になるはずだ。しかし、気がつくと、そんな彼女の姿が見えなくなっていた。影も形も無し。完全に見失ってしまった。


 確かに、自分も初めて口にする甘味に、夢中になってはいた。次から次へと屋台から呼び込みを受けるので、その全てを平らげ、柄にも無くテンションが上がっていたのは認めよう。途中からエルルの存在を忘れ、目の前の至福に身を委ねたいたことも事実だ。


 そこに思考が至って、ライザは驚愕の事実に気付く。


「まさか、迷子なのは、俺の方か……?」


 今年で33歳になる成人男性が、好物に気を取られて迷子。はたしてそれは、大人として許されるのだろうか?


 否。


 まだ、迷子と決まったわけではない。


 エルルをすぐに発見し、合流すれば、これはただ別々に行動しているだけになる。不都合な事実など、どこにもなくなるのだ。


 ライザに焦りはない。エルルのエーテルを感知することが、ライザには可能だった。その気になれば、いつでも居場所を把握できる。そして、いくら彼女といえど、流石にこの短期間で厄介事に巻き込まられるということもないだろう。


 問題ない。


 早速、エルルのエーテルを探る為に、ライザは意識を集中させる。


 が——しかし。


「…………?」


 まるでジャミングがかかったように、エルルのエーテルを捉えられない。


 何が起きている——?


 自身が抱いた妙な感覚を探りながら、ライザは考える。


 街中からは、無数の小さなエーテルが感知できた。見たところ、機械が基本的な水準に比べて遥かに普及しているこの街では、不思議なことではない。先史文明の機構を模倣し作られた機械は、エーテルを原動力として稼働する。日用使いの機械の、ごく少量のエーテルですら知覚出来るのだ。


 人が持つエーテルの大きさは、まるで規模が違う。特に、エーテルを自在にコントロール出来る人間が放つ力は顕著(けんちょ)だ。エルルは、その実力の割には抱えるエーテル量が極端に低い傾向にあるが——それでも、一般人とは比べるべくもない。


 それなのに、全く彼女のエーテルを感じられない。


 考えられる理由は、“何者かによって意図的に隠されている“場合。そして、“より強大なエーテルの近くにいる“場合——それは例えば、街の地下にあるという遺跡機構の一部、エーテル生成プラントの側(そば)などだ。


「地下……か」


 しかし、これは一体どういうことだ。


 前回のペイルローブでの事件といい、彼女には何か特別な、厄介事を惹きつける特別な力でもあるというのだろうか。

  

 それとも——。


 ライザの脳裏に、忌まわしき『姉』の姿が思い浮かぶ。


 まさか、何か意図的な思惑が働いているとでも——?


 とにかく、エルルを捜さなければ。彼女のことは信頼しているが、それでも自分にとって大切な存在である。放っておくわけにはいかない。


 しかし、どうやって見つける? この広い街の中、闇雲に探して成果が得られるとは思えない。ただ、この場で立ち止まっていても、どうにもならないのも事実。


 まずは動こう。


 ライザがそう思い歩き出した、その時だった。


「きゃっ⁉︎」


 柔らかい衝撃が、彼の体を僅かに傾けた。


 見ると、ぶつかってきた少女が、地面に尻餅をついていた。スカートがめくれ上がり、中の下着が丸見えだったが、ライザは動じない。何故なら一見すると少女は、十代半ばといった年頃だったからだ。ライザの好みではなかったし、何より今の彼の中での最優先はエルルである。


「いたたた……」


 少女が、栗色の髪を掻きながら呻(うめ)く。


 正直、無視して行ってしまおうかとも思ったが、ライザの中でエルルの言葉が思い返された。


 ——いいですか、ライザ? 女性(れでぃ)には優しくしないと駄目ですよ。


 中々に難しいことを言う同行者だった。しかし、惚れた相手の言うことを聞かないわけにもいかず、仕方なくライザは少女へと向かって手を差し伸べる。


「大丈夫か? 怪我は?」


「あ、ありがとう……。ごめんなさい。急いでいて前を見てなかっ——」


 少女はその時になってようやく自身の状況に気付いたらしく、顔を赤らめながら、慌ててスカートを抑える。そして一度深呼吸を挟むと、何事もなかったかのようにライザの手を取った。


 立ち上がり、服についた埃を払う少女を見て、ライザは頷く。


「よし、怪我はないな。じゃあ、俺はもう行く。さよならだ」


「ま、待って……!」


 自然と立ち去りかけたライザを、少女がすがるように引き止める。


「待たない。人を探している。急ぐんだ」


「助けてほしいの!」


「助ける?」


 何を?


