近くにあったキャビネットが、爆発したかのように破片を撒き散らしました。反射的にフィアリスちゃんの体に覆い被さりながら、物陰に飛び込みます。
警戒しつつ、敵の姿を視認する為にレーヴァから手鏡を取り出し、相手の姿を反射させて覗き込みます。
そこに映っていたのは、つい最近苦い思いをしたばかりの相手でした。
「おや、外しましたか」
そう飄々(ひょうひょう)と言ってのけるのは、あのムキムキ神父です。
最悪の事態でした。室内の出口は一つ。その前に、彼は陣取っています。
「まあ——“教祖様に当たらなかっただけでも良し“としますか」
わたしは、動揺しました。彼は、フィアリスちゃんがわたしの傍にいたことを知って、それでも発泡したのです。わたしが思っている以上に、教団の内部構造は一枚岩では無いのかもしれません。
「ザルディオ——どうしてここに」
フィアリスちゃんが、わたしにだけ聞こえるくらいの小声で呟きます。その声音には、ふんだんに警戒心が含まれていました。
なんとなく予想はしていましたが、あのムキムキ神父が、教団の支配者——大司教ザルディオだったようで。
初めて相対した時の、まとわりつくような気味の悪さが蘇り、身震いします。
「そこにいるのは分かっていますよ。どうでしょう? 出てきてお話をしませんか? 私も“一応“聖職者ですので、懺悔くらいは聞いて差し上げられますよ」
「生憎、出会い頭に拳銃を発泡してくるような人間と、建設的な話が出来るとはとても思えませんので」
「おや、それは残念です。しかし、教祖様は返していただきますよ。“誘拐犯さん“」
「どの口が言うのですか!」
思わず、反論せずにはいられません。
あなた、加害者。わたし、被害者。
ムキムキ神父、もといザルディオは、芝居がかった仕草で両腕を大きく広げながら、高らかに謳(うた)います。
「教祖様! 私! あなたのザルディオが助けに参りましたよ! もう安心です! 悪逆非道の悪辣(あくらつ)悪漢から、見事あなたを救い出してみせましょう!」
まさに一人芝居。あの人だけ、別世界でミュージカルでも演じているかのようです。やはり、頭がおかしいのでしょう。
「私をこの地下に閉じ込めておいてよく言う……」
私の隣でフィアリスちゃんが吐き捨てるように言います。
しかし、絶賛自分の世界に没頭中の彼には聞こえなかったらしく、わたしに向かって語り掛けてきます。
「エルトゥールルさん、貴方には期待していたんですがねえ。とんだ期待外れですよ。どうやら、“薬も効いていない“ようですし、まさか教祖様をたぶらかし、あまつさえ誘拐まで企(くわだ)てるとは……我が主、リコウィストゥーナも嘆いておられることでしょう
」
……突っ込みどころが! あり過ぎる!
勝手に期待されて、身勝手に落胆されて、そして薬とは⁉︎ 薬って何! わたしは何をされたの⁉︎
細かく問い質したいところですが、あの様子ではまともな答えが返ってくるとは到底思えません。何より、わたしの内なる本能がひしひしと語り掛けてくるのです。
この人と、これ以上会話をするのは危険だと。
「むむむ……」
どうするか、決断を強いられます。
相手は一人。戦力は銃。見たところ、かなりの骨董品です。下手をすると、レーヴァ達『遺物』が存在した時代よりも更に以前、前人類の黎明期(れいめいき)に用いられた代物のようでした。火薬を炸裂させ、弾丸を撃ち出すシンプルな機構。単純が故に整備が容易(ようい)で、ザルディオが持つ種類のものは、小型で持ち運びも容易(たやす)く、一般家庭における護身用として普及した時代もあるそうです。
不意打ちをくらうならまだしも、真正面から一体一で相手をする限り、まず負けることのない戦力だと判断します。
あまりもたもたしていると、増援を呼ばれかねないですし、敵が一人の内に強行突破をしてしまうのもありな気がしました。何より、ちょっとムカつきません? あの人。少しくらい叩いてもバチは当たらないのでは?
「私が出て行って、あいつの気を惹きつける。その間に、エルルがあいつをぶっ殺して」
フィアリスちゃんが過激なことを言い出しました。ザルディオに対しては、発言が少々乱暴になる傾向があるようで。
そんな彼女を、わたしは制します。
「いえ、それは危険です。フィアリスちゃんだからといって、撃たれない保証がない」
わたしは、一番最初の銃撃を思い返します。何をしでかすか分からない恐ろしさが、あの人にはありました。
そして、今分かりました。わたしが感じていた違和感の正体が。
遺跡を母体とした教団の施設。至る所に設けられた『機構』。組織のトップであるはずのあの男が、意気揚々と振りかざすのも、現代では機械として分類されるものです。
さて、クレプス教団の宗教観はどうだったでしょうか。
魔法を是とし、機械を非と断ずる——そう、ちぐはぐなのです。
言っていることと、やっていることが。
そしてその体現者こそが、今わたし達の前に立ちはだかるあの男なのでしょう。
わたしは、決断しました。
フィアリスちゃんに目配せして、合図します。
相手は飛び道具。ならばこちらも、投擲(とうてき)で対抗するのが筋(すじ)でしょう。
何を投げるって?
もちろんそれは——。
わたしは、レーヴァを強く握り締めました。
『ちょっと待て、主様。何を考えてお——』
「やああああああ!」
不穏な気配を感じ取ったレーヴァの言葉を遮るように、隠れ場所から躍り出ると、ザルディオ目掛けて、彼女を思いっきり投げました。
「な——」
一直線に飛んでいくレーヴァ。空中で銀色の光を放ったかと思うと、瞬く間に大剣形態へと変身します。その光景に気を取られたザルディオが、反射的に銃をそちらへ向けるのを見て、わたしは動きました。
キャビネットや天井を利用し、立体的な軌道で接敵。ザルディオがこちらの狙いに気付き、銃口を向けて来ますが、もう遅いです。
壁にレーヴァが突き刺さるのと、わたしの蹴りがザルディオの側頭部を撃ち抜くのは、ほぼ同時でした。
ぐらり、と。
ザルディオの体が傾きます。しかしどうやら、インパクトの瞬間、僅かに芯をずらされたようで、気絶させるまでには至りませんでした。
ザルディオはその鋼のような肉体で、体勢を崩しつつ、反撃してきます。驚異的な体幹と、筋力が為せる技。石の床を踏み砕きながら、わたしへと向けて放たれたアッパー気味の右ストレートは、当たればタダでは済まない圧力が備わっていました。
けれど、想定内です。
彼が反撃動作に移った時、わたしは既に次の一手に向けて行動していました。
手を伸ばし、壁に刺さったレーヴァの柄(え)を掴みます。体を捻り、ザルディオのパンチを避けるのと同時に、彼女を勢い良く引き抜くと、抜刀術よろしくザルディオの肉壁へと叩き込みました。
ザルディオの巨大な体が、吹っ飛びました。キャビネットをなぎ倒し、埃という名の粉塵を撒き散らしながら、壁にぶつかって静止します。
峰打ちです(両刃です)。
エーテル刃を出力していた訳ではないので、大丈夫でしょう。たぶん。
頭の中に、相棒の呪詛が響きました。
『……ワシはもう、金輪際、主様と口は利かん』
「ごめんなさい。怒らないで下さいよ。今度、一緒にお風呂入りましょう?」
彼女は、高次元の機械にも関わらず、水に浸かるのが好きで、とりわけ湯船は格別だそうです。
『…………風呂上りの手入れもセットで』
「はいはい」
そうでなくとも、定期的に行っていることなので、是非も無い要求でしたので快諾します。
さて。
一難は去りました。
「大丈夫? エルル」
とてとてと駆け寄ってきたフィアリスちゃんが、無表情で心配の言葉を口にしてきます。
わたしは笑顔で健在をアピールするのでした。
「ええ、問題無いですよ。さあ、行きましょう。今の音で、他の信者が集まってくるでしょうし——」
「そうですね、その通りです。急いだ方がいいですよ?」
わたしの言葉尻を捉えるようにして聞こえてきたのは——悪夢のような音色でした。
視線を向けると、ザルディオが何事もなかったかのように立っています。その手には、小型の通信機器が握られていました。
「まさか——立ち上がるとは」
わたしの歯軋りにも似た負け惜しみに、ザルディオは優しくも嘘臭い笑みで答えます。
「いえいえ、こう見えてもう、体が思うように動きませんよ。教祖様、申し訳ありません。敬愛する貴女様を、是非私のこの手で救い出したかったのですが、どうやら叶わぬ願いのようです……」
わたしは、フィアリスちゃんを庇うように後ろにやります。
「とても、そうは見えませんがね」
二つの意味で。体のことも、フィアリスちゃんのことも。胡散臭いんですよ、全てが。
「貴女にどう思われようと、事実に変わりは無いのです。なので口惜しいですが——ここは、他の者に任せるとしましょう」
ザルディオが、手に持っていた端末を、これみよがしにかざしてきます。
「便利な世の中ですねえ。ボタン一つで、この施設全体にエマージェンシーを発令できます。私も一応は組織の長ですので、“私の為に“動いてくれる人間は、たくさんいるのですよ」
フィアリスちゃんの為、ではないんですね。そうですか。
そして、破滅の鐘を鳴らすスイッチが、無慈悲に押されます。
途端に鳴り響く、サイレン。
それは人間の脳をより直接揺さぶるように出来ていて、思わず耳を覆いたくなります。
もはや、なりふり構ってはいられませんでした。
わたしは、フィアリスちゃんを抱き抱え、脱兎の如く駆け出します。この状況に陥った時点で、ザルディオの言葉の真偽は無意味でした。彼が動けまいが、背中から撃たれようが、とにかく動くしかないのです。
一箇所に留まれば、瞬く間に囲まれ、袋の鼠になることは容易に想像出来ます。
幸い、背後から銃弾は飛んできませんでした。
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