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部屋のドアノブに手を掛けた瞬間、わたしは不穏な気配を感じ飛び退きました。
直後、爆ぜたように砕け散る木製の扉。
「夜分遅くに失礼するよ」
粉塵が舞う中から、長身の男性がぬうっと現れます。きっちりと仕立てられたシャツに、黒のトレンチコート。パナマハットを身に付けた紳士風の男——わたしがザルディオと初めて対面した、あの時——意識を失う寸前に、彼と一緒にいた人物でした。
ということは——
「残念ながら、甘い蜜月の時は終わりだ。さあ、聖女殿をこちらに渡してもらおうか」
まあ、敵ですよね、確実に。
わたしは、音にびっくりして起きるフィアリスちゃんを護るように、立ちます。
「昨今の紳士は、ドアの開け方も知らないのでしょうか? 嘆かわしいことです」
言いながら、念の為に身につけていたレーヴァを手に取ります。いつ攻撃されてもいいように、細心の注意を払い、相手の出方を伺います。
紳士は、とぼけた顔で笑うのでした。
「おっと、これは失礼した。鍵が掛かっていたのでね」
「入られたくないから、鍵を掛けるんですよ? 鍵の意味、分かってますか?」
ふむ、と。
上品な仕草で、口元の髭に手を当てる紳士。
「しかしまあ、私も仕事なのでね。与えられた仕事をこなすのは、大人としての責務なのだよ。子どもには、些か理解し難いとは思うがね」
「犯罪行為を仕事とは言いません。大人なら、当然ご存知のはずですが?」
「はっはっはっ、これは手厳しい」
笑う紳士に対しながら、わたしは必死に考えを巡らせます。
逃げ道は、背後の窓と、紳士が立つ部屋の入り口の二箇所。逃げるべきか、戦うべきか。宿屋の外まで人の気配を探ってみますが、どうやら今のところは囲まれてはいない様子。ということは、全ては、目の前の敵の戦力次第です。
「…………」
——強い。
と、思いました。
紳士の佇まいに隙はなく、肌で感じるのは、練り上げられたエーテル。
『気をつけよ、主様。ただものではないぞ』
レーヴァから伝わってくる警告の意も、相手の力量を裏付けていました。
はたして、わたしに勝てるかどうか——。
いや——
「エルル……」
背中で聞く、フィアリスちゃんの不安そうな声。
勝てるかどうかではない。
絶対に、護り通さねば、ならないのです。
「子どもとはいえ、レディを相手に手荒な真似はしたくない。大人しく聖女を渡してくれると——」
先手必勝。紳士が言い終わるよりも早く、わたしは仕掛けました。レーヴァを変形させ、エーテル刃を展開しなら、最短距離を全速力で突貫します。
「むぅ⁉︎」
相手の虚をつく為、ある意味でわたしのそんな目論見は成功したのです。
わたしにとって不幸だったのは、敵の力量の高さでした。
エーテル刃が紳士の体に触れる寸前で、彼の手により掴み取られてしまいます。反応速度、稼働速度、そして高密度のエーテルの塊を、手で受け止める頑強さ。この一刃の結びで、相手の力が分かってしまうのでした。
格上の相手。
わたしは、歯を食いしばり、止められたレーヴァを支点に大きく体を捻り、足を蹴り上げました。狙いは頭部。体格も筋力も勝る相手を戦闘不能にするには、脳を揺らすのが近道であるとの判断です。
「ふっ——」
しかし、それもいとも容易く受け止めれてしまいました。
まずい——。
足を掴み取られ、レーヴァも強靭な力によって全く動かせず、身動きが取れなくなります。
一瞬の判断。わたしは、レーヴァのエーテル出力を解除しました。
掴まれ固定されていたエーテル刃が消失したことにより、武器が自由になります。と同時に、紳士が放った蹴りが、凄まじい速度と圧力でわたしの顎を目掛けて伸びてきました。