 そう口にしたライザの言葉は、急にどよめき出した周囲の喧騒にかき消された。


「いたぞ!」


 人混みをかき分けるようにして、見るからに怪しい仮面を身につけた人物達が、次々と現れる。数はかなり多い。あっという間に、周囲を取り囲まれてしまった。


 ライザは、その異様な光景に溜め息を吐(つ)く。


「……これは一体、どういう状況なんだ?」


「実は、追われているの……」


「何故?」


「そ、それは……」


 ライザの問いに、少女が言い淀む。いかにも訳有りげな反応。アメジストのような少女の瞳が、ライザから逸らされた。


「まあ——いい。悪いが俺には関係ない」


 ライザの中での優先順位は、はっきりしている。見知らぬ少女と、エルル。どちらを優先すべきかなど、明白だ。僅かばかりの罪悪感が無いわけではないが、彼女という存在の前では無意味。


 そう判断するライザに向かい、少女は必死な様子で訴えかける。


「ぱ、パンツ! 私のパンツを見たくせに……!」


「何の関係があるんだ、それは?」


「だから、助けてって言っているの!」


 この少女はどうやら、追い詰められると訳の分からないことを口走ってしまうタイプらしい。そう思わずにはいられない程に、支離滅裂な言い分だと、ライザは思った。


 下着を見たから何だというのだ。そんなものは、何の交換条件にもならない。

 

 ライザは、少女に反論しようとしたが、それは叶わなかった。周囲を囲む仮面の集団の一人が、突然声を張り上げたからだ。


「やっと追い詰めたぞ! なんだ、その男は? 貴様の仲間か?」


 仮面から覗く目が、こちらを怪訝そうに見ているのがはっきりと分かった。


 ライザは嘆息(たんそく)した。さて、どうしたものか。今更自分は関係ないと釈明したところで、この手のタイプは話を聞かないだろう。魔法を使って切り抜けるには、人目が多過ぎる。誰かが警羅隊(けいらたい)を呼ぶことを期待して周りに視線を向けるが、皆一様に遠巻きに様子を伺うだけだった。


 当然といえば当然。誰だって、謂(いわ)れのない厄介事には巻き込まれたくはないだろう。それによって自身が不利益を被る程、馬鹿らしいことはないからだ。


 さて、面倒なことになった。


 正直、今すぐにでも全員叩きのめしてこの場から離れたいが——またしても思い出すのはエルルの言いつけだった。


 ——いいですか? 街中で騒ぎを起こしては駄目ですよ? 喧嘩など、もってのほかです。あと、絡んできた人のサイフを路地裏で巻き上げないこと! 分かりましたか?


「はあ……」


 難儀なことだ。それを律儀に守ろうとする自分も自分だが。


 戦えないとなれば、手段は一つ。


「おい」


 ライザは、少女に語り掛ける。


「はい?」


「逃げるぞ」


「え——」


 少女が答えるよりも早く、ライザは彼女をお姫様抱っこで抱き上げた


「なっ——」少女の目が驚きに見開かれる。彼女が事態を飲み込む前に、ライザは跳んだ。魔法を応用した跳躍——足からエーテルを放出し、推進力とすることで、常識を遥かに超えた飛距離を可能とする。


 少女が恐怖からライザに体を密着させてきた。年頃にしてはたわわな胸の感触があったが、ライザは全く気にしない。一足飛びで近くの民家の屋根に着地すると、同じ要領でライザは屋根から屋根へと移動していった。あの仮面の集団の追跡を困難にすることと、人目につかないことが目的である。


 普段の生活の中で人は、あまり上空へと意識が向いていない。人間が空を跳んでいるという、一見すると目立つその行為も特段騒ぎになることがなかった。


 ライザは頃合いを見て、適当な路地裏へ着地すると、少女を下ろした。てっきり文句を言われるかと思ったが、彼女はその場にへたり込んでしまう。


「た、高いところ、苦手で……」


「そうか」


 女性には、優しく。頭の中でエルルの教えを反芻(はんすう)しながら、ライザは再び少女へと手を差し伸べた。


「立てるか?」


「な、なんとか」


「よし」


 少女が立ち上がるのを手助けすると、そこで自分の役目は終わったと認識し、ライザはこの場を立ち去ろうとした。


「ま、待ってよ!」


 今度は腕を引っ張られ、引き留められた。


 だんだん強引さが増していっているな……。もう自分はこの少女から逃げられないのかもしれない。諦めにも似た感情がライザの中で芽生え、取り敢えず話だけは聞くことにした。


「分かったから引っ張るな……。それで、あの時代錯誤も甚(はなは)だしいあいつらは、一体何なんだ? 何故、追われていた?」


 ライザが初めて話を聞いてくれる姿勢を見せたことにより、少女が安堵の笑みを浮かべる。そして一息をおいて、真剣な面持ちで事情を話し始めた。


「あいつらは、この街で活動する宗教団体なの。気味が悪いし、強引な勧誘はするし、これは噂だけど、人を攫っているって話も……。おまけに最近では街中に妙なチラシまで貼り出して……とにかく迷惑な連中なんだよ」


