終焉の幼女エルルと死なずのライザ

かこみ
かこみ

11 空の蒼さはかくも遠き⑪敵意

公開日時: 2020年10月21日(水) 08:11
文字数:4,441

————




 『セラディス・ガトー』と聞いて思い浮かべるあれこれ。


 女好き。


 女たらし。


 すけこまし。


 好色漢。


 助平。


 フェミニスト。


 かつての戦友であり、そして——『姉』の恋人だった男。


 ライザは、驚きを隠せなかった。何故なら、この男はもう、″二度と自分の前に姿を表すことはないだろうと思っていた″からだ。


 あの日——別れ際に吐き捨てられた言葉は、今でも忘れられない。


 ——『ユルサナイ』。


「ライザの知り合い……?」


 ライザの隣いたアニーが、伺うように言った。


 ライザは「ああ——」頷きながら、セラディスに臨んだ。

 

「どうして——お前が、ここにいるんだ?」


 実に13年ぶりの再会だった。会うのは、ライザが姉を失った日以来、そして——“ライザがセラディスから最愛の人を奪った日″以来である。


「ハハハ、久しぶりの親友との再会だってのに、その言い方はないんでねえの?」


 困惑に揺れるライザに向かって、セラディスは爽やかに笑い掛ける。人の警戒心を解(ほぐ)すような、軟派な笑みだった。けれどそれも一瞬のこと。すぐに、どこか倦怠感を纏った佇まいに直ったかと思うと、へらへらとした笑いに変わる。


 男には適当に、女性には真摯に。


 変わらない主義の知人に、ライザは僅かながらに気を緩めた。


「いや——ああ、そうだな。親友かどうかささておき、本当に、久しぶりだ」


「相変わらずドライだねえ。忘れちゃったんデスか? あの激戦の『シノノメ』内乱を一緒に駆け抜けた仲じゃないの。オレとオマエで、反乱軍の救世主なんて呼ばれてさ」


「記憶をねつ造するな。毎度毎度、敵の女諜報員に騙されて、その尻拭いをしてたのは俺だぞ」


「あれ、そうだったっけ?」


 とぼけるように、セラディスは肩を竦(すく)める。


 その様子にうんざりしながら、ライザはセラディスを睨み付けた。


「思い出させてやろうか?」


「やーん、アタイ何されちゃうの⁉︎」


「死ね」


「冗談。野郎に攻められる趣味はねえよ。それに、あれはワザとだよ。可愛い姉ちゃんが、一生懸命必死に尻尾振ってくるんだぜ? 軽く相手してヤらなきゃ損でしょうよ。んで、見返りに情報をあげてただけ。気持ちよくしてもらったお礼はしなきゃね、人として」


「お前の下らない性欲(しゅぎ)で、どれだけ俺達が迷惑したことか……」


「そんなんだから、いつまで経っても女の一つも——と」


 今まで、旧友に向けられていたセラディスの視線が、ふいにアニーを捉える。そして紳士的に頭を下げると、歯の浮くような笑みで

台詞を口にした。


「これはこれは、挨拶が遅れまして、申し訳ありません。初めまして、麗しいお嬢さん。今日は実にいい日だ。こんな素敵な人と出会えた」


「えっと……」


 反応に困るアニーが、救いを求めるようにライザを見てくる。


 ライザは嘆息し、セラディスを制した。


「やめろ。気持ち悪い」


「ひっでーの。何? この子、ライザのコレ?」


 けらけらと笑いながら、下品に小指を立てるセラディス。


「違う。会ったばかりだ。変な詮索をするな」

 

「ふうん……浮気じゃなかったのね。じゃあ、オレはお嬢さんとお近づきになりたいな。ね?」


 まずは——握手。そう言ってこちらに近づいてくる悪友に、諦めにも似た感情を抱くライザだったが、しかし。


 ふと、違和感を感じた。


 こいつは今、なんと言った——?


 浮気じゃなかった——それは、誰のことを指している? こいつは、いつから俺を見ていたんだ?


 ただの言葉の綾かもしれない。けれど、ライザは聞き逃すことは出来なかった。そこまで、お人好しにはなれない。ライザの警戒心が、跳ね上がった。


「待て。それ以上、近寄るな」


「えっ? なして?」


 首を傾げるセラディスに、ライザは敵意で応える。


 元々、味方だった頃も、どこか捉え所のない立ち位置にいた男だった。立場上は味方でも、時折、一人だけ別の視点を持っているような振る舞いを見せることがあったのだ。信用が出来ない男というのが、ライザの評価。


「今、浮気がどうとか口走っただろう。お前は、いつから俺のことを見ていたんだ? 少なくとも、アニーと出会うよりも前——エルルといる時にはすでに、俺を見付けていたんじゃないか? なのに、そのことを言わず、何食わぬ顔で声を掛けてきた理由はなんだ?」


「へー、あの女の子、エルルちゃんて言うんだ。可愛いねえ。ちょっと幼過ぎるけど、ちっちゃくて、抱き心地良さそう」


 どうやら、セラディスに隠す気は更々ないらしく、飄々(ひょうひょう)と言ってのけるのだった。


「別に、大した意味は無いのよ? 偶然旧友を見掛けたはいいものの、″あんなことを言って別れた手前″声を掛けにくいなあ、とかそんなナイーブな理由デスよ? あと、一応、仕事中だったしね」


「ならばなぜ今になって、声を掛けてきた? その仕事とやらに関係があるんじゃないか?」


「えー、何これ。オレ今、詰問されてんの? あーやだやだ。男に責められるのセラディスちゃんマジむり。耐えられない。どうせなら、そっちのかわい子ちゃんにお願いしたいよね」


「ふざけるな」


 ライザは、一歩踏み出した。アニーを庇うように前に立つと、セラディスに向けて手の平をかざす。いつでも攻撃出来るように。いつ攻撃されても反応出来るように、エーテルを練り上げ、魔法を使う準備を整えた。


「目的はなんだ? お前の恋人を奪った俺への復讐か? 報復か? それとも——」


「おいおい、勘弁してくれよ、こんな白昼堂々で。オマエが何を思い込んでるのか知んねえけど、オレはもうあの時のことは何とも思ってないからね? 本当だよ?」


 胡散臭い笑みを浮かべながら、饒舌に語るセラディスを疑いの目で見ながら、ライザは問う。


「だったら、何の用だ?」


「用がなきゃ、旧友に声も掛けちゃいけないの? ——ははは、冗談だって、睨むなよ。別に騙す気も隠す気もねえって。オマエがあのちっちゃな美人さんと一緒にいた時に声を掛けなかったのは、本当に仕事中だったからだよ。その仕事ってのが、とある教団の用心棒みたいなもんでね」


「クレプス教団とやらか」


「なんだ、知ってんの?」


 アニーに聞いた情報を思い出す。人攫いの噂が立つほどに、街の住人から煙たがられる存在。街の地下に拠点を構え、いくら侵入者とはいえ、アニーを白昼堂々追い回した胡散臭い連中。


「守秘義務は契約に入ってないから、セラディスさんほいほいゲロっちゃうけど、その教団さんが、近々何か良からぬ事を企てているみたいでね。オレは、その間の用心棒として雇われたってわけ」


「その良からぬ事とは?」


「知らなーい。興味もないしね。んで、その関係もあって教団内が辛気臭くぴりぴりしちゃってるんだけど、そこに『侵入者』が忍び込んだっつーんで、絶対に逃すなー!って大騒ぎになってさ。面倒くさいけど、オレも魔女狩りに駆り出されたってわけ」


 魔女狩り。その単語を用いたのは、魔女の黄昏を、″姉を犠牲に生き残った″自分への当て付けのような気がした。口でどう取り繕おうが、セラディスが自分を恨んでいること、そしてその憎しみが完全に無くなるなど有り得ないことを、ライザはよく知っていた。それ程までに、セラディスは、姉のことを心の底から愛していたのだ。二人の側で見ていた自分だからこそ、よく分かる。