ヒットする寸前で、かろうじてレーヴァでのガードに成功します。体の芯を揺らすような凄まじい衝撃。攻撃の勢いは全く衰えず、わたしの小さな体が上空に吹っ飛び、天井に激突して跳ね返り、床に叩きつけられます。何とか受け身は取れたものの、ダメージはありました。立ち上がる足が震えていましたが、次の攻撃に備えねばと、わたしはレーヴァを構えます。
紳士は、余裕の笑みを浮かべていました。
「なるほど、それが例の『鍵』かね」
「……鍵?」
レーヴァのことを指しての言葉だとは理解出来ますが、何のことを言っているのかが分かりません。
紳士が、不思議そうに首を傾げます。
「『終焉への扉を繋ぐ鍵』だよ。『ラゼル』嬢が言うには、何でも、祖なる救世主をこの世に再来させる為の『遺物』だとか——持ち主の君は、何も知らないのかね?」
「…………」
沈黙を持って、肯定としました。
「ふむ……その様子では、そこの——聖女のことも、何も分かってはいなさそうだ」
「どういう、ことですか……?」
「はっはっはっ、敵に真実を問う行為は、愚かだよ。虚偽を混えられたとして、はたして君にその錯落(さくらく)を紐解く手段はあるのかね? ——と、本来なら言いたいところではあるが、ラゼル嬢の言いつけだ。ここは敢えて、真実を述べさせていただこう」
およそ戦う者とは思えないような、柔和な表情で、紳士は、わたしの背にいるフィアリスちゃんへと視線を向けました。
「聖女殿が持つ不思議な力、心詠みの御業(みわざ)だったかね。ここでとある疑問がある。小さなマドモアゼルよ、君は本当に、人が人の心を読むなどという芸当が出来ると思っているのかね?」
フィアリスちゃんを否定する言葉に、少しむっとなるわたしです。
「それはどういう意味ですか?」
「落ち着きたまえ。聖女殿を否定しているわけではないのだよ。私が言いたいのは、我々『人』に、いうほど特別な力があるわけがないということだ」
「まわりくどい言い方ですね。まずは結論ですよ。プレゼンの基本です。つまり?」
「ふふふ、つまり——魔法亡き今、我々の世界で起こる超常現象の全ては、『遺物』によるものでしかない——それは、君がよく知っているはずだが?」
フィアリスちゃんの力——それが遺物によって持たせられているものである。
もちろん、考えなかったわけではありません。むしろ可能性としては、それが一番でした。
しかし——レーヴァが、反応しなかったことも然り、彼女の所有物の中に、それらしい物は存在しなかったのです。
そしてフィアリスちゃん自身も、遺物など見た記憶が無いと言っていました。
「その様子では、聖女殿が遺物を所持していないのだから違うはず——そう思っているのだろう? 目に見える事実に惑わされるようでは、まだまだ若い。あるではないか。人体には、隠し場所が、あるいは収納するスペースが、いくらでも」
そう言って、紳士はおもむろに、自分の口の中に腕を突っ込みました。
「なっ——」
突然の行動に、わたしは驚き目を見開きます。目の前で繰り広げられる異様な光景。紳士の太い腕が、奇術のようにするすると呑み込まれていき、二の腕に達しようとしたところで一旦動きを止めたかと思うと、逆再生の如く引き抜かれていきます。
ずるりと、姿を見せた紳士の手に握られていたのは、試験管のような形状をした一つの筒でした。
「そう——体内だよ」
これは訓練で誰でも出来るただの手品だがね、と紳士は取り出した堤を懐にしまい、肩を竦めます。
「中々に……趣味が悪い」
人の体内に遺物が、直接埋まっている——そんなことが、あるとでも——?