「なるほど。で、何故追われていた?」


「……私には、小さい頃に生き別れた『妹』がいるの。ずっと探してたんだけど、ようやく、妹がその教団にいるっていうことが分かって……。教団の活動拠点が、この街の地下にあるんだけど、忍び込もうとしたら——」


「まんまと見つかって、追われるハメになったと」


 ライザの相槌に、少女が頷く。


 それにしても——地下教団。


「まさか……な」


 流石にそれはないだろう。もし面倒なことに巻き込まれているというなら、どんな才能だ。


「えっと……?」

 

「気にするな、こっちの話だ。——良かったな、逃げ切れて。これで問題は解決だ。じゃあ、俺は行くぞ」


「だから待ってってば! お願い! 助けて欲しいの!」


「もう助かっただろう?」


「そうじゃなくて……妹を取り戻すのを、手伝って欲しいのよ!」


「無理だ」


「そ、即答⁉︎ こんなに必死に頼んでいるんだから、せめてもう少しくらいは悩んでよ!」


 少女が、身振り手振りを交えながら懸命さを表現する。かぶりつくようにライザに掴みかかり、手を離したかと思えば、土下座をする勢いで頭を下げるのだった。


「……俺も意地悪で言っているんじゃない。用事があるんだよ」


「お願いします! 何でもしますから!」


 少女の必死さのボルテージが段々と上がっていく。頭がいっぱいいっぱいになって、自分でも訳が分からなくなってきているようだった。


「もし助けてくれるなら! わ、私の体を好きにしていいから! 自分で言うのも何だけど、そこそこ可愛いと思うし、歳も17でぴちぴちよ!」


「お前、自分が何を言っているのか分かっているのか……?」


 少女の自己評価は決して間違ってはいない。栗色のポニーテールはさらさらと艶があるし、顔立ちも決して悪くない。歳にしては、スタイルもいい。一般的な価値観に照らし合わせるならば、十分に器量がいいと言える。


 しかし、それだけだ。ライザ個人としては、全く魅力を感じない。などとそのまま口にすれば、きっとこの少女は怒るのだろうとなと、いい加減女性という生き物を理解してきたライザだった。


 ならばどうするか。ライザが選んだ答えは、正直に伝えることであった。少女の方から引かせる狙いだ。


「だいたい……俺はロリコンなんだ。お前には欲情しない」


 その言葉を聞いた少女が、目を見開いた。あり得ないものを見る視線をライザに向けながら、後ずさる。


「へ、変態さんだ!」


「違う。ロリコンだ」


「変態だー!」


 ライザの目論見通り、少女の警戒心が明らかに上がった。この人は大丈夫なのだろうか。もしかして危ない人なのだろうか。そんな疑惑と怯えが、彼女の眼差しから如実に伝わってくる。


 しかし、ライザは見誤っていた。


 少女の思いの強さを。すがるような気持ちと、切迫詰まる状況、何より妹を助けたいという心の底からの願いを。


 少しの間、何かを思案するように黙り込む少女。やがて、彼女の瞳から怯えが消えた。


 代わりに浮かんだのは、強い決意と真っ直ぐな意志。


 先程までの、どこか落ち着かない様子は既になく。真剣で直向(ひたむ)きな思いが、その表情から感じられる。


 少女は、一度深呼吸をすると、つとめて冷静に話を切り出す。


「取引よ」


「取引?」


「あなた、人を探しているんでしょ? 見たところ、旅行者のようだけど、アテはあるのかしら? この街は広いわ。闇雲に探しても、見つかる可能性は低い。私なら、あなたの力になれる。この街の事は詳しいし、それなりの人脈とツテがある。私が、あなたの人探しを手伝うわ」


「なるほど。その代わりに、妹を助け出す手助けをしろと?」


 少女が、ゆっくりと頷く。


 まさに、ライザにとって渡りに船といった提案。交換条件があるのも実にいい。分かりやすく、気兼ねする必要もなくなるし、信用も出来る。少女の貞操よりかは、よっぽと魅力のある誘いだった。


「分かった。その条件を呑もう」


 少女が、ほっとしたような表情を浮かべる。


 ライザに、断る理由はなかった。エルルを見付ける為なら、より確率の高い手段を選ぶ。例えそれが、どんな面倒事であっても。


 ライザは、少女に向かって手を差し出した。


「ライザ・テオドールだ。よろしく頼む」


 応えるのは、少女の満面の笑みと固い握手。


「『アニエス・ノーマ』よ! アニーでいいわ! ありがとう、ライザ! よろしくね!」

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート