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というわけでの牢屋スタートです。
……いや、どういうわけで? いざ思い返してみても、イマイチ自分が置かれている現状が見えてきませんでした。筋肉ムキムキの聖職者に会ったかと思うと、それはもう立派なご高説を賜(たまわ)り(もちろん皮肉です)、挙句の果てには訳の分からない勧誘を受け、おそらく薬物で意識を奪われ今に至ります。
力づくでの人攫いでしかなく、誘拐というにはあまりにも強引。
これを理不尽と言わず、何を理不尽と言えばよいのでしょうか。あまりに不条理。何という非合理。天災にも似た災難です。
はっきりしているのは、またぞろ厄介事に巻き込まれてしまったこと。
そして、何らかの理由で、囚われの身となってしまったことでした。
現状打破の為の情報を求めて、視線を巡らせます。両手には、手錠が嵌(は)められていました。いつぞや、冗談でクリフさんにかけられた物と似たような仕様です。鉄製の、頑丈そうな代物でした。
そのまま体を探っていきます。着衣に乱れは無く、意識を失っている間にあれやこれやをされた痕跡はありません。首筋が微妙に痛むものの、目立った外傷は見られませんでした。
「レーヴァは……やはりありませんね」
まあ、捕らえた人間に対して、所持品を持たせたままにしておくわけがありませんしね。
つまるところ、わたしがやらなければならないことは二つです。
ここからの脱出と、レーヴァの奪還。
出口は、鉄格子の扉が一つだけ。
わたしは考えます。
正直、手元の手錠と合わせて、壊せないことはないのです。見たところ、ただの鉄ですし。逃亡阻止の為の特殊な仕掛けも無さそうですし(衝撃を加えると爆発するとか、遠隔操作でいつでも爆破出来ちゃうとかそういうのです)。こう、ぐいっとやっちゃえます。
しかし、逃げた後のことを思うと、どうしても慎重にならざるを得ません。ここがどこかも分からずに逃げても、脱出出来るかどうかは全くの不明瞭。
わたしが囚人である以上、見張りや食事を運ぶ看守は存在するはずです。その人達から、せめてもう少し情報を集めてからでも遅くは無い——少なくとも、トイレが我慢できる内は。わたしは、部屋の隅に煩雑(はんざつ)に置かれた木の桶に視線向け、強くそう思いました。
人間、トイレとシャワーと睡眠は、最低限文化的であるべきです。旅をしているわたしが言うのもなんですが。年頃の乙女として、アレですることだけは絶対に避けたい。
などと考えている内に、タイミングよく足音が近付いてきました。わたしは牢屋の中央に戻り、せめてもの演技にと囚われの薄幸の美少女を演じ始めます。同情を引く為に。目に涙を浮かべ、弱々しい表情で、精一杯の怯えを体で表現して——しかし、やがて現れた看守さんらしき人は、そんなわたしにも目もくれず無慈悲に言うのでした。
「出ろ」
言われるがままに、開け放たれた鉄格子の扉を潜ります。
「着いて来い」
恥ずかしさから、自分がした行いを無かったことにし、尋ねます。
「あの……ここは、何処なんですか?」
わたしの問いに、看守さんは何も答えませんでした。その表情から、感情は全く読み取れません。何故かって? 仮面をしているから…… 白地に真っ黒な目だけが描かれた不気味な仮面を……。
仮面は、偽るもの。何か後ろめたいことがある時に、正体を隠す為のもの。
やはり、女店主さんが言っていた、街の宗教団体の根城でしょうか。わたしは、看守さんからの情報を早々に諦め、周囲を観察することに尽力することにします。
無視された時点で、人間関係的強度の無いわたしは、心が折れていました。
無視って、一番的確に人の心を傷つけますよね……。
看守さんに連れられるまま、薄暗い通路を行きます。造りは古く、古城のような雰囲気でした。年季の入った石畳を、おぼろげな蝋燭(ろうそく)の灯だけが照らしています。年代的には、先史文明が技術革新を起こす前の建築物だと思われました。彼等は、人の一生など到底及ばない気が遠くなるような年月を経てなお、その形を遺すのです。
通路に窓が一切無いことから、この場所が地下であるということが分かりました。
それだけでも、かなりの収穫。脱出するには、上を目指せば良いということなのですから。
やがて、開けた空間に出ます。円柱状の巨大な回廊。上も下も終着点が見えないくらいの巨大な吹き抜けで、強い風が吹いていました。
脱出経路としては分かりやすいですが、簡単に挟み撃ちにあってしまうのが難点でしょうか。逃げ場もありませんし。
