長い廊下を駆け抜けながら、フィアリスちゃんに謝ります。
「すいません……。わたしの詰めの甘さのせいで、こんなことになってしまって」
アーサーと初めて相対した時といい、いい加減、自分の悪いところがはっきり浮き彫りになった感がありました。
「エルルは悪くない。悪いのは、あの変態野郎」
「変態野郎という部分には大いに同意しますが……」
もう二度と会いたくありません。本当に嫌なんですよ、あの人。上手く言えませんが、生理的に受け付けないのです。
「む」
わたしは立ち止まると、フィアリスちゃんを一旦おろし、背中に担ぎ直しました。いざという時に、両手をフリーにする為です。
廊下の向こうから、たくさんの人の気配がしました。同時に足音と振動も。
いよいよ、覚悟を決めなければなりません。大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出します。
わたしが先行し、囮になるという手もありますが……いえ、それは無責任ですね。あまり自分の命を粗末にしようとすると、どこかの甘党さんに怒られてしまいます。
絶対に、守り抜く。
この手で。
その精神もまた、彼に学んだものです。
「フィアリスちゃん、ルートの案内は任せますよ。それと、わたしが手を離したら、なるべく強くしがみついて下さい」
「分かった」
背中から、小さな命の鼓動が伝わってきます。
「さあ、行きますよ! わたしとフィアリスちゃん、力を合わせて、ここから脱出しましょう!」
逃走、再開です。
足にエーテルを集中させ、わたしは疾風(はやて)のように駆けます。
やがて、すぐに敵集団が見えてきました。数は6人。あまり広いとは言えない通路に、密集しています。皆それぞれが、看守さんが付けていた仮面と同じものをしていて、刀剣や、あるいは予算が足りなかったのか、ただの硬そうな棒といった原始的な武器を携えていました。
あの密度だと互いの武器は振れず、一度に襲い掛かることの出来る人員も限られ、人数有利のあんまり意味ないんじゃ……と思わなくもないですが、今は相手が素人なのをプラスと捉えるべきでしょう。
先手必勝。
フィアリスちゃんから手を離し、ぎゅっと力強い抱擁が返ってきたことを確認すると、わたしは更に加速します。巡航モードから高軌道モードへ。足に集めるエーテルを、爆発させるイメージ。一瞬の内に距離を詰めると、わたしはすれ違い様に、レーヴァを振り抜きました。
わたしが再び巡航モードで走り出したのと、信者達が地面に崩れ落ちたのは、ほぼ同時。
安心して下さい、峰打ちです(両刃です)。
もの凄く手加減して、当身の要領でいっぱい斬りました。
レーヴァを石形態に戻し、フィアリスちゃんに語り掛けます。
「大丈夫でしたか?」
「うん。Gが凄かった。あまり出来ない体験」
この場合のGとは、重力加速度のことです。加速する物体に乗った人体が、無理矢理その物体に引っ張られて、同じ速度に加速させられる時に感じる負荷を指し示す言葉です。
わたしも、昔“師匠に聞いただけ“で、“今では存在しない単位“のはずですが。フィアリスちゃん、幼いのに珍しい言葉を知っているなあと、この時のわたしは、特に疑問に思うことなく感心するのでした。
その後、フィアリスちゃんの案内に従い、わたし達は施設内を出口へと向かって進撃します。
散見的に会敵はありましたが、どうやらわたしの位置情報は共有されていないようで、特に囲まれることもなく突破出来ました。そしてついに、最後の関門へと辿り着きます。
大きなホール状の空間でした。フィアリスちゃんによると、施設の出口は複数存在し、ここは最も遠く、一番規模の小さい出入り口とのこと。そう言われて自然と非常口のようなものを存在していたのですが、思った以上に立派でした。
「正確には、その一歩手前。この場所は、機能が停止している搬入プラントで、ここを抜ければ出口まで一本道」
「ああ、なるほど」
だからですか。
待ち伏せするには、最適な場所ですものね。
今はもう、その役目を終えて永眠する機械達。部屋の左右には一際大きなものが設置され、外部に向かい伸びるローラーコンベアと、壁の外から配管されたパイプが繋がれていました。そんな先人の叡智を、無粋に踏み荒らすのも、また人間なのです。なんとも皮肉がきいているではありませんか。ある者は、コンベアの上に。ある者は、巨大な機械の上に。今まで以上の数が、配備されていました。
ざっと数えたところ、16人です。広いスペースを生かして、陣形が組まれていました。特に高所——エーテル銃 (アンティーク銃とは違い、エーテルを弾丸として発射出来る機械銃です)を持った敵が数人、配置されていました。もちろん、スナイパーの役割を担うのでしょう。
気を付けなければ。
今のわたしは、自分の命だけではなく、フィアリスちゃんの身を背負っているのですから。
わたしは、身構えました。
そんなわたしの意気込みに応えるかのように、一番高いところに立つリーダーっぽい仮面の人が(どうして偉い人というのは高い所を好むのでしょう)、若々しい声で宣言します。
「よく来たなあ、異端者! ここから先は、我々クレプス教団異端審問第三聖省が通さん!」
ああ、そういうノリなんですね。
名前、長いなあ。口に出すと噛みそうです。
リーダー仮面は、手に持った銃をこちらへ向け、仲間を鼓舞するように声を張り上げます。
「貴様は、腐敗する機械文明に迎合し、我々教団の高尚たる理念を理解しないばかりか、
教祖様を拐(かどわ)かすなどという蛮行を犯した! なんという愚か者か! なんという不届き者か! 我々は、貴様を許すわけにはいかない! 利己的で飽食の機械文明こそが、貴様のような瑕疵品(かしひん)を産み出すのだ! 我々は、貴様を認めない! 我々は、機械文明を認めない! 教祖、フィアリス様の名の下に! 主(しゅ)、リコウィストゥーナの名の下に!」
瑕疵品 (=不良品、粗悪品)。
……怒っていいですかね?