背後で、フィアリスちゃんが息を呑むのが、分かりました。自身の体に、異物ならぬ、遺物が存在している可能性。衝撃の事実に、動揺するのも無理がありません。
わたしも、敵が目の前にいなければ、同様にそうなっていたでしょう。
「人の心を読み取る奇想天外の遺物——文句なしの『第一位階遺物(だいいちいかいいぶつ)』だ」
遺物には、それぞれが有する機能の″特異性″に応じて、位階というものが存在します。
第六位階を下に、第一位階を最上に。
細かい裁定項目がいくつもあるのですが、平たく言えば、より馬鹿げた凄い機能を保有している遺物ほど、上の位階に分類されます。
我々人類がその機能を解析し、機械として技術を転用出来ているのは、そのほとんどが、最も用いられている技術レベルの低い第六位階の遺物でした。
因みに、レーヴァは第一位階遺物に位置します。第一位階に分類される裁定項目の中の一つに、“使用方法を誤れば、世界に甚大な被害をもたらす遺物“、というものがありました。
心を読む力——人道に背いた使い方は、いくらでも思い浮かびます。その絶大な効果も。世界規模の『遺物の歪み』を引き起こすのは、造作もないことだと思います。
紳士の言う通り、第一位階に属しても何らおかしくはありません。
「それほどまでの遺物が、今日(こんにち)まで帝国(お上)の目に留まることなく、存在できた理由。もちろん地下教団という閉鎖的な環境下で、秘匿されていたというのもあるだろう。そしてそれ以上に、人の体内に取り込まれ、″人体に適合した遺物“というのは、使用者のエーテルと完全に同調し、外部からの感知を著しく困難にするそうだよ」
『異形化』の——真逆。
遺物が人を取り込み、暴走するのではなく。
人が遺物を取り込み、制御する。
何故、そんな事象が起こるのか。
当然の疑問が浮かびますが、しかしその結果だけを素直に受け止めるのであれば、レーヴァが一切反応を示さなかったのも、そういった理由だったのでしょう。
「ラゼル嬢からの伝言だ。『答え』は示した。君がこの情報をどう解釈するかどうかは、君次第——だそうだ」
先程から紳士の口から登場するラゼルという人物。どなたかは存じませんが、非常に——嫌いな感じがしますよ。なんというか、遥か高みから、全ては自分の手の平の上なのだとほくそ笑んでいそうな、そんなイメージを抱きます。
「さて——これで、一つの仕事が終わった。後は、聖女殿を返してもらうだけだ」
紳士が、腰を落とし、構えました。
途端に、ずしりと重石を背負ったような重圧が、体に襲い掛かります。
「構えたまえ。“名乗り上げ“は——やめておこうか。これは命を懸けた決闘でも、ましてや果たし合いではないのだ。命までは奪わんよ。まあ——出来る限り、だがね」
わたしが動いたのと、紳士の姿がかき消えたのは同時でした。
視界が捉えたのは、僅かな影。自身に迫る圧倒的な危機に、わたしの本能が警告を発し、ほとんど勘に近い反射でレーヴァを左に振るいました。直後、飛んでくる大岩を受けたかのような衝撃。踏ん張りが効かず、わたしの体は右に弾き飛ばされました。
空中で受け身を取り、壁に張り付きます。
紳士の追撃。彼が虚空で拳を振るうと、群青色をしたエーテルの塊が放たれました。わたしは、天井へと跳躍し、それを回避します。爆散する壁を視界の端に捉えながら、わたしは真上からほぼ垂直に、紳士目がけ全力で天井を蹴りました。
相手の戦闘スタイルは徒手空拳。真上からの攻撃には対処しづらいはず。
その算段はしかし、やはり圧倒的な実力さによって容易に打ち破られます。
紳士が流れるような動作で、自身の体を半歩横に移動させると、そのまま右腕を空中のわたしへと撃ち放ちました。
凄まじい速度と、絶望的な圧力。
やばい——ガードが間に合わな——。
体を、とてつもない衝撃が、貫きました。
わたしの体は銃弾のような勢いでぶっ飛びます。壁を破り、隣室へと。どうやら物置らしかったその部屋の棚を薙ぎ倒しながら、ようやく景色が止まりました。
「エルル!」
『大丈夫か⁉︎ 主様!』
フィアリスちゃんの悲鳴と、脳内に響いたレーヴァの声に、わたしは全く反応できませんでした。
血と吐瀉物が一気にせり上がってきて、床に撒き散らします。遅れてやってくる激痛。内臓が全て潰されたかのような、強烈な圧迫感と気持ち悪さ。体が激動するように痙攣し、息が出来ず、嘔吐と吐血に塗(まみ)れながらも、わたしは紳士から視線を外しませんでした。
頭の中では、自身の体の状態よりも、焦燥感が支配しています。
まずい、距離が離れた——フィアリスちゃんを護らないと。
けれど、直後にわたしが壁に空いた大穴から見た光景は、意外なものでした。
フィアリスちゃんが、毅然とした態度で紳士へと歩み寄っていくのです。
「ごぼっぁがは……ふ、フィアリスちゃん——!」
口の中に溜まった血と汚物を吐き出しながら、必死に手を伸ばします。いや、口より先に体を動かさなければ……!
「私、行くから。エルルにはもう手を出さないで」
「ふむ?」
紳士は、小首を傾げますが、ターゲットのからの申し出を断る理由はないと判断したのか、にっこりと微笑むのでした。
「もちろんだよ。私の仕事は聖女殿を、生きたまま連れ戻すことだ。貴女が大人しく従ってくれるのなら、是非もない。さあ、エスコートしよう。お手をどうぞ、聖女殿?」
フィアリスちゃんが、差し出された紳士の手を取ります。その時、一瞬だけわたしの方に目配せしました。
彼女の瞳に込められたもの、それは諦めではなく——わたしは、フィアリスちゃんの意図を察します。
頭の中でレーヴァに問いかけました。まだ、まともに喋れそうに無かったので。
『現時点での出力は、どれぐらいが限界ですか?』
『いいとこ70%じゃな。それも今の主人様のエーテルを総動員して、10秒も維持出来んじゃろう』
『十分です。さあ、行きますよ!』
この作戦は、タイミングが全て。
わたしがすべきことは、フィアリスちゃんを信じ、全身全霊を懸けて、己の全てを敵にぶつけることです。
更なる速さが必要でした。足の筋力だけではなく、体全体をバネのようにして、わたしは全力で床を踏み抜きました。
床が砕け、一瞬で最高速へ。レーヴァのエーテル刃を一気に最大出力で噴出し、その推進力と共に、紳士へ目掛けて突撃します。
紳士がこちらの攻撃を察知し、反撃の構えを見せました。
彼の間合いに入る寸前。
「左腕! 右側頭部!」
フィアリスちゃんの声と、紳士が攻撃を繰り出したのは、ほぼ同時でした。
「なにっ⁉︎」
わたしは、体を沈み込ませ、紳士の反撃を回避します。
どんなに速い攻撃も、どんなに的確な反撃も、来ると分かっていれば、避けるのは簡単でした。
フィアリスちゃんの読心術による、攻撃動作の予知。彼女が自ら紳士の元へ下ったのは、その為だったのです。
「はああああああ‼︎」
紳士の間合いの内側に入り込んだわたしは、彼の胸目掛けて刃を突き立てました。
手加減は全く出来ません。殺すつもりで攻撃して、初めて有効打を与えられる。それ程の実力差なのです。
「ぬぅぅぅう!」
紳士は体を貫かれながらも、なお反撃しようとこちらへと手を伸ばしてきます。
わたしは、刺し貫いたレーヴァを引き抜くのと同時に、紳士を思いっきり蹴り飛ばしました。
彼の巨躯が、成す術もなく飛んでいき、壁を崩壊させて止まります。
急いでフィアリスちゃんを引き寄せ、背後に押しやりました。
もう大丈夫。わたしが護ります。そう彼女に力強い言葉をかけようとしましたが、
「がはっ……ごっ……ぅぅっ」
声が、出ませんでした。おそらく先程の一撃で肺が傷ついていたのでしょう。そんな状態で、体を無理に動かしたので、反動が一気に押し寄せてきていました。
痛い。辛い。泣きそうの三拍子が、頭の中でけたましいアラートを鳴らしています。はたして、これ以上の戦闘に耐えられるかどうか。希望的観測を抱きながら、祈るようにわたしは紳士の動向を見守ります。
彼は、立ち上がりませんでした。
ただ、意識はあるようで。
崩壊した壁の瓦礫の中から、むくりと上半身を起こします。
「なるほど……これはあまりにも迂闊だった。聖女殿の力を知っていながら、無警戒に手を取るとは……いやはや、穴があったら入りたい」
「……壁に空いた穴には、埋まっていますけどね」
一応、胸部を貫いたはずなのですが、元気そうですね。普通に喋っていますし、どういう体の構造をしているのでしょうか。
「そんなことはない。素晴らしい一撃だった。私でなければ即死だったろう。大切な者を護ろうと、敵を殺すことも厭わないその気概は美しい。“この勝負は“、私の負けだよ」
——?
なんとなく、違和感を感じました。
嫌な予感とも。
わざわざ負けを認めることに、何の意味があるのでしょうか。
いつの間にこれは、わたしと彼の勝負になったのか——
「では、仕事を続けようか」
そんな疑問を軽く受け流すように、紳士は当たり前のように言います。そして、手にはいつの間にか——先程、自身の体内から取り出した筒が、握れていました。
「端的に言えば、これは爆弾でね。もし、聖女殿を連れて帰れないようならば、自爆するようにとの指示を受けている」
「そん——な」
おかしい。この人、おかしいです。
驚きと焦りと恐怖と気持ち悪さが、頭の中を高速で巡りながらも、わたしは動いていました。
紳士の手から、爆弾を奪取する為——ではなく、フィアリスちゃんを——
「お互い、運が良かったらまた会おう」
強烈な閃光。
フィアリスちゃんを押し倒した瞬間、視界が消え、何も、聞こえなくなりました。
何も——
読み終わったら、ポイントを付けましょう!