手すりの無い螺旋階段を、ひたすら降りていきます。奈落の底へ向かうかのような心地。空気が底冷えするのは、気のせいではないでしょう。
15分程降りたでしょうか。ようやく、底に辿り着きました。巨大な屋敷が丸々一件建ってしまいそうな大きさです。今までの古風な造りとは違い、石と金属の中間のような素材で出来た床でした。この場所だけ、文明レベルが一気に飛躍したかのように思わせるデザイン。床には不思議なことに、いくつかの分割線が走っておりました。少しだけ気になりましたが、仮面の看守さんは当然ながらどんどん先へと進むので、大人しく付き従います。
電子扉を潜った先に待っていたのは、またぞろ長い通路でした。天井が高く、無骨な鉄パイプ類が剥き出しに埋まっています。
とにかく歩きます。ひたすら歩きます。今までの道のりからも、この地下施設が、相当の広さを持っていると推測出来ました。
そろそろ沈黙にも耐え難くなってきたころ、ようやく、連行人がとある扉の前で立ち止まりました。見上げるくらいの、とても大きな扉です。
仮面の看守さんが、扉に備え付けられていたボタンを押すと、空中にキーボードが投影されます。それをいくつかタッチし、スピーカーらしきものに向かって喋り掛けます。
「″教祖様″。お連れしました」
「入れ」
間を置かずに返ってきたのは、幼い少女の声。
仮面の看守さんが、更にキーパッドを操作します。すると、重圧な音を立てながら、扉が一人でに開き始めるのでした。
現れたのは、壮麗な空間でした。
先程までの、調度品や装飾品の無い、くすんだ世界とは一変。全体的に白を基調とした、荘厳、豪奢、華美な装いです。
王城の謁見の間を思わせる絢爛(けんらん)さ。天井は見上げる程に高く、細かく装飾が施されています。それを下支えするのは、それぞれが一個の芸術品の出来栄えである、10本の柱でした。
仮面の看守さんは、部屋に入るなり、深々と跪(ひざまず)きます。その先の玉座に鎮座するのは、一人の幼い少女でした。
7、8歳ぐらいでしょうか。羽衣のように長く、ふわりとボリュームのある白銀の髪。
どろどろに煮詰めた墨汁のような瞳が、こちらを捉えます。そして、わたしをここまで連行してきた案内人に向かって、淡々と言うのでした。
「ご苦労。お前はもう、下がっていい」
部屋の広さや距離を超えて、不思議とよく通る声です。
「し、しかし……」
「二度は言わない。下がれ」
「は、はっ!」
仮面の人が慌てて退出します。
残されたわたし。事態がいまいち飲み込めず、所在なさげにしていると、少女が手招きします。
彼女に従い、わたしは部屋の奥へと進みます。一歩一歩、少女に近付くにつれ、空気が重く肩にのしかかるような——妙な息苦しさが胸を締め付けました。
「手を出して」
彼女の元へと辿り着くと、短く促されました。拘束された両手を、言われた通りに差し出します。白魚のような少女の指が、わたしの手の平の上に重ねられました。
近くで見ると、とても美しい幼女です。全体的に正気が気薄で、子ども特有の活気は微塵もないものの、その造形の高さも相まって、本当に人形のような少女でした。同性で、相手は子どもとはいえ、手を触れられて思わずどきりとしてしまいます。しばらくの間、状況に流されるしかないわたしは、なすがままでした。そして彼女は、視線を上げ、わたしを真っ直ぐに見据えてきます。
吸い込まれそうな眼でした。光の一切宿らない、いえ、光さえも呑み込んでしまいそうな程の——ブラックホールを連想する瞳。自分の意識が吸い込まれていく感覚が、わたしを襲います。決して、錯覚ではないのでしょう。その証拠に、次に少女が口にした言葉は、驚くべきものでした。
「″はじめまして、エルトゥールル・ハウル″。とても強くて、弱くて、悲しくて、傷だらけの人。会えたのが、貴方みたいな人でよかった」
「何故——わたしの名前を——」
わたしの疑問に答えることなく、少女が微笑みます。
そっと、頬に手を重ねられました。手の平を通して伝わってくる、幼女の高い体温。
ぐいっと、少女の方へ、より正確には少女の小さな顔の方へ引き寄せられます。
意表をつかれ、上手く抵抗出来ないわたし。されるがまま。なすがまま。
少女の唇が間近に迫り——。
「ぅむぅ⁉︎」
とても繊細な、この世で最たる柔らかさ。
人の温もり。体液が溶け合う気持ち良さ。
目を見開くわたしに、少女は唇を離し言います。
「私は『フィアリス・ノーマ』。『クレプス教団』にて、教祖と崇められる偶像。貴方にお願いがある。私を——ここから誘拐して?」
ファーストキス。女の子同士は、ノーカンでは?
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