あなたが今立っている場所も機械文明の象徴たる遺跡ですし、手に持っている物も立派な機械です。
頭が痛くなってきました。別にわたしは、宗教を否定するわけではないのです。どのような形であれ、人の心の拠り所になるものはそれだけで価値があると思います。有史以来、宗教という存在がどれだけ多くの人を救ってきたことか(それと同じくらいの量を殺しているところが皮肉めいてますね)。
ただし、自分の全てを、他の存在に委ねては駄目なんですよ。
盲信や狂信は、人の心を曇らせ、正常な判断を出来なくします。他者を平気で犠牲にすることを、厭(いと)わなくなるのです。
巻き込まれる方は、たまったものではないです。
『おぞましいのぅ……』
「おぞましい」
レーヴァとフィアリスちゃんの声が、シンクロしました。フィアリスちゃんは分かるのですが、レーヴァがこういったことに関心を示すのは珍しいです。それっきり黙ってしまったので、その真意は分からずじまいでしたが。
代わりに口を開いたのは、フィアリスちゃんです。
「……あれが、教団の現状。一部の過激派だけじゃなく、今では末端の信者でさえも、狂気的に教団の教えを信仰している。まるで伝染病みたいに」
伝染病とは、言い得て妙だと思いました。
人から人へと伝播(でんぱ)するのは、病も思想も一緒ですので。病と違うのは、特効薬が存在しない点でしょうか。馬鹿につける薬はないとは、よく言ったものです。
今にも襲い掛かりそうな集団に向かって、リーダー仮面は高らかに宣言します。
「さあ、行くぞ! 我らクレプス教団異端審問第三聖省が貴様を断罪する! かかれぇぇええええ‼︎」
その号令が、合図でした。
剣を持った前衛の方達が、一斉にこちらへ向かってきます。
距離を取ることは容易だったのですが、ある考えがあったので、そのまま迎え討つことにしました。レーヴァで剣を受け止め、四方から来る攻撃を躱(かわ)しながら、一人ずつ確実に敵を倒していきます。ちらりと視線を上に向けると、狙撃部隊がこちらを銃で狙っているのが分かりました。しかし、彼等は撃てません。理由は単純、味方に当たるからです。
よっぽどの腕を持っていない限り、この乱戦の中、わたしとフィアリスちゃんだけを撃ち抜くのは不可能でした。
この時点で、陣形は意味を為しません。あまり訓練されていない部隊では、下手な陣形は付け焼き刃でむしろ逆効果です。
地上部隊が残り数人になったところで、一振りにレーヴァをなぎ払い、彼等を気絶させます。同時に、わたしは跳躍しました。機械から機械へと、狙いを定めさせない為に動き回りながら、かつフィアリスちゃんが振り落とされないよう細心の注意を払いながら、接近を目指します。
当然ですが、いっぱい撃たれます。様々な色をしたエーテル弾が、雨のように降ってきました。しかし、エーテル銃の質が悪いらしく、あまり威力も無く命中精度もイマイチのようでした。
しかし、貴重な遺跡機構に流れ弾がばんばん当たっていました。
なんてこと! わたしは、心の中で絶叫します。
決着を、急がなければなりません。
飛来したエーテル弾を、レーヴァで弾きながら接敵。拳銃を殴打で叩き落とし、レーヴァで撃破します。わたしが近くにくると、皆さん体がぎょっと固まってしまって、特に反撃もされなかったので、同じ要領で一人ずつ倒していきました。
最後に残ったのは、リーダーの人です。この方は、素人ではありませんでした。
射撃こそ並だったものの、どうやら接近戦が得意のようで。わたしの初撃は、彼の俊敏なナイフ捌(さば)きに見事防がれます。
「この私がいる限り、ここは通さん!」
右手にナイフと、左手に銃を構えたスタイル。わたしは、踏み込めませんでした。迂闊に飛び込めば、自分はともかくフィアリスちゃんに攻撃が当たってしまう可能性があったからです。
他の信者はもう既に倒しましたので、一旦彼女を下ろし、安全な場所に隠れてもらう事にしました。
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