 ただ、今はそんなことよりも——。


「つまり、お前の狙いはアニーというわけか」


 ライザの背後で、アニーが緊張に息を呑む。その気配を背中で感じながら、ライザは間合いを保ちつつセラディスの前に立ち塞がった。


「そそ。先遣隊が取り逃したって連絡があったもんで、のんびり駆けつけたのよ。そしたら思った以上にかわい子ちゃんで、お兄さんもう、やる気ビンビンよ?」


 言って、セラディスはポケットからタバコとライターを取り出すと、口に咥えて火をつけた。ゆっくりと紫煙を吐き出し、余韻を楽しむ。


 ライザは知っていた。


 セラディスが戦闘する際に、必ずタバコを吸うことを。


「てなわけで、その子、こっちに渡してちょうだい? 大丈夫、レディに酷いことはしないから。ベッドの上以外ではネ?」


「断る——と、言ったら?」


 ライザは、臨戦態勢に入る。


 その様子を見て、セラディスの口元にニヒルな笑みが浮かんだ。


「オマエが、オレに一本でも取れたこと、あったか?」


 確かに、セラディスの言う通りだった。そもそもライザは、戦い方をこの男に学んだ。表の世界でも、裏の世界でも、屈指の実力者。実力差は歴然。そしてなおかつ、ライザはセラディスが本気で戦っているところを、見たことが無かった。


 ならば、どうする。


 ライザはめぐるましく思考を働かせる。勝てる算段は無い。ならばどう逃げるか。衆人の目がある中、いくつか方法は思い付いたが、無関係の人間を巻き込むことを、あの小さな少女は決して是としないだろう。


 いざとなれば、『跳躍』を使うしか——。


「男を攻めるなんざあ、趣味じゃねーけど。久しぶりに、稽古を付けてやるよ」


 セラディスから放たれるのは、物理的な圧力を伴うと錯覚する程の威圧感。ライザは、肌が焦げ付くような気さえした。


 走る緊張。張り詰めた空気。


 戦いの火蓋が切られようとしていた。しかし、セラディスの懐からアラームのような音が鳴り響いのは、そんな時だった。


「あっ、ちょい待ち」


 あっさりと言いのけ、セラディスが取り出したのは通信装置。当たり前のように出ると、短いやり取りの末、「へーい、了解」と気の抜けた返事と共に通話が終わった。そして、ライザ達に背を向ける。


「じゃあ、そういうことで」


「待て。どういうことだ」


 目的を達せず去ろうとするセラディスを、ライザは呼び止めた。この男が、突拍子もない行動をするのは今に始まったことではないが、あまりに不可解で流石に看過することは出来なかった。


「戻って来いって、クライアントからのお達しよ。。何でも、緊急事態だとか。『脱走者』が出たらしいね。侵入者よりも、そっち優先だってさ。あーあ、やだやだ……男ばっかりでむさ苦しいし、人使いは荒いし」


 振り返らずに答えるセラディスは、本気で面倒そうだった。倦怠感を隠そうともせずに、肩を落とす。そして、ぶつぶつと愚痴を呟きながら、人混みの中に消えていった。


 残されたライザは、緊張を解く。安堵。運が良かった。そう言わざるを得ない。  


「怖かった。色々な意味で」


 アニーが大きく息を吐いた。そしてライザを遠慮がちに見上げながら「ごめんね、私のせいで、お友達と険悪な感じになっちゃって」と謝る。


「友じゃない。ただの知り合いだ。だから気にするな」


 ライザの本心だった。かつての戦友も、共に戦ったという間柄でしかない。背中を預けはしたが、心まで許してはいなかった。だからそう、セラディスが自分を恨んでいようが、そんなことは何の関係もないのだ。絶対に、感慨など、無い。そう自分に言い聞かせる。


「いくぞ。一応、俺もお前も変装した方がいな」


「うん、そうだね」


 後を付いてくるアニーに、エルルの面影を見ながらライザは歩き出す。


 脱走者——。


 急がなければならない、そんな胸騒ぎがした。


 

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート